第二十八話 戦場帰りの俺と、ボドロフという男
「アルベルト……二十三号が帰ってきた、か」
自身の書斎の奥、隠し部屋でボドロフが呟く。
「しかし、……今、被検体としての彼奴の価値は低い……」
鉄製の牢には、椅子に座って俯き、微動だにせず、衣服は剥ぎ取られて半裸。赤黒く、裂けた右肩は乱暴に縫い留められているが、目だけは異様に見開き、強い眼光を宿す女。
「二十四号……」
「……」
「お前は最高だ……」
「……」
「お前のおかげでやっと儂も、使うことができた」
「……」
女――リタは何も答えない。
ボドロフは空になった薬瓶を放り投げ、
邪悪に笑う。
無造作に持ち上げた鉄の短槍を、
両手で掴む。
そして。
バキン!!
まるで木の枝みたいに、
短槍が二つに折れた。
「これだ――力!
若い時以上の力――」
グフフフ、
という粘ついた笑い声が、
隠し部屋にこだまする。
筋肉が膨れ上がっているわけではない。
なのに。
“人間じゃない力”。
それだけが、
ハッキリ伝わってくる。
「素晴らしい……
実に素晴らしいぞ、
二十四号」
ボドロフは恍惚とした顔で、
自分の手を見つめる。
「王国軍も、
帝国も、
貴族共も……
儂を愚弄しおって」
ギリ、と拳を握る。
「だが、
もう違う」
目が爛々と輝く。
「儂は選ばれたのだ。
新たな人を生み出す者としてなぁ!」
リタは睨み返す。
息を荒げながら。
肩から血を流しながら。
それでも。
「……化け物」
掠れた声。
ボドロフは笑う。
「そうとも。
力を持つ者こそ、
次の時代を作る」
そう言って。
「……おっと、
忘れるところだった」
上着の内側から、
細い注射器を取り出す。
淡青色の液体。
リタが僅かに震えた。
「や、め……」
「また暴れられてはかなわんからな」
躊躇なく、
首へ突き刺す。
「っ……!!」
リタの身体が跳ねた。
小さなうめき声。
薬液が押し込まれる。
じわり、
じわりと。
血管を焼くように。
「がっ……ぁ……」
牢の中で、
リタが苦しそうに喉を鳴らす。
視界が揺れる。
呼吸が乱れる。
身体から、
力が抜けていく。
ボドロフはその様子を、
うっとり眺めていた。
「良い。
実に良い反応だ」
まるで芸術品を見る目。
「二十三号よりも遥かに優秀だ……
あの出来損ないとは違う」
その時。
ドン!!
遠くで、
何かが倒れる音。
『アルベルト様を捕らえろ!!』
『逃がすな!!』
怒号。
ボドロフが顔をしかめる。
「……チッ」
だが次の瞬間。
ギィ――……
書斎へ続く隠し扉が、
ゆっくり開いた。
冷たい空気が流れ込む。
ボドロフが振り返る。
「誰だ?」
返事はない。
ただ。
暗闇の中に、
獣みたいな目だけが光っていた。
リタの薄れかけた意識が、
その目を捉える。
「……見つけたぞ」
低い声。
聞いた瞬間。
ボドロフの笑みが、
初めて僅かに歪んだ。
「クソガキめ……」
「……タルクだ。
いい加減、名前覚えろよな」
ボドロフは腰の剣を抜き放つ。
「……今から死ぬ貴様の名など、覚える価値はない」
嫌な汗が額を伝う。
八年前、敵わなかった相手、豪剣のボドロフ。
あの時からするとかなり老け込んだように見えるが、構えはあの時のまま。
一合、二合斬り合う。
見た目はヨボヨボしてるくせにかなり力強い。
もしかするとあの時よりも。
距離を開け、構え合う。
「貴様……あの時のガキか」
「やっと思い出したかよ」
「生き残っていたとは、な」
「それはテメェもだ。……だいぶジジイになったじゃねえか。あんなに簡単に殴れるとは思わなかったぜ」
「ハッ!
……今の儂を、簡単にやれると思わんことだ」
ボドロフは全身に力を溜める。
途端に膨れ上がる肉体。
「テメェも、……薬使ったんだな」
「この薬は素晴らしいぞ。
一年前に帝国が使っていたものより数段性能が上がっている」
「……そのために、何人殺した?」
「さてな」
ボドロフはニイと笑うと大きく横凪に剣を振るう。
隠し部屋の壁材ごと横に断ち、咄嗟に首を引いた俺の顎先を皮一枚斬る。
「――ッ!」
熱い。
遅れて血が流れる。
壁の向こうで鉄格子が砕け散る音がした。
俺は目を見開く。
今の一撃。
まともに受けていたら剣ごと身体が持っていかれていた。
「どうした?」
ボドロフが嗤う。
「避けるだけか?」
次の瞬間。
床が爆ぜた。
踏み込み。
速い。
八年前より速い。
重い。
そして。
迷いがない。
ガギィィン!!
