放縦悪党vs新たな道
「ひい! ひい!」
男は走っていた。
その後ろには低位ではあるが魔獣が追いかけてきていた。
裏街道。
脛に傷を持つ連中が使う道。
安全とは言い難いここを使うのは男がつまりはそういう人種であることを示している。
走っていると外套に備えられたフードが下がった。
年齢は五十手前。若くはない。
やや小太りで、健康そうでもない。
「く、くそ、なぜこの私がいつもいつもいつも……」
毒づく。
魔獣は聞く耳を持たず追い縋る。
「ぬええい!」
急ブレーキをして立ち止まり、振り返ると同時に、
「《風撃》!」
魔術を抜き打ちにする。
魔獣は三匹だった。犬型だが狼のような精悍なものではない。野犬が何らかの影響を受けて魔獣に転じたのだろう。
一匹の頭がひしゃげて絶命する。
「舐めるなよ!
このパールシモンを舐めるなよ!!」
腕についたままの手錠、その鎖を振り回すと鞭のように扱い、魔獣を威嚇する。
原始的な恐怖心を誘うそれに魔獣たちは睨み、ゆっくりと後退していく。こいつは餌にはなり得ないと判断させたのだ。
やがて森に消えていった魔獣を見送ってからその男、パールシモンは尻餅をつくように倒れる。
「どうしてだ。このパールシモンがどうしてこんなことに!!」
思い出すのは少し前。
あの女、ライヒと名乗ったあの忌まわしい貴族娘に弾劾され、ギルドの連中が自分を尻尾切りするように告発したときからこうなった。
パールシモンを預かっていたのはギルドであり、ギルドと都市運営の話し合いの結果、彼は期限付きの都市追放ということで片を付けていた。
ギルド、つまりここでは冒険者ギルドを指すが、彼らはパールシモンを追放さえすれば少しずつ膿を排出するための計画が進められるだろうと考えていて、
戻るつもりであるなら彼を懐柔して汚職派の情報を手に入れられるかもしれないと考えていた。
……勿論、このあたりはフィニーではなく支部長の考えであるので必ずしも清流派と考えの近いフィニーが知れば断固反対となるだろうが。
戻らぬなら戻らぬで構わないとも考えている。
都市追放の途中、馬車が魔獣に襲われた。
それは偶然のことではあったものの、てっきり人気のないところで口封じに殺されると考えていた彼は幸運だと思って逃げ出した。
手枷足枷を魔術で破壊する。そして走る。走って走って、そうして冒頭に繋がることになる。
生き残りはいないし、馬車はすでに野犬どもが御者たちを食い荒らしている。自分が逃げ出したかどうかわからないほどに損壊されることになるだろう。
好都合だ。
暗殺されるくらいなら、このままとんずらさせてもらおう。
こうしてパールシモンは一時的に表舞台から姿を消すことになる。
✘✘✘
えらいところに来てしまった。
それがこの男、パールシモンの最初の感想であった。
かつてアドルインの市長として権勢を振るい、望むだけ賄賂を得て、好き勝手に生きることを確約されていたはずの男。
彼は今、自らの立ち位置を破壊したライヒ・グレイトキャピタルとの決闘の場に立たされている。
周りには怪物と、怪物と、よくわからん剣士と、マフィアのドンと副長。
自分がいることがおかしい状況。
ヒョルドが討たれ、都市内で少しずつライヒの声望が強まっていく頃にパールシモンはアドルイン近くに戻ってきていた。
戻ってきた理由は単純だった。
他の都市で仕事をして、経験を増やし、よりハードな仕事を求めていくうちに元のヤサに戻ってきたのだ。
では、彼がどうしてここにいるかの過去も浚うとしよう。
✘✘✘
時はヒョルド討伐後のアドルイン、治安のよろしくないエリア。
「シモンさん、そっちはどうだ」
シモン……パールシモンが適当に名を出したものが使われていた。
呼びかけたのはどこぞのマフィアの所属者。
どこぞというのは、こっぱ仕事を受けている現状において、孫受け玄孫受けとなった汚い仕事にとって『上』というのは入り乱れて正確な答えを出すことはできないからだ。
