15、石神の巫女
陽樹の左胴にちまきが手にする布棒がぴたりと触れていた。
だが、彼女の左肩にも陽樹の持つ布棒が押し当てられていた。
寸止めではなく、両者の得物は互いの体をとらえている。
この状態からふたりは微動だにしない。
勝負の行方を見守っていた一同もしばらく黙りこくったままだった。
やがて、市子が遠慮がちに口火を切った。
「……あの、いまのチャイムって『勝負あり』ってヤツだと思うんですけど……」
続くカタチで、
「えっと、これ、どっちが勝ったんですか?」
泉が回答を求めて皆の顔を見渡す。
龍星、瑠璃、琥珀は判断がつかないという表情を浮かべる。
というのも、彼らの目には決着となった一撃が完全な同タイミングに見えたからだった。
布棒の音が出る仕掛けも同時に鳴ったようにしか聞き取れなかった。
だが、
「ほんの少しだけハルハルのほうが早かったにゃ」
「本当に紙一重とでもいうべきわずかな差だったがね」
スズノとカガチがそれぞれの裁定を述べ、
「いやしかし、お互いに土壇場での機転というか思い切りがよいのう。ここまで匹敵したものになるのなら双方で鳴る音を変えておけばよかったかもしれんな。ああ、ふたりとも楽にしてよいぞ」
モエギが微笑みとともに告げ、陽樹とちまきはそれぞれの武器を引いて数歩下がり、互いに一礼する。
「なかなか期待以上というか、興味深い勝負だったよ」
カガチが双方を褒め称える。
「ちまきちゃんの動きもさることながら、ハルハルもなかなかカッコよかったにゃ……あっ、浮気することはないから安心してね、ダーリン」
スズノの言葉に、龍星は例によってげんなりと眉をひそめるが、
陽樹がなにか考え込んでいるのに気づいて、
「どうかしたのか?」
と声をかけた。
皆の視線が陽樹へと向かう。
勝利を宣言された側の陽樹は誰が見ても分かるくらいに釈然としない表情を浮かべていた。
むしろ負けを言い渡されたちまきのほうが晴れ晴れとした表情で、両者の態度は明らかに正反対だった。
陽樹は一同の視線が自分に向けられているのに気づくと、
「いや、だいぶこっちに有利な条件だったから勝ったといっていいのかどうか……」
彼の言葉に、
「有利な条件?」
「体格差とか?」
口々に疑問が呈される中、
「たぶんリュウちゃんも気づいたと思うけど……」
陽樹の言葉に、
龍星はふたりの攻防を思い返してひとつの結論に達すると、
「なるほどそういうことか」
納得したふうに、ちまきへと目を向ける。
以心伝心といった感じで、
「そういうこと」
陽樹も短く返す。
「どういうこと?」
女子たちがふたりに問う。
「この子が得意としてるのは、ハレでもヤトでもなく……」
龍星の答えに、
「フウの型でしょ」
陽樹が続ける。
「だから二刀流での勝負だったら……」
「相打ちのカタチになるどころか……紙一重の差もなく勝っていたのは彼女のほうだね」
ふたりの指摘に、ちまきは表情をより明るくうれしそうに輝かせる。
喜びを隠さない様子は尻尾を振って喜ぶ子犬を思わせた。
龍星と陽樹が賞賛の目で彼女を見る中、一同もつられるようにちまきを見る。
注目を浴びて、ちまきはようやく恥ずかしそうにうつむいた。
勝負の中で見せていた態度とはずいぶんと差異があったが、それと合わせても彼女らしい仕草といえた。
そんな中、
「あらあら。このふたり、なかなか見る目があるじゃないですかあ。さすがはあの人のお弟子さんですねえ」
のんびりとした女性の声が店内に響き、
「ん? なんだ、今の声」
声がした方向に視線を向けると、店のカウンターに折り紙製の白カブトをつけた巫女姿の高さ10センチほどにデフォルメされたぬいぐるみが置かれていた。
皆の視線が集中する中、
「こんにちは」
ぬいぐるみが微動だにしないまま挨拶をする。
「ぬいぐるみが……」
「しゃべってる!?」
「腹話術とかじゃなくて?」
「スピーカーとか仕掛けてあるんじゃないの?」
「これ、ヒーメちゃんだよな」
「じゃあ、ヒメ様の仕掛けかな?」
