窮地後家vs足跡
「はあ? ガキができた? 知らねーよ!!」
子を授かったことを知ったガイ、つまりは父となるはずの男の最初の一言はそれであった。
マイアはガイが頼りなく、小悪党で、少しばかりダメな男程度だと思っていたが、彼は自分が考えている以上にダメな男であった。
なんとか子を産んだあと、育てるための日々。
一党の一員としてなんとか戦うもガイは稼いだ金は一向にマイアに渡すことはなく、マイア一人の稼ぎでは子供を育てるのは厳しいと感じる局面は少なからずあった。
「ママ、ママ、死なないで」
「大丈夫、よ……」
ある冬。
ガイが外に女を作り、出ていったあと。
隠していた金まで持っていき、冬を越せるかどうかのときに数年間耐えた体は遂にピークを迎え、倒れた。
愛娘であるミシアは六歳になったばかりだったが、それでも必死に看病をして、物乞い同然のことをして糊口を凌いだ。
それから二年後。
ガイが戻ってくるとミシアを半ば連れ去るようにしてマイアを一党に組み込んだ。
サン王の祠と呼ばれるダンジョンを攻略し、最深部に備えられていた宝を手に入れた。
一党は壊滅状態にはなったものの、それでも帰ってくることはできた。
「ママ。大丈夫……?」
ミシアが八歳になった頃、ガイが死んだ。
宝珠を売るために四方八方に手と口を使って、ついに高額で売りつける相手を見つけた。
その相手はドラルディン。アドルインのマフィアであり、暴力性において他のマフィアを凌ぐものと言われていた。
ガイの死体を前にマイアが座らされている。
「これはコイツの持ち物ではない。だが、」
ギュストークが宝珠を足元に転がす。
それは意志を持つようにしてマイアの元に進み、目の前で浮いて見せた。
「主人はお前だ。マイア。その宝珠を売れ」
くれてやりたかった。
だが、ミシアの名を出され、金を握らせる代わりに宝珠を売れと言われた。
その日からマイアはサン王の祠のダンジョンマスターとなった。
だが、知識があるわけでもない。
したことと言えばダンジョンの再生成の加速。
ラスボスを倒したならすぐに次が復活するように。
「ボス、どうでした」
何度目かの攻略を終えて洞窟から出てきたのは黒瞳の青年。
冷たい瞳を向けて、
「あれはお前が思っているような便利なものじゃない。順当にダンジョンの強さは上がっている。これ以上上がれば他の冒険者には手が出せなくなるぞ」
「ボスならどうなのです」
ギュストークの問いに、
「馬鹿馬鹿しい質問をするな。組織の長がどうして手下のお前のために武器を振るって血に汚れる必要がある」
「……ごもっともで」
それからじろりと目を向け直す。
相手はマイアだ。
「あの女がダンジョンマスターか」
「はい」
「お前の女か?」
「器量はよろしいですが、趣味ではありませんのでね」
「そうか。……なら、俺によこせ」
「それは」
「報酬も与えずにダンジョンを攻略させたわけか、この俺に」
「いえ、お持ち帰りください」
その日から、マイアはマフィアの長、つまりはノエルの女という扱いとなった。
とはいえ、手を出されたことは一度もない。
住んでいる場所すら違った。
ときおり来てはミシアに本を渡したり、勉強を見たりしている。
むしろ、関係性的には父とは言わずとも兄のようにすら映る。
事情を知らぬミシアにとっては実際にそう思っているようだった。
ノエルが手を回したのか、それから数年はまた平和だった。
だが、その日が来た。
マイアはギュストークに呼び出され、暗殺を命じられる。
渡すものは全て渡した。
ガイが呼び寄せたギュストークは、ずっと彼女を縛り上げていた。
ノエルの庇護など通用しない。
言外にそのようにして命令する。
実際にノエルも四六時中彼女たちを守っているわけではない。
あくまでその影響力があることを示しているだけだ。
同時にマイアも身体をひさいででもと考えたこともあるが、ノエルには通じなかった。
そんなことをしなくても娘は守ってやるとだけいって。
その頼りのノエルは最終的な状況では通用しなかった。
恨み言を言うつもりはない。
ノエルとてマフィアなのだから、状況が変わったのだろう。
あるいは、ノエルの求心力よりギュストークの野心が上回ったか。
ギュストークが本気でマイアやミシアを道具として使うとノエルが思っていなかったからこそ、釘を刺し足りなかったのか。
どれかもわからず、思うことはただ目の前の仕事を果たさねばならないという恐怖だけだった。
ライヒの暗殺。
それをすれば自由。
そんなわけがない。
何度も逃げ出そうとした。実際に逃げた。その度に犠牲を出しかけながらも連れ戻された。ギュストークはマイアに対して以上な執着を見せていた。
マイアに、というのではなく宝珠とダンジョンの所持者にではあろうが。
彼女にとっては同じことだった。逃げ場などどこにもない。
それも、今日で終わる。
✘✘✘
マイアが悲痛な人生を歩んでいる頃。
ライヒは極楽で安堵、バッチリ快適な生活を送っていた。
──わけではなかった
「くそッ、寝てたんじゃねえのか」
「寝ていましたわよ、本気で」
片腕に短剣が突き立っている。
緊急の依頼であぶれものたちが集められて作った臨時の一党。
その依頼をこなしている最中の休憩でそれは突然起こった。
六人いた一党の中で二人が寝ているライヒに襲いかかっていた。
女だから。
美人だから。
金を持っていそうだから。
理由は下衆で単純だった。
