EP-004 SYNC ERROR: 視界の歪み
「シンクロア、わたしは攻撃するから、回避をお願い」
『了解しました。できるだけ致命傷にならないように、回避します』
それはつまり、シンクロアをもってしても躱しきれないということ。何発も殴られたり蹴られたりするのを覚悟しないといけないことだ。
『勝機は、影崎翔太が盲目的に突進して来る行動パターンであることです。知的な戦略を取るようには見えません』
シンクロアの言う通り、影崎君の攻撃は乱雑で力任せであり、テクニックがあるようには見えない。それにこっちから行かなくても、常に向こうからやって来る事だ。
何度目かの影崎君の突進を受ける。
攻撃も単調。左腕を大きく振りかぶって殴ってくる。
それを躱して、横を抜けようとすると、膝を合わせてくる。
先程と同じパターン。
彼の膝に手を置き、勢いを利用して前方宙返りする。わたしの着地を狙って、次の後ろ蹴りが迫る。それを、しゃがんで躱す。
しかし、完全には避けきれなかった。彼の脚が頭を通り過ぎると、次の瞬間、頭を砕いた様な鋭い痛みが走った。話には聞いていたけど、シンクロアが躱しきれなかった事がとてもショックだった。
影崎君の猛スピードの蹴りは、かすめただけで全身に電撃のような衝撃が走る。足元がぐらつき、膝が悲鳴を上げている。立っているのがやっとだった。
『気をしっかり持ってください。意識が途切れますと、感覚共有も切れてしまいます』
シンクロアの声が遠い。視界がぼやけて二重に見える。
影崎君がまた突っ込んで来るのが見える。
彼の繰り出すパンチを受け止める。
『愛依様、今の愛依様の状態ですと、回避行動が取れません。痛みは出来るだけ抑えますので耐えてください』
シンクロアは躱すのは無理と判断したのか、手や腕で受け止める動きを始めた。
影崎君の拳が叩きつけられるたびに、腕の骨に鋭い痛みが響く。蹴りを受けると、身体が飛ばされて、全身が痺れる。
打たれるたびに、痛みが積み重なって来る。最初は耐えていたけれど、段々と腹が立ってきた。
こんなの理不尽だ! なんでわたしが一方的に殴られなきゃならないの?!
「いい加減にして!」
気がつけば、身体が勝手に動いていた。考えるよりも早く、わたしは彼に頭突きしていた。
シンクロアが動かしたわけじゃなく、完全に無意識な反応だった。
ゴンっと鈍い音をして、影崎君が怯んだ。
わたしの方も、頭のダメージが大きかったらしく、頭が割れそうに痛む。いや実際割れたんじゃないだろうかと心配になる。でもシンクロアに確認するのも怖かった。
影崎君は、なんか怒っているようにフーフー言っている。
あれだけわたしをボコボコにしておいて、何を怒る事があるって言うのよ?!
頭突きで当てた額がズキズキと痛む。
あれ? 彼の姿がぶれて見える。これはもうダメかな。
最後にシンクロアにお礼言っておかなきゃね。ここまで頑張ってくれてたんだから。
「シンクロア、ここまで付き合ってくれてありがとう」
しかし、シンクロアからの返事がない。
「シンクロア? どうしたの? まさか壊れちゃったの? ねえ?」
ザンっと地を蹴る音。影崎君のパンチが眼の前に迫る。
身体が反射的に、パンチを避けるように動くが間に合わず、顔面にヒットするかと思われた瞬間、パンチが顔をすり抜ける。遅れて左腕が同じ軌跡を通り過ぎていく。
「なに? 何なの?」
戸惑う中、下からの蹴り上げが来る。
これも躱そうと身体を捻るけど、間に合わない。しかし、脚が身体の中を素通りしていく。遅れて脚が同じ軌道で過ぎていく。
ここはひとまず彼と距離を取って、観察してみる。何が起こっているのか。
影崎君の動きが、分裂したように揺らめく。
最初、眼がおかしくなって二重に見えてしまっているんだと思った。頭突きで脳が、眼が壊れたのだと。でもこれはやっぱり違う。ぶれて見えているのではなく、彼の未来の動きが先に見えているんだ。
「試してみるかしら」
再び彼の左腕の像が先に動いて見える。
その像の軌跡に当たらないように避け、下から来る蹴りの像も同様に避ける。
