第二十一話 戦場帰りの俺と、伯爵邸②
タルク達三人が裏口から屋敷に潜入した頃、同じ伯爵邸の主人であるボドロフは、執事とともに自らの書斎にいた。
左頬は赤黒く腫れ、その痛みもあってか、酷く興奮して執事を手に持つ杖で殴る。杖の持ち手には大きく張り出したコブが付いており、柄を握るボドロフは容赦なく、四つん這いの執事の頭部を執拗にコブの部分で打つ。
既に執事の頭や顔の皮膚は、何箇所も潰れ、破け、血に塗れているが、ボドロフは一切躊躇しない。
「まだアルベルトの消息はわからんのか!」
杖を振る。
ゴッという鈍い音を立て、執事が短く呻く。新たに破けた皮膚からは血を吹く。床に散る鮮血。
「も、申し訳ございません……!
現在も、捜索の手を緩めずに……」
ゴッ
執事の言葉は再び振られた杖の衝撃に遮られる。
「まだ、調整が中途半端だったんだぞ!
意識を取り戻していたらどうするつもりだ!貴様!」
「ああっ!お許しを!」
杖を大きく頭上に振りかぶり、振り下ろす。
杖のコブは、執事の頭に触れた瞬間に、グジャという嫌な音を立て、執事の頭蓋を突き破る。その瞬間、執事の両の眼が文字通り飛び出て床を転がる。
「クソ凡夫が……」
ボドロフはその眼球を踏み潰した。
◇
「おいおいおいおい、
やべえぞ、なんだよあの音……
お前の親父マジでヤベエ」
マルコスは、未だかつて味わったことのない恐怖に触れ、金縛りのように身体が自由に動かせない感覚を感じていた。
――ファルマス邸に侵入したタルク、アルベルト、マルコスの三人は、アルベルトの先導により、この時間、使用人の集まる厨房を躱し、屋敷の三階、ボドロフの書斎に通じる扉の前まで進んできたところで、この屋敷の主人であるボドロフの怒号と何かがつぶれるような音を聞いた。
「アルベルト……?」
俯き、苦悶の表情のアルベルトをマルコスが小声で呼ぶ。
だが、アルベルトは返事をせず、
強く、拳を握っている。
その時、扉の向こうから、こちらに近づく足音。
タルクは咄嗟に、アルベルトとマルコスの襟首を掴み、隣の部屋に飛び込む。
飛び込んだ部屋に灯りはなく、無人だということはすぐわかり、タルクは音を立てないように扉を閉めた。と、同時に、大きな音を立てて扉を開け閉めする音が響き、続いて誰にも憚らない足音が階下に降りていった。
大きく息を吐く。
ひとまずの急場を超えたと、選ばずに開けた部屋を見回す。――小さな部屋だ。目立つ調度品もなく、ひどく簡素な机と椅子が二組。備え付けのクローゼット。
「……使用人の控え室だ」
アルベルトが蒼白の顔のまま、短く言葉を出す。
隣でマルコスが口を押さえて震える。
「落ち着け。マルコス。
……ゆっくり息をしろ」
俺はマルコスの肩に手を回す。
ふうふうと息が荒い。
「今の、
なんの音だよ……」
「見たわけじゃねえけど、
ボドロフのクソが誰かを殺した音、だろうな」
あの音の直前まで、ボドロフは誰かを激しく打ちつけていた。――そして、書斎を出た足音は一人分だった。隣の書斎からは呻き声の一つもしない。
「調整……か」
「アルベルト……
お前も落ち着けよ。」
「私は、……
私は、冷静だ」
「そうか?
……ならいいけどよ」
「……父が離れた今がチャンスだ。
書斎に入ろう。」
「俺はいいけどよ。
……マルコス、お前はここに残るか?」
「ああ……
そうさせてもらおうかな……」
「わかった。
……ひとまずそこに入っとけ。
後で、ちゃんと迎えに来るからよ」
俺は、備え付けのクローゼットを指差す。
マルコスは短く、「わかった」とだけ言う。
◇
マルコスを残し、アルベルトと俺は通路に出た。
今、俺たちがいる三階に人の気配はない。
それを確認し、隣の部屋――ボドロフの書斎の扉を静かに開く。
隣の使用人控え室とは打って変わり、華美な調度品が並ぶ部屋は、その調度品に似合わない、鉄臭い匂いで充満していた。
おびただしい血溜まりの中央にうずくまるような姿勢で固まる執事らしい男。
彼は、尻を出入り口に向け、許しを乞うような姿勢で……後頭部が大きく陥没している。
明らかに生命を感じさせない男の様子にアルベルトは、一瞬固まる。
俺は短く、「血を踏むなよ」とだけ言い、アルベルトの肩を軽く叩く。「ああ」とだけ返すアルベルト。
ゆっくりと扉を閉めて書斎に入る。
「……隠し部屋は、こっちだ」
アルベルトは、苦しそうに息を吸うと、調度品の横をすり抜けて部屋の奥へ。
俺は無言のまま、豪華なだけで使用感のない机の上を見ながら続く。
「多分、だが、この辺りに仕掛けがあるはずだ」
部屋の奥にある本棚を探るアルベルト。
「じゃあ俺は、この机を荒らそうかな」
俺は机の引き出しを無造作に開けてみる。
面白いもんが出てくればいいんだが。
その時だった。
階下からさっきと同じボドロフの怒号が響く。
ハッキリとは聴こえなかったが、朝食に対する文句と、書斎を片付けろと言ったようだった。
「やべえな。
今すぐにでも誰かが上がってくるかも」
「こっちの本棚はダメだ。仕掛けがわからない」
「じゃあ、この引き出しの中身だけかっぱらって逃げるか」
物色した引き出しを戻し、次の引き出しを引く。
カツと、何かに触れたような感覚があったのに、中身は空。――これは、何かあると感じた俺は、その引き出しを机から抜き取り、逆さまに振る。
ガタンと音がして引き出しの底が抜け、同時に紙の束が落ちた。
アルベルトが拾い上げると、「調整過程」と書かれていた。
「こ、これは……」
「当たりか?」
「わからんが、かなり有力だろう」
「じゃあコイツを持って行くか」
俺は、紙束を上着の中に突っ込み、素早く書斎を出ようと扉に手をかけようと、
――人の気配だ。
この扉の奥、通路を歩く人の気配を感じる。
こっちに近づいていやがる。