「わしの仕業ではないな」
「腹話術ではなくて、トランシーバーみたいに対になっている側の声を届けてるんですよお」
ヒーメちゃんのぬいぐるみから聞こえてきたのと同じ声が背後から仕組みを解説する。
皆がそちらへ顔を向けると、
「はい、こんにちは~」
カウンターとは反対の位置に、巫女装束の上に千早をまとった娘が柔和な笑顔を浮かべて立っていた。
二十歳くらいのふくよかな感じで、肌は健康的な小麦色。
手にはカウンターに置かれているものと同一のヒーメちゃんのぬいぐるみがあった。
左右にふんわりとふくらむ黒髪は肩の後ろでひとつにまとめられている。
千早の上腕部と背には、青い菱形の中央に開いた二枚貝の図柄を配し、その四方八方に長方形の白札を日足紋のように並べた社紋が入っていた。
「え? 誰?」
「いつの間に……」
「この娘ならさきほどから店内をうろうろしておったぞ」
「いつごろから?」
「それこそハルキとチマキが勝負を始めたあたりから」
「気づかなかった……」
「あれだね、なんだっけ……そうだ、バスケで試合中のパスだか点数だかを数えさせてると、なんどもコートを堂々と横切るゴリラの着ぐるみに気づかないとかいう実験のヤツ」
「さすがにゴリラが横切るのは気づくだろう」
「気づかない人が多かったから実験として有名になったんだよ」
「ゴリラに例えられるのは、お姉さんちょっと困っちゃいますね~」
巫女姿の娘はのんびりとした態度を崩さぬまま、カウンター側に移動し、ぬいぐるみをふたつ並べて置くと向き直って、
「どうもはじめまして、みなさん。私は弐貝神社の石車ことぶきと申します」
おっとりとした声で、少女が自己紹介する。
「石車……お主が石神の巫女じゃな」
モエギの指摘に、
「はい」
ことぶきはうなずく。
「イワガミ?」
「石の神と書いて『いわがみ』と読む。石や岩を御神体とする一派で、この娘もチマキ同様に助っ人としてお主らの師匠が遣わした者じゃ」
「はい。そういうわけなので、おふたりのお師匠様からお手紙を預かっていますよ~」
ことぶきはほんわかとした笑顔で、胸元から封書を取り出し、龍星へと手渡す。
「師匠の字だな」
龍星は封筒を開けて、中の手紙を取り出す。
「なんて書いてある?」
「『君たち念願の姉弟子だ。喜びたまえ』……どっかで聞いたフレーズだな」
文面を読み上げた龍星はあきれたというよりもう慣れたという感じでため息をつく。
「姉弟子ということは、この方も天久愛流をお使いになるのですかな?」
「じゃあ次の手合わせは龍星さんとこの人ってこと?」
店内の視線が集中すると、ことぶきはカウンターの椅子にゆっくりと腰掛けて、
「え~と、私の海門憂珠姫流は、ちまきちゃんのような剣術ではなく踊りの流派なので――手合わせとか勝負みたいなことをする気はないですねえ」
あいかわらずの口調で答える。
「アマトウズヒメ流?」
天久愛流と響きこそ似ているが、聞き覚えのない言葉にオウム返しのように聞き返す。
「はい。あまりメジャーではない流派なので説明させてもらいますね。ところで、みなさんは天岩戸と天照大神のお話はご存じですかぁ?」
ことぶきの問いに、数人が「一応は……」と応じる。
須佐之男の狼藉に業を煮やした天照大神が天岩戸に姿を隠し、天と地から光が失われたという日本神話の逸話だ。
「その岩戸隠れのエピソードにおいてアマテラス様を呼び戻すために披露された天宇受売の舞い踊りを元にしたと伝わる神楽舞、それが海門憂珠姫流なのです」
ことぶきが自身の流派を解説する。
「神話に基づいてるのなら、もう少し名が通っていてもおかしくないと思うけれど」
陽樹の反応に、
「もっともなご意見ですね。まあマイナーなのには理由がありまして……」
ことぶきは話を続ける。
彼女の説明によると、
・海門憂珠姫流を代々継承している弐貝神社は超巨大なシャコ貝を先の逸話に出てくる天岩戸になぞらえており、天岩戸を岩屋や洞窟としている主流派からはほど遠いこと