「ええ。こっちはもう少しで」
バラバラになった死体はシモンが獄中で得た魔術によって分解されている。
追放されてから為政者ではなく一人の作業者として身をやつしたパールシモンは自分が顎で使っていた連中の、その仕事を受ける立場になっていたが、それが随分と楽しいのだ。
いい仕事ではない。
自分が無事逃げおおせた日に見たあの死体が喜びの感情に強く結びついてしまったからか、
ただの死体を凄惨な成果物に変えることに呵責や不快感を覚えることはない。
あるいは、あの日の経験が彼を変えたのか。
元々秘めていた性癖が発露しただけなのか。
それを判断できるものはおらず、当人に至っては判断する気もなかった。
楽しければそれでいい。今の彼はその感情に支配されていた。
「終わりましたよ」
先程まで形があったものはすっかりと名状し難いものへと変えられていた。
都市の地下。マフィアの縄張りの、そこでもさらに胡散臭く後ろ暗いエリア。
それが彼の仕事場だった。
「便利なもんだな」
「意思らしい意思がなく、制止していて、腐敗が少しはじまっていないとダメ……と条件が多いんですがね。
満たせばどんな死体でもぐずぐずの腐葉土みたいなものにできるので小銭稼ぎにはうってつけです」
かつての市長が今は死体の処理業者。
復讐のために雌伏することを厭わないといえば格好いいが、今の彼が衣食住を得る方法はこれしかないとも言える。
悪党どもがいる都市であればいくらでも稼げる技術でもあるため、働く場所を選ばなくてもいいのがメリットだったし、何より前述の通りの理由が彼にはあった。嫌ではない。むしろ労働の喜びすらあった。仄暗い悦びだが。
マフィアの下っ端とシモンがその後の処理についての話をしようとしたとき、扉が開かれた。
「おう。ここにシモンってヤツはいるか?」
死体を処理する上でひどい臭いが出る。
それゆえに作業場は地下の、下水が流れる辺りに限定されている。
ここに来るのは自分と同じような仕事の人間が、ここの取りまとめくらいのもの。
だが、シモンの名を挙げた人物はそのどちらでもなかった。
身なりは悪くない。勿論、貴族的ではないが。
「はいはい、こちらに」
「アンタがシモンか。……どっかで会ったか?」
「……はて、どうでしょうな」
パールシモンは市長をやっていたからこそ知られた顔と名前だ。
投獄されている間に顔つきや体型が変わったし、名前もシモンというありきたりな名前にしていればバレないだろうと慢心していたが、よもやピンと来るものが居ようとは。自分を忘れていないものがいたことにどこか嬉しさを覚えつつも存在そのものについては否定した。
「まあ、アンタが何者でもいいか。割のいい仕事があるんだが受ける気はないかと上が仰っていてね」
「上、とは」
「ドラルディンの副長様さ」
明け透けに上についてを言うことに少し驚くシモン。立場があるのならばこうした場所で、そうした身の明かし方をするものではないはずだからだ。
あるいは、断るようなら聞いた耳だけでなく命ごとなくなるぞという脅しが含まれていたのか。
しかし、どうあれ、
「名指しの仕事となりますと、報酬もここでの働きよりも」
「かつて使っていた椅子に座りたくないか、と言えとだけ命じられている。わかるか?」
「……ええ。充分に」
どうして自分をということについて疑問がないわけではない。
だが、その誘い方にころりと釣られる。
彼の中で権力に興味が失われたわけでもないし、何より権力を得られたのならば、趣味と化した仕事をより広い範囲で行えるはずだと考えてしまっていた。
それが、その考えこそが地獄の始まりとも知らずに。
✘✘✘
呼び出されて、いくつかの話をした。
仕事の内容だったり、これまでのことだったり。
ギュストークは冷たいほどに冷静だったが、シモンの仕事ぶりについては買っているようだった。
