没落令嬢vs慰み
「浮かない顔ですわね、お姉様」
会議から数日。
ライヒはしばらく邸に滞在することをマイアに願う。
ドラルディンと完全な決着をつけるためにも準備が必要であり、その中でマイアが動くと『予期せぬこと』になるかもしれないからだった。
マイアとて冒険者としてそれなり以上の経験を持っている。
予期せぬこと。それがつまりは彼女との明確な敵対であることは理解していた。
みっともなく年下の、それも(マイア自身は冗談の類だとは思っているが)自分をお姉様と慕う少女に対して涙まで見せてしまっている。
そこまでやってしまった相手にこれ以上の我儘を言うことはない。
なにより、自分が戻ったところで愛娘であるミシアを守り切れることはないと理解もしていたからだ。
ヒステリックに戻って最悪の事態を呼び込むような女ではなかった。
「ごめんね、ライヒ。わかってはいても、どうしても」
敬語ではなく冒険者同士としての付き合いを願われたからこその口調だった。
彼女の願いに応えることもまた敬意の表し方の一つだと認識していた。
「ええ。……あと少し。今、我が騎士であるリオとアルシュカが最後の仕上げを行うために準備をしています。
けれど」
それなりに健康的な食事に、衛生的だけでなく美容に対しても気の配りがある環境ゆえにその容姿が陰るようなことはない。
その彼女に影をとしているものはたった一つ。娘の心配。その一点。
理解しているからこそ、ライヒは行動を決めて彼女のもとへと現れていた。
「敵情視察も必要な行動。
お姉様、その視察がてらにミシアちゃんにも会いに参りましょう!」
ミシア。
マイアの娘であり、彼女にとっての宝。会えないがゆえに陰る原因。
口にこそ出していない。態度には隠しきれていなかったかもしれない。
それでもマイアはライヒを甘く見ていた。
多少のリスクであっても楽しいだとか嬉しいだとかを優先したいからこそ冒険者を志した女なのだ。
マイアの表情が明るくなりのを見たいという欲求から、彼女は虎穴である可能性の大きいアドルインの裏路地に踏み込むことを決めていた。
✘✘✘
実はこの誘いの前からライヒは準備をしていた。
「ゼド爺。ちょっと相談があるんですの」
「なんですかな、お嬢」
「あんまり行儀のいい話ではないのですけれど、その。
傭兵の登録証明を別名義で作ることはできたりは、難しいですわよね?」
彼女は以前、グレイスという名前で行動をした。
ドラルディンの動きや、ノエルとの遭遇など色々とイベントは盛りだくさん。
その際に自分の身分を示すこととして傭兵を名乗っていたが、実際には名乗っているだけで証明するものはない。
あのときは状況的にもそれを求められるようなことがなかったからこそ助かったが、次はどうかはわからない。
グレイスという偽りの姿を今後も使うのならば真実味というのを増やしておいて損はない。
ただ、それはつまり、偽りの身分を欲しがっているということである。
普通に考えれば悪さに使えるようなことであり、冒険者ギルドではこれを硬く禁じている。
「ああ。構いませんわい」
「あっさり、ですわね……」
「冒険者と違いましてな、傭兵ってのはほら、食い詰めた騎士や貴族もなったりするでしょう。
そのときに本当の名前で登録するわけにもいかないから、と別の身分を用意することは珍しくありませんでのう」
大抵の騎士は祖国や主人のために剣を振るうことを叙勲の際に誓う。
それが個人的な理由のために剣を振るうでは話が違うではないかと差し込まれてしまう。
しかしやらなければ飢えて死ぬ。そんな事情などがあるものたちは少なくなく、傭兵ギルドはそれを上手く作って誤魔化せるようなシステムも構築していた。
悪さに使われたときはどうするのかといえば、傭兵は腕力を売り物にしている。悪さをしたものには腕力で解決されることになるのだ。
そもそも本来の身分や名前などを握られている状態で悪さをしようなどというものが多くいるわけでもない。
結局、ライヒはグレイスの名前で新たに傭兵としての立場を得る。
経歴を封鎖し、秘匿性の高い特別な依頼だけを受ける傭兵ということにすれば前歴を洗うのにも苦労するだろうという小手先技もそこで振るわれていた。
✘✘✘
「マイア。ほら、手」
アドルイン側の駅。
多くの馬車が停車し、あるいは発車のための準備をしている。
グレイスが先に降りるとマイアへと手を伸ばした。
「大丈夫よ、グレイス。お嬢様じゃないんだから」
「それでも依頼者なんでな。こういう扱いがイヤなら止めるが」
「照れくさいだけ。この年齢で女の子扱いされるなんて思ってなかったから」
黒髪の傭兵が年齢不詳の美女をエスコートしている。
同性同士であることも含めて、二人には特別な気配というべき何かが醸されていた。人目を引くに十分なほどに。
「チッ。見せもンじゃねーぞ」
じろりと周りを見る。
下心のある人間に向けていったことが周囲に伝わる。何せジロジロ見ていたのは軽薄そうな人間ばかりだったからだ。
完全武装の傭兵に凄まれれば引くしかない。
一方でマイアもこれ以上の騒ぎはごめんだと言いたげにフードを被った。
それから、久しぶりにアドルインを歩きながら、マイアが問う。
「どうするの?」
これからどこに行くのか、どうするのか。何をするのか。
大雑把なことは聞いていたが基本的には出たとこ勝負だということは理解している。
