第四話 戦場帰りの俺と、アイツ
昼食を満喫したタルクは、マルコスとミーナに両脇を抱えられて教室に戻った。
文字通りの肉の山を完食したタルクは、その場で寝てしまったのだ。
せめて午後の授業までは、とタルクを起こさずに彼らは自らの席へ戻る。
一方のタルクは、夢を見ていた。
◇
珍しく、戦闘が途切れた昼下がり。
前線で待機を命じられたタルクは、地べたに座っていた。
隣には最近やたら一緒にいるレオナルト。
戦闘中にタルクが背中を任せてもいい、と思えるほど息が合い、こうして何でもない時間も共に過ごすようになった。
でも、こいつとは、最初から気が合ったわけではなかった。
手柄にうるさく、身分の貴賤にうるさく……挙げればキリがないほどで、タルクとはその価値観の違いが多すぎた。――例えば水と油のように、全く合わない。
特に、最初はひどかった。
レオナルトと初めて共に戦場に立ったのは、俺が十歳になる頃だった。
その時、俺が所属していた小隊の副官が「新人を紹介する」と言って連れてきたのがレオナルトだった。
「私は、レオナルト・ド・ファルマス。
……この隊に配属されることとなった。
よろしく頼む。」
綺麗な顔をして、フルプレートの高そうな鎧を着て。
小隊の面々を見回しながら、毅然とした態度で。
俺は、「どうせこいつもすぐ死ぬんだろうな」と思ったっけ。
だがそれはレオナルトにとっても同じだったんだろうな。
事実、俺が所属していた小隊は「あそこに配属されたら死ぬ」と噂されるほどよく死者を出す隊だった。
この時のレオナルトも、その半数を失った小隊への補充兵としての配属だったんだろうし。
あいつは出会ったばかりの小隊員をゆっくりと指揮官みたいに見回して、俺と目が合った。
「何だこの子供は?
なぜここにいるのか?」
あからさまに不快な顔をして。
――スゲェ不愉快そうだったよな。
……まあ、そういうのを隠すのが苦手な奴だったし、それはしょうがない。
それよりも、だ。
この時の俺の返答は、今思えばただの野卑たものだったことを思い出し、隣のレオナルトに気づかれないように頭を掻く。
「フルプレートのお坊ちゃん!
ちょっとばかり背が高いからって偉そうにすんなよ!」
そう言い放って俺は剣を抜いた。
レオナルトもすぐに反応して腰の剣に手を伸ばした。
「やめろ!タルク!」
副官の怒声。
「なんでだよ!
こいつも俺と似たような歳だろ?
バカにする奴にはわからせてやる!
それはアンタだっていつも言ってることだろ!」
俺は地団駄を踏む。
「……いいから剣を納めろ。
それに、レオナルトは十八だ。
王国の騎士学校を出た有望株だぞ。」
「はあっ!?俺より八つも上っ!?
女みてえな顔してるくせにっ!」
「なんだと……?」
これには様子を見ていたレオナルトが食いつく。
「……取り消せ。
その口の聞き方は看過できない。」
「うるせぇや!
せいぜい死なねぇように気をつけるんだな!
女みてえなフルプレートのお坊ちゃんっ!」
俺が一気に捲し立てた時、自陣の角笛が鳴り響いた。
「……また、戦闘か。」
やれやれ、と副官。
「……。
我が力は、剣によって証明する。」
レオナルトはタルクを見据えていた目を帝国領に向け、静かにそう言った。
俺は、その態度も気に食わなかった。
……そんなことを考えてる暇はねえ。今は、目の前の帝国野郎を一人でも多く斬ることが優先だ。
それは、俺が覚えた戦場の全て。
斬られる前に目の前の敵を斬れば、生きていられる。
――たったそれだけの簡単なことを、やる。
……五年、そうやってきた。
俺は駆け出した。
帝国領側、砂煙が上がっている方へ。
「待てっ!」とレオナルトの声が聞こえるが無視だ。
「タルクに続けー!」
副官が叫び、小隊が動く。
俺の後ろを駆けてくるが差は縮まらない。
すぐに帝国兵の最前列が見えた。
そのまま突っ込んでいく。
他の小隊もまだまだ後方。
慌てふためく帝国兵の鎧の隙間に剣をねじ込む。
断末魔と血飛沫。
そのままの勢いで蹴り上げ、反動で次の兵へ飛ぶ。
頸元を斬る。血飛沫。
何が起こっているのか信じられないといった目。次。
斬った兵が倒れるより早く次を斬る。
タルクがそうして五人目を斬った時、小隊が追いついた。
あっという間に乱戦。
そこにレオナルトの姿はなかった。
……死んだかな?
敵を斬る。
あんな重そうな鎧付けてたらそりゃあまともに動けねぇもんな。
敵を斬る。
視界の隅に大きな銀色。レオナルトだ。
息があがっちまってる。
剣も鈍い。
あいつ、すげえ目立つし、そりゃあ指揮官クラスと思われてもしょうがない格好だからな。
……そりゃあ狙われるよな。
レオナルトを取り巻く帝国野郎共に気づかれないよう、俺は、乱戦の中を、倒れた体を踏みつけながら駆ける。
背を向けるやつらの一人の足を斬り、残る二人に致命傷をつける。
「しっかりしろよ!
