表裏冠者vsドラルディン
四年前。
雨。
アドルインの外壁沿い。
内側を隔てる、その外。
「わざわざ呼びつけるとはな。
俺様が誰かわかっているのに、恐れ知らずってのはそれ自体が恐ろしいぜ」
大柄な男だった。大きいのは体だけではない。その性格も横柄で、しかし実力はその大きさに見合ったものだった。残虐さも、容赦のなさも、その全てが大きかった。
男の名前はドラルディン。
アドルインを支配する四つの裏組織の筆頭を束ねる男であり、同都市における最大の暴力装置でもあった。
「ガキ、わざわざ俺様だけを呼び出しておいて何もないなんてことは許されねえぞ」
その睨む瞳の先に立つのは少年だった。
黒髪、黒瞳、骨張った手や痩躯は変わっていない。今よりも童顔で、背丈が低い程度しか違いはない。
それはノエルと呼ばれる青年の、四年前の姿だった。
「前市長から続く冒険者ギルドの乗っ取り計画。それを知っている人間がいるとは思わなかったが、どこぞの情報屋かと思えばこんなガキが……。
わざわざ一人で来いと言ったから何があるかと思えば、」
ドラルディンが周りを見渡す。
気配はない。
「どこぞのギルドか、現体制か、どちらの走狗か囮か」
「疑わなくていい。俺一人だから」
「だから信じられねえっつってんだ」
実力に自信があるとはいえ、組織の長がほいほいと誘いに乗るのは埒外である。数年後に同じ街に現れるライヒという女が異常なだけなのだ。
「そっちこそ、一人で来るなんて思わなかった」
「組織の切れ者が一人で行かなけりゃご破産になる、なんて脅すからな。まあ、笛の一つでも吹けばここに手下は殺到するさ」
ドラルディンの配下の一人に人を纏めるのが得意な人物がいた。彼には相談している。そして、信頼できるものだけを集めて自分共々伏せておく。笛を鳴らせばすぐに来る。そういう手筈だ。
隠すべきことをあっさりと語るのはドラルディンが愚かだからではない。
「用件を言え、クソガキ」
脅しの道具であり、自分が愚かではないことの証明であり、組織というものの存在であり、他に多くの理由の上で彼は明かした。
自分と少年には戦力や社会的影響力を含めて断絶的な差があるのだと。
それを伝えて、どう心が動くのかを見ようとしていた。
怯えるか、諦めるか、それとも別の何かがあるのか。
呼びだした以上は何か目的がある。事前に告げられたことは冒険者ギルドを完全に敵に回すようなものであった。それだけ危険な情報を握っている彼が何を求めるのかが知りたかった。
「今、お前を殺せば組織はどうなる」
だが、出された言葉は予想の範囲にないものだった。
「あァ……?」
その質問の意味がわからないわけではない。
ただ、わざわざここでするような質問なのかがわからなかった。
「俺様が死んだらか」
ドラルディンは妙に几帳面というか、物事をまっすぐに返すきらいがあった。
だからこそ、意図不明の質問にも、
「どうせすぐに誰かが同じところに座ることになる。悪党なんてのは誰がどこの、何者かなんてのは関係ないもんでな。
必要なのはそこに、正しくあるべきものがおかれているかどうかだ」
そこまで言ってから、
「悪党に限らんことではあるか」
と気がついたように。
いつぞや、いや、随分前になるか。ライヒが市長を殴り飛ばしたことを彼は思い出していた。
市長は退陣した。
その後、多少は街の雰囲気はマシになったが、楽園には程遠かった。
「俺様が消えようと、この街のお偉いさんが消えようと変わりゃあしねえさ」
「どうして変わらないと思う」
「現状の混沌と悪徳をそのままにしてほしい連中が多いからな。
お前がママのミルクを飲んでいる頃にも義憤に駆られた女が悪徳まみれの市長をぶん殴って退陣させたなんて噂があったが、結局何も変かわりゃあしなかったのさ」
「じゃあ、お前のいう悪の大部分が消えたら、どうなる」
「そのときはそのときの多数派か、一番力を持っているやつが求める方向に流れるんじゃあねえのか。多分だけどな」
「たとえば、それが善であったなら」
「楽園みたいな場所ができるんじゃねえのか。見たことはないがな」
人間の根底にあるものは悪と欲望だけだと、ドラルディンは思っていた。
だからこその言葉だった。
もしもそんな善なる世界があるなら見てみたい。そう願うようにも聞こえる。
「そうか。お前ほどの悪党が言うなら、参考になる話なんだろう」
そう言いながらノエルは腰から短剣を抜いた。
「おいおい、お前みたいなガキがか?」
そう言いながらもドラルディンは笛を即座に吹いた。
万が一ということもあるが、そもそも子供一人が自分の前に現れている時点で何かがあると警戒は続けている。
それが短剣を抜いて戦う気を見せるというのならいよいよだった。
「誰も来ない」
「何……?」
「もう全員殺したから」
短剣は血に曇っていた。
ドラルディンもそこでようやく目の前の存在が取るに足らない子供でも、戦力不明の怪しい人物でもなく、自分を充分に殺し得うる脅威であると認識して、腰から武器を抜く。
それは魔剣であった。人造魔剣。空の色にも例えられる、パラクタの作品である。以前、彼に協力を求めたドラルディンの一味が断られたから殺し、そのときに手に入れたものだった。
パラクタの騎士が預けられ、持ち出し、その後にライヒの手に渡ったものとは違う。それはパラクタの手で作り出された試作品の一つである。
「何故戦おうなんて思うんだ、ガキ」
