没落令嬢vs蝕
あばら屋にすすり泣きが響く。
外の喧噪が怒りに変わりこちらに矛先が向かぬように子供たちは押し殺しながら。
それも暫く経つと何とか立て直した少女が顔をそっと上げる。
彼女が泣いていないなら自分たちも泣くわけにはいかないと少年たちも同様に。
反論した男も、何とか食いしばって恐怖に耐えながらライヒを見る。
「あの、ここまでありがとう、ございました。自己紹介まだでしたよね」
「ああ。そうだったな。俺は──グレイス。グレイス・カフィティル」
この外見でライヒを名乗るわけにもいかない。
グレイスは彼女が適当に身分を偽るときの名前である。かつての友人の名前をそのまま拝借している。
困る相手はいない。もう既にこの世にいない人間の名であり、彼女の数少ない感傷の一つと言えた。
「グレイスさん。その、明日からどうなるんでしょうか……」
「俺たち、全然戦いなんてわからなくて」「うん……」
「申し訳ない、実は自分も」
三人は駆け出し。もう一人は傭兵ではあったものの、荷物持ちとマネージメントをメインにしていて、戦場で大けがを負った際に運気が下がるからとクビになってしまったのだという。
「安心しろ」
グレイスは一言だけ、まずは返した。
それから、
「明日からどうなるかなンて決まってる」
にぃ、と笑う。
その笑顔だけは隠しようもない、ライヒの笑顔そのものだった。
「自由を謳歌できるようになる、だから俺を信じて、寝て待ってろ」
それから暫く外はうるさかったが、それでもライヒ──いや、グレイスの言葉にすっかりと恐怖は解けて少年少女は眠りについた。
男も三人に何かあったら困ると考え起きていようと思ったが、グレイスに無理するなと言われると眠りを得た。
暫くして、四人の眠りが深まるのを確認すると音もなく立ち上がり、扉を開いた。
後ろでに扉を閉める。
「なあ、そろそろ我慢できねえよ、俺! あのガキ使ってもいいよなあ?」
「おいおい、明日から仕事させんだぞ?」
「俺らの相手だって仕事みてえなもんだろ。へへへ……あ?」
そこに立っていた女に気が付いた。
遅まきながら、睨み挙げる。
「何外出てきてんだ? 誰の許可があって出てきてるんだ、テ」
テメエ、と言いかけたが、その後の言葉は続かなかった。
〝ぱぁん〟
爆ぜる音。
男は次の瞬間には転がっていた。充分に手加減はしても、それでも絶命は免れなかった。
実戦僧兵の技の一つ。音をも殺す正拳突き。通称、神速拳。
彼女が友人であり、戦友であり、師の一人でもあった一党仲間。その人物から教わった技の一つであった。
拳が打ち出される速度は目視不可能。
発されれば次には吹き飛んでいる。
「な、なにしやが」
彼女の後ろ、つまりあばら屋には四人が眠っている。
次に目を覚ますのは約束したことが結実するとき、つまりは自由になっているときだ。
グレイスは応じる言葉もなく、次々とそこにいた男たちを自らの拳の餌食としていった。
この程度の人間に見破れる技ではなかった。まさしく、マッハ突きは魔技と言えた。
残ったのは怒号をあげて並ばせた、ここのとりまとめらしい男。
グレイスがようやく口を開いた。
「お前ら以外に誰かここにいるのか?」
「い、いるぜ。とびきり強いお方がな。お前ごときが勝てるわけもない相手が、だ」
「強さを聞いたか?」
「そんでよ……俺にも勝てやしねえぇ!」
腰から片手杖を取り出し、抜き打つように魔術を放とうとする。
距離は充分にある。魔術の射程。そのはずだった。
腰を深く下ろし、消えたかのような速度で踏み込む。タックル。低空のそれは一瞬消えたかと錯覚する効果だけではない。極度な前傾が倒れるような勢いで進撃を加速させる。短距離を最速で動くそれは大弓の一矢の如きもの。
とりまとめの男は気が付いたときには視界が上下逆さになっていた。それほどの速度で掴まれ、投げられていた。
音を鳴らさぬよう加減された一撃であっても、殺戮に足る威力はあった。物言わぬ死体がそこに転がることになる。
起きたときに四人を驚かせないようにとグレイスが死体を一カ所に纏めて隠した。
ついでに武器になりそうなものも見繕う。