彼らはその上で女は死んでいても構わない。むしろこの状態なら死んでいた方が騒がしくなくて都合がいいとすら考えていた。
「冒険者の風上にもおけない連中ですわねェ……」
ビキビキと血管が音を立てる。
片腕に突き立ったままの短剣を乱暴に抜くと傍に置かれた剣に手を伸ばそうとする。だが、それはもう一人の冒険者によって蹴り飛ばされる。
残った三人の冒険者のうち一人はすでに殺されていた。
残った二人は恐怖に身を竦ませている。それなりの腕があると言われて組み込まれていたが、経歴詐称だったわけだ。
目の前の二人の男も恐らくは常習的に悪事を働き、口封じをして生き延び続けていたと見えた。
冒険者ギルドの治安と質は都市によって異なる。現在ライヒがいるメックダールという都市はその点において最低の質だった。
なにより最低なのは『最低であることを隠すことに長けている』こと。
まだその辺りに鋭い嗅覚を養い切れていない頃のライヒはまんまと騙されたわけだ。
その後のことは語るまでもない。
肉が水音に変わるまで叩かれ、男二人は絶命。生き残った二人は状況を証言して無実の罪を晴らし、その怒りからは免れた。
それから彼女がどうなったか。どのような冒険者になったか。
外道を許さぬ暴力的秩序を愛するようになったのか。
彼らと同じく望みを達するために外道を行うものになったのか。
答えはどちらでもない。
彼女は変わらなかった。
ただ、この経験から得たものはあった。
他者には理由がある。行動には常に理由が。
それは契約上の書類の上でも、言葉を交わしただけでも理解ができるものでもないと。
だからこそ彼女は対話をする相手にだけは、常に理由を探すようにした。
信条の中で大きくそれが占めるようになる程、ライヒもその日のことが衝撃だった。
同時にあの襲撃がやはり単純に心に深い傷を与えたのか、安心した状況であろうとなかろうと、寝ていようとも直感が働くようになり、睡眠から一転して目を覚ますようなことになる。
お陰で今も常に眠りは浅い。
けれど、昨夜だけは違った。
マイアの膝枕で寝たひとときだけは心から深く寝ることができた。
ライヒは母らしい母を知らない。
甘えたこともない。
母性というものを大して知らない彼女にマイアの持つそれは覿面に効いた。
毒ではない。即効性の治療薬として、精神の澱を消し去り、瑞々しい生命力を心をよりどころに取り戻させた。
しかし、同時に眠りの中でも感じるものがあった。
殺意だった。
明確に自分に向けられたもの。
もしもそれで突き刺されたとなったらどうなったか。
そこについては考えないようにしていた。心が許そうと肉体はそれを許さないのだろうと思考の外で答えは出ていたのもある。
だからこそ、
「あのとき、わたくしを殺さなかったのはどうしてですの?」
ライヒは問う。
行動には理由がある。取るに足らないものから、命を取るに値すると判断させるほどのものまで。
だからこそ、ライヒは彼女に問う。
✘✘✘
「気がついて、いたのね」
「悲しい性ですわね。冒険者生活の中で色々ありまして、けれどあのひとときでわたくしは人生で一番深く眠れた心地でした。
それを与えてくれたお姉様。その人がなぜわたくしを殺そうとして、しかし殺さなかったのか。興味がないわけがありませんわ」
「……私は、ギュストークに命じられてここまできたの……。
これまでも、良いように使われてきた。
今回も、そう」
槍を強く握る。
感情の吐露をすることは今までない。我慢し続けてきた。ガイとの間に生まれた子供を育てるのに必死で、滅私が常態になっていた。
「私は、ただ、娘をっ……! 守りたくって、でも……」
一歩、ライヒに近づく。
ライヒは構えない。下がりもしない。
堂々としていた。
貴族だからだろうかとも一瞬考えたが、すぐにそれを取り下げた。
私程度に下がる必要がないから?
それもきっと違う。
「ライヒ・グレイトキャピタル閣下。お願いします。わたしのっ、私の命で娘だけは助けてください。
娘を、助けてください!! どうか、どうか……」
殺しにきた人間の言う言葉か?
報酬を出せぬ人間の言う言葉か?
全て理解している。
それでも、殺した相手の最期の一言がライヒに何かの原動力を与えるのなら。
小賢しい真似だと自覚もしている。
ライヒは彼女が握りしめる槍を掴むと引き寄せる。マイアは抗わない。長年連れ添ってきた槍が己を貫くならばそれでもいい。そう思いもした。
だが、その槍は音を立てて地に突き立てられた。
ふわりとライヒの手が、腕が、彼女に触れるとゆるりと抱きしめた。
「……!?」
息を呑んだ。
意味がわからず、思考が千切れる。
「よくがんばりました。もう、大丈夫。
わたくしのもとに、よく辿り着きましたね」
どんな事情があれ、どんな背景があれ、それらを容赦する。
声音がそれを語っていた。
「わた、わたし、……ああ、……ああぁ……──」
マイアの瞳から涙が溢れる。やがてそれは滂沱として流れ続けた。
抱きしめられている感覚などいつぶりだろうか。
殺せと言われた相手が、欲求のままに抱くのとは違うものだった。
自分を殺そうとしている人間にするべきことではない。この瞬間に背を刺されるかもしれないのに。
そうして危機感や恐怖すらもかなぐり捨てて、ライヒは彼女を容赦していた。マイアも、それを理解し、そうして心の壁も何もかもが完全に溶けて消えてしまった。




