1日目 妻が息をしていない
7月2日(木)
午前3時頃
私は持病の足攣りの痛みで深夜3時に起こされる。
そもそも私は持病の糖尿病を放置した事で下半身が若干痺れを生じておりそのせいで足腰にあまり力が入らなくなった。
長時間の立ち作業、座りっぱなし、歩行と満足にこなす事が出来ないのである。
加えて昨年から始まった明らかに糖尿病の症状とは違う足の攣りが始まった。
これには相当悩まされる。
半端なく痛いし、場合によっては痛みで動けない時もある程だ。
暗がりの中妻を起こさぬ様にと痛みを堪えてそーっと暗がりの寝室を出て1階のトイレに向かう。
今日の痛みは中程度だから歩けている。
すると1階のリビングに薄明かりがさしていた。
トイレから出て水分補給にと冷蔵庫に向かう。
ソファーに妻が横になっている。
寝入る事が出来なかったのかな?
するとムクっとむつみが起き出し「どうしたの」と一言
私は「また足攣ちゃって」と言うと彼女はフラフラと2階に上がって行った。
普段なら私を気遣う事も言うのだけど今はその余裕も無いようだ。
私の足つりはこのまま直ぐ寝るとまた酷い足つりに襲われるので1時間ぐらい1階でうだうだする。
空が薄明るくなった頃に2階に戻り寝る事にする。
隣に寝ている妻は静かに寝ていた。
苦しんでいる様子も無く静かなものだ。
私も寝床に着く。
小一時間寝たら目が覚めたので起きる事に
妻はまだ右手を下に丸まる様にして横になっている。
十分寝かせてあげよう。
そう思った私はそーっと寝室を出て1階へ行く。
午前8時頃
今日は義父の面倒を見る日だ。
さすがに行けないだろうなと時計を見るとそろそろ8時近くになろうとしていた。
せめて断りの電話はしておかなくちゃなと思い妻のいる2階の寝室へ起こしに行く。
まだ右手を下に丸まる様に寝ている…?
んっ!?
何か嫌な予感を感じた。
寝返りを打っていない。
最後に確認したあの時の姿勢のままだ。
急いで彼女に触る。
えっ、はっ!?…つ、つめたい?
慌てて彼女を仰向けにする。
薄目を開け口が半開きのままで固まっている。
手足が固まっており布団を掴んだ姿勢のまま仰向けになっている。
私は頭が真っ白になりそれと同時に大声で「ムッチ!ムッチー!ムッチどうしたムッチ!」(ムッチは妻の字名)を連呼する。
何度も何度も揺するも固まった手足はそのままの状態で身体は冷たいままだ。
心臓がバクバクしパニックになる中とにかく
何とかしなきゃ何かしなくては…
電話を!電話だ!
電話機を取り出し救急に電話
救「火事ですか?救急ですか?」
私「救急お願いします!」
救「どうされました」
私「妻が、妻がー!、妻が、妻がー」
妻をゆすりながら涙が溢れ落ち既に半狂乱状態になっている
救「奥さまがどうかされましたか?」
私「妻が、妻がー!」
救「旦那さん、まず一旦深呼吸をしましょう」
私「はぁはぁはぁはぁ」
救「まずは奥さまの状態を聞かせてください」
私「ヒクッ、ヒクッ妻が…息をしてないんです」
救「旦那さん、まずは私の言う通り動いてもらえるかな」
私「はい!」
救「奥さまの口元に耳を当てて息をしているか確認してもらえるかな」
むつみの口元に耳を当ててみる
口の中でゴロゴロクチャクチャしている様な音が聞こえた気がした。
私「ゴロゴロする様な音がしました」
救「旦那さん落ち着いてね」
救「電話をスピーカーにしてもらえる」
私「はい!」
救「まずは玄関を開けて来てくれるかな」
私「はい!」
ドタバタと下に降り玄関の鍵を開ける。
そしてまたドタバタと2階駆け上がる。
私「開けて来ました」
救「旦那さん、人工呼吸をやってほしい」
救「奥さまの顎下から下に拳2つ分辺りに左の手のひらを置いてくれる」
救「そしたらねそこに右手を添えて今から流す音に沿って胸を押してほしいんだ」
