6日目 妻に贈る言葉
7月7日(火)
午前4時頃
今日も足攣りか…物凄く痛い
妻は夢に現れなかった。
と言うかこの身体は夢を見させてくれない。
いつもの様に足を引きずり1階に降りトイレを終え冷えたお茶を飲む。
そしてソファーで呆然とする。
ソファーの右側が妻の席で左側が私の席だ。
右側の席には妻の背もたれ様のクッションが置いてある。
妻が亡くなってからはそのクッションを摩るのが私の日課になっていた。
今日もクッションを摩りながら妻の名を呼ぶ。
恋しくて寂しくて胸の奥がギュッと痛み出しわんわん泣きながらクッションを抱き抱える。
立っても座っても歩き回ってもこの苦しみから逃れる事が出来ない。
友人にメールしたりLINEしたり実母がお世話になっている方達にも報告したりとあまり友人が居ないので作業は直ぐに終わる。
返事の来ないメールやLINEをずっと直視するも一向に返事は無い。
そもそもリアルタイムの電話では無いのだから無理な話なのにそれでもスマホを開ければそれらを直ぐに確認する。
電話を出来る相手には電話もした。
その都度涙まみれで話をして相手を困らせている。
何かしていないとまた寂しさと恋しさと辛さが襲ってくる。
誰かと話でもしていないとマジで気が狂いそうになる。
しかしそんな何度も電話は掛けられない。
迷惑だろうし相手も暇では無い。
生前妻が居た時は妻だけ居れば何も誰も必要としなかったのに今は他人に甘えたくて仕方がない。
ほんと情け無い。
食欲が無い。
わかめスープを飲もう。
実家で育てた玉ねぎを刻み黒胡麻を一杯入れる。
このぐらいは食べられるだろう。
食欲の無い事に理由をつける。
食費を削っておかないとこれからいくら掛かるか分からないと
でも実際その通りだ。
生活費の通帳は凍結され自分の数少ない通帳から葬儀代やらお布施に墓石代とその他諸々払っていかないといけない。
死ぬのかな…
死んでしまうかもな…
死んだら会えるかな
そんなことばかりが頭の中で渦巻いている。
午前8時
今日は布類、紙類のゴミの日だ。
ふと妻の思い出深き服をどうするべきか頭に浮かんだ。
見ているだけで辛くなる物のベストワンだ。
まだ無理か…考えたく無い。
やってもいないのに一瞬考えたと言う罪悪感だけが残る。
取り敢えず溜まった段ボールだけ捨てに行った。
洗濯物を洗う。
先日刑事さんから預かったむつみの寝まきも洗おう。
妻が亡くなった時に着ていた物だ。
死亡診断の際にハサミを入れられないで帰って来たんだ。
しわくちゃなそれを見ていたら可哀想になってまた涙が溢れだす。
洗濯機に私の物と一緒に入れ洗ってあげる。
午前9時
洗濯物を干す。
ベランダは妻の領域だ。
干し終わるとむつみが毎日見てたであろう風景を眺める。
今日も特別暑いが午前中なのでそよ風を堪能する。
気持ち良いな
午前10時
妻の資産に関する書類に目を通す。
電話対応出来る物は電話し何をすべきか何をしてくれるのかなどを聞き回った。
これが結構大変だった。
色々制約があり過ぎるし義父母の状況から絶対無理だとも思える事も多々あった。
正直何も分からぬ所からのクエスチョンなのでほんと理解するのに相当疲れた。
午後3時
洗濯物を入れる。
「あぁムッチの寝まきがフカフカになって帰って来たよ」妻に話しかける。
クンクンして匂いを嗅ぎジーっと見つめる。
これを着ていた妻とよく戯れ合った事を思い出し目がウルッとする。
「良かったねムッチー」
綺麗にたたみ押し入れに入れた。
さて、妻に出す手紙を書かないといけない。
これは彼女と一緒に火葬してもらう。
私の思いをここに載せ送り出す物だ。
もう既に構想はあるのだ。
生前妻と自分達が亡くなった先の事を沢山話していた。
死んだらコレをしてアレをしようとか死後に何があるのかも分からぬのに二人で想像し夢を語った。
この3年間は色々制約(父母の世話)があり外出して遊び歩くとか旅行など出来ないからこその話しだ。
そっか…俺たち死後の世界が夢だったんだな
昔は山だ海だ海外だと言ってた我々の今の夢が死後の世界って…ほんとごめんなムッチぃ
午後5時頃
色々書き直してやっと完成した。
書いてはやり直しの繰り返しだったな
書きながら色々思い出し涙する、書いては涙の繰り返しだったが何とか書けた。
物凄く“思いの丈”って感じの物が出来たと思う。
葬儀の時に参列者にも聞かせないといけないのでここで発表するのは止めておこう。
午後8時
無い知恵を使ったせいか物凄く疲れた。
今日も泣いてばかりだった。
泣くって結構疲れる。
この日はこれで床に着いた。




