令嬢回顧vsドブさらい
アルシュカとドランが出立してから数時間。
領内での仕事を一通り終えて、執務に入ったライヒ。
それもやはり幾つかこなしてから、ちらりと窓の向こうを見る。
「天気、いまいちですわね」
薄曇り。少しの霧。時折小雨が降る。
雲の流れからすればアルシュカたちは影響を受けることはないだろう。
それでもライヒの表情はあまり優れなかった。
「お嫌いですか、この天気」
「……きれいではあると評価する方はいらっしゃるでしょうけれど、わたくしは……少し思い出があるのがよくないのでしょうね」
空は暗い。
いやでも過去を思い出してしまっていた。
✘✘✘
過去。
ヴァルカイン帝国(後に超帝国と名乗る以前)の最北西の都市、アドルイン。
ライヒがオルドホルム領主となるよりもだいぶだいぶ過去の話。
「銭が、銭が足りねえですわ……」
冒険者になってから、何度この言葉を呟いたかわからない。
銭がない。
領主になってからも呟いている言葉を、この女は今も呟いていた。
ライヒ・グレイトキャピタルは貴族である。家から出たからといって出自が消えるものでもない。
少なくとも実家は彼女をちょっとした旅行か、自由騎士の身分を持ったように遊歴に出ただけだと考えていたし、そのように扱っていた。
都市で宿を取り、最低限と考えていた食事をとればすぐに金はなくなった。
冒険者として最低限の暮らしを知っていけば自分がいかに最低限ではない生活、つまりは最下層の冒険者らしからぬ生活を低い水準の生活と捉えていたかが浮き彫りになった。
ライヒ・グレイトキャピタルは貴族である。だが、彼女は貴族という出自と血統は捨てられぬものと理解している上で、貴族として暮らしたいとは思わなかった。
その上で妙な思い切りの良さ、むやみやたらに頑健な肉体と精神、粗食に耐えうる心を持っていた。
切り詰めに切り詰めて、なんとか日々を暮らせるようになっていた。
それでもやはり、駆け出しの頃の生活を思い返せば、あの程度の暮らしはしたいと考える。と、なれば、
「銭が足りねえですわよ」
その言葉に結びつくのであった。
流通ルートから外れた芋を生のままかじりながら、依頼が張り出されているボードを睨む。
ちなみに生で芋を食えば腹痛やら何やらを引き起こしかねないだろうが、ライヒは違った。
頑健という言葉で終わらせていいのかわからない程度には粗食に耐えられる才能が肉体にあった。
「今日も今日とてどぶさらいをするしかありませんわね」
拠点とする都市アドルインはよく言えば辺境、悪く言えば田舎、事実だけを述べるのならばド田舎である。
アドルインを内包する勢力であるヴァルカイン帝国(後の超帝国である)の首都や栄えている都市にでも行けば、護衛、賊討伐、賞金首の撃破、傭兵仕事の手伝い、ダンジョン探索、数多の『冒険者らしい』仕事がある。
だが、アドルインにはない。
理由は田舎だからだ。
賊が仕事をしようにも干上がりかねない程度のもの。勿論、いないわけではない。
むしろ都市から逃げてきた賊たちはそれなりに生息はしている。だが、それらは都市で管を巻いている、ライヒより格上たちの仕事だ。下っ端にはなかなか回ってこない。
そうなれば、ある仕事といえばどぶさらい、下水の見回りなどになっていく。
アドルインの成り立ちに、この辺りに存在していた遺跡遺構の類を流用している背景がある。
それらを利用したからこそ辺境とは思えないほど整った上下水を都市機能として持っている。
機能の素晴らしさは辺境とは思えないレベル。だからこそ維持は手一杯になる。
汚いだけではなく、遺跡であればこそ半ば自然発生的なダンジョンの気配を持っているところもあり、どこからともなく魔物が現れたりもする。
そんな危険な場所での仕事を一般市民が受けるわけもなく、闇の深い場所での仕事はもっぱら冒険者の仕事として与えられていた。
危険手当を含めれば駆け出しとしては悪くない報酬にはなる。
