EP-005 SYNC ERROR: 隠されたノード
白い天井をぼんやりと見つめている。
見覚えのない天井だ。家の照明とは異なる、施設で使うような照明だ。
わたしはなんでこんなところで寝ているのだろうか……
なにも思い出せない。
起き上がろうとしたら、背中に電気が走ったよう痺れて、痛みで動けなかった。
諦めて、そのままベッドに横たわる。
白いシーツに白い布団。そして、腕に点滴の針が刺さっている。病衣を着せられ、胸元には心電図のシールが貼られ、指先にはなにやらクリップが挟まれている。ここは、どうやら病院のようだ。
ベッドの脇に、モニターが置かれていて、規則正しい電子音が鳴っている。
「なんか、大事になってるなぁ……」
身体は動かすと痛んだが、こうして寝ている分には全然平気だった。それだけに、こんな大層に処置されているのが不思議でならなかった。
なにがあったんだっけ?
「ねえ、シンクロア……」
不意に自分の口から出た言葉。
シンクロア……。
そうだ、わたし、影崎君と戦って――。
「ねえ、シンクロア、今の状態を教えて!」
しかし、シンクロアからの返事がない。
はっとして、左耳に手を当てる。
「うっぅ……」
急に左腕を動かしたせいで、肩甲骨辺りに激痛がした。
「く……ぅぅ」
しばらく痛みが続き、動けないままでいた。
「かっはぁ……」
肩甲骨辺りの痛みが少し増しになって、ようやく身体が動かせるようになった。
これは相当きてますね。わたし……。
今度は痛みが起きないように、ゆっくりと慎重に左腕を動かし、左耳に触れる。
シンクロアは無かった――
盗られた? それとも落とした? もしかして学校のグラウンド?
シンクロアを無くしたと感じたとたん、胸が苦しくなり、呼吸が激しくなった。
心電図モニターの電子音が乱れる。
看護師が急いで部屋に入ってくる。
「在田さん、大丈夫ですか? 落ち着いて!」
わたしは呼吸が苦しくて、返事ができず、仕方なく看護師に縋りついた。
「早く近藤先生を!」
看護師が、近くの同僚になにやら指示を出しているらしい。
「シンクロアを……、イヤホンを……、わたしのイヤホン、知りませんか……?」
やっとのことで声を絞り出して、看護師に伝える。
「え? イヤホン? わかりません……。とにかく、今は落ち着いて」
駄目だ。落としたら学校のグラウンドに違いない。急いで取りに行かないと……。
「在田さん、落ち着いて。今動いちゃ駄目です!」
看護師を振り切って行こうとするも、身体が思うように動かせず、簡単に看護師に取り押さえられてしまった。
「お願いです……。あれは……。大事なものなんです……わたし……」
「鎮静剤を――」
駆けつけて来た医師の声が聞こえた。
その後、腕にチクリとした痛みを感じ、わたしの意識は薄くなっていった。
◇◇◇
次に目が覚めたとき、看護師がすぐに飛んできた。
看護師の表情から、またわたしが暴れ出すんじゃないかと警戒していることがわかる。
「あのう、在田さん? 体調はいかがですか?」
わたしの様子を窺おうと聞いてきた。
「この前は、すみませんでした。もう大丈夫です」
看護師の身体から緊張が解けたのを感じた。
そんなに警戒しないでよ。わたしはただ――シンクロアが
「あ、あの、看護師さん、わたしの、イヤホン……ご存知ないですか?」
「イヤホンですか? さあ」
「えっと、ずっと耳に付けていたんですけど。気がついたら無くなってて……」
最後に記憶にあるのは、学校のグラウンドだ。そこから病院に運ばれたのだとしたら、救急車の中という可能性も――
「こちらに運ばれたときにお持ちのものでしたら、そこの私物袋に入ってると思います」
そう言って、床頭台を指さした。
わたしは急いで床頭台を調べようと身体を起こすと、また激痛が全身に走った。
「あっ、ぐぅ……」
「あ、今は無理に身体を動かさないようにしてください。私がお取りますね」
「あ……はぃ……よろし……くおねがい…します……」
痛みで目がチカチカする。でも今は一秒でも早く、シンクロアの所在を確かめたかった。
看護師はわたしの痛みが収まるのを待って、私物袋を渡してくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、看護師さんは優しく微笑んだ。
