表裏冠者vs復讐希望者
アドルインの裏通りにある古びた酒場。
三階建てになっている、やや背の高い建物は本来の用途を失い、悪党の巣窟になって久しい。
一階は酒場となっており、そこから声が響いていた。
「っつうことなんです! ですから、親分と兄貴の仇討たせてください!!」
男がひれ伏し、叫ぶ。
冒険者風の出で立ちをしているが、現役の冒険者ではない。
愚かにも、かつてライヒの領地でそこへと向かうことを望んでいたものたちを捕まえ、悪用し、絞り上げていた問答無用の悪党ども。
兜割りの異名をほしいままにしていたはずの無法の戦士、ヒョルドをトップとして活動していた連中の生き残りが彼であった。
ライヒの逆鱗に触れたヒョルドたちがどうなったかなど語るまでもないことだが、それでもそれなり以上に勢力化していたヒョルドの手勢が全滅することはなく、事実彼は生き延びていた。
だが、生き延びたからラッキーだと逃げ落ちることを選ばない。
生き残りの男は必死に仇を取らせてほしいとヒョルドを動かすに至った理由の連中に頭を下げている。つまりは人手と金の無心をしていた。
平伏の先には少し古びた、どこにでもあるような木造りの椅子に腰掛けた若者がいた。
さして興味を向けずに、つまらなさそうに外を見ていた。
声が聞こえていないわけではないはずだが、まるで風の音でも聞いているくらいの反応だった。
その若者の周囲には数名のお付きがいたが、いずれもがここでは何も起こっていないかのようにしている。
いや、彼らの中の幾人かは表情を強張らせていた。恐怖だった。
「……なあ、頼みますよ。そもそも俺らの狩場が潰されたのはあのライヒって女に手を出したからだ。
それまでは適当に街道沿いの冒険者や遺跡荒らしを的にしていて、確かにあんたのとこの知恵者の言うとおりにしたら組織は大きくなった、けど、滅びちまった。
言うとおりにしたら、滅びちまったんだよ!」
頼むよ、と声を荒げる。
誰も反応しない。それがまたやるせなさと怒りに油を注ぐ。
次に怒号を出そうとしたときだった。
聞いていた男──ドラルディンはちらりと傍にいた男を見やる。
相談役であるギュストークは準備していた言葉のように、
「金のために動いたのだろう、お前たちは。そのためにこのギュストークが手を貸した」
実態は違う。
ギュストークはヒョルドが持つライヒへの感情を利用して事件を引き起こさせた。
ドラルディンはそれに関して知っているのか、知らないことを今聞かされているのか、どちらであろうとも興味がなさそうに聞いているのだけが事実である。
「難儀だな」
ようやく椅子に座った若者が視線を平伏した男にやった。
ひどく深いくまが目の下にあった。
「え……?」
「自分たちの責任を直視できないのは、難儀だと言ったんだよ」
バカにしているわけでもなく、侮っているわけでもなく。
青年の声はどこか、現実味に欠けた声音だった。まるで寝起きのような。
「お前の親分を守れなかったのは弱さゆえにだろう。ギュストークの策が危ういものだと気がついていないのも、露見するようなやり方を選んだのもだ」
事実、あの悪党たちの勢力が強くなったのはギュストークの入れ知恵だった。
ドラルディンはちらりとではなく、まっすぐにギュストークを見る。
「ヒョルドは」
「死にました。ギルドが死亡の確認をしたことも公表されています。あの男は指名手配されておりましたからな」
「だったら難儀だな、じゃなかった。難儀だったな、ヒョルドも」
彼はあえてそう言い直した。
「いつだって物語の結末は決まってんだ。悪は滅びた。世はこともなし。
ガキの頃、誰かしらに聞かせられて育たなかったか?」
「た、確かに、確かにそうかもしれねえけど、じゃあ……」
見下ろす青年に視線を向けながら、続ける彼。
「より大きな悪であっても、その運命からは逃げられないってことか?