・天を海としてとらえ、神話内の名称を海岩戸や海渦姫など海に関する名称へと置き換えていること
・海での好天や豊漁を祈願する憂珠姫流神楽であるが、その成り立ちから奇祭における舞踊と思われていること
「そんな感じで傍流というよりは異端なんですよね~。海で生計を立てている人のあいだでも知る人ぞ知るって感じですし。まあ、海女さん同様に流派の後継者も減ってますしね。女子相伝のつらいところですわ~」
「ちなみにいま身につけているこの千早の社紋は、シャコ貝が開いてアマテラス様が姿を現したことで広がっていく陽光をあらわした図案なんですよ。うちの御神体もとっても大っきなシャコ貝の化石で、私の石車って名字もシャコ貝を漢字で書いたときのシャの部分から取られてたりするんですよ~」
ことぶきはのんびりとした口調でここまで語ると、ひと息つく。
「なるほど」
龍星と陽樹が納得の声をあげ、状況を整理するためにしばし黙考する。
が、
「いや、なるほどではなくて……」
「話は終わってないと思いますわよ」
「もう少し詳しい話を聞くべきでしょ」
「おふたりのお師匠様がこの人を……」
「助っ人に選んだんワケも聞いておかんと」
「姉弟子ということですしな」
女子たちから総ツッコミを受ける。
その様子を見ながら、
「ふふふ、ワケを聞いちゃいますか」
ことぶきはいたずらっぽく笑うと、
「さっきも言ったように、海門憂珠姫流は女子のみに相伝される舞踊の流派なんですけど、裏家業として渦秘女という『海のくノ一』として水軍や海軍に手を貸したり、海の妖怪退治みたいなこともしていたんですよね。で、その裏家業のほうで天久愛流の開祖である綺羅星右衛門さまともご縁があったみたいで――」
「それで、当代の天久愛流であるちまきちゃんのお師匠さまとも交流があったわけで、ちまきちゃんのお友達を守るために先代ともども呼ばれたんですけども、私自身は先代、先々代とくらべるとそんなにチカラがあるわけじゃないんですよねえ。で、どうしたものかと思っていたら、そちらの龍星くんと陽樹くん、おふたりのお師匠様に『よかったら愛弟子を手助けしてやってほしい』と言われまして」
「まあそんなわけで向こうは先代たちに任せて、ちまきちゃんの保護者を兼ねてこちらへとやってきたわけですよ。道中の弱い邪気妖気をふたりで蹴散らしながら」
と、龍星と陽樹のほうを見て、にっこりと微笑む。
「ことぶきさんは折り紙や御符を利用した符術や渦秘女流忍術も使えるので、フクマ退治の手助けもできると思います」
ちまきが補足し、カガチも同意するようにうなずいてみせる。
「巫女でダンサーで御符使いで女忍者とかどんだけ設定盛るんだって感じですよね」
ことぶきは他人事のように笑ったあと、
「まあさっきも言ったように先代ほどの実力はないので、踊りもおふたりの剣舞の少しでも参考になればといったところですし、忍術といっても軽く気配を消したり、ちょっとした結界みたいなのを張ったりできるくらい。御符にしても小物とどうにかやり合える程度なので、持ち上げられるとちょっと面映ゆいですね~。まあでも姉弟子として推薦されたからには、お姉さん頑張りますよ。というわけで、ちまきちゃん共々、モエギヒメ様の元でしばらく厄介になりますので、なにとぞよろしくお願いしますね」
立ち上がって、深々と頭を下げる。
ちまきも彼女の横に並び立ち、同じように頭を下げた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
皆も姿勢を正して頭を下げる。
そうして今度はことぶきをくわえたうえで和気藹々とした雰囲気になり、
「あれ、もしかしてだけど、ふたりが仲間になってくれたことでさっきの問題は解決できるかも」
泉がなにかに気づいたふうに言う。
「さっきの問題って?」
「龍星さんたちがフクマ憑きとやり合うときの問題。自分の身は自分で守れて、結界を張れて、女の子の服も元通りにできる都合のいい人材はいないかなーっていう姫様の要望に応えられる状態がまさに今できあがってるのよ」
