14、同門対決
鶴の一声というべきモエギの提案により、『あなたのおそば』の店内はちょっとした試合場へと趣を変えた。
中央を広く取るように、テーブルは片付けられ、椅子は開いた空間を囲むように壁に沿って並べられていく。
ちまきは手近な椅子にナップザックを置くと、
「すいません、ちょっと動きやすいように髪をまとめてもらってもいいでしょうか?」
と呼びかけ、それにスズノが手を挙げて応える。
ちまきは上着を脱ぐと、姿勢良く椅子に腰掛けた。
Tシャツの半袖から伸びた前腕はハーフパンツのひざ下同様にしなやかでありながら鍛えられていた。
彼女の髪にヘアブラシをかけながら、
「どんなふうにまとめればいいのかな? ポニーテール? サイドアップ? 三つ編みおさげとか? チャイナシニヨンでお団子をつくるとか、ボクみたいに猫耳帽子ってのもあるけど」
スズノが尋ねる。
「あ、大ざっぱでいいんで、肩のちょっと下辺りでふたつに分けてください」
ちまきのリクエストに応じて、スズノは慣れた手つきでちまきの髪をふたまたに分けると、彼女の着ているシャツの色に合わせた黄色とピンク、2色のリボンを巻いてまとめあげる。
「ありがとうございます」
ちまきは立ち上がって、礼儀正しくスズノに頭を下げる。
彼女を見ながら、
「ふむ。リュウセイとハルキ、どちらに相手をさせようか」
と言ったモエギに、
「ボクとしてはダーリンの腕前はだいたい分かってるから、未知数のハルハルの腕前を見てみたいところにゃ」
スズノが意見し、
「スズノがそう言うのなら、わたしとしても異論はないかな」
カガチも同意を示す。
「というわけなので、ハルキよ、ひとつ頼まれてくれるか」
モエギたちによる指名を、陽樹はこころよく引き受け、
「それじゃあ動きやすい格好になりますかね」
と、左手首にはまる神司の証である未散花から長ハチマキを取り出すと、「変身」とのひと言とともに額に巻き付けた。
一瞬で白衣の上着に水色の袴と白足袋といった神主のような格好へと変わった陽樹を見て、ちまきは驚いたように目を見張る。
「やっぱりびっくりというか、そういう反応になるよね」
「服の神様による神秘というか、まさに神業ですな」
「もっとほめてもよいぞ」
少女たちの反応にモエギが鼻高々な様子を見せたあと、
「さて、ふたりの得物じゃが、こんなもんでよいか?」
大きめの白布を取り出して反物のように丸め、長さ80センチほどで、握るのにちょうどいい太さの棒を2本作りあげた。
ふたりは布棒とでもいうべき物をそれぞれ手に取り、握り具合を確かめ、軽く素振りをする。
「長さや重さは問題ないか?」
「練習で使っているのよりも少し軽いですけれど問題はないです」
「うん、これなら怪我をすることもなさそうだし」
ふたりは特に問題を感じていないように答えたが、陽樹にとって身長の半分もない布棒がちまきにとっては身長の半分を上回っているのは第三者から見てアンバランスに思えた。
しかし、ちまきは不平や不満を浮かべることなく、80センチという少女の手には余るように見える長さの布棒を使い慣れた道具のように扱っていた。
素振りを繰り返していたちまきが布棒を右上へと一直線に振り抜く。
そして素早い速度で反時計回りに円を描くようにしてから右下へと切り下し、左へと一文字を描くように戻していく。
一連の動きは一瞬の燃え上がる炎のような、というよりは炎を揺るがす烈風の勢いを感じさせた。
いっぽうのハルキも直線的な切り上げ、円からの切り返し、と同じ軌跡を描いていたが、彼のほうはゆったりとしていて、ひとつひとつのプロセスを確認するような動作だった。
そのゆるやかさも手伝って、こちらは水面をしめやかに揺するそよ風のようだった。
ふたりが慣らし運転ともいえる動きをだいたい終えるのを見て、
「その布棒には相手に触れたさいに音が出る仕掛けを施しておる。これなら武術の心得がないギャラリーにも分かりやすくてよいじゃろ」
「服が脱げるわけではないんですね」
場を和ませる冗談っぽく言ったちまきに反応し、
「そのほうが緊張感があってよいかもしれんな。お主が望むのなら――いや、互いの了解があるのならばそのような仕掛けにしてもよいが」
モエギは冗談とも真剣ともつかぬ口調で返す。
「笑いをとるというか、冗談のつもりだったんですけど……」
「ヒメ様、冗談が通じないというか通じすぎるから、うかつなことは言わないほうがいいよ」
「いや、ちまきちゃんはともかくハルハルだけは脱げるようにしてもいいのでは」
「それでしたらリューセイさまもぜひその仕様でっ!」