救「じゃぁ流すよ!」
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ
むつみの胸を力一杯押し始める。
私「ムッチ、ムッチー起きて、起きてよ!」
救「今ね救急がむかってるから」
救「頑張って押し続けてね」
押し始めて分かった事がある。
人工呼吸をしながら妻の名を叫び脚を覗くと既に死斑が出ているのが分かった。
私の脳裏には思ってはいけないものが頭の中で反響していた。
ダメだ…もうダメな気がする…嫌だ…嫌だよ
でも私は力を抜かず汗だくになりながら救急が来るまで必死に人工呼吸をした。
胸を押してから5分なのか10分ぐらいなのかは定かではないが救急車のサイレンが聞こえその後玄関で隊員の「どこですかー!」と言う声が聞こえた。
私は救命行動を取りながら2階から「上です!上に上がって来て!早く!早くしてください!」と大声で叫んだ。
救急隊員が寝室に入って来た。
隊員「はい、では我々が代わります下がってもらえますか」
他の救命士「旦那さん?」
救「状況説明してもらえますか」
そこからは質問ぜめです。
妻を見ていたいのに覗ける隙はありません。
救命士に状況説明をする。
こんな話し後でいいだろと心の中で叫んでいた。
何10分経ったのだろう…
程なくしてAED(自動体外式除細動器)を済ませた隊員達が片付けを始めていた。
既に隊員同士小声で死因の話しをしている。
私は妻の傍らに寄り添って頬擦りし彼女を抱きながら「どうか、どうかムッチを助けてください」
「お願いします…ムッチを助けてください」と隊員達にお願いをした。
咽び泣きながら最愛の妻を抱きしめ隊員達を見上げる様に何度も何度もお願いをする。
隊員達はそれぞれに困った顔をしていた。
一人の隊員は泣きそうなぐらいの顔つきだ。
隊員達は何も言わない…いや何も言えないのだろう。
他の救命士が入って来て「ここからは警察に引き継ぐのでこの後のご対応はお願いします」
その後色々言われましたが既に私は呆然しており話が入ってこない状態。
交番警察官らしき人がやって来た。
警「どなたか頼れる人はいるかな」
私「義理の…兄が…います」
警「では呼び出せる様なら来てもらえるかな」
義兄に電話をした。
でもどんな話しをしたのか泣きながら話をしたと思うけど何も覚えてはいない。
しばらくして捜査一課の刑事さんが私の前へ来た。
刑「今から状況の整理をしなくてはいけないのでお話しを聞かせてもらえますか」
刑「それから事件性も加味して奥さまの通帳類等を一時預からせてもらいますね」
そう言うと他の警察官達があらゆる家具を調べたり積み上げていた雑誌類などとにかくバタバタとひっくり返している。
その間私は事の顛末を再び捜査一課の刑事さんに話をする。
本来ならもっと妻の側で見守ってあげたいのにちょと離れたところに移動させられそこで話をした。
刑「ごめんなさいね事件性は無いとは思うのだけどこう言う状況では形式的に奥さまを検死しなくてはいけなのです」
そう言うと他の警察官が厚手のビニール袋を持って来て妻を入れる対応をしているようだった。
私の位置からはよく見えない。
色んな話を聞かれたが正直に答え何を言ったのかも全く覚えていない。
理解が追いつかず呆然としながら涙を流しながら話しは続けられた。
すると玄関に兄夫婦がやって来た。
直ぐさま兄のいる1階に降りる。
泣き崩れ兄にすがる。
兄は私の両肩を掴み何も言わず私の言葉に耳を傾けていた。
隣には泣きそうな顔で兄の奥さんがいる。
何を言ったかも覚えていないが1つだけ「むつみを見てあげてくだい」と言ったと思う。
涙が止まらない。
わんわん泣いていたと思う。
警察官の人達が右往左往している。
それでも捜査一課の刑事さんの話しは終わらなかった。