が、将来的にいわゆる冒険者的な仕事をしたいのであれば装備や師事するべきものを探す、あるいはより栄えた都市に移って仕事を探すなどであれ、先立つものが必要であり、そのために貯蓄をすれば悪くない金額でも物足りないと思えてしまう。
それでも時折遭遇する魔物との戦いがあれば特別手当が付き、それを目当てに仕事を続ければ貯蓄の足しにはなる。
ライヒが特別であるのは一種の嗅覚が鋭いことにもある。時折遭遇するはずの魔物を、半ば的確だと言えるほどに追跡し、戦闘に持ち込める。
もう半年ほど必死に下っ端仕事を続ければ大きな都市に向かえるかもしれない。
「フィニー。いつも通りにしますわね。よろしくしてくださるかしら」
「わかったよ。……っと、これでよし。はい、依頼受領の証明書。それとスタンプが貯まったからこれね」
「お風呂無料券……!! これを待っていましたわ!」
下水仕事は駆け出し冒険者の仕事。とはいえ、臭いや汚れがひどく、ギルドは補助金代わりに下水仕事の回数で大衆浴場の無料券を渡している。
同一依頼の回数が増えれば増えるほど、『稼ぎは安定してきただろうから』と無料券までの道のりは遠くなるが、それでもライヒはこれも仕事の楽しみとして見なしていた。
普段は宿で湯を買って体を拭う程度。勿論数日に一度は風呂を使うが、やはり人様の金で入るのと自分の金を使うのでは楽しさが変わる。
「それじゃ、行ってきますわね!」
ライヒはうきうきとした声を上げながら出発する。見事な金色の毛髪は手入れを多少怠ってもロールするのを辞めぬ、当人と同じだけの強い意志力が感じられる。
見た目からしてゴージャスだが、一方で装備は貧相である。魔物から奪い取った革の部位装甲と、やはり魔物から奪い取った棍棒。
家から出たときの装備はあるものの、それを使わない理由は単純。下水仕事で臭いが付くと悲惨だからだ。
割と早い時期から貧相な装備に切り替えたのは金のなさよりも、彼女の現実主義的側面が強く出ているといえた。
本来の装備も使わないのではなく、護衛仕事など自分以外にも危険が及ぶような際にはしっかりと使ったりもしている。
ともかく。
そのギャップに最初は奇異の視線で見られていたものの、今ではちょっとしたギルドのシンボルのようにすらなっている。
「お嬢は相変わらずだのう」
飲んだくれているロートル冒険者が視線で見送りながら。
「お前も少しは見習ったらどうだ、ザフトナ」
対面に座る一党仲間である、同じくロートル冒険者のキンボルがやれやれと言った具合に。
「年食って夜目が利きにくくなってきて下水仕事なんざしたら若造どもに笑われることにならあよ」
「不摂生の賜物ではないか」
「ふん。年食って斥候で身を立てれているお前さんが特別なんだよ、キンボル」
キンボルは隻腕であった。元々は猟師として優れた腕前を持っていたが、魔物と遭遇して片腕を失ってから冒険者に転身した。隻腕ではあるが、猟師として鍛えた感覚はロートルと呼ばれるようになってもある程度は機能している。
だが、それもある程度に過ぎない。
「こっちとて、外での仕事となれば昔のようにはいかんさ」
「互いに老骨。今日のところは酒で我が身を慰めようではないか」
そう言ってジョッキを掲げるザフトナに、やれやれとキンボルは食堂で暇そうに働く店員に酒を注文する。
アドルインは平和だった。
✘✘✘
下水ではそれなりの人間が働いている。冒険者の受ける下水仕事ではない部分だ。
清掃、詰まり取り、あるいは流れてくる汚物から何かを再利用するための回収など。
「よお、ライヒさん! エリチェたちならもう先に行っているぜ!」
市民の一人が言う。
ライヒは隣領オルドホルムの娘であり、知っているものは彼女が貴族であることを理解していた。が、それは割と過去の話だ。
彼女は市内で市民が悪党の被害に遭っているときに得もないのに手を出して助け、あるいは義賊めいたことを何度もしている。都市のお偉方が後ろ盾だぞと言ってくるものもいた。
