3、風が吹く川辺
「「ステータスオープン!!」」
龍星と陽樹の声が河原に響きわたる。
少年たちが期待に満ちた目で空を見つめているのに対し、少女たちは何をやっているのやらという感じの好奇の目で成り行きを見守る。
ふたりのかけ声のあと、何の変化も起こらず、そのまま10秒ほどふたりは待ち続けるが、20秒、30秒と経過して微妙な空気が形成されていく。
1分経過するのを待たずに、
「なにも起きないようですわね」
瑠璃がギャラリーを代表するかのように言う。
「手順が違ったか」
「やっぱり正しいやり方を聞いておかないとダメかもね」
龍星と陽樹がスズノへと目を向ける。
スズノはさきほどより立ち位置を遠くしていたが、ふたりと目が合った瞬間に、こらえきれなくなったのか「ぷはっ」と吹き出すと堰を切ったように声を上げて笑いだした。
スズノの態度からようやく一杯食わされたと気づき、
「こ、こいつ、やってくれたな……」
「見事にだまされたね……これ、ハリセンで1発叩くくらいは許されるよね」
「みんなが許さなくても俺が許すよ」
龍星と陽樹は左手首にはまる神司の証、未散花からそれぞれが持つ神器をハリセンのカタチにして取り出す。
「ちょっとちょっと、ふたりともそんなことに炎天と氷天を使うのは間違ってるにゃ」
「うるさい! 少年の純心をもてあそびやがってっ!!」
「聞く人が聞いたら大喜びしそうなセリフにゃ」
楽しげに笑いながら逃げ出すスズノをハリセンを手にした龍星と陽樹が追うべく駆け出していく。
「にゃはは。いいオトコふたりに追いかけ回されるなんて、やっぱりボクの可愛さは罪深すぎるにゃ~」
余裕の表情で河川敷を逃げ回るスズノとそれを追いかける龍星と陽樹を見て、
「相変わらず……というか、緊張感ありませんわね」
瑠璃があきれたふうに呟く。
「いやあ、うちもちょっとだけステータス表示には期待したんけどね」
苦笑いする琥珀の横で、
「そもそもの話、社会的地位が表示されるとかいう状況が理解できませんわ」
状態ではなく社会的地位と、お嬢様育ちのために言葉のとらえ方が違う瑠璃がため息をつく。
「……気が済んだらちゃんとカケラ探しに戻ってよね」
まさに『騒々しい男子たちにあきれたクラス委員長』といった感じで告げた空子だったが、言い終えた途端、背後から視線を向けられているのを感じた。
射抜くような、とはまた違う、なめまわすようなじっとりとした視線。
それも草むらの中からではなく、ある程度の高さからの視線だった。
同時に視線だけでなく、何者かが間違いなく後方に立っている存在感もあった。
しかし、ここまで連れだってきた5人は全員、空子の視界の中にいる。
つまりは第三者がこの場で空子を見ていることになるが、誰かが近づいてくるような気配は感じなかった。
空子が息を整えて恐る恐る振り返ると、少し離れた場所にそれはいた。
河川敷の草むらに突如として現れたそれは 150㎝を超える水晶の柱にも氷のカタマリにも見えた。
だがそれほどの大きさならば存在を見逃すはずもなく、さらに氷でできているとしたら猛暑の中で溶けることなく形を維持しているのはありえなかった。
日光の中、微動だすることなく、直立しているそれは透き通るようなゼラチン状で、水のようにゆらゆらと揺れる体表に周囲の風景をぼやけた鏡のように反射していた。
液体で構成された透明な粘土が目のない眼でこちらを見ている。
ことごとく矛盾した説明になるが、そう表現するのが正しいように思えた。
動くことはおろか声をあげることすらできずにいる空子の前で、ゼリーの柱は人を模した形を取りはじめ、ぼんやりとした鏡像のように彼女の姿を真似ていく。
真似といっても瓜二つとまではいかず、空子と同じシルエットとなっただけで、細かいところは大雑把なままの無色透明なゼリー体のままだった。
麦わら帽子や服装は肌と一体化し、凹凸のみで細部を省いた顔や太さと長さがそろわない指は出来の悪い工作物のようだった。