初日で死ぬ気か!?」
手を取り引き起こそうとするが、レオナルトは俺の手を振りほどく。
息も絶え絶えに、足を斬られてもがく帝国兵にとどめを指したレオナルトは
「ハァッ!ハァッ……!
これで、殺害戦果ひとつ……」
「殺害戦果……?
そんなもんどうだっていいだろうがっ!」
「……どうでもいいわけない。
絶対に必要なものだ。」
「ああ!?
何のために!?」
「名のためだ。……名誉のためだ。」
「バカじゃねえの?」
「なんだと?」
「たくさん殺したいのはわかったよ。
じゃあ、そのフルプレートは何なんだ?
満足に走ることもできねぇ、ただの目立つ棺桶じゃねぇか。」
「くっ……!」
うおー!と上がる声。
帝国野郎どもめ、態勢を整えたな。
「……ほら、また来たぞ。
一人でも斬ってみろよ。」
レオナルトを一瞥して俺は声の上がる方へ駆け出した。
「言われるまでも、ないっ!」
「へんっ!
どんガメ棺桶め!
斬れる奴が残ってたらいいな!」
俺は、きっとこの時も、うすらぼんやりわかっていた。
俺が一人でも多く斬れば、
――その分死なないで済む奴が増えるってことを。
敵に突っ込んでいくタルクを見て、「あんな浮浪児みたいな奴に……」とレオナルトは独りごちた。
だが、奴が言うことも正しい。
確かにこの「棺桶」とまで言われたフルプレートメイルは今回の出征に備えて拵えたもので、この重さには慣れていない。
「クソっ!」
貴族らしくない言葉だ、と言ってから後悔するが、この状況を打破するには……メイルを脱ぐ他ない、と直感が告げるのも事実。
「浮浪児に手柄を全部取られてなるものか……!」
荒い息で指先が震える。焦る手で、なるべく早くメイルを外していく。
――軽い。
メイルを脱ぎ、鎖帷子だけの装備となって心許ないとはいえ、これでさっきよりは動けるはずだ。
荒い息を整える暇はない。
歯を食いしばってレオナルトは駆ける。
一人突出したタルクはすでに囲まれていた。時折噴き上げる血煙。
レオナルトは声を張り上げる。気づいた帝国兵が慌てて振り向いた。
振り下ろされる剣をいなし、空いた脇の隙間を斬りあげる。鮮血を浴びる。
一瞬、タルクと目が合う。
ニィッと笑う乳歯が抜けた口元を見て、反射的に「クソッ!」と叫んでいた。
またしても貴族らしくない言葉だと気づいたのはその後だったが。
レオナルトが二人目と斬り合っているうちに、タルクは六人を斬り伏せた。
帝国の撤退の鐘が鳴る。帝国兵は一斉に撤退を開始する。
レオナルトは目の前の帝国兵の退路を塞ぎ、立ちはだかる。
タルクは観戦を決め込む。
帝国兵の刃がレオナルトに肉薄する。
鎖帷子が火花を散らす。
次の瞬間、レオナルトの剣が帝国兵の肩口に食い込む。
膝をつき、帝国兵が力尽きる。
その様子を見て深く息をつき、膝に手をやるレオナルト。肩が激しく上下している。
「よくやったじゃねえか。」
タルクが手を差し伸べてくる。
あちこちで残敵が打たれている。
――っ、浮浪児め!
そういう気持ちがないといえば嘘になるが、レオナルトは、今度はタルクの手をしっかりと掴み、背を伸ばす。
鎖帷子は腹から肩まで裂け、無残に垂れ下がっていた。
その下、覗いたのは――
明らかに、男のものではない身体の線。
「あっ!」
身をよじるレオナルト。
――だったら、と、俺は怒りが湧く。
「……お前っ!」
撤退の始まった戦場で。
俺は思わず怒鳴る。
「舐めてんのかよ!
そんな身体で、あんなクソ棺桶着て!
そんなに死にたかったのかよっ!」
身をよじり、座り込んだレオナルトは、
「私は、名を上げるために来たっ!
……断じて死ぬためではない!
それに、誰が好きで女になど生まれるものかっ!」
「女がどうこうとか関係ねぇだろっ!
お前が一番、女ってことを気にしてんじゃねぇか!」
「ち、違う!
っ私は!」
「装備は自分の体にあったものを使え!
……これは、いっつも俺が言われてたことだ。」
レオナルトは息を呑んだ。
言い返そうと開いた口が、うまく言葉にならない。
「……わかったなら、次からは走れる装備にしろ。
死なれたら、助けた意味がねぇ。」
吐き捨てるようにそう言って、俺は地面に落ちた外套を拾い、レオナルトに投げつけた。
「隠せよ。風邪ひくぞ、バカ。」
レオナルトは外套を身体に巻き付ける。
「バカは余計だ。
……あと、私が実は女だということは、
……内密にしてくれ。……頼む。」
「ないみつって何だよ?
