没落令嬢vsいい感じの湯煙
「はあー……。
なんとかこれで最後の懸念も踏み越えられそうですわね」
ある来客が去ったあと、どかっと椅子に腰掛けるのはライヒ。
アルシュカとドランが街に向かい、戻ってきてから。
元より決戦の日までそう時間はなかったが、
彼らが呼び込んだものや、そこから考えられること、それ以前から考えていた懸念の払拭手段などをこなしているうちに、早くも決戦の日は明日へと迫っていた。
「ライヒ様、本当なら午後はお休みにしたいのですけど……」
「明日で終わるわけじゃなし。むしろ明日の予定とて通過するだけの日常の一コマですわよ。
妙な特別扱いをして領主としての仕事を滞らせるわけにはいきませんわ。
まあ……趣味は趣味としてその責務をぶっちぎることはありますけど……ごにょごにょ」
言っておいてだんだんと責務とやらを割と投げ出しているなという自覚に飲み込まれたライヒの語気は後ろになるにつれて弱くなっていった。
その上で明日の決戦に対して本当にいつもの日常の一コマだと思っているわけでもない。
多くの戦いを経てきた彼女にとってなお、明日の戦いの結果は未知数であるとも思えた。
それでも勝つ。負けるかもしれないなどという気持ちで挑むのは彼女の喧嘩根性が許さなかった。
「いつも通り過ごしますわよ。
せっかく、アレも盛況なわけですし、ここで足踏みするなんてもったいないですわよねえ」
立ち上がる。
片手にはタオルやら石鹸やら何やらが納められた桶。
「クサクサするのならひとっ風呂浴びましょ、リオ!」
✘✘✘
時間は決戦前日より少し前。
アルシュカとドランの戦いが終わり、彼らが酒宴にいる頃に勝利と結果の報告は上がっていた。
ギルドが手配した連絡人だった。
少しの安心を得たライヒは二人の帰還を待つ。
とはいえ、戻ってきた二人は流石に疲労の色が見えたのでその日は休んでもらい、翌日に報告を受けることになっていた。
その報告の前に来たのは老人だった。
老人曰く、報酬を支払に来たと。なんのことかわからなかった応対者はそのままライヒたちに伝える。
アルシュカとドランは少し驚いたような顔をして、
「報告より先になるとは」
と呟いている。
現れた老人は戦勝後に向かった風呂屋の主人、『番台のじい様』と呼ばれていた男だった。
ライヒやアルシュカたちがいる前で、
「報酬を支払に来た、ってのは言ったよな」
「ええ。伺いました。ですが、それは」
「そこの坊主に頼まれてな。領主殿は風呂を作りてえだとか」
ライヒが頷くと、
「自慢できるようなことはほとんどねえ老骨の人生だが、風呂とお湯に関しちゃ譲れねえだけの知識と経験がある。
街を代表して報酬としておいらが来たって、そういうわけさ」
アルシュカはちょっとした助言を報酬がわりにもらうつもりだったのだが、どうにもこの老人は、
「寝床だのは夜露が防げりゃどこでもいい。上等な暮らしはしてきてねえからよ」
住んで、ここで研究して風呂をなんとかするつもりのようだった。
✘✘✘
ライヒは断ることもなく、やりたいようにやってもらうのが一番だと考えた。
彼女がいた頃から風呂屋はあったが場所柄もあって足を向けたことはない。
ただ、この老人──驚いたことに本当に名前を持たずに風呂屋、番台でしかないという、彼の噂は聞いていた。
風呂、というか温泉の予定地に案内するとあれこれと見始める。
「豪華なもん揃えてんなあ。領主様よお」
「錬成ギルドの方々が協力してくださったんですわよ。豪華かまでは申し訳ないけれど今日までは知りませんでしたわ」
「で、連中は温泉についてなんて言ってた」
機材を触りながら質問を続ける。
高度な機能と装置が連なるそれらを触れていく。
知識と経験まるで古馴染みの仕事道具かのような手つきだった。
「炎の力を持つ魔獣の加護でもあれば温泉はなんとかなる。ただ、その気配がない場所で温泉を得るのは難しい。……そんな話でしたわね」
「なるほどなあ。いや、確かに仰る通りだ。で、少量を石で沸かして足湯だけは解放してるってわけだな」
「ええ、その通りですわ」
「温泉ってのは、何か知ってるかい、領主様」
「えー、っと。水の代わりにお湯が湧いている場所?」
「もうちょいと踏み込んでみてくださいや」