空子の姿を真似たゼリー状の妖異はぎこちなく腕を前へと動かし、空子を指さしながら、大きく口を開けるように顔の下半分にあたる部位をゆがめて、ごぼごぼとこもるようでいながらも辺りに響くような強烈な叫び声をあげる。
その叫びの残響が消えるより早く、妖異は口元と指先からクラゲの触手を縒り集めたようなねじれた触腕を空子めがけて勢いよく伸ばした。
声も出せずに固まっていた空子がようやく悲鳴をあげる。
異変に気づいた瑠璃と琥珀が駆け寄るよりも早く、スズノを追っていたはずの龍星と陽樹が空子の横を駆け抜け、ハリセンを番傘へと変えて盾として使い、彼女を妖異の触腕からガードする。
ふたりの服装はさきほどまでとは異なり、魔を祓う際の衣装である白衣と薄水色の袴へと変わっていた。
陽光のもとで大きく開かれた番傘はそれぞれの神器に基づく赤と青。
この場にただよう陰鬱な空気すら吹き飛ばすような色鮮やかさ。
太陽を写し取ったような赤と蒼空から切り取られたような青、ふたつの神器は周囲の冷気をともなう妖気を打ち消し、活気の失せていた空間に力強い生命の躍動を取り戻す。
妖異の伸ばした触腕が鋭く突き刺すような勢いで迫り、開いた番傘の表面を捕らえるが、神剣七天罰の一部でありながら、それ自身も強力なチカラを秘めた神器、炎天と氷天の変化した番傘には傷ひとつつかない。
それどころか番傘に阻まれた粘性の触手は火や氷に触れたかのようにひるみ、ゼラチナス空子の本体は不快そうに全身で呻きをあげた。
「ふたりともナイスプレーにゃ」
かなり離れた位置にいたスズノも空子のもとへと駆けつけており、彼女を守るように抱きかかえる。
「ソラちゃん、大丈夫?」
陽樹の問いに、空子は声を出せずに、こくこくと何度かのうなずきで答える。
「あいつは?」
龍星が空子を真似たゼリーの妖異を睨みながら、スズノに問う。
「探してた妖気のカケラにゃ」
「カケラっていうには大きすぎるけどね……他にもいる可能性は?」
「ゼロとは言い切れないにゃ」
スズノは空子の手首にはまる未散花から取り出した白布を色とりどりの糸へと変えると、自身を中心とした円形に糸を配置する。
「琥珀ちゃん、瑠璃ちゃんは警戒しつつボクのそばに! 女の子たちはボクが結界で守るから、ダーリンとハルハルはそいつの相手を」
龍星と陽樹が了承すると、
「ふたりとも気をつけて。そいつ、強くはないけど狡猾にゃ」
これまでとは打って変わった真面目な態度でスズノが言う。
「だろうな。この大きさになってるのに隠れて潜んでたわけだし」
「僕らがカケラを探しているあいだ、こっちのことを観察してたんだろうね」
「それで狙うのが俺らじゃなくクーコさんってのは質が悪すぎる」
「ソラちゃんを狙ってきた代償はきっちり払ってもらわないと」
「当然だ」
龍星と陽樹は番傘をたたむと剣のように構えて、妖異と対峙する。
妖異は神器に触れて傷ついた触腕を引き戻すと、その姿をより異形のものへと変えた。
下半身は全周囲に向けて大小様々の根を伸ばした樹木のようになり、力なくだらりと下げた両腕は肘から先が音もなく裂けていき、細く長い鞭を思わせる数本の触手へと変わっていく。
帽子をかぶっていたような頭部は目も歯もない両生類やタコに似たものとなり、ぬめりを帯びた肌にくぼみとふくらみを組み合わせただけの瞳を思わせる構造物を左右段違いに出現させる。
体表はゼリー状のままで、風を受けて揺れる水面のようにゆらゆらと波打っていた。
「クーコさんに似せた姿でなくなってくれたのはありがたいな」
「ヒメ様のいう『カワイイ女子の姿を真似ようが目に物見せるのみ』の境地には到達できてないからね」
「とはいえ、あの両腕はちょっと厄介そうだな」
「ならフウの型でいこうか」
龍星と陽樹が手にする神器が鮮やかな光とともに、ふた組の扇子へと姿を変えていく。
