29日目 何でもない日々の幸せ
7月30日(木)
妻が亡くなって一ヶ月が経とうとしている。
動画配信を見ていて思うのはタイムラインに自分の見たい”関係“の物が次々と流れて来る事が苦痛に思える時がある。
妻が亡くなってから見る動画は決まって死別、あの世、四十九日など死にまつわる悲しい物なのでアルゴリズム機能がそれに合わせ流しているのだろう。
但しその全てが見たいとは思わないと言うか今はまだ見たくないと思える物も多く、いざそれを見てしまい後悔する時がある。
それが懐メロと言われる我々世代が過去に聴いた曲でしかも懐かしくも悲しい物を選曲してタイムラインに上がるのだ。
イルカ なごり雪、山崎まさよし ワンモアタイム・ワンモアチャンス、中島みゆき 時代などがタイムラインに流れて来るとつい聴いてしまう。
とても良い曲だけど今の自分にハマり過ぎて涙が溢れ物凄く辛くなる。
流れても良いのだけどもう少し時間が欲しい。
そんな中「ロード」がタイムラインに上がる。
聴く前から泣きそうになる。
THE 虎舞竜の代表曲「ロード」のサビ部分の歌詞にある「何でもない様なことが幸せだったと思う」は本当の事だった。
昔はただ何となくで聴いていたフレーズなのに今はその言葉の重みに打ちひしがれている。
今は辛くて最後まで聴けない曲になった。
ほんと何でも無い普通の日常が今はもう手の入らない宝物になってしまった。
それはほのかに暖かく温もりを感じるもの
時に思い出し涙が出るが絶対に無くしたくはないと私は思っている。
妻との繋がりを永遠に感じていたい。
でも、その宝物の記憶は日々の生活の中で徐々に削られている。
まるであの頃の写真がボヤける様に朧気な記憶に変換されている。
日常の記憶はスマホの写真の様にいつまでも鮮明に残る訳ではなく顔の輪郭や触られた感触を徐々に奪っていく。
嫌だと思っているのにどんどん削られる。
地獄だ
忘れたく無いのに消そうとする。
頼むから鮮明なまま保存してほしいのに私の中のハードディスクは言う事を聞いてくれない。
ここ10年の妻の写真が無い。
前にも話したが老いを感じた彼女は写真には入ってくれなかった。
その10年分の写真があれば記憶も鮮明に残っていたかもしれない。
でも私には無いのである。
忘れる事で心が救われもするが忘れたくはないものまで忘れてしまう苦しみもある。
何でもない様なことが幸せだったと思う
何でもない夜のこと二度と戻れない夜
この歌詞、未来の私に宛てた手紙だった。
幸せは一瞬にして消えるのに当時の私は真剣にそれを考えてはいなかった。
でも後悔は先にはたたない。
日常の些細な出来事は宝物。
思い出しては悲しくなりでも懐かしくもある。