「入ると普通のお風呂より効き目がある、不思議なお風呂?」
「おう、それよそれ。つまるところ、治癒効果のあるお湯ってのが主題みてえなもんだわな」
一通り見終わったのか、ライヒの近くまで進むと番台が続けた。
「もう一つの問題は冷たい水しかねえ。温めるための力を使おうとすりゃあ燃料の方が大きくなるってわけよな」
「そうですわ」
「それについちゃ、やり方がある」
番台は使い終わった火晶石を集めると、それを何かの機材に収める。
さらにいくつかの薪を用意して、何かを組み上げた。装置のようだった。
何かは誰にもわからない。
薪が火元もなく赤くなり始める。
装置の上には鍋があり、それは少しの時間でコポコポと泡をあげ始めていた。
「沸いてますわ」
「え、使い終わったはずの石をどうして」
「錬成術を学んでる連中ってのはどうしたって学者だかんな。庶民の知恵ってのがあるわけじゃねえ」
専門的なことは省くがと前置きをした老人は水を沸かすだけなら豪華な火晶石を使う必要はない。
一つ二つの使った後のガラで十分に機能させられるのだという。
諸々のことを学んでいるリオは老人の知恵と知識の出所は明らかに錬成術の領域、それもかなりの深度のものであったが、個人の過去を詮索することになりそうだったからこそここでは黙っていた。
「これで沸かしたお湯にな、こういうのを網にでも入れて浴槽にでも突っ込んでおけば……ああ、いや、もう入ってもらったほうが早えやな!
もうちっと時間くれ、領主様。風呂の準備をしちまわあ!」
✘✘✘
番台が準備をしている間に、今度こそアルシュカとドランの報告を聞く。
「そう。ノエルも」
立派に勇者をやっているではないか。
自らの血を呪いながらも、血に踊らされるではなく、信条の上で人を助けているのではないか。
好ましいと思った男の性質について、正しい予測だったのだと思うと小さく微笑む。
「街の方がそうなら、当日も安心して戦えますわね」
「何か心配でもあったのか?」
「下手にノエル、いえ、ドラルディンが恨まれでもしていたら戦いとは別のところで彼らと街との戦いが起きないかが心配だったんですのよ。
でも、そういうことなら」
「なるほどな。確かにそりゃ安心だ」
ドランもまた似たような危惧があった。
自分が率いていた後の組織が悪逆無道の者たちの巣窟となっているならば、いかに自分たちが正々堂々と決闘を挑もうとも無意味なことになる。
それができるかを調べ、できないならばドランは独自に行動しようとも思っていた。
ドランが求めるのは正義と秩序ではない。自らが求めて発揮しきれなかった我の通し方を知るためにもライヒの近くで行動を見たかったのだ。
それが第三者に邪魔されてはかなわない。
達成するためであれば裏側で邪魔者を消してしまおうと思っていた。下水の仕事はついでとまでは言わないが、情報を仕入れるために行ったというのも事実。
それでも、安心できる材料が仕入れられたのは彼にとっても幸運だった。
「ノエルは強かった」
「ええ、そうでしょうね」
「ライヒ様は」
「当然、それ以上に強いですわよ。オーッホッホッホ!!」
高笑い。
強がりではない。
ただ、実際にそれが確定しているわけでもない。
それでも、己の実力こそが求める道を切り開くに十分な資格と強さがある。
それこそが彼女の考える信念。喧嘩根性であり、喧嘩意地でもあった。
あの戦いを経て、強さを見て、少し不安になっていたアルシュカも笑っていた。
ああ。そうだ。
こういう人だった。
信じるしかないと思わせる、不思議な強さがある人だ。
そう思ったのならもう、不安もない。
戦いの当日までアルシュカも新たに得た力を磨き上げることに専念できそうだと考えを固められた。
そこに控えめなノック。リオのものだった。
「ライヒ様、番台さんが呼んでらっしゃいます」
✘✘✘
「ぷっはぁー……」
吐息。
湯煙。
「いい心地ですわあ〜」
ライヒが蕩けるような声で言う。
作ったものの稼働できていなかった風呂が稼働していた。
湯船にはたっぷりと湯が張られて、そこかしこに薬草を詰めたバッグが浮かんでいる。
老人が独自に調べあげたそれらの薬草は実際の温泉同様に自己治癒の力を底上げし、
冷え性から腰痛から、婦人病から二日酔いまで広い効能がある──と老人が謳う。実際に挙げられたものに対しての効力もある。
