EP-006 SYNC ERROR: 潜む視線
いつもの日常が帰ってきた。
わたしは退院して、学校に戻ってきた。
今まで通りに学生生活を送っている。
でも今までと違うところもある。
影崎君が暴れた事件の傷跡が、クラスのみんなに見えない壁を作っていた。みんなどこかよそよそしく、距離を取っているように見える。できるだけ相手を刺激しないように。
わたしに対するからかいも鳴りを潜めている。からかわれないのはいいけど、怖がられているのはちょっと気持ちのいいものじゃない。それに、次に暴れるのは、わたしじゃないかとか噂されているのも耳にする。冗談じゃない。
わたしが影崎君と戦った事を知る者は居ないようだった。そのことに心から安堵した。いろいろと噂されたり、問い詰められたりされるのは想像するだけでも嫌だ。
入院中に母から聞いたのだけど、影崎君は入院先の病院で亡くなったらしい。
それを聞いたときは凄くショックだった。まさか、わたしが彼を殺してしまったのかと恐ろしくなった。
『影崎翔太は、あのとき命に別状ありませんでした。生体スキャンで確認しましたし、それは愛衣様もご存知のはず。愛衣様の攻撃が原因ではありません』
シンクロアがそう言ってくれなかったら、わたしは正気を保てなかったに違いない。シンクロアの言葉が嘘でも、それに縋りつきたい思いだった。シンクロアが嘘をつくとは思えないけど。
「なに唸ってるんだい、愛衣」
祐が声を掛けてきた。一瞬、いつもどおり肩をパンっと叩こうとした手を途中で止めて、苦笑いしていた。わたしの身体を気遣っての事だろう。
「なんか雰囲気、変わっちゃったなあっと思ってさあ。みんな」
「そうだねえ。怯えてるんだよ。まあ、あんな事があったんだし、しょうが無いと思うけど。あ、わたしは全然怖がってないよ? 次にあんな事があったらぶっ倒してやろうと鍛えてる。だから愛衣も安心して。今度はちゃんと守るからね!」
むんっと、腕を曲げてポーズを取る彼女に苦笑する。
たぶん、祐が頑張っても、あーいうのには勝てないと思う。やっぱり、わたしとシンクロアじゃないと。でもそんな事は口が裂けても言えない。
「うん。ありがとう、祐」
笑みで応えて、彼女の手を取った。
「おぅ」
祐は、手を重ねて、にっこりと笑う。
わたしは、この笑顔を守りたいと思った。
その日の放課後、帰り支度を整えて教室を出る。
祐は、女子サッカー部の部活動に行ってしまったので、独りで帰る。いつもの事だけど。
正門から学校を出るとき、すぐ外に立っている見知らぬ男子生徒が、わたしの方をじっと見ているのに気がついた。すらりとした、天然パーマの男の子だ。割と顔もいいかも。クール系のイケメンって感じだ。
誰だろう。思い当たらない。
とりあえず軽く会釈して、通り過ぎる。
「ねえ君、在田愛衣さんだろ?」
通り過ぎた後ろから呼び止められる。
「えっと? 何処かでお会いしましたか?」
まったく見覚えがない。名前を呼ばれたので人違いではなさそうだ。こんなイケメン、出会ってたら忘れてない。
「いや、初対面だよ。この前、君を見かけてね。一度話をしたいと思っていたんだよ。君って可愛いからさぁ。まあ、いわゆる一目惚れってやつぅ」
こ、この人、何言ってんの? 一目惚れって?! わたしに? 無い無い。あるわけ無い。わたしだよ? わたし。落ち着けわたし。きっとナンパだ。女なら誰でもいいって男よ。たぶん。
「ここだと落ち着かないね――。そうだ、ちょっと場所を移そうか?」
いい事思いついた! みたいな態度でにこやかにわたしの手を取ろうをしてきたので、慌てて後退る。
「そんなに怖がらなくていいよ。ねえ、いい場所を知ってるんだ。付いておいで」
