14話
「ハネ……ウグミ……?」
ヴィクトルは、片言のような発音で私の名をなぞった。言い慣れない響きに舌が戸惑っているのが分かる。
「そう。それが前世での私の名前。この世界とは違う場所で生まれて、過労で死んで……それから、この世界に来た」
「……てん、せい……?」
理解できない単語の連なりに、彼は眉を寄せる。
「生まれ変わり、ってこと」
その言葉に、彼はしばし黙り込み——やがて、納得したとも、していないとも取れる曖昧な表情を浮かべた。
「……ミア様は、どこかで頭でも打ちましたか?」
(ガックリ……)
ほんの一瞬でも、信じかけてくれた気がした私が甘かった。
彼の視線には、警戒と——わずかな憐れみが混じっている。
分かってる。普通は信じられない。
「信じなくていい。でも、嘘はついていないわ」
「…………」
沈黙が落ちる。
やがてヴィクトルは、低く息を吐いた。
「……なら、ひとつ、提案がある」
「て、提案?」
「取引だ」
その言い方は淡々としていたが、どこか慎重だった。彼自身が、この言葉を口にするべきか迷っているように見えた。
「あんたには、このまま——ミア・フォルトナーを続けてもらう」
「待って。今の説明、聞いてた? 私はミアじゃないって——」
私の言葉を制するように、彼は手を上げた。
「本物じゃなくていい……むしろ、その方が都合がいい」
「“都合がいい”って、言い方があるでしょう」
思わず噛みつくと、ヴィクトルは一瞬だけ視線を逸らした。ほんのわずか——感情を隠す癖が、崩れた瞬間だった。
「誤解するな。俺のためだけじゃない」
そう言いながらも、彼の声は硬い。
「この屋敷は、ミア・フォルトナーを中心に回っている。彼女が“いない”と知られた瞬間、真っ先に疑われるのは——俺たち使用人だ」
忠誠。生き延びるための、逃れられない鎖。
「しかし……」
ヴィクトルは、言葉を切った。
続くはずだった台詞を、飲み込んだように見えた。
「あんたを完全に信じた訳じゃない。だが、前のミア様とは違うのはわかる。このままミアを演じると言うなら——」
そこまで言って、彼は自分を戒めるように口を閉ざす。
「それに、あんたにも悪い話じゃないだろう。ミアのままでいれば、住む場所も、食い物も、立場も保証される。
……病気で伏せっていると言えば、余計な“婚約話”に、今すぐ巻き込まれることもない」
(婚約……?)
一瞬、胸がざわついたが、彼はそれ以上触れなかった。
「……考える時間をやる。三日だ」
「条件は?」
「ミアでいること。その代わり、俺が表も裏も支える」
取引——そう言いながら、決して対等ではない。
けれど、彼の瞳の奥には、命令に従うだけの色とは違う揺らぎがあった。
「三日後の夜、またここへ来る。その時に答えを聞かせろ」
そう告げると、ヴィクトルは踵を返した。
迷いを振り切るような、早い足取りで。
扉が閉まる音がして、私は一気に力が抜けた。
(……完全に信じた訳じゃない。か)
それはそうだろう。これだけ容姿がミアそっくりでは、それも無理はない。
彼もまた、変わろうとしている。
それが分かってしまったからこそ——胸が重い。
私は答えを出せないまま、ベッドに顔を埋めた。




