表裏冠者vsお勉強
少し強い雨が降っていた。
とはいえ、室内であれば関係はない。
人によっては頭の痛みが出るような天候だったかもしれないが、室内にいる二人には取り立てての影響はなかった。
完全な静寂とまでは言わずとも、静かな空間だった。
聞こえるのは本のページが捲られる音と、雨が窓を叩く音だけがあった。
「その……、あの……。ど、ドラルディンさん」
おずおずと声をかけたのは二人のうちの一人。
少女だった。
十か、いっていて十二か。
貴族階級が多く住む都市で、なおかつそこが上流階級用の区域に住むのであれば子供といえる年齢。
だが、マフィアが棲む裏路地であれば大人として扱われている年齢。
彼女はどちらかといえば後者。大人顔負けの思考と精神力を持っている。
「なんだ、ミシア」
理由は単純だ。
彼女の母親であるマイアが人の何倍も大変な人生を送っているから。
その理由の大きな部分が自分の存在があるからだと認識しているからである。母親からしてみれば決してそのように思ってほしくことだろうが、母が思うことがそのまま娘が思うことになるわけでもない。
「……ああ。すまない。そろそろ昼飯時かな。
今日は何がいい?」
「い、いえ。そうではなくて」
ドラルディン・ファミリーにとっての重要な切り札になるはずだったもの。ダンジョンの主たるマイアを制御するための重要なパーツ。
そして現在はそれ以上に重要な任務であるライヒ暗殺の仕事をさせるために脅しの材料にされているはずの少女、マイアの娘であるミシアはどうしてかファミリーのドンに食事を作らせるような立場になっていた。
これはまだマイアがディサアドで情報収集をしている頃の話。
✘✘✘
「マイアを利用したのか」
ドラルディン・ファミリーは実質、ギュストークの支配下にある。
勿論、ドラルディン当人が軽んじられているわけではない。ただの神輿というわけでもない。
しかし、ドラルディンは組織にとって最強の暴力装置という立場であり、存在することで周囲に睨みを効かせるためだけの存在。
そう考える人間は少なくない。
だが、ドラルディン側に立つ人間がまるっきりいないわけでもない。
大抵は悪事を働き切れなくて切られそうになったところを末端未満の仕事でもいいからやらせてやれと横から口を出されたりして、そこから恩義を感じるようなものたちが中心である。
マフィアといえども全員が血の掟と暴力に生きているわけではない。生きる手段がないからこの道に転がり込むしかなかった人間もいる。そうしたものは悪になり切れず、しかし自ら死と沈黙を選ぶ究極の善人になれもしない。
ともかく、そうした人間がギュストークの動きをドラルディンに伝えることが多かった。
そこからマイアが利用されていることを知った彼が、現在ギュストークの前に現れていた。
「利用しましたが、それが何か」
「宝珠の一件で終わりにしろと言ったはずだが」
「ええ。ガイの作った借金はね。ですが、その一部はマイアにまだ残っているんですよ。
それともそれも今から消せと?
だとしたなら、どこまでの借金持ちを特別扱いすればよろしいので?」
マイアの借金、といっても実際には効力のないものばかりだ。
それを今も捨てていないのはこういう状況を見越してのこと。
つまり、マイアは娘を使えば動かすにほどよい駒として使えるが、そうしたときのドラルディンの怒りをいなすための材料は別途必要。
そのためのものだった。
「娘はどうした」
「別の家に転がしています」
「……そうか」
「どうするつもりです」
「ライヒに対して喧嘩を売るのだろう。そのときに安心できない人間に安全策をどうでもいいものに託すのは愚かなことだと思わないのか」
なまじ普段は暴力の象徴として扱っている以上、そう言われればギュストークには返す言葉がない。
ドラルディンはそういう点から見ても扱いにくい駒だとギュストークは思う。
「……そうですね。では、お好きになさるといい」
諦めたように。
だが、ドラルディンにはドラルディンの望みがある。
それを考えれば娘が哀れだからと解き放つことはしないだろう。
ギュストークは考えをそこで打ち切る。
(所詮、善から逃げ、悪には生きられない半端者か。
それであれば前のドラルディンのほうがよほど扱い易かったのかもしれん)
そこまで考えて、それを自ら否定した。
(だが、前のドラルディンでは大望は果たせない。この都市を得ることも、その周りを血に染めてでも奪うことを。
その望みを叶えることなど)
「監視役からマイアの動きの続報は来たか」
「はい。今し方到着しました。ディサアドで情報を集め、オルドホルムに行くための方策を同軸で練っているようです」
「真面目にやっているようだな。……で、まだ我々を売ってはいないか」
ギュストークは猜疑心が強かった。
マイアを脅している。だが、いつか脅しの材料よりも上回る何かが現れて、自分たちを裏切るに違いないと思い込み続けている。
実際、そうなったとしてギュストークのその思考には大きな間違いがある。
マイアは裏切るもなにも、元々彼らの仲間ではない。