だが、それ以上に、
「こりゃあいい湯ですわねえ」
外から番台があれこれと説明をする。
割としっかりとしたビジネスとしての色の強い話だった。
コストがどうの、廃棄するときの問題と解決がどうの、現在のこの風呂の問題と解決がどうの。
それらはリオに任せて、一通りの話が終わってから、
「明日から早速稼働したいですわねえ」
「おいおい、明日からって」
「できねえんですの?」
「できらあ!」
乗せられやすい番台、というよりは元々やれるならやりたい気持ちが番台にもあった。
彼が元々運営していた風呂屋はすでに息子に渡せた。
管理方法や補修、他にも色々な知識と情報をまとめて、それも渡せた。
いつまでも老骨が生きていられるともわからない。
だが、生き甲斐である風呂のことをどうしても渡すことができなかった。
アルシュカの誘いは老人にとっての未来そのものだった。
『オレの主人が風呂を作りたくて、しかし作れなくて困っている。
プロフェッショナルの力と知識を借りたい』
『長くなるかもしれんぞ、わからん場所で手探りとなると』
『金の支払いについてはわからないが、主人も凝り性だ。金がかからない方向ならいくらでも拘ってくれて構わんというと思う』
街に住むものとしてライヒの最近の活躍や古巣でもある錬成ギルドとの繋がりのこともあれこれと聞いていた。
そこに、アルシュカの拘り尽くしたって構わないという言葉が合わさったとき、
老人が死ぬその時までやることが決まった。
「領主様よお。
だが、本当にいいんだな。オイラは拘り始めるとよお」
「好きになさいな。この風呂のお湯も薬草も拘りがなけりゃできやしなかったものでしょう。
お金はないけれど、人様に迷惑がかからない範囲ならいくらでも拘って拘って、拘り抜いて構いませんわよ。
わたくしだってそうやって生きてきましたもの。今更他人にそれをするなとは言えませんわ」
その言葉に老人は小さく笑い、そして、
「そいじゃあ明日の午後イチにゃ使えるようにしてみせるからよ。客集めはそっちに任せたぜ」
こうして、翌日から『ライヒの湯』と名付けられた、温泉ではない風呂屋が開店することになる。
湯の心地の良さに領主自らが営業中に入りに来ることもあって、開店長所から強い人気を誇ることになった。
✘✘✘
決戦の前日。
風呂から出てきたライヒとリオ、そして道中で呼び出されて男湯に向かわされたアルシュカ。
明日の決戦だというのに呑気に散歩をしていた。
リオもアルシュカも風呂に入るまではいいのだろうかとも思っていたが、
この呑気さは自分たちに向けての慈悲ではないかとも思えると、風呂から出た後は彼女の望む通りについていき、その散歩を自ら楽しめた。
「支払い期日まであんまり時間もありませんけれど、そこは解決できたものとして、
温泉の安定が目下の悩みですわね。
一年二年くらいなら石でもいいそうですけれど、やっぱりせっかくだったら温泉を沸かしたいもんですし。
でも魔獣探しには時間がかかりそうですわよねえ。
先に土地を任せられる代官でも探さないと──」
ライヒは既に未来予想図をはるか先に伸ばしている。
「なあ」
そこにアルシュカが声をかけた。
リオも声を出そうとしていたが、アルシュカが早かった。ただ、二人はちらりと見合う。
聞きたいことが同じなのだと察した。
リオが続けた。
「ライヒ様、明日は」
風が吹いた。
一陣の風はライヒの黄金の毛髪を揺らしていた。
「当然のように戦って、」
月光が彼女を照らす。
絶対的な存在かの如くにその姿を演出していた。
「当然のように勝ちますわよ」
自らの運命をその腕力で切り開いてきた女の言葉は強く響いた。
信じるに値するものだった。
リオもアルシュカも彼女を疑うことはない。
それでも不安にはなるばかりだった。明日の決戦で負けたなら、どうなってしまうのか。
負けたとしたら、なんてことを軽口で彼女はいうこともあったが、いま彼女が自ら宣言した言葉こそが揺らぐことのない心中の言葉だった。
二人は小さく頷く。
当然のように勝つライヒを、当然のように信じるのだ。
騎士として、従者として、家臣として、そして彼女に救われた二人の人間として。
──運命を決定づける日が到来する。