早くシンクロアを見つけたいという気持ちと、無かったらどうしようという気持ちがせめぎ合い、のろのろとした動作で袋の中を探る。
着ていた制服が綺麗に畳まれて袋に入れられている。そこから滑り落ちるように、袋の奥に――
シンクロアがいた。
あった。よかった。いてくれた。
「ありました」
看護師さんにまたお礼を言った。
「私物袋は、戻しておきますね」
そう言うと、看護師さんは床頭台に袋を戻した。
すぐにでもシンクロアと会話したいけど、どうやらここは普通の病室じゃないみたい。わたしに何かあると看護師飛んでくるし。しばらくは我慢した方がよさそうね。シンクロアの無事は確認できてるし、焦る必要はないものね。
◇◇◇
その後すぐに、お医者さんの診察と再度のCT検査を受けた。
診断の結果は、全身打撲と脳挫傷ということで、脳挫傷に伴う小さな出血があるのでしばらくは安静なのだそうだ。症状的には、血は自然に吸収されて消えるらしい。
その日の夕方に、状態安定ということで、わたしは一般病棟へ移動が決まった。それまでは、HCU――高度治療室/ハイケアユニット――というところにいたらしい。
母がわたしの着替えを持ってやって来た。
どうやらわたしが意識不明のときに、すでに母は来ていたらしい。夜に一度家に帰っていたのだ。
洗濯もしてくるから、といって私物袋に入っている制服を取り出していた。
あぶないあぶない。母が来る前にシンクロアを取り出しておいて正解だったわ。
「じゃあ、そろそろお母さんは帰るから。また明日の朝に来るわ」
「ん? ああ、いいよ大丈夫だよ。お仕事休んじゃってるでしょ? 仕事終わってからでいいよ」
「そう? じゃあ、何かあったらすぐに連絡するのよ」
そう言って、母は帰っていった。
「シンクロア、起きてる?」
母が帰った後、左耳に掛けたシンクロアを小声で呼ぶ。
『はい。愛衣様、起きてますよ。そのまま装着したままでいただければ、お身体の修復を行います。どうされますか?』
病室の壁時計は、まもなく夜の九時を示すところだった。
「そうね。お願いするわ。あんまり長居したくないし。わたし相部屋って苦手なのよ」
HCUは一人だからよかったけど、今は一般病棟。四人部屋に三人が入っている。
『わかりました。不自然さがないように、できるだけ早めに修復できるように調整します』
「お願いね。あ、シンクロア」
シンクロアを呼んだのは、身体を修復してもらうためじゃない。シンクロアに伝えたい事があるからなんだ。
「シンクロア。ありがとうね。助かった。わたし、シンクロアがいなかったら戦えてなかったし、何も守れなかったから」
『ワタシは、愛衣様の力を引き出しただけです。ワタシの力ではありません』
「ううん。それでも。ありがとうね」
そう、シンクロアがいなかったら、わたしはただ影崎君に殴られて終わっていた筈だった。誰も助けられずに、みんなが傷つけられるのを黙って見ている事しかできなかったと思う。だから、本当に感謝してる。お父さんがこんな事のために、シンクロアを送ったとは思えないけど、それでもお父さんにも感謝したくなった。
◇ ◇ ◇
次の日
祐が見舞いに来た。
「愛衣が一番重症だよ。他のみんなも怪我はしてるけど、入院してる人はいないよ。影崎以外ね」
そっか。誰も死なずに済んだのね。よかった。それに、影崎君も生きていたんだ。よかった。殺してなくて。
「影崎君は入院してるんだ?」
「詳しくは知らないけどね。先生は何も教えてくれないし」
「祐は大丈夫なの?」
彼女は、影崎君にふっ飛ばされて気絶していたのを覚えている。かなり強くぶつかっていたのを記憶している。
「うん。私は、軽い脳震盪だってさ。ぶつけた背中はまだ痛いけど、骨も異常なしだよ」
そう言って明るく笑う。よかった。祐が無事で。
「愛衣。なんか、ごめんね」
「え? 何が?」
「私、愛衣を助けられなかったからさ」
ほんとに済まなそうに項垂れる。
「いやいやいや、だって、相手は男の子だったし」
慌てて、祐の手を取って慰める。