あんたも滅びるのか、ドラルディンさんよ!」
「ああ。そうだ。いつか滅びるさ。今日ではないだろうが」
アドルインの下層住宅街、この酒場こそがドラルディン・ファミリーを支配する男の生家とされていた。
ドラルディン・エストルフ。
黒い髪をやや乱雑に切り揃えられたその姿は世間を、少なくともライヒの周りを掻き乱して噂になっている悪党には見えない。
場所が場所ならば文学の徒にすら見えるかもしれない。
「俺もだよ。俺も滅びるんだ。誰かの手で。それを待っている」
立ち上がり、がなっていた男に膝を折って視線を合わせる。
腰からいつのまにかナイフが抜かれていて、その男の喉にぴたぴたと当てられる。
「終わりが来ただけだ。抗うなよ」
「い、いやだ。俺は俺は仇を」
生き残った彼はこっぱと言える程度のチンピラに過ぎない。
しかしヒョルドの強さに魅せられ、悪党として大成する夢を見ていた。
夢はまだ終わっていない。終わらせてやるものかとその目が語っている。
「わかった」
ナイフを収めるドラルディン。
姿勢は変えずに、
「冒険者の知り合いはいるか?」
「知り合いはいない、けど、冒険者って身分が必要なら」
自分がそうだと。
彼は現役ではないが、それでも冒険者としての資格を持っている。とうの昔に使わなくなったものだったが、それでも未練がましく籍を置いたままだった。
「じゃあ、一度だけ復讐の機会を掴ませてやる」
机の上を指差す。そこには鞄が置かれていた。中には一週間分の収益が収められている。
合法・非合法問わずに集められた金だった。
「ライヒに依頼しろ。サン王の祠で狩りをしたい。報酬はちゃんと用意しているって言ってさ」
「ほ、報酬って……?」
「そうだ。ただ、この街の冒険者ギルドは通すな。ソーパスの人間を使え」
ソーパスは隣領ベイシンの国境沿いにある街で、アドルインよりも華やかな場所だった。
ただ、その華やかさは彼らのような裏社会のものたちがもたらしたものだった。
アドルインよりもよほど腐敗した都市だが、ヴァルカイン超帝国側だけでなくベイシン側にもそれは知られていない。
裏側の人間たちが必死に隠しているからだ。その理由は単純に利益のためであり、例え敵勢力同士でもその点においては結託していた。
「そいつらの報酬はこちらで用意してやる。それとは別に物や人手が必要ならその金を使え」
「こ、こんなに」
「使わない金なんて意味がないからな。使い方は、うまくやれとしか言いようがないが」
突然降って湧いた金。
盗んで逃げないのかと、仇など忘れてこれでやり直そうとは考えないのかと、疑問を持ってしまうヒョルドの部下だった男。
「金だっていつか消える。お前が『そうしたい』ならそうすればいい。
思いとやらも同じ程度の価値で消えていくことを俺は学べるだけだ」
見下ろし、見透かして言う。
ドラルディンの黒瞳は感情の色が見えなかった。
「ソーパスに行き、それから祠に向かうならどうあれ戦力は必要だろう。
ファミリーの息の掛かった酒場はそこらにある。そこでたむろしている連中にも声をかけて行くといい。お前みたいな冒険者崩れ、何人もいる」
与えられたものを持つと立ち上がる。
ドアの前まで立ってから振り返った。
彼の視線の先にいる青年、ドラルディンは儚げなほどの痩躯を着飾ることも隠すこともせずに平服のままに、普通の若者のように座り、外を見ていた。
(アドルイン治安悪化の要因になっている組織の一つ、その長があんな若造なんて。
……けど、)
説明しようのない恐怖が心に根を張っていた。
ヒョルドの持っていた暴力的な気配による恐怖ではない。
(そうだ。ガキの頃、野犬に食い殺されかけたときだ。
あいつらは俺に害意なんてなかった。敵意も。真っ黒な瞳はただ捕食するために行動しているのが、俺は恐ろしかったんだ)
噛み跡は幾つか残ったが、見回りの人間によって彼は命を救われた。
あのときの恐怖を今の今まで忘れていた。忘れるように無意識に努めていたのだろう。
だが、それを思い出してしまった。
野犬どもは敵意や悪意で襲ったわけではない。
ただ、そうあるべくして生きているだけだ。あの瞳がそれを告げているようだった。
(何かが憎くて悪党をやっているんじゃないってことなのか、あいつは……。
いや、そんなことはいい。
俺も、やらねばならないことをやる。それだけを考えよう)
浅く一礼をして出ていく。
扉が閉まってから暫くしてから、今日の業務はおしまいだ、と呟いて立ち上がるドラルディン。
「お前らも帰っていいよ」
そういってふらりと外に出る。
✘✘✘
アドルインの裏の目抜通りを進むドラルディン。
特に何か予定があるわけでもない。
ただ、
「よお、ノエル! 仕入れがあったばっかだぜ! 寄っていけよ!」
今はドラルディンではない。
ノエルこそが彼の本当の名前だった。
ドラルディン・エストルフは数年前に死んでいる。彼の手で殺された。惨殺だった。
まだ少年だった彼がなぜドラルディンを殺したのか、あるいは殺せたのかは今も明かされていない。
ドラルディンの名と立場を奪ったことを知るものはそう多くない。ただ、多くの人間にとってトップが誰であろうかというのは関係がなかった。
少なくとも今のドラルディンの佇まいと迫力、振るう暴力においてのみで他のファミリーを威圧できるほどのものであることが知られているのならば文句など出るわけもない。
──彼の悍ましい凶暴性と、不気味さは組織を再統制させるに十分な才能と力があった。
「この前の仕入れだって、大した本なかったじゃん」
「今回はすごいぞ、どこぞのダンジョンからわんさか本が出てきたんだとよ!
