第十話 変わりたい私と、変わってる君
まだ生徒もまばらな1-1教室。
タルクはアイリーン先生に与えられた課題である単語の書き写しに取り組んでいた。
三限目の授業までに終わらせないとならないのだが、一ページも進める前にすっかり飽きてしまっていた。
「タルクよぉ、
アイリーン先生は課題にうるさいから
ちゃんと済ませておかないとヤバいぞ?」
マルコスがタルクの背をつつきながらイタズラそうな顔で言うから、タルクは顔をしかめて、
「ウルセェなぁ。
時間までに終わらせればいいんだろ。」
と返す。
その様子に耳だけ傾けるミーナは、
何だか楽しくなってしまう。
(タルク君が来て、まだ三日だけど、
なんだか教室の雰囲気が変わったな。)
前はもっと、みんなが家の格を気にしあい、
牽制しあっていた……いや、違うか。
貴族相手でも物怖じしないタルク君がいるから、
みんな遠慮してる?
タルク君が来るまで、この学級に平民出は私だけだった。
まあ、皆はまだタルク君が平民だって知らないんだろうけど。
タルク君は、誰に対しても同じ距離で話す。
伯爵家のアルベルト様にも。
敬うことも、見下すこともない。
それが、この教室ではひどく異質だった。
私はこの教室で誰から見ても格下の家の出。
そのくせ、入試首位なんかになっちゃったから、
疎まれて、いっつもペコペコして、周りばっかり気にしてた。
あからさまに疎まれることは無くなってきたけど、
ペコペコして、周りを気にするところは、あんまり変わってない。
ため息が出る。
「変わりたいな……」
「おう!
代わってくれ!」
タルク君が不意に出た「変わりたい」にものすごい反応。
手には、やりかけの課題のノート。満面の笑み。
「……違います!
それは、自分でやらなきゃ!」
思わず声を上げてしまった私に、
タルク君は「ちぇっ」と露骨に舌打ちして、
しぶしぶノートを引っ込めた。
「ケチだなぁ……」
「ケチじゃありません!」
つい言い返してしまってから、
はっとして口を押さえる。
……またやっちゃった。
周りの目を気にして、言葉を選んで、
波風を立てないようにしてきたはずなのに。
でも――
タルク君は気にした様子もなく、
またノートに視線を落とす。
「……ったく、面倒くせぇな。
なんでこんなもん書かなきゃなんねぇんだ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、
ちゃんとペンは動いている。
その様子がなんだかおかしくて、
思わず口元が緩んだ。
(ちゃんとやるんだ……)
不真面目そうに見えるのに、
やることはやる。
そのちぐはぐさが、
少しだけ、羨ましいと思った。
周りを気にせずにいられる、その在り方が。
――二時限目、終了
俺は、さっきまでの自分を「クソ馬鹿野郎が!」と罵りたい気分だった。
二限目が終わって休み時間。
もうすぐでアイリーン先生がやって来る。
きっとすぐ、課題の提出を迫るだろう……
――俺の目の前には課題のノート。
三ページと命じられたのに、終わったのは一ページと少しだけ。
「あらあら、
ざっと三分の一しか終わってねえな。」
俺の肩越しからマルコスがノートを覗き込む。
「……一生懸命、やったんだ……」
マルコスは少し真面目な顔をして、
「一生懸命やって、それかよ……」
「ああ……。
アイリーン、怒るかな?」
「「先生」つけろよ?
……まあ、アイリーン先生のみぞ知るってところだな。
しかし、書くの遅えな。」
「うぐっ……
仕方ねえだろ?
今までこの、字を書く棒なんか持ったことねえんだから」
「おお……
それはマジか。
ペンの名前も知らねえとは……」
「へー。
コレ、ペンっていうのか。
パンみたいだけど、食えねえなんてな」
「おいおい、……食うなよ?」
「さすがにこれは食わねぇよ!」
ガハハと笑う俺を見て、
マルコスはちょっと呆れた顔をした。
「さすがに笑えねえよ。
ほら、手、動かせ」
「……おう」
◇
アルベルトは遠目からこの様子を観察していた。
(あのような者が、叙位叙勲とはな……)
油断していたとはいえ、一度は決闘に敗れた相手。
父によると先の戦争に出征したことは間違いない。
なかなかに鋭い剣だとは思ったが、
叙位叙勲されるほどの働きをしたということなのか?
ハッキリ言って面白くない。
兄は、「信じられる者に貴賤など関係ない」と言った。
しかし、奴は信じるに値する者なのか?と自ら問うも、その答えは今のところ、断じて否。
野卑で、下劣で……
理由はわからないが、父に暴力を振るったという事実。
貴賤など置いておいても、奴を信じる材料はない。
(王国は一体何を考えているんだ……)
◇
――結局、課題は一ページとちょっとしか終わっていないまま、アイリーン先生の授業が始まり、課題の提出ができなかったタルクは、次の授業までに六ページ済ませろと命じられ、ガックリと肩を落とし、そのまま机に突っ伏し、しばらく動かなかったものだから、アイリーン先生に怒られた。
――「気をつけ。……礼。」
「ありがとうございました。」
語学の授業が終わり、アイリーン先生は退室した。
俺は、増えた課題と、今までの授業のおかげでクラクラする頭を振り、背伸びをする。
「ああ……やっと終わった……」
「タルク君。」
呼ばれて振り向くと、名前も知らない女子生徒。
「あなたって、面白いのね。」
「……そうか?」
「さっきの授業の時もそうだけど、
……悪いけど、笑っちゃったわ。」
フフ、と笑い、腰ほどまで伸びた紺色のまっすぐな髪を揺らして、廊下に出て行く。
「なんだありゃ?」
「彼女はリリアナだよ。」
いつの間にかマルコスはそばに立ち、いちいち教えてくれる。
「子爵家の令嬢でね。
……彼女だけじゃなく、本当はみんなお前に興味津々なんだよ。」
「へえ」
なんでかミーナの方を向きながら言うマルコスに相槌だけ返す。
つられてミーナを見ると、後ろ頭しか見えないが、結んだ髪のせいで真っ赤な耳が見える。
あいつ、いつも耳とか顔とか赤いよな。
……健康ってことか?