ちょっと?! 勝手に話を進めて、どんどん歩き始めないでよ。とりあえずついて行きながら、断る言葉を探し続ける。
「あの、ちょっと、困ります。わたし、その急いでますので」
「時間は取らせないよ。すぐに解放してあげる。君次第だけどね」
相手はどんどん歩いていく。ど、どうしよう。祐は? って部活動だし、頼れない。えっと、どうしよう……。あ、そうだ、シンクロア。あ、でも人前で話したら変だし。ぅぅん、どうしよう。無視するのも悪いし、でも付いて行きたくないし……。
「早くしなよ。僕も暇じゃないんだよ」
戸惑いながら付いてきていたわたしに、苛ついたように吐き捨てて、腕を掴んできた。
悲鳴を上げようとしたところ、彼の言葉に声が詰まった。
「見てたよ」
彼はそう言った。
「見てたって、な、なにをですか?」
冷や汗が、背中を伝う。
「グラウンドで凄い戦いしてたね。男子生徒相手にさ。見たところたいして筋力なさそうだけど、どうやったの? 何か特別な事をした?」
見られてた。影崎君との戦いを見られてたんだ。シンクロアに相談しないと。でも相談するには、人気のない場所に移らないと。
「離してください! ひ、ひとを呼びますよ」
こういうとき人を呼んだり、叫んだりするのって勇気がいる。でもそんな事言ってる場合じゃない。なんとかこの場を逃げないと、大変な事になりそうな予感がする。
「おおっと、これはごめんよ。つい熱くなっちゃってさ。僕の悪い癖だ。許してくれると助かる。事を荒だたてるつもりはないんだ。まあ、今日の目的は達したから、大人しく帰るよ。また逢おうね。愛衣ちゃん」
そう言うと、彼は背中を向けて歩き去っていった。
わたしは、しばらく彼の背中を眺めていた。彼の姿が消えたとき、やっと我に返った。
いったいなに? 何が起きてるの?
とりあえず、シンクロアに聞かないと。
物陰に行こうとしたけど、脚が震えて歩けなくなっていた。
まあ、周りに人も居ないし、いいよね。
「シンクロア、脚、動かなくなっちゃったのでなんとかして」
『愛衣様、呼吸を整えて、ゾーンに入れば動きますよ。大丈夫です』
ゾーン、ああ、そうだった。シンクロアの言う通り、わたしは呼吸を整えて、気を落ち着かせる。全身に隈なくエネルギーが行き渡るイメージをすると、身体が暖かくなって来た。
『愛衣様、もう歩けますよ』
先程の震えは無くなり、普通に脚が動いて歩けるようになっていた。
足早に、近くの公園に向かって、ベンチに座る。
辺りを見たわして人が居ない事を確認した。よかった。誰も居ない。これでシンクロアと話が出来る。
「ねえ、シンクロア。さっきの人、どう思う? 影崎君と戦ってるところ見られたみたいだけど、どうしよう?」
『彼が何者かは、わかりません。また愛衣様に会いに来ると思われます。そのときの対処を今のうちに考えておいた方がいいでしょう。彼の口調や態度、それに生体的な反応から、ただの興味本位では無さそうです。明らかに、何らかの意図を持って近づいています。最大級の警戒が必要と思われます』
「でも、どうしたらいいのかなんて、わからない。だって相手の目的が解らないし」
『関わらないのが一番ですが、それでも向こうは関わってくると思われます。あの感じですと、誤魔化すのも難しいですね。相手の意図を探るしか無さそうです。愛衣様は出来るだけ接触を避けてください。最悪の場合は、戦いになるかもしれません』
「戦いって?! 影崎君のときみたいに?」
『そうです。影崎翔太についても調べてみる必要がありそうです。影崎翔太の背後に何かがあるのは確かです。そして先程出会った人物は、その何かに関わる人物だと思われます』