碌なものはなかったが、一つだけ力を入れて振るっても壊れなさそうなハルバードがあったのでそれを頂戴することにした。
一瞬、激しい戦闘音のようなものが聞こえた気がした。何があったのかとそっと外を覗く新米冒険者三人。
見えたのは空の光を隠すように、月蝕の如くして立つグレイスの姿だけであった。
✘✘✘
ダンジョンに踏み入る。
戦いにもならない、一方的な撃退が続く。
馬上であろうと徒であろうと長柄武器を振るえば非貴族に遅れを取ることなど許されぬ。貴族は常にそうした教育がされるものであった。少なくとも武門の棟梁たる歴史を持つグレイトキャピタル家は。
彼女が普段剣を愛用するのは単純にハルバードが大きくて場所を選ぶことが何度もあったからだ。
何も考えずに戦うだけならばハルバードか拳を使うのが最も効率的であると、何年も前に彼女の中で結論づけられていた。
つまり、虐殺であった。自由を奪うために人をさらい、利用し、自由を持たないものを気まぐれに穢し、あるいは殺すことしかしてこなかった連中が常在戦場で生きてきた女に勝てる道理など一分すらない。
半分に割られて、それでもまだ生きている賊がいた。もうすぐに死ぬ。自分がなぜこんなことになっているのか理解できずに混乱していた。
「お前たちの頭目はどこだ」
「あ、え、あ、あっちです」
質問するならこういう相手が一番いい。ライヒはただのお嬢様ではない。アライメントを示せと言われるのならば悪とされるたぐいの女だった。だからこそ死にかけているものに慈悲ではなく質問をした。
「そうか。何か気をつけるべきことはあるか?」
「そろそろゴブリンが出てくるかもしれないですね。強かったらヒョルドさんも喜ぶかも」
「ヒョルドが頭目か」
「はいそうで」
そこまで言って、絶命した。
あるいは質問は慈悲であったのかもしれない。死を感じさせず、日常の延長線上で急に終わりを迎えたように錯覚できたならば。
視線を頭目がいるという方向へと向けた。
進む。扉の前。ゆるりと体を構え直す。
「ふぅ……。
──きて、はァッ」
気合とともに蹴りが放たれた。
扉が吹き飛ぶとそのままその進行方向にいた賊の一人が扉によって潰されて絶命する。
ゆるりと入ってくる女にその部屋にいたものたちが一斉に警戒をする。
(警戒?)
理解ができなかった。自分たちが何をしているのかわかっていないのか?
状況を考えればいつどんな状況で追い詰められるかもわからないことをしているだろうに。
さらった人間だけではない。あくどいことをしていれば相応の組織から狙われることもあるはずだ。なのに彼らは部屋で酒を飲むなりしてくつろいでいたようだった。
理解できないままにライヒはハルバードを振るう。警戒程度で何ができようか。次の瞬間には部屋にいたものの殆どが刈り取られていた。
生き残った数名と、奥に座ったまま特に反応を見せない男が一人。
「ヒョルドさん、こ、こいつ!!」
悪党であれば己のみを頼りにするべきだった。誰かを頼るのならば善性ある相手がいきる場所でなければならない。悪党として当然のことを知らぬものたちはそのままハルバードの餌食となっていった。
ようやく男が立ち上がった。
片手に剣。軽装ではあるが防具は纏っている。常在戦場とでも言いたいのか。
「テメエが親玉か」
「そうだ」
「ここはなンだ」
「ライヒって女の邪魔をするためだけに作られた場所だそうだ。
そこに向かおうとする冒険者をここに誘導し、殺し、あるいは利用する」
「……ッ」
ぎちりと歯が鳴る。ライヒの怒りが一つ上がった。
「邪魔をするために、誰かがそンなことを」
「そうだ」
「じゃあ、お前はどうなンだ」
「俺はそうしたやりとりに興味なんぞない。あるのはただ一つ」
鞘から剣を抜く。ブロードソードはよく手入れされていた。業物といって差し支えない逸品である。
「ライヒという女が怒り狂い、ここに来るのを待っている」
「どうして」
「お前に言ったところで伝わるまいが、教えてやろう」
冥土の土産にでも、と言わんばかりに剣を二、三振りながら。
