EP-003 SYNC ERROR: 影の暴走
父の部屋の扉をそっと開ける。
幼いわたしは、父の様子を窺う。
「お父さん」と、父の笑顔見たさに、小さい声で呼びかける。
しかし父は、振り向くこと無く、机に向かってモニターを見つめながらキーボードを叩いている。
声を掛けても返事がない。聞こえていないのか。相手にしてもられていないのか。
唇を噛み締めて、わたしは扉をそっと閉じる。
父と遊んだ記憶は、ほとんどない。父の笑顔の記憶もない。
そしてわたしが中学二年生の頃、両親は突然離婚した。
理由を聞いても、母は教えてくれなかった。
両親は仲が良かったのかどうかは解らないけど、喧嘩しているところとかは見たことがない。特別仲が悪かったようには思えなかった。
わたしは、母に引き取られて、母と二人暮らしになった。
幼い頃から住んで居た家も引っ越した。
母に黙って、父に会いに行こうとした。
元々住んでいた家は、別の人が住んでおり、父は居なかった。
そして、父がいる場所を突き止めた。
それは片田舎にある研究所だった。
何の研究をしているのか解らなかった。
研究所に父が出入りするところを捕まえようと、何度も待ち伏せした。
そして、研究所に入ろうとしている父の姿を見つけて走り寄った。
「お父さん!」
父が、わたしに振り返って、笑った。
『愛依様、起きてください。愛依様』
耳元で聞こえるシンクロアの声に、現実に引き戻される。
何か重要な夢を見ていた気がする。父が今そこに居たような……。
「お父さん、笑ってた」
自分の眼に涙が流れている。
あれ? わたし、なにしてたっけ。
自分が床に寝転がっているのを確認する。
凄く頭が痛む。
「シンクロア、わたし、どうしたの?」
『愛依様は、影崎翔太に殴られて五分程、気を失っていました。影崎は、廊下を埋め尽くしていた生徒たちを追い掛け回して、教室外に出ました』
「そう……か。わたし、殴られたんだ。どうりで頭が痛いわけね」
起き上がりながら周りを見ると、教室中の机や椅子があちこちに散乱して横倒しや反対向けになったりしている。
男子生徒や女子生徒が、数人その上や下で転がっている。苦しそうに、うめき声を上げている子もいる。
ロッカーの方では、祐が倒れたままだ。
長い間、気を失ってたかと思ったけど、教室の状況から、ほんとにシンクロアが言ったとおり、五分ぐらいの事だったんだと思った。
そして遠くで学生たちと思われる悲鳴が上がり続けている。影崎くんが暴れ続けているのだろう事が予想できた。祐や、倒れているみんなも速く病院に連れて行かないと。
「シンクロア、どうしたらいい?」
『愛依様は、どうされたいのでしょうか?』
「わたしは――、影崎君を止めたい。放って置いたら、もっとたくさんの人が、ひどい目にあっちゃう。シンクロア。わたしたちなら何とか出来るんでしょ?」
そう。今のわたしは、シンクロアと一緒なら、みんなを助けられる。
『影崎翔太の状態から、ワタシたちと同じ様な性質を感じています。先ほど、愛衣様が彼の耳に触れた事ではっきりしたのですが、彼から流れ出していた異常な波長は、彼の身体の内部から出ていました。つまり、身体の内部にワタシのようなものが埋め込まれていると思われます。それを取り除くということは、影崎翔太の生命を奪う事になりますが、よろしいですか?』
「影崎君の生命を奪う? 殺すってこと? そんなのダメよ! 人を殺すなんて、やっちゃだめよ」
『わかりました。では、彼を殺さずに止める方法を提案します。このまま影崎翔太を放置していれば、彼の身体は、いずれ力尽きます。無限に最大の力を使い続けることは出来ません。力の限界が来たとき、彼は停止します』
「でも、それじゃ、それまでみんなが危険な目にあうんでしょ? そんなのダメ。ねえ、シンクロア。わたしたちでなんとか出来ないの?」
『わかりました。では、出来るだけ速く、影崎翔太の力が限界を迎える方法を取りましょう。愛衣様が彼を引き付け、彼に力を使わせ続けるのです』
「えっと、力を使わせ続けるって? 具体的には?」
『彼に、力を使った攻撃をさせ続けるのです。ワタシの方で回避は、やりますのでご安心を』
「ご安心をって。またさっきみたいに、殴ったり蹴られたりするの?」
『はい。先ほど殴られた状態から計算しますと、あと三発ぐらい直撃を喰らっても命に別状はないかと。もちろん、愛衣様が気絶しないよう注意はいたします』
「三発も?! 直撃! 命に別状はないって言われても、腕の一本や二本折れてそうな感じよね。それ」
まじか。でも、やるしかないのね。これは、わたしがやるしか、わたしにしか出来ない事よね。
いや、わたし独りじゃ出来なくても、シンクロアと一緒なら出来る!
