第七話 戦場帰りの俺と、まだ知らない気持ち
その日の夜、
アルベルトは、亡き兄を思う。
最後に会ったのは、
アルベルトが十歳になったばかりの頃、
王都の騎士学校に通っていた兄が帰省した時だった。
八つ離れた異母兄は、
あまり体格には恵まれていなかったように思う。
女性的な顔立ちで、
小柄で、細身で……
しかし、
手合わせしていただくと、
どんなに打ち込んでも、
瞬く間に、私の剣は兄の剣に巻き込まれるように吸い上げられ、弾き飛ばされた。
「技こそが力だよ。」
――兄の言葉。
とても、流麗な剣技を修めていた。
必ずや、戦果を持ち帰る。
と、宣言して出征していった。
その四年後、帰らぬ人になり、
遺体は損壊が激しかったらしく、戻らなかった。
しかし、
兄の戦功は著しく、男爵だった父は伯爵になり、
家も大きくなった。
この家に必要だったのは、兄上のような人だ。
そして私にとっても、兄上は目標そのものだった。
その兄の、仇が、
あの、編入生のタルク、だと……
奴は私と同級生であり、
兄が帰らぬ人となった時、
つまり、去年は、十四だったはずだ。
その時兄は二十二。
……汚い手を使ったに違いない。
よく思い返してみれば、ここ二日の奴の言動には気品などなく、平民程度の礼儀も備わっていない。
そんな奴が叙勲だと。
爵位を与える、だと……!
あのような者に、それを与えるだなんて、
認められるわけがない。
父の言う通り、支配は血によってなされなくてはならない。
……レオナルト兄上が、そうであったように。
あんな者、認めるわけにはいかない。
兄上の死に、意味を持たせるためにも。
一方、タルク達は、学生寮の前の広場にいた。
職員室の後片付けの後、三人で帰路についた。
寮の食堂はとうに閉まっている時間になっていたため、アイリーン先生が、簡単なサンドイッチを持たせてくれたので、マルコスの提案で、広場のベンチに腰掛けて食べることにした。
「ほれ。
……ほら、ミーナちゃんも。」
「おう」「ありがと、うございます」
マルコスから手渡されたサンドイッチを一口頬張る。
うまい。
挟まってる野菜も、一緒に挟まれた塩気の効いた干し肉みたいなのも。
残りを口に突っ込む。すげぇうまい。
「お、それ、気に入ったのか?」
「ふまい!」
うまく喋れなかったので、ベンチに座ったまま、ジタバタ動く。
「ダハハハ!
うまいか!まだまだあるぞ!」
二つ目をマルコスから手渡される。
うまいんだけど、口の中の水分を持っていかれてなかなか飲み込めない。
ふと、ミーナを見ると、まだ一つ目の半分も食べていない。
……口がちっちぇもんな。
なんか、一生懸命動いてて、ヘビに追われる砂漠うさぎみてぇでかわいいな。
マルコスはタルクに、呆れたように肩をすくめた。
「お前さぁ……食い方が野生なんだよ」
「腹減ってんだから仕方ねぇだろ」
ようやく飲み込んで息を吐く。
口の中が乾いてるのに気づいて、少しだけ舌を回した。
「はい、お水」
横から差し出される小さな水筒。
ミーナだ。
「あ、悪い」
受け取って一口飲む。
やっと落ち着いた。
「……生き返る」
「大げさです」
ミーナは少しだけ笑って、自分のサンドイッチに戻る。
……さっきより、少しだけ距離が近い気がした。
マルコスはそんな様子を見て、ニヤニヤしている。
「へぇ〜?」
「なんだよ」
「いやぁ? さっきまで胸だなんだで揉めてたのに、もう夫婦みてえだなって思ってな」
「揉めてねぇ!」「揉めてませんっ!」
「揉めてたじゃねぇか!」
二人同時にツッコまれて、マルコスが吹き出す。
「息ぴったりじゃねぇかよ」
「うるせぇ」「うるさいです」
また同時。
「ほらな?」
「……」
ミーナと一瞬目が合って、すぐ逸らす。
……なんだこれ。
さっきまでの空気とは違う。
でも、悪くない。
むしろ――
「タルク」
「あ?」
マルコスの声が少しだけトーンを落とした。
「……さっきの話だけどよ」
来たか、と思った。
「お前さ、何もんなんだ?」
「……俺は……」
俺が言い淀むのを見てマルコスは続ける。
「でもよ」
少しだけ真面目な顔になる。
「お前が何でも、俺はお前が気に入った。」
だけどな、と前置きして、
「普通っての、ちゃんと覚えとけよ」
「普通?」
「そ」
マルコスはサンドイッチをかじりながら続ける。
「お前が前にいたところのことは知らねえけど、
ここじゃ、いきなり殴ったり殺しかけたりすんのは御法度なんだよ。」
「……知ってる」
「いや、わかってねぇな?」
軽く言うけど、目は笑ってない。
「知ってるのと、できるのは別だろ」
「……」
言い返せなかった。
さっきの自分を思い出す。
あのままいってたら、たぶん止まれなかった。
「……で、あのオッサン誰なの?」
「……ボドロフ」
これには、少しマルコスは面食らった顔をした。
「ああ……、あの、
……ボドロフ伯、
戦場の知将、ボドロフ・ド・ファルマス……伯爵、か……」
「……あれが、知将って顔かよ」
へへっとマルコスは笑ってみせるが、
すぐに真面目な顔になる。
「……もう、わかってるだろうけどよ、
アルベルトの父親だぜ?」
「ああ……
そうだな。」
沈黙。
俺は、マルコスからサンドイッチを取ると、立ち上がる。
これ以上はこいつらに迷惑がかかる。そんな気がした。
やっぱり、俺なんかが、平和に生きるなんて……
許されねぇんだ。
こいつらといるのは楽しい。
楽しいからこそ思ってしまう。
――俺なんかが、こんなところにいていいのか?
