第二十二話 戦場帰りの俺と、帝国の影
「こ、殺す気かよ……」
マルコスが尻餅をついた姿勢のまま、涙目で俺を見る。
「なんだ。マルコスか」
構えた短槍を下ろす。
廊下の人の気配はマルコスだった。
階下のボドロフの怒号は、使用人控え室のクローゼットに潜んでいたマルコスにも届き、這々の体で書斎に向かったらしい。――驚かしやがって。
マルコスの手を取り、立たせると、階下へ降りる階段を上る音が聞こえた。
今度こそ、敵か、と構える俺。
こうなりゃ、ぶっ殺して進むしかない。
「待て、こっちから逃げるぞ」
アルベルトが書斎の奥を指差す。
――窓か。
書斎の中へ戻る。
俺とアルベルトはさっさと窓に向かうが、
血溜まりと死体を目の当たりにしたマルコスの動きが鈍い。
おっかなびっくり、という動きで「待ってくれー」と小声。
……めんどくせえが、担いだ方がマシそうだ。
俺はマルコスを肩に担ぐと、アルベルトが開けた窓を越える。
窓の向こうは、二階の屋根。傾斜がキツくて落ちそうになる……が、なんとか堪える。
マルコスを屋根に下ろすと、アルベルトが外から窓を閉め、進む方を指で示す。
「静かに、な」
俺とマルコスは首だけで返事をして、灯りもない屋根の上をアルベルトに続く。アルベルトを先頭にして、マルコス、俺の順。
さっきまでいた書斎からは、短い悲鳴が聞こえた。
なんとか、間に合ったな。
◇
何度も何度も足を滑らせて落ちそうになるマルコスを立て直しながら、俺たちは屋敷の裏手側から地上に降りた。
気絶させた警備兵の近くに短槍を置き、茂みに隠れて帰路に着く。
もう真っ暗な道を歩き、だんだんと寮が近づく。
あまり気にしていなかった時刻が今更気になり出す。
特にマルコスの怯えようは、伯爵邸に潜入していた時よりも顕著で、今も奥歯をカチカチと鳴らしている。
――生まれて初めて死体を見た。それも、頭がボッコリとへこんだような、普通の死体じゃない死体。大量の血も、あたりに飛び散った頭の中身も……
本当に恐ろしい思いをした。自分もそうなってもおかしくない場所にも潜入した。
……だから、マルコスの怯えようは正解だ。
怖がらねえ奴は早死にする。
俺は、冗談でも言ってマルコスを笑わせてやろうと思い立つ。
「マルコス、
さっきのアレもアレだったが、このまま門限過ぎたら、
またかあちゃんに怒られちまうな。
……その方がよっぽど怖えだろ?」
へへと笑いながらマルコスを見ると、
「いやいやいやいや、
さっきのアレの方がよっぽど怖かったわ!
なんなら、かあちゃんなんか、怖くないわ!
どっちかって言ったら、可愛い部類だわ!」
半泣きで凄い勢いで喋り出す。
「いや、かあちゃんは可愛いとかじゃないだろ。
おっかねぇよ」
「そんなことないですー!
かあちゃんは世界一可愛いですー!」
「おい、二人とも……」
「アルベルトはすっこんでてもらっていいですかー!?
お前なんか、かあちゃんの可愛さに全然気づけてないだろー?
かあちゃんはマジで王国一可愛いですー!」
「へえ」
「まぁたそんな返事しちゃって!
知ってるか!?
かあちゃんはな……」
「かあちゃんがどうしたんだい?」
「か、かあちゃん、は、……ですね」
突然の背後からの声に、恐る恐ると振り返ると、包丁と鉄鍋を持ったかあちゃん。
時刻はとっくに午後12時近く。完全に門限は超えている。
「め、めっちゃ、可愛い……です」
「あと、五分遅かったらゲンコツだったよ。
……早く手、洗って飯食いな」
それだけ言うとかあちゃんは「フン」と言って、振り返って歩き出す。
「雷が落ちなかったのは、お前のおかげかもな」
ぽんとマルコスの肩を叩くと、変な笑い顔のマルコスは
「だろだろー?
