EP-003 SYNC ERROR: 影の暴走
父の書斎の扉を静かにそっと開ける。
幼いわたしは、椅子に座って後ろを向いている父の姿を見る。
父の笑顔見たさに「お父さん」と、小さい声で呼びかけた。
しかし父は、振り向くことなく、机に向かってモニターを見つめながらキーボードを叩くカタカタという音がだけが聞こえる。
声を掛けても返事がない。聞こえていないのか。相手にしてもられていないのか。
唇を噛み締めて、わたしは部屋を出て扉をそっと閉じる。
父と遊んだ記憶はない。父の笑顔の記憶もない。記憶にある父の顔は、いつも怖い顔だ。
そしてわたしが中学二年生の頃、両親は突然離婚した。
「どうして?」
わたしが理由を聞いても、母は「さあ、どうしてかしらねえ」とごまかすだけで、教えてくれなかった。
両親は仲が良かったのかどうかはわからないけど、喧嘩しているところは見たことがない。特別仲が悪かったようには思えなかった。だから、離婚したことが理解できずにいる。
そうして、わたしは母に引き取られて、母と二人暮らしになった。
幼い頃から住んでいた家も引っ越した。引っ越し先は隣町ではあったが。
引っ越し作業や手続きなどが一段落した後、わたしは母に黙って、こっそり父に会いに行った。
しかし、わたしたち家族が元々住んでいた家は、もう別の家族の表札に代わっており、父の姿はなかった。
わたしは、ネットを使って父の名を検索した。
父はAI研究を仕事にしていたから、どこかに情報がないかと思ったのだ。
しかし、すぐには見つからなかった。
空いた時間を使って、何日も検索し続けた。
そしてやっと、一つのブログに行き当たった。
片田舎に小さな研究所が稼働したという記事だった。所長が楽しそうに研究への意気込みを語っていた。そして、その記事の中に出てくる研究者の名前に父の名があった。
わたしは学校をズル休みし、朝一番になけなしのお小遣いをはたいて電車を乗り継ぎ、その研究所があるという片田舎へ向かった。
研究所に父が出入りするところを捕まえようと、何時間も待ち伏せた。お昼も過ぎて、お腹も空いてきたけれど、入れ違いになるのが怖くて研究所の傍から離れられずにいた。
そしてやっと、研究所に入ろうとしている父の姿を見つけた。
「お父さん!」
わたしは全力で、父に走り寄った。
父が、わたしを振り返って、そして――笑った。
『愛衣様、起きてください。愛衣様』
耳元で聞こえるシンクロアの声に、現実に引き戻される。
何か重要な夢を見ていた気がする。父が今そこにいたような……。
「お父さん、笑ってた」
自分の目から涙が流れている。
あれ? わたし、なにしてたっけ。
自分が床に寝転がっているのを確認する。
すごく頭が痛む。
「シンクロア……わたし、どうしたの?」
『愛衣様は、影崎翔太に殴られて五分程、気を失っていました。影崎は、廊下を埋め尽くしていた生徒たちを追い掛け回して、教室外に出ました』
「そう……か。わたし、殴られたんだ。どうりで頭が痛いわけね」
動くと頭がズキズキする。できるだけ痛みが発生しないように注意しながらゆっくりと起き上がった。そして周りを見ると、教室中の机や椅子があちこちで横倒しやひっくり返しになって乱れている。
男子生徒や女子生徒が、数人その上や下で転がっている。苦しそうに、うめき声を上げている子もいる。
ロッカーの方に目を移すと、祐がうつ伏せで倒れたままだ。
長い間、気を失ってたかと思ったけど、教室の状況から、ほんとにシンクロアが言ったとおり、五分ぐらいの事だったんだと思った。
そして遠くで生徒たちと思われる悲鳴が上がり続けている。影崎くんが暴れ続けているのだろう。祐や、倒れているみんなも早く病院に連れて行かないと。考えると頭が痛くなる。
「シンクロア、どうしたらいい?」
『愛衣様は、どうされたいのでしょうか?』
「わたしは――、影崎君を止めたい。勝てなくてもさ、止めるだけなら何か方法はない? 彼を放って置いたら、もっとたくさんの人が、ひどい目にあっちゃうし」
『影崎翔太の状態から、ワタシたちと同じような性質を感じます。先ほど、愛衣様が彼の耳に触れた事ではっきりしたのですが、彼から流れ出していた異常な波長は、彼の身体の内部から出ていました。つまり、身体の内部にワタシのようなものが埋め込まれていると思われます。それを取り除くということは、影崎翔太の生命を奪う事になりますが、よろしいですか?』
「影崎君の生命を奪う? 殺すってこと? そんなのダメよ! 人を殺すなんて、やっちゃだめよ」
考えるだけでも恐ろしい……。わたしがこの手で人を殺めるなんて……。いくらなんでもそんなこと……。
でも身体に埋め込まれてるってなに? だれが何のために埋め込んだの? なんか怖いんだけど……。
『わかりました。では、彼を殺さずに止める方法を提案します。このまま影崎翔太を放置していれば、彼の身体は、いずれ力尽きます。無限に最大の力を使い続けることは出来ません。身体の限界が来たとき、彼は停止します』
「でも、それじゃ、それまでみんなが危険な目にあうんでしょ? そんなのダメ。却下! 他にないの?」
『わかりました。では、できるだけ早く、影崎翔太の身体が限界を迎える方法を取りましょう。愛衣様が彼を引き付け、彼に力を使わせ続けるのです』
「えっと、力を使わせ続けるって? 具体的には?」
『彼に、力を使った攻撃をさせ続けるのです。ワタシの方で回避は、やりますのでご安心を』
ご安心をって……。まったく安心できない話なんですけど?!
