執着原液vs人間
深夜。
アドルインの下水、その深奥。
上等なスーツの上からローブを羽織った男がいた。
ギュストーク・ザイオと名乗るマフィアのナンバーツーだった。
カンテラの一つも持たず、闇の中をまるで見知っている場所のようにして歩いていた。
下水は遺構を再利用したものであるから、徹底徹尾効率的な作りになっているわけではない。
そこかしこに淀みになる場所はある。
ギュストークはそこを目指していた。
光のかけらもないようなそこまでを苦もなく歩く。
淀みの大きさは馬車三台分程度はあるだろうか。下水に落としてしまうようなもの以外にもどこからか流れ込んできてしまったゴミがそこかしこに浮いている。
そこには何かの骨や、かつては明確な持ち主がいたであろう装備までもがあった。
それらの幾つかはギュストークの手によるものだった。
「──……」
人語ではない。いや、文明種の言語ですらない。
音ではあるが、聞こえるようなものでもない。
それは魔獣どもにのみ聞こえる『意味』そのものだった。
あがき、もがき、つどい、もどれ。
その意味に応じるように淀みからぬらぬらとした液体が触腕のようにして壁に張り付いて、通路へとよじ登っていった。
ギュストークは自らの顔に触れると少し力を入れる。めりめりと音がした。顔がひきつれて、割れた。生きた肉がそこにあった。だが、本来人間が備えているであろう多くのパーツは存在しない。代わりにあるものは粘質の何かだった。
それらは登ってきたものを受け入れるように触腕を伸ばし接続されると急速に体内へと引き上げていく。明らかにその体に入りきらないようなはずの量を飲み込むと再び割れた顔を元に戻した。
振り返る。
物理的にではない。
記憶だ。
そこにあるのはアルシュカの敢闘や、ドランやノエルを含めて戦ったアクァヴとの記憶だった。
ギュストークは歯噛みする。
「ドラルディン。ノエル。
余計なことを」
殺された恨みのようなものが蓄積する。
我が身を引き裂かれるような思いというものを、ギュストークは実際的なものにしていた。
「あと少しでアクァヴも騎士もどきも戦力に加えられたというのに」
戦力として申し分ないものだったはず。
だが、余計なことをされてご破産になった。
もちろん、この場合は下水を悪用して養殖しようとし、市民生活を脅かしたものがより大きな『余計なこと』にあたろうが、そんなものはギュストークには関係なかった。
自らの野心の邪魔になるものはなにもかもが余計なものなのだから。
腕がひび割れるとその内側から粘質の何かが漏れ出て、張り付き、染み渡り、肉の形状を変える。騎士の籠手や竜の腕のような形状に変わる。
記憶を読み解き、生物の情報を食らう。スライムの特性を持ちながら、ギュストークは新たな怪物へと自らを変異させていた。
「……」
音に気がついた。
まだ距離はあったが、そのあとに灯りも見えた
あんなことがあったからか、下水の見回りは強化されていた。何かあればすぐさま連絡できるように行動していた市民だった。
ギュストークは面倒だと呟くと下水に身を投げた。
「ん、そこに誰かいるのかい」
灯りを奥へと向ける。
水が跳ねるような音をかすかに聞いた気がした。
誰もいない。
「気のせいか……」
下水の深奥ともなればその不気味さは夜の路地裏ですら可愛げがあるように思えるほどに不気味だった。
見回りをさっさと終えて酒場に行きたい気持ちが強まる。
振り返り、帰路へとつこうとしたときだった。
「ひっ」
見回りが声を上げた。
誰もいなかったところ、自分一人でしかなかったはずの道。そこに男が立っていた。
ギュストークだった。
「な、なんだ、あんた」
こんなところで。
何をしているんだ。
どうして後ろに。
言いたいことは山ほどある。
だが、
「ぷふあ」
ギュストークの顔面が星形に割れた。
断面にはアクァヴを思わせる牙が生え揃っていた。
怪頭人躯のそれを前にして悲鳴を上げる間もなく、
ばつん。
開いた顔面が見回りを頭から飲み込むようにしてから口を閉じた。
カンテラを持っていた手がだらんと落ちる。ギュストークの閉じた顔面に入りきらない血液がぼたぼたと地面に滴った。
ごりゅ。ごりゅ。
ごりゅ。
ごりゅ。
咀嚼音が闇の中に響いていた。
それはもはや野心に燃えるだけの人間ではない。
怪物だった。
魔獣でも魔族でもない。
人間が野心と憎悪を煮えたぎらせてようやく生み出すことのできる名もない怪物だった。
顔が元に戻っていく。
何か妙な感触があり、指を口に差し入れて、掴み、引き出した。頭骨の一部だった。
噛み切りにくいそれを下水に投げ捨てる。
まだ口の中に幾つかのパーツがあったのを噛み砕き、飲みにくいものは唾とともに吐き出す。
小さく吐息を漏らす。
人間の美味さは無上のもの。
そこらの人間であったとしてもこれほどの。
(であれば、俺を殺したものの味はどれほどのものなのだ)
途切れることのなかった飢えがそこにあった。
かつて野心を燃やしていた男。
ノエルを利用して成り上がった男。
理性と理知をナイフがわりにしてきた男には似つかわしくない本能的な欲求。
それを恥じて押さえ込もうとなどしない。
ギュストークは怪物になりたかった。
圧倒的な力と自由。
それを以て自分を見捨てたものたちに復讐をしたかった。
ギュストークは怪物になった。
圧倒的な力と自由。
だが、そこにかつての彼が誇りとしていた多くのものをも噛み砕き、怪物たる自らの、その養分にしてしまっていた。