「俺は一度負けている。そのときに感じたあの女を超えたいという気持ちだけで生きてきた。自分でもわかる。上達した。だからこそ、次は戦う機会を望んだ」
「それだけで何人もの人間を犠牲にしてきた……?」
「そうだ」
「そうだ、ですって……」
〝ビキッ〟
〝ビキキッ〟
血流が怒りに任せて激しく走る。血管が脈動し、感情を四肢の余すところなく振り分ける。
「ライヒに会って、どうする」
「無論、あの日の敗北から向こう。思い続けた再戦を果たさせてもらう」
「それなら──」
ハルバードを振るい地面に突き立てる。
「ああああああッ!!」
怒りを発散するように怒号を吐き散らかすライヒ。
それと同時に髪の毛が黄金へと変色していった。怒りと共に迸ったマナが髪の毛の染め粉を吹き散らしてしまう。
「それなら、おめでとう。ここでその願いは果たされますわねェ」
ぎちりと明確な殺意と共に瞳がヒョルドへと向けられた。
目の前の女の変貌。その先にあったのが自分が追い求めていたライヒという猛者。
染め粉や化粧の幾つかでこれほどまでに変わるか。いや、最後に見たときはまだ少女と言っていい年齢だったからこそ、成長もあっただろう。
「まだだ。まだ果たされてはいない」
剣を構える。ヒョルドは喜悦を隠すことはない。
「あの日に肩に怒りを刻まれてから──このときを待っていたッ」
「そのために何人を犠牲にしたッ」
「数えるようなことかよッ」
踏み込む。
鋭い斬撃が竜巻の如くに激しく襲いかかる。だが、ライヒの操るハルバードの攻防一体を崩すには至らなかった。
一瞬の隙を衝いてハルバードの石突きがヒョルドを捕らえる。それと同時にヒョルドは相打ち狙いかのように刃を振った。
寸毫で刃を見切れたが、完全ではなかった。まぶたの上が薄く切られた。血がすうと流れはじめる。
「名乗りをさせてもらおうか。それくらい構わないだろう。
これから充分にお互いを殺し合う間柄なんだ」
ライヒは好きにしろと言いたげに視線を送りつつ、血を拭う。
「兜割り、ヒョルド」
相手の武器の習熟具合から長物はむしろ不利。そう考えたライヒはハルバードを投げ捨てた。
ヒョルドに向けて投擲するということも考えたが、しなかった。通じる相手でもなかろうし、何よりそんなことで自分の領地を目指したものたちの無念を晴らせるとも思えなかったからだ。
拳を握る。息を吐く。
名乗り。名乗りか。自らの名を忘れたわけではない。そうしたことをするのは久しぶりだったのだ。
「没落令嬢のライヒ」
片方の拳を固め、しかしそれ以外の四肢は緩やかに構えた。
「来なさいまし、ド三品。拳でブチ砕いてやりますわ」
もう片方の手で手招くように。ヒョルドがにににと我慢できずに笑う。
このときを待っていた。その言葉の全てが彼の踏み込みに現れていた。鋭い。疾い。
上段からの袈裟切り。相手にしないかのように半身を逸らして避ける。返す刃でかちあげるように振り上げようとするヒョルド。
しかし、それよりも更に速くライヒが動いた。振り下ろしきられた刃を上げるより先に固く握られた拳ではないほうでそっと抑えられた。起点を抑えられたヒョルドは一瞬で技を殺されたことに気が付く。
いや、気が付いたのはそれだけではない。冷たい瞳だった。
ひゅう。
息が吐かれた次の瞬間。
神速拳が放たれた。一発放たれた後に弓の弦を引くようにもう一発。
そこから更に前へと踏み込んで一発。起点を止めていた片手もそのまま振りかぶることもなく最小限の動きでマッハ突きが敢行された。一発。更に一発。
「ごぽっ、ぐ、ごあ」
一発一発が埒外の威力を持つマッハ突き。
乱用しないのは拳に負担が掛かることもあるが、もっとクレバーな理由であった。このマッハ突きこそ彼女にとっての必殺技。
必殺技とは、必ず殺す技なのだ。であれば、放った以上は『死んでもらわねば』困る。
だからこそ、目撃者のいない状況下でのみ打つべきだと考えていた。
「悔いは」
それでも、ライヒは問うた。
ヒョルドに。そこまで自分を想うほどの相手に。ここまでされた結果、過去を悔いるか。そう問うた。
「あるもの──かッ!!」
獣が笑うようにしてヒョルドが片手に力をこめる。自らの名前にもなった兜割り。どのような姿勢であろうとも薙ぎ払う一撃は彼にとっての必殺である。
