第六話 戦場帰りの俺と、“きゅう友“たち
あの後、結局、ボドロフの野郎は意識を失ったまま職員室から運び出された。
割れた机、ひっくり返った椅子。
教職員は総出で後始末に追われている。
マルコスとアイリーン先生も、その中にいた。
――で。
俺はというと。
大泣きするミーナにしがみつかれたまま、身動きが取れねぇ。
さっきまでの勢いはどこへやら、
腕に力なんか入っちゃいないのに、なぜか振りほどけない。
時折、片付けの合間にこっちを見るマルコスと目が合う。
……なんだその、生ぬるい視線は。
やめろ。何も言うな。
でも、この時間のおかげで、少しわかったことがある。
ボドロフのクソ野郎を、許す日なんて来ない。
……たとえ、殺したとしても。
それでも、何も変わらない。
それと。
この平和な世じゃ、
人を殺すってのは、思ってたよりずっと遠い。
それと。
人ってのは案外、暖かい。
こうやって、俺を止めるためにしがみついて、ずっと泣いてるミーナも。
俺がしでかしたことの後片付けをしてくれてるマルコスも。
アイリーン先生も、俺を止めようとしてくれた。
それが、……なんて言うんだろうな。
うまい言葉が見つからねぇけど、少しだけ、救われた気がする。
「……ありがとな。」
俺の胸に顔を埋めるミーナの頭を撫でる。
「もう、……絶対にしないで」
ようやく落ち着き出したミーナは上擦った声で言い、顔を上げる。
すげえ近くで亜麻色の髪が揺れる。
――近い。
すぐにでも唇が触れ合いそうな距離。
「うわっ、すげえ鼻水。」
「へっ!?」
ミーナの鼻水に気づくと、俺は反射的に手を動かした。
ミーナの上着の内ポケットに手を突っ込む。
確か、この辺にハンカチをしまってるはずだ。
スパっとハンカチを取り出すと、そのままミーナの顔に押し当てる。
ぐいぐいと拭いた。
たくさん泣いたからだろうか、ミーナの顔は真っ赤だ。
ハンカチをたたみ、元のポケットに戻す。
「ほら、きれいになったぞ。」
ニッと笑って見せる。
「そ、」
「そ?」
「そんなとこに手を入れないでくださいっ!」
「え?
……ああ。
……そこに入れてるの、知ってたからな。
大丈夫だ。あんま気にならなかったから。」
「き、気にならっ……」
ミーナは顔をさらに赤くして俺を突き飛ばす。
「ど、どうせ小さいもんっ!」
「いや、別に――」
言いかけて、やめる。
……なんか、まずい気がした。
ミーナは顔を真っ赤にしたまま、自分の胸を抱き、数歩だけ後ろに下がる。
さっきまでみたいに、しがみついてはこない。
でも。
完全に離れるわけでもなくて、
少しだけ距離を置いたまま、こっちを見ている。
――警戒、されてるな。
まあ、そりゃそうか。
さっきのは、完全に俺が悪い。
「……悪かった」
ぽつりと、言う。
ミーナは一瞬きょとんとして、
「……うん」
小さく頷いた。
それから、少しだけ迷うようにして。
そっと、俺の袖をつまんだ。
強くじゃない。
でも、離れないように。
「タルクぅ……」
背後から、妙にねっとりした声。
振り返ると、腕を組んだマルコスが立っていた。
「お前さぁ……さっきまで人殺しそうな顔してた奴とは思えねぇな?」
「うるせぇよ」
「あんなに女を泣かせるなんて、罪な男だねぇ」
わざとらしく涙を拭う仕草までしやがる。
「やめろ」
「で、その直後に女の子の胸に手ぇ突っ込むと」
「それは違ぇって!ハンカチをだな……!」
思わず声が大きくなる。
「ほーう?」
さらに一歩近づいてきたマルコスが、ニヤニヤしながらミーナを見る。
「で、ミーナさん的にはどうなんですかねぇ?」
「な、な、な……!」
ミーナは言葉にならない声を上げながら、さらに顔を真っ赤にする。
「ち、違いますっ!