感謝してもらわないと、な!」
と、突然調子づくもんだから、かあちゃんから「調子に乗るんじゃないよ!」と雷を落とされた。
◇
三人とも、かあちゃんの監視のもと遅い夕食を摂り、風呂を済ませるとタルクの部屋に集まった。
集まったのは、今回の潜入の唯一の収穫物である「調整過程」と記された紙束の確認のためだ。
きっとこの中には、アルベルトが学園に来なかったら一週間になにが行われたかの記載があるに違いない。
一枚目の紙をめくると、そこには「被検体」の文字と、投与開始日の文字と日付、さらに二十三名の名前が書かれている。それぞれ、被検体一号から、二十三号までの番号が振られており、予想通り、アルベルトは二十三号として記載されていた。
被検体一号……
ルドルフとだけ書かれた名前を見て、アルベルトは
「父の弟にあたる叔父だろう……十年戦争末期に戦死されたと聞いていたが……」
アルベルトは続ける。
「多分、他の名前も奴……ボドロフに近い者達なのだろう。
屋敷で働き、故郷に帰ると暇を乞い、
出て行った使用人の名前もある。
……それに、この投与開始日はここ一年に集中している」
一枚、紙をめくる。
「被検体一号……投与薬、試製一号……投与直後に意識混濁……投与継続。
調整薬投与開始……拒絶反応、直後死亡確認、戦死を偽造、廃棄……」
アルベルトは、紙に書かれた記載を読みあげていく。
「この後の五人……被検体六号までが、この試製一号とやらの犠牲者のようだ。
……いずれも、拒絶反応、直後死亡で戦死を偽造されている」
「な、七号以降は……?」
マルコスの震えた声。
「ああ……、被検体七号以降は試製二号という薬に変わっている。……調整開始の後に、第一段階終了という記載が増えた者が数人いるが……
被検体十六号までが試製二号を使われて、この十名中四名が第一段階終了、筋肉肥大確認、第二段階開始後、拒絶反応、直後死亡、とある」
「筋肉肥大……」
あの戦争の最後の一年、突然現れ始めた身体が大きく、腕を切り飛ばされても動き続ける帝国兵……この前のアルベルトも突然、筋肉が大きくなった。
「続けるぞ。
……被検体十七号、投与薬、試製三号……投与後も意識を保つ……投与継続、投与三日目意識混濁。
調整薬投与開始直後、第一段階到達、筋肉肥大、……調整継続、第二段階、軽度の意識の塗り替え成功、調整継続」
「……十八号もほぼ同じだ。
ただ、十八号は、第三段階、言語命令への適応まで進んでいる。さらに、調整継続、とも」
「……十八号は、第三段階、言語命令への適応まで進んでいる」
アルベルトの声が、僅かに掠れる。
部屋の空気が重い。
さっきまでかあちゃんにゲンコツを落とされて騒いでいた空気なんて、もうどこにもない。
「……十九号は?」
マルコスが唾を飲み込む。
アルベルトは紙をめくった。
「被検体十九号……
試製三号改……投与直後より高熱。
調整継続、第一段階到達、筋肉肥大。
第二段階、軽度の意識塗り替え成功。
第三段階――」
そこで、一瞬言葉が止まる。
「……暴走」
「暴走?」
「ああ……、
命令系統の維持不能。拘束し引き渡し、王国兵七名を殺害後確認後、死亡」
マルコスの顔が青ざめる。
「ひ、引き渡し……
……誰に?」
「多分、
……帝国だろ。」
俺は短く答える。
アルベルトは無言で次をめくる。
「被検体二十号……
試製四号。
第一段階到達。
第二段階成功。
第三段階成功。
言語命令への高適応を確認――」
紙を持つ指に力が入る。
「……第四段階移行時、
肉体崩壊。
死亡」
「第四段階……」
マルコスが呟く。
まだ先がある。
その事実に、背筋が冷える。
「二十一号……
試製四号改。
第二段階成功後、
自我消失。
命令への完全服従を確認。
……三日後、
心停止」
アルベルトは、
そこで一度目を閉じた。
「二十二号……
試製五号。
第一段階成功。
第二段階成功。
第三段階成功。
第四段階――」
ごくりと、
マルコスが喉を鳴らす。
「戦地投入試験開始」
部屋が静まり返る。
戦地投入。
つまり、
実際に戦場へ出した。
俺は思い出す。
最後の一年。
妙に身体がデカく、
痛みを感じず、
腕を斬り飛ばされても突っ込んできた帝国兵。
あれが、
これか。
「……結果は?」
俺が聞くと、
アルベルトはゆっくり読み上げる。
「極めて良好。
ただし継戦時間に問題あり。
投与量の再調整を要する。
……投与薬名を実用試験一号とする」
その記述には、
人間に対する感情が一切なかった。
まるで、
壊れた武器の報告書だ。
マルコスは、
青ざめた顔で首を振る。
「頭、おかしいだろ……
こんなの……」
「ああ。
だが、成功し始めてる」
だから厄介だ。
失敗だけなら、
狂人の妄想で終わった。
だが、
成功例が出始めてる。
だから、
止まらない。
アルベルトは、
最後の一枚へ手を伸ばす。
紙の端が、
僅かに震えていた。
「……被検体二十三号。
投与薬、実用試験一号改」
部屋の空気が止まる。
マルコスが、
ゆっくりアルベルトを見る。
アルベルトは視線を落としたまま、
続きを読んだ。
「投与後、
高い適応性を確認。
第一段階、
異常なし」
紙を持つ手が震える。
「第二段階、
意識抵抗あり。
塗り替え不完全――」
アルベルトの声が、
少しだけ低くなる。
「だが、
極めて稀な“自我維持状態”を確認」
俺は黙ったまま聞いていた。
「第三段階、
移行途中に逃走」
最後の一文。
「……完成目前」