それよりも、ボーッとした頭を目覚めさせるのが先だな。
「俺、顔洗ってくる。」
マルコスに告げて水場に向かう。
その瞬間、マルコスはニヤリとしたが、俺は気づかなかった。
マルコスは、今だ!と内心ほくそ笑んだ。
鈍感野郎のタルクがいないうちに、ミーナちゃんの気持ちを確かめちまおう。
俺の勘だと、十中八九、ミーナちゃんはタルクに惚れてる。
タルクの前じゃいっつも赤面してるし、
今だって、リリアナの急接近に気が気じゃないはず!
「よっ、ミーナちゃん」
――
「……あれ?
ミーナちゃん?」
「え、
あ、はい!」
慌てて、くるっと振り向くミーナ。
その顔は真っ赤でマルコスのイタズラ心をくすぐる。
ニヤつきそうになるが我慢して、なるべく真面目な顔を作る。
「あいつ、リリアナに気に入られてたな。」
「え、あ……
……はい。」
途端にシュンとするミーナ。顔の赤みが薄れていく。
「リリアナ、美人だしね。」
「……そうですね。」
「……ミーナちゃん、
あいつのこと好きだろ?」
「はい……」
ニヤッとするマルコス。
「あ!
いやいやいや、違うんですっ!」
再びミーナの顔に赤みが増す。
「えー?違うのー?
じゃあ、リリアナに取られちゃってもいいのかなー?」
「と、取られちゃうとか……
タルク君はモノじゃありません!」
「あれー?
俺はタルクとは言ってないんだけどなぁー?」
「〜〜〜!!」
顔をゆでだこみたいにしてジタバタするミーナ。
「まあ、冗談だよ。」
ああ、あいつら、からかいがいがあるなぁ。
イタズラ心を満足させたマルコスは、手を振って自分の席へ戻る。
――残されたミーナは、自分の顔の熱さを確かめる。
熱い。
(やっぱり、そうなんだ。)
気恥ずかしさで机に顔を伏せる。
さっき、マルコス君に「好きだろ」って聞かれて、
つい、「はい」と言ってしまった。
(やっぱり、私はタルク君が好き……なんだ。)
なんだか危なげで、ちょっと怖い部分もある。
常識を知らないところもあるけど、なんだか放っておけないって思う。
「ああ……
そっか……
好きなんだ……」
「なにがだ?
メシ?」
つい出てしまう言葉に声をかけられる。
ガバッと顔を上げると、
目の前にはかがみ込んで私を覗き込むタルク君。
「はひっ!
な、なんでもありません!」
「熱でもあるのか?」
濡れた手をズボンで拭いて、
さっと手を伸ばし、額に触れる。
優しく添える、とかじゃない。
ペシ、と音が鳴るほどの勢いで。
……まあ、痛くは、ない。
ぶっきらぼうな行動のはずなのに、
私の心臓は跳ね上がる。
全然、嫌じゃない。
それどころか、
王子様とお姫様のお話の、
初めてのキスの時みたい。
お姫様は頬に手を添えられて……私は額だけど。
私はつい、目を閉じてしまう。
なんとなくとんがってしまう唇。
「……何、変な顔してんだ?」
目を開けると本当に不思議なものを見た、と言いたそうな顔。
――ああ、こういう人だった。
……っていうか、ここ、教室だし!
慌てて見回すと、すっかり教室の注目を集めている。
「あ、わ、わた、」
あまりのことに言葉が出ない。
身振りだけで「私は大丈夫」と言う。
「おお?
……元気ならいいんだけどよ」
タルク君はそれだけ言うと、さっさと自分の席にもどり、鞄からパンを取り出し齧りだす。
「課題をしなさいっ!」
つい、弟を叱るみたいな口調で言っちゃった。
クスクス笑いが漏れる教室。
「……じゃねえか……」
「え?
なんて言ったの?」
「なんでもねえ」
プイとそっぽを向くタルク君。
少し、顔が赤くなっている気がする。
……ほら、耳も赤い。
みんなの前で叱っちゃったから、恥ずかしかったんだよね、……たぶん。
「……こっち見んな。」
机の上に投げ出した腕に隠れちゃうタルク君。
なんだか可愛く見えて、
もっと見ていたいと思った。
ふう、と息を吐き、席に座り直す。
次の授業の準備をしなくちゃ、
と鞄に手を伸ばした時、
ふと、マルコス君と目が合う。
……満面の笑みだった。
あああ、そうだ、みんなに見られてたんだ。
顔が赤くなるのを感じる。
「〜〜〜!」
私は、図らずしも、タルク君と同じように腕に顔をうずめた。
熱い。
顔も、耳も、
多分首まで赤くなってる。
……でも、なんだか、胸の辺りは暖かくなっているのを感じた。