話が途切れたあたりでシモンが、
「お呼びになられた理由を伺っても?」
当然の求めをする。
「この都市に詳しい人間を身内に置きたかった」
「それが本心ですか」
思わず聞き返した。
腐っても、というか腐った権力者であった彼だからこそ他人の嘘について、高感度に受け取ることができた。処理屋に身をやつした今でもそれは衰えていない。
あるいはそうしたものがあったからこそ素人から始めた処理業が今までうまくやれているのだとも考えられた。
「そうだとも」
シンプルな返答だったが、納得していないようにシモンは「……ふむ」とだけ返す。
「疑り深いな」
「仕事柄、どうしてもそうなります。……して、実際のところはどうなのです」
一介の処理屋を呼びつけて雑談というだけでは終わらないだろう。
諦めたようにギュストークが口を開いた。
「パールシモンの名前は運営のものたちにはまだ有効だと言えばいいかね」
流石にシモンで通すことには無理があった。
三下たちならまだしも、ギュストークには通じない。こうした詰めの甘さや相手を安く見る癖がパールシモンを破滅させた傲慢そのものだが、彼は気が付いていない。
気が付いていないからこそ、
「ほう、それは……」
「ただ、権勢を取り戻すにはいくつかの条件が必要でな」
ギュストークは話を続ける。
「結局、今の都市でかつての時代ではなく新たな時代……我々が息のしにくい状況になろうとしている中核にあるのは」
理解していた。
処理屋をしながらも都市では華やかな活躍を続けるライヒの話を聞いて何とも泡立つ感覚を覚えていた。
だからこそ、シモンは多くを端折って言う。
「忌々しいあの女というわけですか」
「そうだ」
恨みはある、好きにしていいと言われれば多いに害してやりたい。
だが、
「私にできることなどあるのでしょうかね」
「あるとも」
提示されたのは幾つかの暗躍。
そして、組織内での立場を得た後に大々的な登場をしてもらい、権勢を集約させる。
そうした話になっていたはずであった。
✘✘✘
えらいところに来てしまった。
改めて、哀れで愚かなパールシモンが表舞台に立ち、もらした感想はそれであった。
選手の呼び出し。
決闘の舞台。
そして、呼び出される彼の名前。
パールシモンの名が呼ばれたときにざわめきと、それからブーイング。
非難される謂れはある。そして、その程度のことに心などざわめかない。
問題は……目の前のあの女の目。
復讐のときが来たとでも言いたげにこちらを見ているではないか。
そう捉えてパールシモンは恐怖した。
どうしてこんな状況に。
確かにここを潜り抜ければ自分を排斥したライヒを倒し、力によっての支配すら可能になるかもしれない。
だが、そんなことが可能なのか?
✘✘✘
決闘の参加者集めが終わってようやく一息つくのは、
「ギュストーク様」
名を呼ばれたギュストークと、暗躍に手を貸したものたちだった。
「どうしてパールシモンを今更呼んだのです?」
「実力とてあるわけでもない」
「腕利きという意味であれば他に幾らでも用意できたでしょうに」
椅子に深く腰をかけ、注がれた酒を煽るギュストーク。
口々に述べられた感想にようやく口を開いた。
「利用価値があるからだ」
「利用価値ですか」「戦力ではないと」
「そうだ」
グラスを机に置いてから続ける。
「彼奴を睨み、殺すために追いかけてくれるのなら価値がある」
ダンジョンは攻める、守るの二つがある。
どちらに進むにしろライヒがついた側がオルドホルムにとって有利に働く。
どちらに進むかそのものの理由を作れるならば大いに意味がある。
単純戦力よりもよっぽど戦場と戦況の制御の方が価値があるとギュストークは考えていた。
「だが、ライヒが乗って来ぬならば」
「ならば?」
「ライヒとの舌戦の手札になるであろう」
謀士としての笑みがギュストークの顔にみっちりと浮かんでいた。