スズノと和子が身を乗り出す勢いと嬉々とした声で、要望を通り越した欲望をストレートに口にするが、
「ふむ。ふたりの命をかけての願いに応じてやりたいのはやまやまじゃが……」
モエギは残念そうな声で答える。
「いや、別に命をかけているわけではありませんが……」
と返した和子の背後から、
「主任さん、八尾先輩」
物静かでありながら異様に迫力のある空子の声が響く。
部屋の温度が一気に10℃近く下がったような感覚があった。
ぎこちなく振り向いたスズノと和子の目に入ったのは、空子の感情の読めない涼しげな微笑み顔だったが――、
「すいませんっした! 調子乗ってましたっ! 反省してますので許してつかぁさい!!」
ふたりは椅子の上に飛び乗ると、正座をして、土下座に近い体勢で頭を下げる。
「すごい、呼びかけただけなのに」
「みごとに態度を改めましたわね」
「委員長の伝説に新たな1ページが」
「ある意味では武闘派って呼べるんかも」
「とまあ、こんな感じで、この店の実質的支配者というか影の総番は、この委員長こと南須佐空子様だから覚えておいてね」
「はい、肝に銘じます」
「変なことを吹き込まない」
「はい」
泉も椅子の上に正座をしておどけながら頭を下げる。
そんなゆるいやりとりのあと、ちまきと陽樹のふたりは店の中央で向かい合って立ち、
「それでは先輩、よろしくお願いしますッ!」
ちまきのはつらつとした声が『あなたのおそば』の店内に元気よく響き渡ったあと、互いに構えた。
陽樹は手にした布棒を体の正面に構えると先端を左斜め下へと向ける。
天久愛流の中で、防御に向いたヤトの型での始点となる基本の構え。
対するちまきのほうは腰を少し落とし、武士の帯刀のように腰の脇へと位置させた布棒の端、刀で例えると柄となる部分に右手を添えた。
天久愛流で攻めを主体とするハレの型での始点のひとつ。
両者ともぎこちなさを感じさせない、ごくごく自然の動作だった。
体の硬さは見えず、ほどよく力の抜けた、それでいて隙のない姿勢。
しかしながら表情のほうは両者ともにやや硬い。
普段の陽樹が見せている温和でのんびりとした感じは鳴りを潜め、神聖な儀式を執り行う進行役とでもいうべき厳粛で近寄りがたい雰囲気をつくりだしていた。
ちまきのほうは興奮を無理に押さえ込んだ表情をしている。
瞳は研ぎ澄まされた黒曜石の刃のように、きらきらとした光を放っていた。
相似的であり対照的でもあるお互いの距離は4メートルほど。
両者の体格差は頭ひとつ分。
大人とこどもとまではいかないものの、ちょっとした兄妹くらいの差があった。
いや『ちょっとした』でくくるには、身長、体重、歩幅、リーチ、いずれをとっても差がありすぎた。
だが互いに引かない。
それどころか、お互いの体格差を計算に入れながらの読みあいを密かに始めていた。
先手を取れた場合どう動くか、後手にまわった場合どう動くか。
視線で相手を捉えながらも、太刀筋を視線で描くようなことはせず、初手からの二手、三手と攻防を織り交ぜて思考する。
双方が動かないまま、互いの息づかいが聞こえてくるような沈黙が続く。
能舞台の幕が上がる前の静寂にも似た、水を打ったような静けさの中、踏み出すのは同時だった。
示し合わせたかのように同時に前へ出たが、足運びは対照的だった。
陽樹は静かに、ゆるやかに前へと進み出る。
波ひとつ立てることなく水面を滑るような足運び。
軸がぶれることなく、氷壁のように相手へと迫る。
対するちまきのほうは一歩一歩力強く踏みしめるような歩みだった。
風を味方につけた炎のごとく、行く手をさえぎるものすべてを蹴散らすような恐れ知らずの豪胆さ。
そうして、お互いを隔てる距離が半分になってもまだ仕掛けない。
だが、より慎重に、より大胆に――、自身がわずかにでも有利となるタイミングを相手の呼吸、身動き、視線の行方から読み解く虚々実々の駆け引きは続けていた。
先に仕掛けたのは、ちまきだった。
すばやく一歩前に出ると同時に、分厚い雲を切り払うような鋭い切り上げ。
陽樹は一歩退くかたちで、相手の軌道を見守る。
切り上げが届かなくとも、ちまきは慌てることなく、雲を追い散らすかのように棒の先端で頭上に円を描く。
そしてさらに一歩踏み込むと同時に、切り下ろした。
今回、陽樹が退くことはなかった。
彼が下へと向けていた布棒はいつの間にか上半身を守る位置にあり、ちまきの一撃を無造作に受け止める。
互いの持つ布棒がぶつかり合った。
布でできているというのに硬い芯があるかのごとく、大きく曲がることもたわむこともしなることもなかった。