「それってつまり、さっきみたいに、殴ったり蹴られたりするってこと?」
『はい。先ほど殴られた状態から計算しますと、あと三発ぐらい直撃を喰らっても命に別状はないかと。もちろん、愛衣様が気絶しないよう注意はいたします』
「三発も?! 直撃! 命に別状はないって言われても、腕の一本や二本折れてそうな感じよね。それ!」
なんかすごく痛そうな想像しかできなくて、既に逃げたくなってきた。でも言い出した手前、相手がシンクロアという機械だとしても、引っ込めるのは恥ずかしかった。
『まもなく影崎翔太は逃げる生徒を追いかけて、グラウンドに出てくるところです』
散乱している机や椅子を避けて、教室の窓まで歩いて、そこからグラウンドを見た。
たくさんの生徒が上靴のまま、逃げ回っているのが見える。
『愛衣様、急がないと学友が危険です。ここから飛び降りましょう』
ちょっとシンクロアさん? なに言ってらっしゃるの?!
「こんなところから飛び降りたら、死んじゃうよ?!」
そう、ここは校舎の三階。飛び降りたらただでは済まない。大怪我をするかもしれないし、最悪死ぬ事もありそうだ。
『愛衣様、大丈夫です。近くにある木を使えば、降りられます。そばに生えている木に飛び移り、枝をクッションにすれば、着地できる速度に減速できます』
「えっ? あ、はい……」
『愛衣様、ではゾーンへ誘導しますので、呼吸をお願いします』
もうやるしかないのね。
内心は逃げたくなっているけれど、もう後へは引けない感じなっちゃった。
観念して、シンクロアの言う通りに、息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。
でも本当にこんなところから飛び降りて、わたし大丈夫なのかしら?
『愛衣様、ゾーンに入りました。いつでもどうぞ』
ゾーンに入ってくると恐怖が麻痺するのだろうか? さっきまで感じていた躊躇いが、すぅっとなくなった。
「行きまーす!」
わたしは窓枠を蹴り、校舎の外へダイブした。
「あの木だ」と、わたしの直感が告げる。その狙った木に向かい、一気に飛ぶ。
普段のわたしでは考えられない程の距離を飛翔して、目標の木に辿り着く。足を置くための枝を視線で探す。落下している感覚が内臓が持ち上がる状態でわかる。しかし恐怖はない。そしてわたしには、周りに映るすべてがスローモーションに見えていた。
木の枝部分が輝いて見える。そこが減速に有効なポイントだと、自然にわかる。その木の枝に両足で着地した。
わたしの落下の勢いと重みに耐えきれず、枝がボキンと音を立てて折れた。
わたしは、自分の体勢を崩さないように集中しながら、次の足場となる枝を視線で探して飛び、乗っては折りを繰り返し、最後はそのまま地上に降りた。
ダーンという大きな音が響いて、全身が衝撃で電気が流れたように痺れる。
「痛い。ぅぅ、わ、忘れてたぁ。朝転んだ痛みがが。くっ、ぅぅ。シ、シンクロア。なんとかして」
『愛衣様の身体に異常はありません。大丈夫です』
いや、大丈夫じゃないから、言ってるんですけどー!