……甘いやつ?」
レオナルトは少し目を丸くすると、
「……違う。
秘密にしてくれって意味だ。」
そう言うと、レオナルトは少し笑った。
俺たちは王国陣地に向けて歩き出す。
次の戦闘の準備をしなくては。
レオナルトは何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。
後で知ったが、この時、俺の小隊は、こいつと俺以外みんな死んでた。
だから、小隊の広くもない天幕が二人だけのものになったってのは広く使えて大満足だった。
あいつらの分まで配給された夜飯も、……まあ、いつも通りうまくないんだが、腹いっぱいだったしな。
補充の兵はなかなか来なかった。
だから俺とレオナルトはいっつも待機。
基本、喋らない俺たちだったけど、ある夜レオナルトが、
「私は、父に男として育てられた。
……弟が生まれるまでは特に厳しく、な。
まあ、父は跡取りが欲しかったんだろうから……な。
名前も、男の名だ。」
天幕の中は暗かった。
小さな灯りがひとつ。外ではまだ、負傷兵のうめき声や怒鳴り声が聞こえている。
俺は、配給の固いパンを噛みながら、へえ、とだけ返した。
「……それだけか?」
「ん?
だって、そういうもんなんだろ?」
レオナルトは眉をひそめる。
「そういうもの、ではない。」
「でも、お前んとこの親父はそうしたかった。
お前はそうされた。
そんで今ここにいる。
……それだけじゃねぇの?」
俺はスープみてぇな薄い汁をすすった。
うまくはない。でも腹は膨れる。
レオナルトはしばらく黙っていた。
鎖帷子の切れ目を縫う手が止まる。
「お前は、本当に……変なやつだな。」
「よく言われる。」
「普通は、もっと驚く。
あるいは気味悪がる。」
「気味悪いのは、お前のクソ棺桶の方だろ。」
「まだ言うか……!」
怒鳴る元気は残っていなかったらしい。
レオナルトは肩を落として、それでも少しだけ笑った。
「……私は、名を上げれば、父に認められると思っていた。」
「ふうん。」
「女でも、弟ではなくても、
家の役に立てると証明できれば、何か変わるかもしれないと。」
「変わるのか?」
「……わからん。
だが、他に何がある?」
その言い方が、少しだけ寂しそうだった。
俺はパンを飲み込んでから言った。
「生き残ることじゃねぇの。」
「……は?」
「名誉とか跡取りとかはよくわかんねぇけど、
死んだら終わりだろ。
生きてりゃ、明日また斬れるし、明後日も飯が食える。」
レオナルトはぽかんとした顔で俺を見る。
それから、呆れたように息を吐いた。
「……本当に、救いようのない戦場育ちだな。」
「褒め言葉か?」
「違う。」
でも、その声は少し柔らかかった。
その夜からだったと思う。
俺とレオナルトが、ただ同じ小隊にいるだけじゃなく、
少しずつ、同じ天幕にいるのが当たり前になったのは。
――
「おい!」
レオナルトに肩を叩かれる。
「何を呆けている?
待機解除だ。」
「ああ、お前と出会った頃のことを思い出してた。」
レオナルトは一瞬、目を細めた。
「……もう、三年、か。」
「そっか。
じゃあ俺、十三か。
お前は……十八に、えーと、三足して……二十……九?」
「違う。
本当にタルクは数を数えるのが苦手だな。」
そう言う声は呆れていたが、どこか笑っていた。
「まあな。
指より多くなると、な」
タルクは歯を見せて笑う。
もう、生え変わる乳歯はない。
「でもさ、三年も経つのにお前、ぜんぜん背が伸びねぇのな?
そろそろ追いつくぞ。
あとあれだ、胸もでかくなんねぇよな!
この前風呂入ったとき思ったんだけど、三年前と変わんねぇし!
ハハっ!
酒場のサマンサなんか、この前溢れ落としてたぞ。」
「タルク。」
「あん?」
レオナルトは一気に鉄みたいな顔になって、俺の顔面をそれこそ鉄みたいな拳で抉るように殴る。
周りの兵士たちも大笑いした。
また始まった、という顔だ。
皆、タルクがレオナルトを「女みてえだ」とからかい、レオナルトが本気で殴る、この妙なやり取りにすっかり慣れていた。
……まあ、誰一人として、レオナルトが本当に女だとは思っていないのだが。
さらにレオナルトに襟固めされ、耳元で小声の早口が飛んでくる。
「入ってくるなと言ったのに、勝手に入ってきたのはお前だろ。そんなにサマンサがいいなら、さっさとサマンサのところへ行け。その時はお前を殺してやる……」
◇
俺は、落ちたような感覚を覚えて、必死に落ちないように身体をこわばらせる。
『ガタンっ』と何かが崩れるような音。
ガバッと顔を起こすと教室だった。
目の前にアイリーン先生。
「起きろ。タルク。
――授業中だ。」
ああ、……死ぬかと思った。