それに対してこっちは貴族だぞと彼女は傘を着なおすのだ。利用できるものは家出同然の郷里ですら利用する。そういう女であった。
それゆえに、彼女が貴族であるということは割と都市の、割と多くの人間の知るところにある。
その上で気安く声をかけてくるものが多いのは彼女の人徳と、あるいは本当に貴族かわからない彼女の素性と、当人の持つ受け入れる姿勢と、細かいことを気にしなさそうな立ち居振る舞いから来るものである。
「あら、どれくらい前ですの?」
「二時間も経っちゃいねえっす。
別口で受けた仕事だからライヒさんは知らないだろうから、ここを通るならいることを伝えてくれって」
「伝言感謝いたしますわ」
貴族式の礼を取ってしまうのは未だ彼女の中の貴族が抜けきっていない証拠だろう。
市民の口から出た冒険者の名であるエリチェ。
ライヒと殆ど同期の、正確に言えばほんの少しだけ先輩の冒険者である。三人組の一党を組んでおり、全員が同年代。つまりはライヒとも年が近い。
それゆえに何度も仕事を共にしている。
何度か一党として行動しようとエリチェに言われたこともあったが、ライヒは一人の方が身軽だからと断っている。
ライヒはいずれ大きな都市に向かうつもりであったし、仲間がどこかに滞在したいと言われると自由な旅路とも行かなくなる。
というのは表の理由。
心にしまっている理由はまだ自分が未熟であるから。もしも何か仲間にあったとして、それに耐えられないであろうことを彼女は認識してしまっていた。
だから、仲間を作ることをためらっていた。
(エリチェたちがいるなら、先に合流して一緒に魔物討伐に切り替えたほうが互いの稼ぎにはなりそうですわね)
とはいえ、臨時一党としてなら別。
稼ぎがあがるならお互いにお互いを使うべき。
現実主義的で即物的な意識が強いライヒだからこそ、『それはそれ、これはこれ』と考えていた。
✘✘✘
大抵の遺跡は真っ暗ではない。古代の技術、その恩恵か壁やら柱やらが光を発しているところが多い。
この下水にしてもそうだった。
たいまつやカンテラなどを持ち込みはするが、それらはあくまで緊急用。
基本的にそうした道具を使わずとも下水の見回りはできる。
その上で鋭い視力を持っているライヒは離れた場所で何かをしている一団を見つける。
エリチェたちだった。
一応の確認をして、声をかけても大丈夫だと見ると「おおーい」とかけ声した。
「あ、ライヒじゃん」
反応したのは獣の特徴を備えた人間。
ちなみに言えば、人間とはヒト、エルフ、ドワーフをはじめとした汎文化的共通点、対話可能、共同生活可能な存在をおおざっぱにまとめた語である。
エリチェのような獣めいた特徴を持つものを獣種、獣人と呼ぶ。
犬耳を頭部に備えた彼女は犬の獣種である。ヒト種のような耳も持ち、四つの聴覚器を持つ獣種は多くの種族と比べても空間把握能力が高い、と言われている。ただ、高いから何にでも気がつけるというわけではないが、それでもこうした場所でライヒが出した声の場所を正確に把握して顔を向けることくらいはお茶の子さいさいであった。
エリチェの周りには二人の男子がいる。
一人はエリチェの兄であるイガネ。もう一人は特徴がないところからヒト種であろうことが察することができる、ハインという学士見習いの少年であった。
「ここでなにしてるんですの?」
「詰まりを取ってたところだ。それも終わったけどな」
イガネが長い棒を指さして。
「あー。ご苦労様でしたわね」
「最近、水路に妙な怪物がいるだの人食い魚がいるだのって話になっていてな。緊張しながらやってたせいで時間が掛かったよ」
イガネの言葉に対して妹、エリチェは、
「イガネが恐がり過ぎなんだってば!」
と言えば、ハインが、
「警戒するには越したことないよ。
もしもシーサーペントの幼体だったりしたら本当に餌になりかねないからさ、こっちが」
学士見習いらしく、実際にありそうなことを言う。
「……まあ、とにかく。そういうわけで時間かかって今ここってワケ」