まったくこれだから機械は! 痛みとか感じないでしょうしね。
「まあ……無事に降りられたからいいけどさー。あ、でも、やってしまってから言うのも何だけど、こんな飛び降りしてもよかったの? 人に見られてない?」
『見られていたとしても、火事場の馬鹿力ということでなんとかなるでしょう』
結構、いい加減なのね。
『愛衣様、影崎翔太が出てきます。左方面です』
わたしが降りた場所から二十メートル程離れた校舎の影から、彼が生徒たちを蹴り飛ばし、投げ飛ばししながら走り出して来た。手当たり次第に襲っている。
『行きましょう。愛衣様』
影崎君目掛けて走る。こうなら、やけだわ。気合い入れて行くしかないわね。
周囲の眼を考えて、シンクロアが出力を抑えているのか、思ったほど足の速度が出ない。
「ねえ、シンクロア? なんか速度遅くない?」
『現在の愛衣様の身体の負担を考えると、今ここで無理に速度を上げるのは得策ではありません。影崎翔太との戦いに消費するエネルギーを考えますと現在でも足りないくらいです』
でも今の速度じゃ追いつけない。彼との距離がどんどん離れていく。
『すぐ近くにサッカーボールが転がっています。あれを使いましょう。蹴って影崎翔太に当てるのです』
少し走った先に、サッカーボールが転がっている。
「えええ、でもわたし、サッカーボールなんて、まともに蹴れないよ?」
『大丈夫です。ワタシがサポートします――。愛衣様との感覚共有が完了しました。愛衣様の身体動作を微調整しながら、影崎翔太に確実に命中させる軌道で蹴り出します』
「わ、わかった。やってみる……」
全速力で突進し、影崎君の背中目掛けて、サッカーボールをエイヤッと蹴る。
スパーンっと、サッカーボールは鋭く空気を斬り裂く音を出しながらドライブ軌道を描き、影崎君の背中を直撃した。
「やった! 当たった!」
こんな狙い通りにいくなんて、すごい。初めての経験だわ。
ボールが直撃した影崎君は、そのまま前方に倒れ、地を滑っていく。
『愛衣様、影崎翔太が愛衣様に狙いを絞ったようです』
え? もしかしてシンクロア、影崎君がわたしを狙うようにするため、サッカーボール当てさせたの?
すぐに起き上がった影崎君は、わたし目掛けて駆けてきた。
教室で折れた彼の右腕が、千切れそうになって揺れている。
「ひっ! こ、こわいわ」
『愛衣様、では計画どおりに。回避はワタシにお任せ下さい』
「えっとじゃあ、シンクロア、わたしは何をすればいいの?」
計画では、影崎君にわたしを攻撃させて彼の身体に限界が来るのを待つ。だったわね。
『愛衣様、無理な攻撃だけは、しないでくださいね』
つまり、何をしないほうがいいのかしら。
突進して来た影崎君の形相が、もはや人間のものではないように見える。
眼が赤く光って、口が吊り上がって笑っている。
「倒ス。倒シテヤル!」
影崎君が吠え、左腕で殴ってくる。
それを鼻先を掠るところで躱して、彼の横を抜ける。
目の前を猛スピードの拳が掠めていくのは、とても怖い。
「ひぃ!」
わたしを逃がすまいと、膝蹴りが来る。
それをわたしの両手が、素早く掌底を打ち出してブロックするが、膝蹴りの威力で、身体が後ろに飛ばされる。
その勢いを利用して、影崎君との距離を取る。
「痛い……。手がジンジンする」
膝蹴りを受けた両手の平が痺れて指がちゃんと動かない。腕の骨が、痛みが染みていくように広がる。
『愛衣様、少し困った事になりました』
「ふえ? 困った事ってなに? どうかしたの?」
『影崎翔太ですが、先ほどよりパワーとスピードが上がっています。人間には身体を守るために力を抑制する機能がありますが、恐らく、影崎翔太のそれが、今は麻痺していると思われます。完全に力の抑制が壊れています。彼の速度を回避する事は、難しい状況です』
「そうなんだ。じゃあ、もう周りの眼とか、気にしてられないね。フルパワーでいきましょう。いいよね?」
『愛衣様、大変申し訳無いのですが――』
わたしはその後に続く言葉が、信じられなかった。
『実はさっきから、フルパワーで動いています』
「え? そんな。じゃあ、ど、どうすんの? どうしたらいいの?」
わざとにギリギリで避けるように、力を調整する。それが教室で戦っていたときの事だ。今もそのつもりだった。でも、今のが全力だったなら……
『はい。作戦の練り直しになります。しかしながら、もはやこの場からの離脱も難しいかと思われます。それに影崎翔太から強い殺意を感じます。他の者に対するもの以上に、愛衣様への殺意が強いです。危険ですので注意してください。確実に殺しに来ると思われます』
「なんで? わたしなんかした? ええ?」
『恐らく、愛衣様が簡単に倒されなかったからと思われます。自分に対する脅威として認識されたようです』
それって、わたしというよりシンクロアの力なんだけどね。わたしなんかに勝ってもしょうがないのに。こんな形で注目されるのは心外だわ。
それはそれとしてよ。わたし、どうしたらいいの?
シンクロアの作戦もダメだった。そして逃げる事もできないなんて。
不気味に睨んでくる影崎君の瞳に、恐怖で身体が震える。
ふぅーふぅーと荒い息を吐いていた影崎君が身体を屈め、それから弾けるように、一直線にわたしに向かって飛び掛かって来る。
もはやこれまで……って感じ?
このまま逃げて殺されるのだけはいやだ。
どうせなら、最後まで戦って死にたい。そう、最後ぐらいは――
「シンクロア、最後まで付き合ってくれる?」
『もちろんです。ワタシは愛衣様のための、シンクロアです』