その間知らぬ間に妻は連れていかれた。
こんな別れ方って…
救命士さん、消防士さん、警察官の皆さんには大変ご迷惑をお掛けしました。
凄いありがたい存在ではあるのだけどその時の私にはただの雑音でしかなく質問ぜめがとても苦痛だった事だけは覚えている。
誰も居なくなった。
兄夫婦も程なくして帰った。
あちこち散らかった部屋ではあるがその他は今まで通りの室内と私だけがポツンと残る。
とても空虚になった。
検死の結果は夜にならないと分からない。
とても疲れた…
涙は枯れずソファーに座り込み放心状態で時が流れる。
午後8時頃
気がつけば夜になっていた。
そして刑事さんから電話が来た。
検死の結果
急逝心筋梗塞の疑いあり
心臓に繋がる血管に脂肪が詰まっていたらしく心臓も若干肥大していたとの事
推定死亡時刻は早朝5時
私が足つり後に寝床に着いた時間あたりだ
1時間前は普通に歩けていたのに
何で…
以上の事から事件性は無いとの判断らしい。
いや、事件って…
自分でも分かっている。
そんな事は刑事さんも当然分かっている。
刑「奥さまを葬儀屋に連れて行きますので住所を教えてもらえますか」
そうだ先程兄夫婦に相談して何も分からぬ私に代わって葬儀社を決めてもらった事を思い出す。
葬儀社を刑事さんに伝える。
刑「葬儀屋に奥さまを預かってもらえば会いに行けると思いますので…」
優しい刑事さんからお言葉をもらったがそこから先は涙が溢れて何を話されたのかもよく覚えてはいない。
物凄く疲れた…
キッチンに溜まった汚れた皿を無造作に無意識に呆然としながら洗う。
毎日食べ終わったら妻がやっていた事だ。
時折その姿が頭に浮かんでは涙が溢れ手が止まる。
洗い終わるとキッチンの洗い場に手を置き項垂れる様にしゃがみ込む。
しばらく涙は止まらない。
最後をきちんと看取ってあげられなかった…
あの時無理にでも救急病院に連れてけばよかった。
なんでそうしなかった!
お前は寝てる暇なんて無かったろ!
なぜもっと親身になって世話してあげなかった
自分を責めに責めた。
ムッチ、無理せず正直に言ってほしかった
連れて行って!
そう言えば連れて行くのに…
何故呼ばなかったんだ
ムッチ辛いよ物凄く辛い
スマホで急逝心筋梗塞を調べた。
血管が詰まる。
心臓の筋肉に酸素が届かなくなる。
発作直後に危険な不整脈(心室細動)が発生する。
心臓が全身へ血液を送れなくなる。
数分で心停止に至る。
危険な兆候としては
初期症状左胸を中心に激しい痛みや強い圧迫感が続く(15分以上)。
冷や汗、吐き気、息苦しさを伴う。
前触れなく突然発症することもある。
あぁ妻が異常に顔だけ汗をかいていたのはコレが原因だったのか…
それに今回の胸の痛みと吐き気
前触れのない発症と…
既に前から血管が詰まっていたんだ。
なんで気がついてあげられなかったんだろう。
そう言えば以前胸が苦しいとソファーに座り調子が悪い時があった。
その時も私が病院行こうと誘ったが彼女は今日は父を目医者に連れて行かないといけないので無理だと言った事があった。
幸いにもその時は胸の痛みはすぐ治まった。
いやダメだ!
そのあと行くべきだったんだよ
何で、何で行かなかった!
もっと親身になって考えれば良かったのに
何で出来なかった!
なんで我慢なんかするんだ
我慢なんかするから…
その後、自分を責めに責めた。
でも答えは無い。
今更泣いても何も変わらない。
あぁ
何で
何で…
また放心状態になる。
何時間経ったのだろう
物凄く疲れた
どう寝床に行ったかも分からないが寝床に着く
隣に妻は居ない。
彼女が好きなタオル地のシーツを摩る。
寝ながら右手で摩る、摩る、摩る。
同時にムッチ、会いたいよムッチーとずっと妻の名を呼び涙が止まらない。
知らぬ間に泥の様に眠った。