学園にとっての俺は、どうしようもなく異物で。
どこか、戦争してる国に行って、傭兵でもするかな。
「……ねえ」
沈黙を破ったのはミーナだった。
足が止まる。
俺は、背中でミーナの言葉を受ける。
「……レオナルトさんって?」
少しだけ、間。
夜風が抜ける。
広場の灯りが、やけに明るく見えた。
「……昔の知り合いだ」
短く、それだけ。
「知り合い……?」
ミーナの声が、少しだけ揺れる。
「戦場で、な」
それ以上は言わない。
言う気も、なかった。
けど。
「……いい奴だった」
気づいたら、そんな言葉が出ていた。
自分でも、少しだけ驚く。
――ああ。
そうだな。
いい奴だった。
少なくとも、俺にとっては。
後ろで、小さく息を呑む気配。
ミーナか、マルコスかはわからない。
「……そっか。
……好きだったんだね。」
その瞬間、たくさんの、レオナルトとの思い出が溢れる。
その多くが笑顔。
そっか。
あの、死に顔ばっかりがレオナルトじゃねぇからな。
「ああ。
あいつが、好きだった。」
空を仰ぐ。
「……最初は、大っ嫌いだったんだ」
「……うまく言えねぇけど、
あいつが……隣にいれば、それだけで、
俺は、それだけでいいと思ってたんだ。」
ミーナは胸の奥がざわめくのを感じる。
――まただ。
レオナルトさんのことを聞くとなんだか、苦しい。
「タルク。」
マルコスは真面目な顔をする。
よそ行きの顔とも、いたずらそうな顔とも違う。
「俺は、お前が好きだぞ。」
ミーナの胸が高鳴る。
「お前は、俺が今まで知ったどんな奴より、面白い。
……ちょっと、危ねえところもあるけど、
俺はお前を、もっと知りたいと思うよ。」
「マルコス……」
あああ、やっぱりだ!
やっぱりタルク君は男の子の方が好きな人なんだ!
ミーナは思わずドギマギしてしまう。
こんな大事な場面に私はこんなところにいていいんだろうか?
マルコスはタルクに一歩近づき、肩に手を置く。
目が離せないミーナ。
顔がどんどん熱くなる。
「ミーナちゃんも、だろ?」
突然ミーナに振り向く笑顔のマルコス。
「わわわ、私は……!
まだ、そんなの、早いと思いますっ……!」
「……それに、その……
男の子同士なんて……!」
「タルク君は、レオナルトさんとも、その……!」
矢継ぎ早に。
真っ赤な顔で俯くミーナ。
「あのな、ミーナ。
レオナルトは女だぞ?」
「……ふえっ?」
一瞬、時が止まる。
「ブハッ!
ちょ、ミーナちゃん、俺も普通に女の子の方がいいって!」
マルコスが吹き出す。
「ち、違っ……!
