23話
ヴィクトルは、ミアと別れたあと、一人で屋敷の奥へ向かった。
向かった先は、衣装部屋でも、使用人の控室でもない。
――厩舎の裏。その先は、森へと続く細い道。
そこは、貴族の令嬢が夜中に足を踏み入れるような場所ではない。だが、彼は知っていた。
(ミア様は……“時折”ここを通っていた)
それは、以前から気になっていた些細な違和感だった。夜番の下男が、何気なく漏らした言葉。
『たまに、金髪女性の後ろ姿を見た気がするんです。月が明るい夜で……でも、夜更けに女性が通るはずもないし、気のせいかと』
当時は、誰も深く追及しなかった。
貴族の屋敷では、噂は噂のまま消える。
だが今なら――。
ヴィクトルは、地面に残る微かな痕跡に目を凝らす。草が、不自然に踏み分けられている。
最近のものではないが、繰り返し通った形跡。
(ミア様は、夜中に一人で……森へ?)
脳裏に浮かぶのは、“悪役令嬢ミア・ウォルター”としての、かつての姿。
人目を避け、秘密を抱え、誰にも知られず、誰かに会いに行っていたとしたら?
――そして、その夜。
王子の誕生パーティーの夜。
破れたドレス。
ミア様の部屋から出てきたフードの人物。
(もし……)
もし、うぐみと“入れ替わる前のミア様”が何かを隠していたとしたら。
もし、その秘密が露見するのを恐れていたとしたら。ヴィクトルは、拳を握りしめた。
(いや……これも憶測でしかない。)
証拠はない。
今のミア様は、あまりにも違う。
歯に衣せぬ発言、遠慮がなく、身分を気にせず、
使用人でも対等に扱う。
あの頃のミア・ウォルターとは、まるで別人だ。
(それでも……)
“別人のようだ”と感じていること自体が、すでに異常なのだ。ヴィクトルは、森の奥を見つめながら、静かに息を吐いた。
(この件は、私一人で確認する。)
今のミア様には、言わない。
疑いも、可能性も、仮説も。
彼女が、真実を知らない“今”が、
最も安全であると――ミアの下僕として、判断した。
闇の中、風が葉を揺らす。
まるで、誰かがこちらを見ているかのように。
ヴィクトルは背を向け、屋敷へ戻った。
その胸に、決して口にしてはならない疑念を抱えたまま。