これは、その……タルク君が勝手に……!」
「ほうほう、勝手に」
「もうっ!」
もう一回突き飛ばされた。
――その時だった。
「……お前たち」
低く、よく通る声。
振り返るまでもない。
アイリーン先生だ。
「片付けを手伝うでもなく、
ずいぶん楽しそうだな?」
にこりともしていないのに、笑っているように見える。
……あれは、やばい。
「いや、これはその――」
「言い訳は聞かん」
スパン、と乾いた音。
次の瞬間、頭に衝撃。
「いっ――!」
さっきと同じ、あの棒だ。
「職員室を壊した張本人が、
よくものんきにいちゃついていられるな?」
「いちゃっ――!」
否定しようとした瞬間、もう一発。
「ぐっ!」
「全員、片付けだ。
いいな?」
「……はい」
ミーナが小さく答える。
「お前もだ、タルク」
「……おう」
頭をさすりながら立ち上がる。
横を見ると、マルコスが肩を震わせていた。
「……笑ってんじゃねぇぞ」
「いや……はは……無理だろ、今のは……」
「後で覚えとけ」
「怖っ」
そんなやり取りをしながら、俺たちは散らかった机へ向かった。
……さっきまで、
人を殺そうとしていたのが嘘みたいに。
倒れた机を起こしながら、マルコスがぼそっと言う。
「……さっきのさ」
「あ?」
「レオナルト、だっけか」
手が、ほんの少しだけ止まる。
「……ああ」
「お前の知り合い?」
軽い調子。
でも、完全に軽いわけでもない。
――探ってる。
「……まあな」
それだけ答える。
それ以上は言わない。
マルコスも、それ以上は聞かない。
「……そっか」
それだけ言って、机を元に戻す。
ガタン、と音が鳴る。
「……にしても」
少しだけ肩を回しながら、
「さっきのお前、やばかったぞ」
「うるせぇ」
「いやマジで」
ニヤっと笑う。
「止めてなかったら、
あのおっさん、死んでたな。」
「……だろうな」
「でも」
ほんの一瞬だけ、視線を向けてくる。
「止まったじゃん」
「……」
「それだけでも、まあ上出来だろ」
それ以上は、何も言わない。
あえて踏み込まない。
その距離の取り方が、
逆にありがたかった。
――聞かれなかったことに、ほっとしたのか。
それとも、いつか話してもいいと思えたのか。
自分でも、まだよくわからなかった。
一方、タルク達とは少し離れて散らばった書類を集めるミーナは、職員室で大きな音が鳴ったすぐ後、タルクが叫んだ名前を思い返す。
「レオナルト、さん、か……」
タルク君があんなに必死になるくらいだ。
きっと、大事な人で、
ファルマス伯に酷い目に遭わされた人。
そして、きっと――もう、いない。
男の人の名前。
……でも。
(タルク君の、大事な人、なんだよね)
胸の奥が、少しだけざわつく。
理由は、よくわからない。
ミーナ自身、タルクと出会ってまだ二日。
彼のことをよく知っているなんて、まだまだ言えないけど。
世間知らずだけど、根っこはすごく優しいんだと思う。
やることはめちゃくちゃで、貴族相手でも物怖じしない。
その様子がちょっとだけ、怖かったけど、さっき、泣いてる姿を見たら、吹き飛んでしまった。
なんだか、同い年の男の子なのに、自分の知らない何かをたくさん背負っている気がする。
「ふう……」
抱えた書類を机に置く。
「……うわのそら、だな」
「アイリーン先生……
すみません。
すぐ作業に戻ります!」
「いや、いいんだ。
……タルクが怖いか?」
「……少しだけ、怖いです」
自分でも意外なくらい、すんなり言葉が出た。
「でも」
少しだけ、視線を上げる。
「それよりも、放っておけない、って思います」
アイリーン先生は少し笑って、
「そうか。
……なら、そばにいてやってくれ。」
とだけ言い、机の片付けに戻る。
「はい。」
ちょっとだけ。
ちょっと……だけ。
他方、ファルマス伯邸前。
空が茜色に染まるころ、馬車が止まる。
中から現れたのは、担架に乗せられたボドロフ。
慎重に邸内に運び込まれる。
タルクの一撃で顔は大きく膨れ上がっており、
ときおり、苦しそうにうめく。
「ああ!父上!」
邸内からボドロフを迎え入れるのはアルベルト。
担架を担ぐ従者に悪態をつく。
「もっと、慎重にお運びしろ!
……そのまま寝室へ!」
「うう……
アルベルト……」
「はい!