違うの!……今のは、その……!」
真っ赤な顔で全身を使って“違う“を表現するミーナ。
その様子を見て、
俺も笑った。
――馬鹿笑いとは全然違う。なんだか春の日差しみたいに暖かい。
「二人とも、ありがとな。」
マルコスの大笑いと、ミーナのジタバタが終わるのを待って、言う。
「……お前ら二人になら、いつか、きっと。
……いや、絶対……話すよ。」
いつもの口調より、丁寧に。
そうするべきだと思った。
俺のことをこんなに真剣に考えてくれる奴は、今まで数えるくらいしかいなかった。
こいつらに答えたいと、
こいつらに誇れる自分でありたいと、そう思う。
それから三人は二、三言葉を交わして、「また明日」と言ってそれぞれ帰寮する。
自室に戻って、扉を閉めた瞬間だった。
「~~~~っ!」
ミーナは真っ赤な顔のまま、ベッドに突っ伏した。
男の子同士じゃなかった。
レオナルトさんは女の人だった。
それは、よかった。よかった、はずなのに。
じゃあ、なんで私はあんなに慌てたのだろう。
なんで、あんなに胸が苦しくなったのだろう。
タルク君が、誰かを好きだって言った時。
その誰かが、自分の知らない人だった時。
あんなふうに優しい顔で、遠くを見るみたいに笑った時。
――
「……なに、これ」
胸の上に手を置く。
「……これが、そう、なのかな……」
どきどきしている。
まだ、ずっと。
今日だけで、何度目かわからない。
この気持ちの正体は、いったいなんなんだろう。
私には、この気持ちがいったいなんなのか、相談できる同性の友達は、いない。
故郷の小さい村には同年代の子はいなかったし……
話を聞いてくれそうなお姉さんは少しいるけど……
自分の中にも、その答えはない。
唯一と言っていい、恋に関係している知識……
王子様とお姫様の恋のお話。
「でも……タルク君は、王子様とは違いすぎるよ……」
枕に顔を埋めて、
足をパタパタする。
お父さんとお母さんは、どうだったんだろう。
もっと、話を聞いておいたらよかったな。
「ああっ……!
もうこんな時間、早くお風呂に行かなきゃ!」
バタバタと忙しなく準備する。
お風呂に行って、早く寝なきゃ。
髪を乾かす時間、あるかなぁ。
一方、タルクの自室では、
部屋に入った途端、どっと疲れが押し寄せてきた。
ベッドに腰を下ろす。
靴も脱がないまま、しばらく動けなかった。
「……つかれた」
小さく呟く。
身体が重い。
職員室で暴れたからじゃない。
それだけじゃない。
怒って、
泣いて、
笑って、
腹までいっぱいになった。
たった一日で、あまりにもいろんなことがありすぎた。
ふと、ベッドの脇に立てかけた剣へ目が向く。
もちろん、今の俺の訓練用の剣だ。
でも、一瞬だけ、あいつの剣に見えた。
装飾の少ない、地味な剣。
貴族らしくないって、本人はぶつぶつ言っていたくせに、ヤバい時には絶対に持って戦った剣。
「……レオナルト」
名前を口にすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
……でも、不思議だった。
今日は、あの死に顔だけじゃなかった。
武器屋で剣を選んだ時の、澄ました顔。
軽口を叩いた時の、呆れた顔。
たまに、ほんの少しだけ笑った顔。
からかって、真っ赤になって怒る顔。
そんなのまで、思い出した。
「……好きだった、か」
自分で言った言葉を、もう一度なぞる。
変な感じだった。
今まで誰にも、あんなふうに言ったことはなかったからだ。
けど、嘘じゃない。
あいつが隣にいるだけでよかった。
あいつが生きていてくれれば、それでよかった。
男とか女だとか、
そんなことはあの頃の俺にとってはどうでもいいことだった。
ただ、あいつがいるのが当たり前だった。
「……話す、か」
天井を見上げたまま、ぽつりと呟く。
マルコスとミーナの顔が浮かぶ。
うるさくて、
遠慮がなくて、
でも、あったかい奴ら。
あんなふうに、俺のために怒ったり、泣いたり、笑ったりしてくれる奴なんて、そうそういなかった。
だから、思ってしまう。
もしかしたら。
もしかしたら、ここにいてもいいのかもしれないと。
……いや。
まだ、そこまでは無理か。
そこまで考えて、ひとりで鼻を鳴らす。
「普通、ねぇ……」
マルコスの言葉を思い出す。
普通。
平和。
学園生活。
どれも、俺にはまだ遠い。
でも。
今日、少しだけ笑えた。
あいつのことを思い出して、それでも笑えた。
それは、たぶん。
悪いことじゃない。
タルクはようやく靴を脱ぐと、そのままベッドに倒れ込んだ。
瞼を閉じる。
春の夜は静かで、
ここでは、
戦場みたいな血の臭いもしない。
代わりに残っていたのは、
ミーナの慌てた声と、
マルコスの馬鹿みたいな笑い声だった。
「……また明日、か」
その言葉を最後に、
タルクの意識は、ゆっくりと眠りへ沈んでいった。