だが、必殺技には至らない。
見せた。その技はすでに、ライヒはやり取りのなかで見ていた。必殺の薙ぎ払いを幾度も。
見切られた技は技として機能せず。殺すに至らない一撃はもはや必殺に非ず。
その一撃より速く、ライヒの両手が動く。片方が武器を持つ手を砕き、その後に少し遅れて体勢を整えた状態で、今までのマッハ突きの中でも最速での一撃がヒョルドの分厚い胸を貫いた。
ヒョルドの全身の力が消えていく。兜割りは達せられず。ずるりと拳が引き抜かれると彼は膝を衝いた。
見上げるように願い望んだ相手を視界に納める。
室内を照らす光を遮るように立つ彼女はまるで皆既日蝕のようにも映る。ヒョルドの意識が最期に見たものはそれだった。
ヒョルドが斃れ、ここに一人の勝者だけが立っていた。
✘✘✘
その後のことは語るほどのことはない。
グレイスの姿が変わっていたことには驚いたものの、ライヒはグレイスという仮の立場を使い、潜入していたことを伝える。
ライヒに関わるその性格や噂話、吟遊詩人の唄などは冒険者や悪党たちに多少知られている。
知られているからこそ、彼女が潜り込むために変装していたと聞かされれば納得だけがあった。
少女と、少年二人、それに年かさが上の男。
探すと他の部屋にも捕らわれていた生存者が出てきた。
それらを加えて、悪党たちの馬車を奪って使い、アドルインへと凱旋する。
ギルドは一部の治安組織と連携し今回の件を深く掘り下げることをライヒに伝えた。
ライヒのダンジョン運営を阻害するための計画があることはヒョルドの口から聞いていた。
捕らえて情報を吐かせることは不可能であることと、それができるほど相手との力量差が離れているわけでもなかった。
前者については、単純にヒョルドは何も知らないことが伺えたからだ。彼はあくまでライヒとの戦いだけを目的としている。
そこにどのような計画があろうなどと聞くこともしていないだろうことは予想できた。
後者についてはそのままだ。あっさりと決着がついたように見えても捕らえられるかどうかは別。
問題とするべきは捕らえられたものたちについて。
明らかに街の中に協力者がいるのだろうと考えられていた。
報酬については後日改めてとなる。
元々の報酬はあったものの、助け出された冒険者の数や殺した悪党たちの死体の確認と賞金額の精算など「ほいよ」と渡せるようなものでもなかったからだ。
ライヒは英雄としてその名と顔を売るつもりは殆どなかった。
あくまで彼女は『自分の名前と領地に存在するダンジョンを餌にされて怒って行動した』ことになっているからだ。それでよかった。
オルドホルム行きの馬車に乗って、よいせと座ったとき。
馬車に近付く人影があった。
「あの、ライヒ先輩!」
「ありがとうございました」「本当に、ぐすっ、助かりました」
それは三人の若者。それに彼女たちを気に掛けていた年嵩が上の男も一緒だった。言葉は若者に任せ、その人物は静かに一礼している。
「冒険者がイヤになっていなければ、わたくしの領地にあるダンジョンに来てくださいましね。
立派な冒険者になる近道になりますわよ。ホーッホッホ!!」
疲労感が一杯であろうとも高笑いは辞めない。これくらいしか彼女に残された貴族らしさはないと自ら考えていた。
「イヤになんてなってません!」
彼女たちは外にあった死体を見ている。どれほどの怒りが叩きつけられたのか。その怒りの源泉が自分たちが湧かせたものだという自覚があった。
だからこそ、
「強くなって、賢くなって、いつか……ライヒ先輩の隣で戦えるようになりますから!」
少年たちだけでなく、労働者まで頷いていた。
「……ええ。楽しみにしていますわ、その日が来ることを」
馬車が動き出す。
自分の行いが、少しは彼女たちの人生の何かの『足し』にでもなったならよかった。
安堵にも似た感情が彼女に疲労感を思い出させる。
オルドホルムに着くまでのいっとき、随分と久しぶりだと思うほどの熟睡をライヒは得ていた。それはきっと、助けることができたという充足感から来るものであったのだろう。