「シンクロア、影崎君はどこに居るの?」
『まもなく影崎翔太は逃げる生徒を追いかけて、グラウンドに出てきます』
教室の窓へ向かい、グラウンドを見る。
たくさんの生徒が上靴のまま、逃げ回っているのが見える。
急がないとみんなが危ない。
「ねえ、シンクロア。ここから飛び降りれる?」
ここは校舎の三階。普通に飛び降りたらただでは済まない。大怪我をするかもしれなし、最悪死ぬ事もあるだろう。
『近くにある木を使えば、降りれます。そばに生えている木に飛び移り、枝をクッションにすれば、着地出来る速度に減速できます』
「じゃあ、お願い」
呼吸を整えると、シンクロアがゾーンに誘う。
木に一番近い窓を開けて、狙いを定める。
「行ける」
ゾーンへの集中が高まると、直感でそのタイミングが判る。
ゾーンに入っていると恐怖が麻痺するのだろうか? 躊躇いなく、木へ飛び移った。
通常のわたしでは考えられない程の距離と飛翔して、木に辿り着く。
足を置くための枝を視線で探す。
落下している状態であるのに、わたしには周りに映る全てがスローモーションに見えていた。
足元に木の枝部分を見つけ、そこに両足で着地する。
わたしの勢いと重みに耐えきれず、枝がボキンっと折れる。
体勢を崩さないように集中しながら、次の足場となる枝を視線で探し、乗っては折りを繰り返し、最後は、そのまま地上に降りた。
ダーンっという大きな音が響いて、全身が痺れる。
そのまま尻もちをついて、反動で前につんのめった。
両手を地面について反動がやっと止まった。
そして、全身に震えと共に痛みが走る。
「痛い。ぅぅ、わ、忘れてたぁ。朝転んだ痛みがが。くっ、ぅぅ。シ、シンクロア。なんとかして」
『愛依様の身体に異常はありません。大丈夫です』
「異常なしなら、いいんだけどぉ、なんか、シンクロア、冷たくない? まあ、いいけどさ。あ、でも、やってから言うのも何だけど、こんな飛び降りしてもよかったの? 人に見られてない?」
『見られていたとしても、火事場の馬鹿力ということでなんとかなるでしょう』
結構、いい加減なのね。
『愛依様、影崎翔太が出てきます。左方面です』
わたしが降りた場所から二十メートル程離れた校舎の影から、彼が生徒たちを蹴り飛ばし、投げ飛ばしながら走り出して来た。手当たり次第に襲っている。
「いくよ、シンクロア」
影崎君目掛けて走る。
周囲の眼を考えて、シンクロアが出力を抑えているのか、思ったほど足の速度が出ない。
「ねえ、シンクロア、周りの眼が気になるのはわかるけど、もっと速度上げちゃダメ? これじゃ追いつけないよ」
『周りの眼の事もありますが、それ以上に、愛衣様の身体の負担を考えると、今ここで無理に速度を上げるのは得策ではありません。影崎翔太との戦いに消費するエネルギーを考えますと現在でも足りないくらいです』
でもそれじゃ追いつけない。どんどん引き離されていく。
「シンクロア、石か何か無い? 彼に投げつけるのはどうかしら?」
『手頃な石は見当たりませんが、サッカーボールなら、すぐ近くに転がっています』
少し走った先に、サッカーボールが転がっている。
「わたし、サッカーボールなんて、まともに蹴れないよ? でもでも、他にないのよね? やるしかないのよね?」
『大丈夫です。ワタシがサポートします――。愛依様との感覚共有が完了しました。愛依様の身体動作を微調整しながら、影崎翔太に確実に命中させる軌道で蹴り出します』
「シンクロアが言うなら間違いないよね? わかったわ。やってみる」
全速力で突進し、狙いを定めて、影崎君の背中目掛けて、サッカーボールを蹴る。
スパーンっと、サッカーボールは鋭く空気を斬り裂く音を出しながらドライブ軌道を描き、影崎君の背中を直撃した。
「やった! 当たった!」
影崎君は、そのまま前方に倒れ、地を滑っていく。
「行くよ。これで追いつけるよね? シンクロア」
『はい。大丈夫です。急ぎましょう。影崎翔太は、すぐに起き上がりますよ』
シンクロアの言うとおり、影崎君はすぐに起き上がる。
「行けー!」
彼に追い付き、彼の起き上がり際に、サッカーボールを蹴ったときと同じように、右脚で蹴りを入れる。
しかし、シンクロアとの感覚共有が取れなかった為、ワタシの蹴りは空を斬り、そのまますっ転んだ。
『愛依様?! どうして攻撃をなさったのですか? 防御で影崎翔太のエネルギーを削る予定のはずです』