……なんでしょう、父上。」
「……寝室へ、来い。」
「はい!」
ボドロフの寝室。
――貴族でも、辟易するような、豪華な装飾が散りばめられたベッドにボドロフは横たわり、従者を下がらせる。
仰向けのまま、大きく息を吐く。
アルベルトに顔を向けることもなく、重々しく口を開く。
「……奴を、
レオナルトの無念を晴らせ。」
「はっ……?
……奴、とは?
それに、レオナルト兄様の無念……?」
「……タルクだ。
……奴こそ、レオナルトの仇」
「なんと!
あのタルクめがレオナルト兄様の仇……」
「そうだ……。
奴があの時、勝手な行動をとったせいで、
……レオナルトは死ぬことになったのだ。」
低く、湿った声だった。
アルベルトは、ぎり、と拳を握る。
「奴め……!」
「忘れるな、アルベルト。
お前の兄を奪ったのは、あの男だ」
その時だった。
控えめなノックの後、返事も待たずに扉が開く。
「失礼いたします、ファルマス伯」
入ってきたのは、年齢の読めない痩身の男だった。
華美ではないが、仕立ての良い服。
だが何より、その声音に逆らうことを許さぬ硬さがある。
ボドロフの顔色が変わった。
「……貴様は」
男は一礼すると、淡々と告げる。
「タルク氏に関する件で、王都政務府より通達に参りました」
アルベルトが眉をひそめる。
「父上、この者は……?」
「……中枢の使いだ」
苦々しく絞り出すような声だった。
使者は構わず続ける。
「当人は王命により学園に在籍しております。
将来的な叙勲、ならびに爵位授与を視野に入れた教育措置です」
アルベルトが息を呑む。
「なっ……あの男が……?」
「ゆえに」
使者の目が、静かにボドロフを射抜く。
「これ以上の私的接触、報復、干渉は控えていただきたい」
「……控えろ、だと?」
ボドロフの声に、怒気が滲む。
「伯が本日学園で起こした騒動についても、すでに報告は上がっております」
淡々と。
それゆえに逃げ場がない。
「次があれば、伯個人の問題では済みません。
ファルマス伯家としての責を問うことになります。
……もう一つ。
本日の学園が被った被害については、弁済額を算定し、後程、伯に請求いたします」
寝室に沈黙が落ちた。
ボドロフのこめかみに青筋が浮く。
だが、何も言い返せない。
使者は最後に一礼した。
「以上です」
それだけ言い残し、静かに部屋を去っていく。
扉が閉まった後も、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、ボドロフが低く嗤う。
「……見たか、アルベルト」
「父上……」
「王国は、あの下賤を庇っている。
本来あるべき秩序を曲げてまでな」
アルベルトの表情が険しくなる。
「……なぜ、そこまで」
「力があるからだ」
吐き捨てるように言う。
「血も家柄も持たぬ犬でも、
使えるなら拾い上げる。
それが今の王国だ」
ボドロフは腫れた目を細めた。
「だからこそ、忘れるな」
低く、深く、染み込ませるように。
「レオナルトを奪ったのが誰か。
そして、誰がその下賤を守っているのかを」
アルベルトは俯いたまま、ゆっくりと拳を握った。
「……はい、父上」
その声は静かだった。
だが、静かだからこそ危うかった。
その拳の中で、兄への敬愛と憎悪が、見分けもつかぬまま固まり始めていた。
そんなこと、つゆにも知らない俺は、
アイリーン先生に命じられるまま、壊れた机の脚を抱えていた。
「おいタルク、そっちはこっちだ」
「ん? ああ」
返事をしながら机を運ぶ。
思ったより重くはない。
けど、なんだか今日は、身体の芯に変な疲れが残っていた。
さっきまで頭の中を焼いていた怒りは、もうない。
……いや、消えたわけじゃねぇ。
ただ、奥の方に沈んだだけだ。
沈んだまま、たぶん消えねぇ。
「タルク君、それ、こっちです」
少し離れた場所から、ミーナが声をかけてくる。
さっきまでみたいにべったりではない。
けど、完全に離れたわけでもない。
その距離が、なんだか妙に心地よかった。
「おう」
机を下ろすと、ミーナがそっと位置を直す。
指先はまだ少しだけぎこちない。
……胸の件、まだ根に持ってるな。
「……なんだよ」
「なんでもありません」
つん、とそっぽを向かれる。
でも、耳が赤い。
その様子に、少しだけ笑いそうになった。
――戻ってこないものは、確かにある。
でも。
全部が全部、失くなったわけじゃないのかもしれない。
そんなことを、
らしくもなく考えていた。