ふたりが手にした扇子を見て、妖異は耳障りな叫び声をあげた。
絶叫は威嚇の咆哮ではなく、明らかに恐怖の叫びだった。
「こっちの神器に反応してるのか……って、もともとが妖怪だからか」
「そうだろうね。まあそれで注意も敵意もこちらに向けてくれるならやりやすくなるけど」
「それじゃあ、さっさと片付けるか」
龍星と陽樹は走り始めのような前傾姿勢を取ると、真っ向勝負とばかりに前へと勢いよく進み出た。
足元の土が跳ね上げられ、草が大きく揺れる。
妖異は直立不動の態勢のまま両腕を振り回した。
鞭のようにしなる触手が左右、上下とあらゆる方向から、龍星と陽樹の歩みを止めるべく襲い来る。
だが、ふたりは速度を落とすものの前進は止めない。
手首を軽く振って扇子を大きく開くと、舞うような動きで触手を弾き、円を描くようにして受け流し、三角を描くようにして切り飛ばしていく。
ふたりが習得している天久愛流剣舞は、天久愛流剣術を基にしたもので、その型・構えは天候に関する神事・祭事での舞踊と結びついていた。
いま彼らが舞うのはフウの型。
風呼びと風止みという真逆の二面性を持つ型にして、元となる天久愛流剣術においては二刀流の型でもある。
扇面に淡い色使いの花模様を浮かべる扇子を巧みに使い、ふたりは妖異の猛攻をかいくぐって進んでいく。
その舞の動きは規則性などなくただただ荒削りで、手順も緩急もまったくでたらめのように見えた。
それでいて立ち並ぶふたりは互いに違う所作で舞いながらも息の合ったコンビネーションで、風に乗って遊ぶ蝶のように、風を味方につけた猛禽のように、妖異の触手を切り刻みながら距離を縮めていく。
龍星の扇に切り飛ばされた触手は宙で燃え上がり、炎の花を咲かせ、火花となって散る。
陽樹の扇に切り落とされた触手は宙で凍りついて、氷の花を咲かせ、氷片となって散る。
魅入られたかのようにふたりの舞を見つめる空子だけでなく、(自分ならこの妖異とどう戦うか)と心のうちで戦い方を組み立てていた瑠璃と琥珀もいつしかふたりの舞に見入っていた。
妖異は苛立っているかのように耳障りな叫びを断続的にあげ、これまで以上に触手を乱雑に振り回す。
それに対処しながら進むふたりの背後の地面から唐突に触手が飛び出してきた。
妖異が根として地中に潜り込ませていたものだ。
龍星と陽樹はこの不意打ちに対し、左右に分かれ、抜かりなく妖異との距離を詰めるように跳んだ。
触手が宙へと逃げたふたりを執拗に狙う。
上下左右に前後が加わった襲撃にふたりの快進撃もここまでと思われたが、そうはならず、突如として伸びてきた何十もの色とりどりの太い糸が触手に絡みついてその動きを封じた。
龍星と陽樹が後ろへちらりと目をやると、糸は瑠璃と空子の持つ未散花からスズノの手元を通って伸びてきていた。
「ふたりとも今がチャンスにゃ!!」
スズノの言葉とともに、さらなる糸が妖異の本体を逃がさないように捕らえていく。
着地した龍星と陽樹の手の中で扇子は直刀へと姿を変えた。
龍星の持つ直刀には炎の花を思わせる鍔が、陽樹の持つ直刀には氷の花を思わせる鍔があった。
左右へ分かれていたふたりは妖異を挟み込むように迫ると、龍星は上から、陽樹は下から直刀を振るう。
触手とともに攻撃も防御も封じられた妖異は最後のあがきとして、体からトゲや針のような突起をいくつも突き出した。
だが――、
龍星と陽樹はそれぞれ手にした神器で赤と青の軌跡を描きながら妖異の突起を切り飛ばし、直刀の切っ先を妖異の弾力を持つ体に深く食い込ませた。
炎天と氷天は刀身に光を宿すと妖異の体を内側から塵へと変えていく。
ふた振りの神刀は妖異が苦悶の叫びをあげることさえ許さなかった。
束の間の喧噪に終止符がうたれ、川原は静けさを取り戻す。
その静けさの中で吹いた風が川の流れ、草のざわめきといった音をふたたび生み出していく。
その音はこれまでの陰鬱とした空気を払拭する澄んだ音色だった。