「さっきのボールみたいに、上手く蹴れると思ったのよ」
『突発的な行動には、対応できません。ワタシの力は、愛衣様とシンクロして初めて発揮されるのです』
「ひっ!」
起き上がった影崎君に脚を捕まれ、そのまま投げ飛ばされる。
宙に浮き、髪が風に揺さぶられて頬にバシバシと当たる。かなりの距離、飛ばされていると感じる。
『愛依様、落ち着いてください。そのまま呼吸を乱さずに』
投げられたショックと、まだ空中に居る事に恐怖を感じたけど、シンクロアが傍に居ること、そしてシンクロアの言葉に、徐々に落ち着いてきた。
「そのまま上手く着地して!」
『心得ました』
落下する地面が近づいたタイミングで、シンクロアに指示を出す。
シンクロアはそれに応えて、わたしの身体を回転させて綺麗に着地させた。
「シンクロア、あなた凄いのね」
『恐れ入ります。しかしながら、これは愛依様ご自身の力ですよ』
シンクロアは、そう言うけど、こんな事、わたし独りじゃ絶対に出来ない。シンクロアが居てくれるからこそだと知っている。
「じゃあ、シンクロア、回避は任せたらいいのね? わたしは何をすればいい?」
わたしが着地したのを見た影崎君は、こちらに向かって突進して来た。
教室で折れた右腕が、千切れそうになって揺れている。
『愛依様、無理な攻撃だけは、しないでくださいね』
「わかってるって! さっきみたいな事はしないわよ。反省してるし」
突進して来た影山君の形相が、もはや人間のものではないように見える。
眼が赤く光って、口が吊り上がって笑っている。
「倒ス。倒シテヤル!」
影山君が吠え、左腕で殴ってくる。
それを鼻先を掠るところで躱して、彼の横を抜ける。
眼の前を猛スピードの拳が掠めていくのは、とても怖い。
「ひぃ!」
わたしを逃がすまいと、膝蹴りが来る。
それをわたしの両手が、素早く掌底を打ち出してブロックするが、膝蹴りの威力で、身体が後ろに飛ばされる。
その勢いを利用して、影崎君との距離を取る。
「痛い……。手がジンジンする」
膝蹴りを受けた両手の平が痺れて指がちゃんと動かない。腕の骨が、痛みが染みてるように痛む。
『愛依様、少し困った事になりました』
「ふえ? 困った事ってなに? どうかしたの?」
『影崎翔太ですが、先程よりパワーとスピードが上がっています。人間には身体を守るために力を抑制する機能がありますが、恐らく、影崎翔太のそれが、今は麻痺していると思われます。完全に力の抑制が壊れています。彼の速度を回避する事は、難しい状況です』
「そうなんだ。じゃあ、もう周りの眼とか、気にしてられないね。フルパワーでいきましょう。いいよね?」
『愛依様、大変申し訳無いのですが――』
わたしはその後に続く言葉が、信じられなかった。
『実はさっきから、フルパワーで動いています』
「え? そんな。じゃあ、ど、どうすんの? どうしたらいいの?」
わざとにギリギリで避けるように、力を調整する。それが教室で戦っていたときの事だ。今もそのつもりだった。でも、今のが全力だったなら……
『はい。練り直しになります。しかしながら、現状、この場からの離脱も難しいかと。それと影崎翔太から強い殺意を感じます。他の者に対するもの以上に、愛衣様への殺意が強いです。危険ですので注意してください。確実に殺しに来ると思われます』
「なんで? わたしなんかした? ええ?」
『恐らく、愛衣様が簡単に倒されなかったからと思われます。自分に対する脅威として認識されたようです』
それって、わたしというよりシンクロアの力なんだけどね。わたしなんかに勝ってもしょうがないのに。こんな形で注目されるのは心外だわ。
それはそれとしてよ。わたし、どうしたらいいの?
シンクロアの作戦もダメだった。そして逃げる事も出来ないなんて。
不気味に睨んでくる影崎君の瞳に、身体が震える。
ふぅーふぅーと荒い息を吐いていた影崎君が身体を屈め、それから弾けるように、一直線にわたしに向かって飛び掛かって来る。
どうせやられるなら。最後まで戦って、やられよう。逃げてやられて、後悔に沈む事だけはしたくない。どうせこのままいつものように何も出来ないで終わるなら、せめて最後は、足掻くだけ足掻いて終わりたい。最後ぐらい……
「戦ってもダメ、逃げてもダメなら、せめてやれるだけの事はしないとね。シンクロア。最後まで付き合ってくれる?」
『もちろんです。ワタシは愛依様の為のシンクロアです』