13話
予想外の出来事が続きすぎて、私はようやく喉の渇きを自覚した。
ベッドを抜け出し、サイドテーブルの水差しからグラスになみなみと水を注ぐ。音も気にせず、一気に飲み干した。
——まるで、品位とは無縁の行動だ。
でも、今さら気にする余裕なんてなかった。
私は、ミアがしてきたことを肯定できない。
屋敷の主人の娘という立場を利用し、下僕である彼に拒否権のない関係を強いていたのだ。
卑劣で、身勝手で、節操がない。
……悪役そのものじゃない。
(ああ、そうだった)
苦笑がこみ上げる。ミアは“悪役令嬢”だったのだ。つくづく、ミアと私は違う。
育ちも、価値観も、人との距離の取り方も。
ミアは欲しいものを力で奪い、気に入らなくなれば切り捨てる。
本来、しかるべき立場の相手がいようとも——その存在をまるで無視するように。
この世界が「ゲーム」だった頃、彼女は主人公のヒロイン(聖女)に皇太子を取られてから、嫉妬し、集団で追い詰め、最後には毒にまで手を伸ばした。
自分の幸福のためなら、他人の人生など顧みない。
(……私には、無理だな)
どれだけ外見が似ていても、私は悪役にはなれない。根が真面目で、駆け引きが苦手で、遠回しな物言いもできない。
それで損をしてきた人生だったけれど——それでも、人が嫌いにはなれなかった。
人と、ちゃんと関わって生きたかったから。
私は、深く息を吐いた。
「……自分の部屋に戻って。もう夜、ここへ来なくていい」
はっきりと、けれど命令にならないよう、言葉を選んだ。
「それも……私の役目だったはずですが。私のことが、お嫌いになられましたか?」
ヴィクトルは、私に捨てられるのではないかと少し怯えたような顔をした。
それも無理はない。使用人にとって、主の機嫌は生死に直結する。
「言ったでしょう。私はミアに似ているだけ。ミアじゃないの」
「無理に夜伽みたいなことをさせたりしない。あなたを切り捨てる気もないわ」
彼は、じっと私の顔を見つめた。
感情の読めない瞳。信じたいが、信じきれない——そんな揺れが滲んでいる。
「……本当に、ミア様ではないのですか?」
「ええ。本物じゃないわ。屋敷まで来てしまって、ごめんなさい。でも、私にも行き場がなかったの」
嘘ではない。
その言葉を口にした途端、胸の奥が締めつけられた。
「……よかった」
「え?」
彼が、ぽつりと呟いた。
新緑の風のように涼やかな声。抑え続けてきた感情が、ほんの一瞬、隙間から漏れ出たようだった。
「よかった……。ミアお嬢様が、いなくなって」
不穏な言葉とともに、彼は苦く笑う。
次の瞬間、ヴィクトルはベッドから身を起こし、獣のような速さで距離を詰めてきた。
顔が、吐息が触れるほど近い。
「……じゃあ、ミア様はどこへ行った? それから——あんたは、誰だ」
声音が変わった。優しさを削ぎ落とし、長年押し殺してきた本性が鋭く剥き出しになる。
(これが……本当の彼)
彼は私の首元へ鼻先を寄せ、微かに匂いを探る。
逃げ場はない。
「嘘は通じない。俺には分かる。だから、真実を言え」
喉が鳴った。嘘をつけば、見抜かれる——本能で理解していた。私は、覚悟を決めた。
「……私の名前は、羽根うぐみ」