暴走した影崎君を止められるのは、わたしにしか無理だった。いや、正確に言えば、シンクロアとわたしだけど。わたしもシンクロアがいなかったら、なにもできなかっただろうし。祐がどれだけがんばっても、あの状況なら無理な話だ。
「むしろありがとうだよ、祐。わたしを助けようとしてくれて」
本当にそう思う。あの状態の影崎君に挑むなんて、とても普通できないことだ。
「そう言ってもらえると、助かるんだけどねー。まあなんだー、いつも愛衣を守るって言ったのに、肝心なときに何もできなかったからさ、愛衣にがっかりされたかなって思ってたから」
がっかりなんて、するわけない。むしろ祐の勇気を改めてすごいと思う。
「ううん。そんなことないよ。あんな怖い影崎君から守ろうとしてくれたじゃない。すごく感謝してるよ。それに、いつも祐には感謝してるのよ」
シンクロアが来るまでは、本当にずっと祐に守られていた。それは事実だし。そのことにはすごく感謝している。
「いつもさ、みんなから、陰口で叩かれて落ち込んでるときも、祐が傍にいてくれたから、なんとか耐えられたんだよ。本当にありがとうだよ」
偽りない本当の気持ちだった。わたし独りだったら、とうの昔に引きこもっていたかもしれない。
そして、いつも祐に悪いと思っていた。
「今度こそ、ちゃんと愛衣を守るからね」
祐の手が、強く握り返してきた。祐の眼は輝いていた。わたしもこんなふうに輝けたら。
「ありがとう、祐」
でも、わたしにはいまはシンクロアがいる。だから、今度はわたしが祐を守るんだ。
そのときのわたしは、大事なことをすっかり忘れていたのだ。
影崎君の中にシンクロアのようなものがあるという、シンクロアの言葉が何を意味するのかを。
◇ ◇ ◇
薄暗い地下にある手術室。ベッドに上に影崎翔太が横たわっている。生きてはいるが意識はなく、まるで死んでいるかのようだ。
「それでは、シグマノード(SigmaNode)の摘出を始めます」
手術着に身を包んだ医師が、そう宣言する。
周囲に居る三人の助手たちが手際よく作業を進める。
頭髪を剃り、CT画像と照合しながら目標の位置を確認する。
医師は、手術用マーカーで目標位置に切開線を引いた。
メスを手にした医師が、目印に沿って頭皮を切る。
電動メスで出血を止めながら頭皮と筋層を開く。
白い頭蓋骨が露わになる。
「ドリルを」
助手が差し出したドリルを受け取り、医師は頭蓋骨に小さな孔を開ける。
ギュイィィン、と硬質な音が手術室に響く。
開けられた孔を起点として、骨用の電動鋸――クラニオトームが頭蓋骨を切り進めていく。
四角く切り取られた骨弁を、医師は鉗子で慎重に持ち上げた。
だが、骨弁はすぐには外れない。
内側から伸びる何かが、まだ頭蓋内に繋がっている。
医師は骨弁をわずかに浮かせたまま、隙間から内部を覗き込む。
頭蓋骨の裏側に、薄い小型のデバイスが固定されて埋め込まれていた。
「ありました。シグマノードです」
医師は、部屋の隅で見守っている黒いスーツ姿の男に報告する。
そのスーツの男は頷き、医師に作業を進めるように促した。
医師は作業を再開する。
そのデバイスから伸びる無数の細い電極が、硬膜を貫き、脳の表面へと入り込んでいる。
「電極をすべて抜き取れ。断線させるなよ。それと、一本も残すな」
スーツの男からの指示が飛ぶ。
硬膜を切り開き、脳表に刺さった細い電極を一本ずつ抜き取っていく。
すべての電極が抜き取られた後、医師はようやく骨弁を外した。
頭蓋骨の裏側に固定されていた小型デバイスを、器具で慎重に剥がし取る。
「どうぞ、シグマノードです」
取り外した医師は、シグマノードをケースに入れ、黒いスーツの男に渡す。
「それで、被検体の処理はどうしますか?」
尋ねられた黒スーツの男は、少し思案した後、
「まあ、医療ミスは起きるときは起きる。それはどんな医療チームが全力を尽くしたとしてもだ。そうだろう? それに君たちは全力を尽くした。そういうことだ」
「わかりました。ではそのように」
黒スーツの男は、シグマノードの入ったケースをアタッシュケースに仕舞う。
「あー、この件は内密にお願いします。そうでなければ」
「はい、わかっています。わかっていますとも、司祭様」
満足そうに、司祭と呼ばれた黒スーツの男は、手術室を去っていった。