「ミシア探しからだが、確か予想としては託児所みたいなのがあるんだよな?」
「そう呼ばれているだけなだけどね」
つまりは脅しの材料を運用するための組織。
その環境が酷ければ脅す前になんとしてやろうと思われることになるからか、環境は整っているらしい。
そうしてその託児所へと入る。
どうなるかと思えば、
「あ、アンタ、もしかしてグレイスさんか?」
見張をしているであろうチンピラが声を潜めて聞いてきた。
黒髪長躯の女傭兵。ところ構わずハルバードを持っている。
それだけで充分に彼女がグレイスであるという喧伝になっている。
「そうだ」
「ヒャアア! 俺ファンなんだよ。聞いたぜセリアレの連中を倒しただけじゃなくって、あのヒョルドまでやっちまったんだろ?」
「そうだ。ヒョルドに比べればセリアレは大したことはなかったがな」
「ウヒョ! かっけー!」
「で、お前はなんだ」
「ああ、すまねえ。『託児所』の管理者みたいなもんだ。っと、託児所は」
「知ってる」
「そりゃそうだよな! で、今日はどんな用件で来たんだ?」
管理者とやらは完全に勘違いしていた。
グレイスがすっかりドラルディンの人間になっていると思い、託児所に来たのもギュストークあたりに言われたのだろうと。
「ミシアはどこだ」
「え、……あー。聞いてないのか?」
「……なんだ」
空気がピリ付く。当然、その発生源はマイアだった。
見えない角度でグレイスがマイアの手を握る。少しだけ落ち着いてくれ、と。
指がそっと手の甲や指を撫でて、そこでマイアは少し冷静になれた。
「ミシアなら連れてかれちまったよ」
「誰にだ」
「ドラルディンさんにだよ」
「どこだ」
「し、知らねえよ。あの人は幾つか家を持ってるらしくって、そのどこかだろうけど。家の場所までは。
……あ、いや、待てよ」
管理者はそこで思案顔を見せてから、
彼は一度引っ込んで、次に荷物を持って現れた。
「そうだそうだ。これ。ミシアが勉強するためにってドラルディンさんが取り寄せたノートだよ。普通の配達の奴を向かわせるわけにゃいかねえからって、託児所に回ってきたんだ。
こっちだって配達屋なんていねえんだけどな。
で、この荷物なんだが、配達場所が中継時点なだけになるかもしれねえけど、もしかしたらそこに」
「ミシアがいるかも、か」
「そうだ」
「見返りは」
何が欲しいんだと、グレイスは腰嚢から財布を取り出そうとしたところで、
「へへへ。こいつだよ」
布を取り出す。
「……?」
「わからねえかい。……サインだよ。アンタのサインが欲しいんだ!」
実質無料だった。
✘✘✘
都市の裏側にしては、閑静というか、荒っぽい気配のないところだった。
夕暮れ。
言われた場所へと行く。
場所はすぐにわかった。
入り口には武装済みの人間が立っていた。
冒険者や傭兵の類ではないのは証になるものをどこにも下げていないから。
それでもタチの悪い人間にも見えないのであえてそうしたものを隠しているだけかもしれない。
グレイスはマイアを少し離れた場所で待たせた。建物を一望できる場所だ。
「ドラルディンに配達物があったんだが、ここでよかったか」
「イエスとは言えんよ」
「わかってる。ブツはノートだ。託児所からここまで運ぶように言われている。ここじゃないなら、そっちで上手く再配達してくれ」
了解はなかったが、ものは受け取る。
お互いにわかっていることだった。
「お互いに大変だな」
「こっちはそうでもない。『雇い主』は思ったほど悪党にも思えんからな」
「ふぅン。そうかい」
などと話している。
一方でマイアはそのやり取りを見つつ、建物にも気配を配る。
そのとき、窓の前に人が立った。
「ミシア……!」
誰にも聞こえないほど小さな声で母は呟く。
だが、その思いが届いたのか、ミシアも窓から母親の姿を認識した。
姿は綺麗。怪我もない。微笑んで見せる余裕があった。
二人とも危険な状況になるのはよくあること。悲しいが、ガイのろくでもなさが死後も祟るかのように現れていた。
どんな状況でも意思疎通ができるように、二人は声以外の意思疎通を作っていた。手話や口パクだ。
精度はそこまでいいものではないが、親子だからか言いたいことは伝わるもの。
『ママ。私は大丈夫。 さんは優しくて、守ってくれている』
『必ず助けに行くから、待っていて』
『うん。待ってる。お勉強、たくさんして待っているから』
涙が溢れそうになった。何とか堪えたマイアだが、ミシアはそうではなかった。
つうと涙が一筋溢れると、決壊してしまう。
そっと横に現れた細身の影がハンカチを渡して、ちらりと外の様子を伺ったと思うとカーテンを閉めた。
意地悪ではなく、ここでの意思疎通があったことを隠したことがわかった。カーテンが一気にではなく名残惜しげに閉じられたから、それがわかった。
ライヒが話を終えて戻る。裏側はマフィアの勢力圏なのはどこもそうだ。ここで時間を潰すのもよろしくない。
ある程度以上の安全が確保されている大通りまで行ってからようやく二人が向き合う。そこには、泣きそうな表情のマイアがいた。
ライヒは驚くも、彼女が泣きませんと言いたげに瞳を合わせる。
マイアは涙ながらに語るではなく、しっかりと言葉にした。
「娘はもう少し、大丈夫そうです。
どうか──私たちをお救いください」
もう一度、今度はしっかりとお願いをした。
「言われンでも、カッチリ救ってやる。
俺の名と血に賭けて、な」