「どういうこと?」
「自分の身を自分で守れるちまきちゃん、結界を張れることぶきさん、服を元に戻せる委員長。ひとりで全部まかなえるご都合主義とまではいかなくても、三人そろうと問題は解決するわけじゃない? どうでしょう、姫様?」
泉がモエギを見やり、一同も彼女の反応を待つ。
「うむ。よくぞ気づいた」
当然といった感じで返事をしたモエギに、
「よくぞ気づいたって、まさか最初からそのつもりだったのか?」
「そうじゃが」
「じゃあ、なんで『いやあ困ってしまうのう。どこかに都合のいい人材はおらんかの』みたいな前フリを……?」
「お主らの師匠から、そこのチマキとコトブキの能力は聞いてだいたい把握しておったのじゃが、お主らの師匠が内密に事を進めておったせいでネタばらしをするタイミングがなかなかなくてのう……そんな感じで全部しゃべってしまいたくてうずうずしていたので、匂わせるような物言いをしてみたのじゃ」
「やっぱりそういうところはうちの師匠と似てるな」
「直接の対面もないのに意気投合しすぎてるとは思うけれどね」
「会わせるのが怖くなってきたな」
「まあそういうわけじゃから、今後ふたりが戦力としてくわわるので方針も少し改めないとな。しかしこのままここで作戦会議を続けるのもな。貸し切りとはいえ、ちと長居がすぎた。このあとの営業に差し支えがあっても困るし、わしらはいったんお暇するとしよう。ふたりの歓迎会も後日あらためてということにして、チマキ、コトブキは当然ながら、リュウセイ、ハルキもわしと来い。神社で今後の方針を練るとしようぞ」
モエギが名残惜しそうな態度を隠せないまま、退店を告げた。
「それではみなさん、ありがとうございました」
『あなたのおそば』の店頭でちまきとことぶきは礼儀正しくお辞儀をすると、モエギたちと連れだって去って行く。
その後ろ姿を店員一同で見送る中、
「いやしかし、いちどに姉弟子と妹弟子がやって来るとは。リューセイさまとハルキどのの周りがいっそうにぎやか、かつ華やかになりますなあ」
和子の言葉に、
「これは瑠璃ちゃんと琥珀ちゃんも、うかうかしていられないにゃあ」
スズノがぽつりとつぶやき、
「ワ、ワタクシと鶴来様は別にそういう間柄ではありません!」
「うちもいまは特にそういう仲になりたいわけじゃ……」
瑠璃と琥珀は顔を赤らめながら抗議する。
ふたりの反応を見て、
「おや~、ボクとしてはぼやぼやしてると、ますますチカラをつけていくダーリンに強さの面で引き離されちゃうよ~ってつもりで言ったんだけどにゃあ」
スズノはにんまりとからかうような笑みを浮かべる。
瑠璃と琥珀は顔を見合わせると、
「やってくれますわね……」
「……これ、一撃入れるんくらいは許されるんよね」
「皆さんが許さなくてもワタクシが許可しますわ」
握り固めた拳をわなわなと震わせながら、じりじりとスズノのほうへと迫る。
「ちょっとちょっと、ふたりとも笑顔が怖いにゃ」
「物事を解決するのは腕力、暴力、バイオレンスと……」
「主任様が教えてくれたことですわ」
瑠璃と琥珀が言い終えるのを待たずに、スズノはモエギたちのあとを追うように駆けだし……いや逃げ出した。
「今後の方針とやらにボクも顔を出してくるので、委員長ちゃん、あとは任せたにゃ~」
猫の妖怪でありながら脱兎のごとく、軽やかな足取りでスズノは走り去っていく。
それを追いかける瑠璃と琥珀を見送りながら、
「あいかわらず騒々しいというか……」
「まあ物騒な日常とはほど遠いからいいのかも」
「いや、あの状況はわりと物騒な展開だと思いますが」
「……さて、お店の後片付けをしましょうか」
「委員長はドライだなあ」
女子たちは普段と変わらぬような態度で店の中へと戻っていった。
チーム『あなたのおそば』に新たなメンバーが加わり、フクマとの戦いに備えるいっぽうで、フクマ憑きの少女たちも天久愛流に対抗すべく動き始めていた。