思ったとおりだ。
この像に当たっても衝撃はない。像は、彼の動きを数秒先に映し出しているんだ。
これならいける! 相手の軌道が先に判るなら、充分に躱せる。
シンクロアが考えた方法。影崎君に彼の身体の限界まで攻撃を続けさせて、活動停止に追い込む。
それが、出来ると思った。
それでも何度か脇腹や背中、頬を打たれたが、額のジクジクした痛みが増すにつれて、影崎君の動きがスローモーションに見え、ほとんど躱せるようになってきた。
わたしが躱し続ける事に、苛立ったのか、影崎君は怒りに任せて攻撃の激しさを増した。
それでももうわたしは、余裕で躱せるようになっていた。
そしてそのときが来た。影崎君の猛攻が次第に弱まり、ふらつき始めた。
彼の左のパンチの軌道が見える。その軌道を躱しながら、わたしの身体が自然に彼の左腕の袖を掴み、身体を回転させる。綺麗な一本背負いで、彼の身体がふわりと宙に浮き、轟音と共に地面に叩きつけられていた。
柔道なんてやったことないのに、何故かこうすれば決まるという閃きが額から湧いた。
グラウンドに倒れた影崎君を見下ろし、荒い息を整える。
そうしているうちに、視界の歪みも、額の痛みも無くなった。
ハッと我に返り、横わたっている影崎君の傍らにしゃがみ込んで、手首を取って脈を確認するが、脈があるのかないのか、よくわからない。
死んでないよね? お願い。息してるよね?
目で見てもよくわからなかったので、手で彼の胸に軽く触れてみる。呼吸音を確認しようと彼の顔に耳を近づける。
それでもよくわからない。
周りに助けを求めようと、見回すけど、誰も居なかった。
「どうしよう……。殺しちゃった? ねえ、起きてよ! 起きてよ!」
影崎君の身体を掴んで何度も揺さぶる。
『愛依様、あまり動かさない方が良いです。影崎翔太の生体スキャンを行いました。大丈夫です。影崎翔太は生きています』
「シンクロア! どうしたの? 呼んだのに応えてくれなかったじゃない! わたし怖かったんだからね!」
『そうおっしゃられても困ります。ワタシは愛衣様の一部になっていたので、応答できませんでした。今しがた、ようやく解放されたところです』
「わたしの一部になるってなに?! どういう意味?」
『愛衣様のゾーンの深化が進んだのだと思われます。そうなると、愛衣様が思うだけでワタシの機能が自動的に発動します。そのときワタシは、愛衣様に溶け込んでいますので、返事が出来ないのです。ワタシは愛衣様の細胞の一つになったと、そう考えて頂ければイメージしやすいかと』
そうなんだ。それって凄い事だけど。どうなの? わたし大丈夫なの? それ?
あまり深く考えないようにしよう。
『それよりも、愛衣様にお伝えしないといけない事があります』
シンクロアが、こうして改まった言い方をするときは、たいがい嫌な事を言うのだ。
覚悟して、シンクロアに先を促す。
『ワタシのエネルギーが消耗しているので、充電に入りたいと思います。ただ、ワタシが充電に入りますと、愛衣様の身体の負担を軽減する事が出来なくなります。今、愛衣様が普通に立っていられますのは、身体の損傷をワタシの方で軽減して修復及び痛みの鎮静を行っているからです。それが出来なくなりますので、どうかそのまま、愛衣様もお休みになってください。それではお先に失礼します』
「え? ちょっと!」
シンクロアが無言になると同時に、身体の力が抜け、地面に座り込んだ。
身体が軋む。全身の骨という骨が軋んで痛みを訴えているかのようだ。
これは、無理。身体起こしてるだけで力がどんどん失われていく。
祐や、他の倒れている生徒たちの事も気になったけど、もう意識を保つのも難しくなり、そのまま地面に横たわった。
これで終わったんだよね? ねえ、シンクロア。
わたし、祐を、みんなを守れたんだよね。シンクロアのおかげだけど。
もっと上手くやれると思ったんだけどなあ。
でもシンクロアと一緒なら、わたし変われそうな気がする。ふふ。
それにしてもなんだか、締まらないなあ……わたし。