裏切りに近い動作をするとして、それは裏切りではなく、救いの御手を掴んだだけのこと。
だが、駒であるとしか思っていないギュストークからすれば、望んだ動きをしない駒は即ち裏切り者である。
✘✘✘
ミシアが捕えられていた家に押し入り、彼女を自分の家に連れ込んで、それからは自由にさせた。
外に出てもいいし、帰ってもいいが身の安全を保証できない。母親のことを思うのであればここにいてほしい。
そう言った。
(いろ、ではなく。いてほしい)
ミシアはその言葉の使い方が不思議だった。
だからこそ問うた。いや、問おうとした。
しかし昼飯の催促かと勘違いされて立ち上がられる。
「ち、違います」
「そうか。すまないな。こうして他人と接するのが苦手で、経験も薄いから何を求められているのか鈍いんだ」
だから、怒らないから真っ直ぐに言ってくれ。
ドラルディンは──正確にはノエルという一人の青年の言葉がそう告げていた。
「どうして、助けてくださったんですか」
「助けたって、誰を」
「わたしをです」
「ミシアを? 助けてないよ。助けられちゃいない。一つも」
「でも、こうやって自由にさせてくれて、勉強だって」
ノエルとしてなのか、ミシアは家に連れ込まれたあとは食事をはじめとした生活以外に勉強を教えられていた。
マイアも可能な範囲で教えていたものの、それでもミシアにとっては満足な勉強と言えるほどはできていない。
飲み込みが早く、勉学に励むのが好きだった彼女だが、家庭の問題から学校に行かせてもらうなどはできなかった。何せマフィアに腕を掴まれているような状況なのだから。
それでも独学で頑張ってきたものの、やはり限界は来る。
その点でノエルは知識量があり、勉強においては要点を教えることに長けていた。
捕えられてからの数日、ミシアにとって楽園のような生活だった。
だからこそ、母の置かれた状況を思えば苦しくもあった。
「あえていうなら、俺もマイアみたいな母親が欲しかった。
だから、ミシアには俺の分までマイアを思って欲しかった。
単純なエゴでしかない。言語化すればそういうことなんだろうな」
立ち上がってキッチンに向かおうとしたまま答えるノエルは、そのためか手持ち無沙汰そうにしながら思考を纏めるように口元に手をおいて答えた。
「ごめんなさい。困らせることを聞いてしまって」
「いいや。望んでる答えではなかったかも。こっちこそごめん」
「もう一つだけ、いいですか?」
「ああ、いいよ」
「わたしに優しくしてくださるあなたは、本当にドラルディンなのですか?」
それはクリティカルな質問であった。
ノエルとドラルディンが同一人物だと知るものは組織以外で言えば少ない。
もちろん、彼に助けられたりしたものは知っているが緘口令が敷かれており、助けられたものは恩義で、そうではないものはドラルディンの恐怖のネームバリューで広めるようなことはしない。
ミシアはノエルをノエルとしてしか認識していなかった、つまりは同じ町内に住む顔立ちの整った青年、くらいにしか思っていなかった。
今回こうして助けられて初めて彼がそうした二重生活をしていたことを知った。
その上で、自分を攫い、母親を脅しているというマフィアの長とは思えない人間であったからこそ聞いた。
「どう、だろうな」
「……?」
「ドラルディンではない。そうした椅子に座ることにはなったけど」
「それじゃあ、ノエルさんがその」
「悪を演じている人間かと言いたいなら、それも違うんだ、ミシア。
俺は、……俺は悪でいるべきだから。だから、演じているんじゃない。まっとうしているんだ」
その言葉の真意を聞くことはできない。
ミシアはそれを聞き出すだけの話術もなく、なによりそれを聞いてどのように対応すればいいかも思いつかなかったからだ。
彼女の質問は本来、端的なものになるはずだった。
ノエルであるというならもっと早く出会って、お話したかった。
ドラルディンであることも真実だというなら、無闇に私もみんなも恐れすぎただけだったのか。
どうあれ、ミシアは母を利用する組織が善なるものに転向するような余地があるのかを聞きたかっただけとも言えた。
だが、そうした答えを得られはしなかった。
会話が途切れてしまった。再び窓に当たる雨の音が強く感じられるようになる。
✘✘✘
それから少しして遅めの昼食をとった後。
あれだけ強く降っていたはずの雨が上がり、嘘みたいな青空になった。
夕方前には外から子供たちが遊ぶ声が聞こえてくる。
ほどよい棒切れを持った男子たちがチャンバラをしていた。
「我こそは勇者なり〜!」
「ええい、勇者め。悪の魔王が滅びぬぞ〜!」
勇者の物語は世代を超えて支持されている。
いい子にしていれば勇者が守ってくれるというようなものではないが、
悪い子のもとには勇者が来て倒してしまうぞというせっきょうの、その責任の負う先として、だが。
その声を聞いたミシアがノエルへと視線を向ける。
「ノエルさんは、小さい頃に勇者ごっことかしてらっしゃったんですか?」
彼女の隣で勉強を教えていたノエルは曖昧に笑ってから。
「今もその最中さ」
そう返した。