「じゃあまだ奥には行ってないんですの?」
「いや、ライヒ。普通はね、」
ライヒの言葉に苦笑しながらハインが口を挟む。
「望んで奥になんていかないんだよ。いくら稼ぎが良いからって。普通なら獲物がいるかもわからないところなんだから」
「でも、行かないとも言っていませんわよね?」
「そりゃあ、言わないさ。……ライヒが一緒に来てくれるなら、だけど」
ハインは表情を少し緩めて言う。
ライヒの才能をハインは理解している。
実力も、この一党の誰よりも強いだろう。貴族式の鍛え方をしているというのもあるだろうが、一言で片づけてしまえば才能が違った。
彼女はきっといずれ、大物冒険者になるだろう。
そういう風格があることをハインは予想していた。
一方でライヒはライヒでハインを信用していた。
学識の面だけではない。多くの情報を集めて、己の中で精査し、物事をある程度の精度で答えを出せる。そうした才能があった。
ここで詰まりを処理していたのもライヒがここに来て、合流できるだろうと考えて伝言を残していたのもハインだ。
危地ではないのなら、その卓見力は見事なものである。いずれ危地においてもその卓見は発揮されるようになるだろう。
ハインのその予想の上で、エリチェの一党は冒険者らしい仕事をこなしたくてライヒを待っていた。
こうした未来の予想図を思考して実現できる才能をライヒは高く評価していたし、なによりイノシシ武者であるところのライヒはハインの知恵者ぶりに憧れにも似た感情を持っている。
「エリチェとイガネがよろしいのでしたら、どうかしら。一稼ぎ」
その言葉に兄妹は「待ってました」と頷くのであった。
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奥へと進み、幾つかの魔物を捜し出して撃退。証拠品となる耳だのなんだのを獲得しながら警戒し、巡回する。
イガネが警戒していたシーサーペントはさすがに現れなかった。イガネとハインは安堵していたものの、ライヒとエリチェはつまらないと断じる。
無茶と無謀をカクテルにして飲み干してこその冒険者。一般人たちが思う冒険者の精神を女子二人はしっかりと備えていた。
今回の依頼においてはそのカクテルを飲み干すことになるようなことにはならなかった。
ギルドに戻り、報告。四人頭割りにしたとしても報酬はなかなかのもの。
ある程度の裁量で渡していいものがギルドには幾つかある。
例えば、風呂の無料券もそこに該当する。
実際に今回四人が撃退した魔物の数を考えれば本来のスタンプの数とは別にそれらを渡したって何の問題もない。
「いいの?」
エリチェが驚いた顔で。フィニーは、
「がんばったんだから良いことないとつまらないでしょ?」
そういって微笑みで返す。
下水関係の仕事は受け手が少ない。だからこそ、時折こうしたサービスを出したって問題はない。ギルドの職員としての判断である。
「そうですわね。がんばっているものには報いがなければ」
そう言ってライヒはもらった無料券と別に得た、スタンプによって与えられた無料券をフィニーに渡す。
「お仕事終わったら五人で行きましょ」
フィニーも彼らと同年代。
立場は冒険者と受付嬢であるから少し異なれども、それでも彼らのバックアップをする職務であるからこそ、一党の後衛であると位置づけることだって無理筋ではない。
フィニーは少しだけ躊躇するも、
「だめなんて言わせませんよ、フィニー」
半ば強引にチケットを握らせられる。
近くにいたフィニーの上司でもあり、このギルドの責任者でもある男が問題ないよと小さな笑みで察させる。
「それじゃ、待っててね。急いで締め作業しちゃうから!」
アドルインは辺境だ。悪く言えば田舎。事実だけを述べるならばド田舎。
しかし、そこには確かに人の営みがあり、感情のやりとりもまた多く存在している。
この都市はライヒにとってもう一つの愛すべき郷里であった。