剣と剣がぶつかる。
腕が痺れる。
身体ごと吹き飛ばされる。
俺は床を転がりながら距離を取った。
「チッ……」
思わず舌打ちが漏れる。
強い。
間違いなく強い。
昔のボドロフじゃない。
「ハハハハハ!!」
ボドロフが笑う。
「どうしたガキ!」
剣を振り上げる。
「八年前はもっと威勢が良かったぞ!」
その言葉で。
一瞬。
記憶がよみがえる。
――八年前。おっさんに拾われて、二年が経った頃。
前線の訓練場。
……初めて、ボドロフに会ったあの日。
俺は、七歳だった。
木剣のひと凪で大人を吹き飛ばす、豪剣のボドロフ。
俺を拾ってパンを分けてくれたおっさんは、コイツとの訓練中に死んだ。
頭上から振り下ろされた一撃で、頭を胸に食い込ませて、死んだ。
俺はそれを目の前で見た。
訓練で死ぬ。……それは、よくあることだ。だから、いい。
人なんて簡単に死ぬ。
ゲラゲラ笑ってた奴が、次の日には二度と笑えないようになる。
戦場でも、訓練でも。
でも、コイツは、死んだおっさんの身体に唾を吐きかけ、ゴミと罵った。
俺は、それだけは許せなかった。
だから、突っかかった。
あん時は一撃も与えられずにぶちのめされ、場外まで吹き飛ばされた。
それから俺は、コイツの剣を盗み見ては真似をして、少しはやれるようになった。
コイツが前線に立たなくなるまでは――
「終わりか!ガキ!」
ボドロフの左拳が鳩尾に迫る。
身をよじり、躱わす。
次は、振り下ろす剣が――
「下だ!」
右膝が俺の顔面を捉える。
「がっ!」
額から血が噴き出る。
視界が揺れる。
だが。
その瞬間。
俺は笑った。
「……何がおかしい」
ボドロフが眉をひそめる。
俺は血を拭う。
「いや」
剣を構える。
「やっぱり同じだと思ってな」
「何?」
「その膝」
昔を思い出す。
木剣で吹き飛ばされたあと。
何度も見た。
何度も盗んだ。
何度も真似した。
「剣で意識を上に向けて、
最後は足で刈る」
ボドロフの目が細くなる。
「……」
「癖が変わってねえ」
俺は踏み込む。
「だから読める」
「……口だけは達者なようだ」
ボドロフが構えなおす。
だが。
今度は俺から踏み込んだ。
ギィン!!
剣がぶつかる。
そのまま二撃。
三撃。
四撃。
ボドロフが眉をひそめる。
「……」
受けられる。
全部。
昔なら見えなかった。
昔なら吹き飛ばされていた。
だが今は違う。
右から来る。
受ける。
返す。
下段への切り返し。
知ってる。
その後の肘も。
膝も。
全部。
「なぜだ」
ボドロフが低く呟く。
俺は笑う。
「言っただろ」
剣を弾く。
「真似してたって」
ガキィン!!
大きく弾かれたボドロフの剣先。
「テメェが前線に立たなくなっても、八年間な」
ボドロフの顔から笑みが消える。
ガギィン!!
再び剣がぶつかる。
俺は受ける。
流す。
返す。
「っ……!」
初めて。
ボドロフが後ろへ下がった。
「その顔だ」
俺は笑う。
「思い出したか?」
「……」
「ガキに負けたくねえだろ?」
ボドロフの額に青筋が浮かぶ。
「調子に乗るなァ!!」
怒号。
今までより大振りな一撃。
避ける。
読める。
全部。
俺の剣が吸い寄せられるようにボドロフの肋骨の下から突き刺さる。俺の手には重要な臓器を壊した感触。――殺ったという確信。
途端に動きが鈍くなるボドロフ。
奴の身体から剣を抜き、構える俺。
「グゥ……」
よろめくボドロフ。
口からは血の泡を吹いている。もう長くない。
構えを解こうとした瞬間――
ガッ
ボドロフが俺の剣を掴む。
「……やるではないか!ガキ!」
ニイと笑う。
……確かに、心臓を貫いた感触があった。
それなのに。
「儂は、もうすでに人間ではない。
より完成された――新人類なのだ!」
腹の傷から、井戸のポンプみてえに血を噴き出させて、ボドロフは笑う。
「恐怖しろ!
そして死ねぇ!!」
ボドロフが剣を振り上げる。
その瞬間。
ゴリッ。
奇妙な音がした。
「……?」
ボドロフの身体が止まる。
額から、折れた短槍の穂先が突き出ていた。
「な……」
背後。
リタが立っていた。
「違う」
震える声。
それでも、はっきりと。
「それは、お前の力じゃない」
ボドロフの目が見開かれる。
「薬だ」
「お前は何も成し遂げてない」
「ただ、人を壊しただけ」
「儂は……新人類……」
「違う」
「化け物だ」
その言葉で。
ボドロフの顔が、初めて崩れた。
「き、きはま!」
振りかぶった剣をリタに振り下ろす。
無理やり繋ぎ止めたような右の肩口が両断され、右腕が舞い飛ぶ。
それでも構わず、残った左腕でボドロフの頭から短槍を抜き放つ。
ボドロフは額の穴から脳を溢れ落としながら、
「わ、……わひの、脳がー!」
と転げ回る。
俺は、ボドロフの首を落とした。
◇
騒ぎを聞きつけたファルマス家の使用人や、警備をしていた者たちは、ボドロフの死に一方は安堵、一方は今後の身の振り方を案じるような表情をした。
彼らにとっては、ボドロフという男は、恐怖の対象であり、金をくれる雇用主でしかなかったらしい。
致命傷だと思ったリタは、「……あんまり、痛くもないんだよね。……二十四号らしいから、さ」と困ったように笑った。
アルにはなんて話したらいいか、なんて考えていたら、「父を止めてくれて感謝する」と言われてしまった。
アルには、やるべきことが山ほどあった。
父の死。
隠し部屋。
被検体。
薬。
使用人達。
そして、ファルマス家の名。
全部が、アルの肩に落ちてきた。
だけど。
アルは文句も言わず、逃げなかった。
使用人達に助けを求め、協力を申し出てくれた者に一人一人感謝を伝え。
「……お前、変わったな」
アルはフン、と笑って、
「私が変わったのだとしたら、お前のおかげだよ。タルク」
と、まっすぐな目で言った。