両者とも一歩も退かず、双方の武器が触れた時点からふたりに大きな動きは見えない。
膠着状態に見える状況でありながらも、わずかながらでも相手へ得物を届かせようとする圧し合いにくわえ、次の手を繰り出すための読み合い、化かし合いを行っていた。
互いに本領を発揮するのはここからだった。
ちまきの勢いが俄然として跳ね上がり、途切れることのない攻めを見せる。
右から左から。上から下から。
やたらめったらに数打てば当たるとでもいう動きに見えたが、野性味や粗野という勢いではなく、一手打ち込んではすばやく次の手に、次の手を打ち込むときにはさらにその次の手に、という感じの思考しながらの攻撃、攻撃しながらの思考だった。
だが、陽樹もちまきの変幻自在の動きに負けぬようにと、体捌きや布棒による受け止めや受け流しで、彼女の連撃に対応していく。
ちまきも負けじと、攻手を切らずに次々と新たな軌跡を描きだす。
直線と曲線を組み合わせた縦横無尽の連続撃。
真正面からだけでなく、右へ左へ、前へ後ろへと立ち位置を変えていく彼女の小さな体から鬼神のごときエネルギッシュな攻撃が次々と繰り出される。
荒々しく見える武と舞の融合に対し、陽樹のほうも舞のような動きで応じる。
以前からヤトの動きにおいては陽樹のほうが龍星より抜きん出ていたが、フウの型を練習し始めてからはその動きがより洗練されたものになっていた。
ちまきの手数に押されることなく、優雅な舞とも思える動きで彼女の攻撃を捌いていくさまは傘で風雨をしのぐ貴人を彷彿とさせた。
そしてただ受け手にまわっているのではなく、ちまきの動きが少しでも途切れたら彼女の隙を強引にこじ開けて攻勢に移ろうとする姿勢を隠さないしたたかさも見せていた。
そんなふたりの攻防を見ている者たちの反応のうち、『自分ならどう攻め、どう守るか』と自身の立場に置き換えながら観戦していた龍星、琥珀、瑠璃はそれぞれがちまきのことを(自分に似ている)と感じていた。
というのも、ちまきの表情にはことごとく攻撃が防がれることへの焦りや怒り、もどかしさというものはなく、疲れやあきらめも見えず、むしろ今この瞬間を誰よりも楽しんでいるように見えたからだ。
そして永遠に続くと思われていたこの剣劇もクライマックスへと。
ふとした瞬間から攻防が入れ替わり、陽樹が『ここからは自分のターン』とでもいうように、静水が突然の怒濤へと姿を変える。
ちまきほど鋭く速くはないが、一手一手に静かな気迫が宿る連続の斬撃。
曲線、直線。剣を模した布棒の軌道だけでなく、それまでのおとなしい足運びがまやかしであったかのように激しいものへと変わっていく。
守勢にまわったちまきは表情を崩すことなく、どちらかといえば陽樹の攻めを歓迎するかのように受け止め、受け流し、かわしていく。
攻守の入れ替わった攻防のさなか、ちまきが一瞬、手を止めて少し身を退くようにして陽樹へと背を向ける。
隙ではなく誘いであることに気づいている陽樹は剣先を下段へと向けた基本の構えを取りながら近づく。
今現在、ちまきは右手で布棒を握り、左手は先端に近い部分に添えている。
彼女が振り向くとすれば最短かつ最速である右方向がもっとも可能性が高いが、左へ振り返って左手を添えながらの迎撃も考えられる。
陽樹は下段に向けていた剣先をすっと右上へと切り上げ――その途中で布棒の先端をちまきめがけて突き出した。
かつて龍星が琥珀戦で見せた振り抜く途中から突きへと転換した技の応用、そしてちまきの振り向きが左右どちらの場合でも対応するための手段でもあった。
いっぽうのちまきは皆が思いもよらぬ動きをしてみせた。
ちまきは左手で布棒の先端側を握り、持ち方を正反対に入れ替え、左へ振り向くと同時に身をかがめて、陽樹の胴を打ち据えようとする。
彼女の髪をまとめていたリボンがほどけ、残像を生み出すように宙へ舞った。
見ている者たちは布棒をこれまで刀剣として意識していたので、カタナとして考えたときに刃となる部分をつかむという発想がなかった。
棒術をたしなむ瑠璃だけは、彼女の動きが予想通りだったことにまんざらでもない笑みを口元に浮かべる。
予想外のちまきの一手に対し、突きの体勢に入ったままの陽樹は左手のみで布棒を握りしめ、フリーにした右手で左腕全体を叩き押すようにして、下から迫るちまきの肩口めがけて振り下ろす。
陽樹が上から、ちまきが下から。互いの得物が標的めがけて突き進む。
そしてピンポーンと気の抜けた感じのチャイムの音がふたりが繰り広げていた勝負の決着を告げた。