「そうあれと叫んでいる。悪を倒せと」
「誰が」
「俺を、俺が」
「わけのわからんことを。英雄気取り、いや、勇者気取りか?」
勇者とは立場や職能を指すものではない。
少なくともドラルディンの言うそれは一種の病理のようなものだった。
魔族や魔物が現れ、魔王と呼ばれる存在がそれらを扱って人族たちを虐げ、あるいは滅ぼそうとする。
世は麻のように乱れ、人族が自らを善として、魔族を悪だと考えるようになる。
その単純な二元論はやがて人族たちの中に悪を誅伐するための存在を夢見させる。
その願いが疫病のように蔓延し、やがて一つの禍疾が作り出される。
善であれ、悪を討てという願いが勇者というものを作り出す。
厄介なことがあるとするなら、そうした願いがカラレスとして人の子に集い、その存在を歪めることは現実としてあった。
勇者という存在の症例は歴史で見ても何度も確認されていた。
だからこそ、悪を討つことを望むノエルを見て勇者気取りと睨んだのだ。笑いはしなかった。
「ああ。そうだ。訂正するなら気取りってところかな」
「そうかい。だが勇者様とあろうものが人間側の悪を討つのか? 魔物や魔族はどうした」
「そいつらの悪には興味がない」
勇者はその生態から、人間という枠を逸脱している。
職能では計れない力があるとドラルディンは聞いている。
それでも、今までの彼が辿ってきた歴戦がドラルディンの勝利を予感させている。
「勇者は魔を打ち破るものだろう。人を殺せば即ち悪じゃねえのか?」
「そうだな。悪だ」
「……はあ?」
ノエルが何を言っているのかがわからなくなるドラルディン。
勇者はその生い立ちもあって、運命に導かれるようにして魔族を倒すために動くのだと考えていた。
その過程で悪を為すことはないのだとも。
「だから、正確に言えば勇者じゃないんだよ。俺は」
短刀が構え直される。問答の終わりを告げていた。
ドラルディンが踏み込む。魔剣が振るわれるが、それよりも先に短刀が手首を裂き、次の瞬間には懐に入ってきたノエルが、ドラルディンの心臓を短刀で割っていた。
いつ振るわれたのか、血が吹き出る前に魔剣が砕かれた。血が吹き上がり、ノエルを赤く穢す。
「マジ、か、よ……」
勝利を確信していたはずだった。
戦いの結果は開けてみなければわからないものだとしても、それでも苦戦する程度だと思っていた。
だが、開かれた結果はまるで逆だった。
自分が何もできずにこうもあっさりと殺されるなどと思わなかった。自分がここまで弱いとは人生で思ったことがなかった。今この瞬間を除いては、だが。
「ガキ、てめえ……。こんな手段で悪を減らして、それで勇者でいられるってのか」
「いいや、そうは思わない」
「じゃあ、何がしたい」
「俺も、悪だろ?」
「……て、てめえ……まさか──」
ドラルディンはそこで質問の意味を理解した。
この少年は本気で聞いていたのだ。殺したらどうなるのか。その後はどうなるのか。どうすれば悪が滅びるのか。
悪を滅ぼそうとするのが勇者の本能。
この街は悪徳に汚染されつつある。それを救う方法をドラルディンはまんまと教えたことになる。
『まさか、本気でこの都市の全ての悪を殺すつもりなのか』
その言葉が紡がれるよりも先に短刀が喉を断ち割った。
「ごぽっ、ご……」
「そうだよ。それが俺の望みだ」
血泡で聞こえないはずの問いに、ノエルは正確に答えていた。
死体を見下ろす。
少しして、気配が一つ。
「終わったか」
「──ギュストーク」
「これで次に行ける、勇者のお陰でな」
✘✘✘
アドルインの外壁で、一つの死体が見つかった。
ドラルディンと呼ばれていた男だった。
だが、それでもドラルディン・ファミリーは消えなかった。
殺された彼は名無しの冒険者として処理され、その数日後にドラルディンと名乗る少年がトップに座することになるからだった。
✘✘✘
椅子の上でうたた寝をしていたノエルが目を覚ます。
過去のことを思い出していた。
それが始まりの日というわけではなかったが、ドラルディンを殺したのは大きな転機となった日である。ただ、思い出したのは随分と久しぶりのことだった。
ギュストークは悪を減らそうとするノエルを利用して、ドラルディンを支配するために動いた。
その後も、まるで部屋に散っているゴミを纏めるように組織を脅し、奪い、壊し、吸い上げて纏めて行った。
ノエルの目的は悪の壊滅。
年を経れば経るほどにそれが難しいこと、いや、不可能なことは理解していった。
多くを知るためにあの日から本を読むようにもなった。
そのいずれにも悪の滅ぼし方など存在しない。
せめて、この街だけでも善きようにならないのかと願う。
その願いは虚しく、彼は友人を失った。
(友人を殺したのはギュストークじゃない。きっと、俺だ)
だが、救いようがないなとは思わなかった。
何故なら、自分が救いようのない存在であることはとうの昔から知っていたからだった。
(これ以上、育ってしまえばもっと多くの関係のない人間が、悪より善の心が大きいものまでもが犠牲になってしまう。
……ここが限界点なら)
眠気を振り払うよう頭を小さく振って、立ち上がる。
(悪徳と悪心は誰にでもある。求めるのは、それを上回る善を持つ人間だ。
それは見つけることができた。
だから、あとは手伝うだけ……。いや、手伝わせるだけだ)
黒瞳が窓の向こうを見る。
その方角には彼が思う相手。ライヒが住まうオルドホルムがあった。