いや、出てくるのがわんさかではなくて、出てきたのを貯めていたんだっけな。ま、そんなこたあいいか!」
誘われるままに中に。
確かに興味深い本が多かった。
冒険者をはじめとした戦いを主とするものたちにとっては不要なものだろうが、
ここではないどこかの僻地の歴史や民話、そこに住んでいたものの日記。彼にとって、求めていた読み物たちだった。
ここにある全てを買い上げるだけの金など、当然ある。汚い金であろうが、金は金だ。
だが、そうした使い方はしなかった。
ポケットから取り出したクシャクシャの紙幣が数枚。
「うーん、買えて三冊か」
彼は吝嗇家というわけではない。
これは自分に課しているルールだった。
彼を『ノエル』と呼ぶ相手には、『ノエル』として稼いだ金しか使わない。彼にはそうした縛りがあった。
「この前の仕入れは確かにショボかったし、その礼だ、四冊持ってきな!」
「いいの?」
「いいって! どうせ暫くは埃を被ることになるだろうしな!」
売れ筋ではない商品なのは間違いない。
それでも仕入れるのは昔馴染みのノエルのためであることも理由の一端ではあるが、当然それだけで商売が成り立つわけでもない。
この辺りに住む老人たちもこうした流行り廃りのない作品を好む人間が多い。
置いておけばゆっくりとした速度ではあるが完売するからこそ商売として成り立っていた。
ノエルは本を抱えて外に。どこで読もうかと悩んでいたのもあるだろう。端的に言えば視野狭窄だった。
どん
いや、ぼふんと言うべきかもしれない。肉厚の何かにぶち当たった。
「あら、ごめんあそばせ。自慢のボディが失礼してしまったわね。ホーッホ……って、ノエルじゃありませんの」
「ライヒ」
「探しましたのよ。あの日、お礼も言えずに去っていったそうですから」
「お礼も何も俺は何もしなかっただろ」
「何も? わたくしを運んでくださったし、なによりあの戦いで無惨なことをしでかす『昔のわたくし』に立ち戻らなかったのはあなたの耳目があったからですわよ」
それに、それこそこの本屋、ポールの店の前まで来たときに次に行くべき場所のヒントをくれたのも彼がいてこそ。
だからこそ、ライヒは顔を合わせて礼を言いたかったのだ。
「そうだ、これからお茶でもいかがかしら。ランチでもいいですわね。ノエルに時間があったら、ですけれど」
それはまるでナンパのようでもあったが、ノエルもそうした下心的なものがあるわけではないのは理解している。
性差などを感じさせない超然とした雰囲気をライヒから感じ取っている。
いや、ノエルはそう感じているに過ぎないのか。ライヒにとっては顔のいい男は好みではあるがそれでどうこうなる気などはなかった。ランチの時間くらいはあっても男漁りをして、それに熱をあげるような時間がライヒにはない。
「わかった。奢ってもらうよ。最近読んだ本で楽しいものがあったならその話も聞きたいし」
「そういえばじっくりと本の話をする暇もありませんでしたものね」
二人が並び歩き出す。
外見は太陽のようなライヒと、夜の静寂のようなノエルは対比する。
まるで異なりながらもどこか仲睦まじい姉弟のような雰囲気が彼らにはあった。




