↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中身がおっさんの女子大生、無自覚に就活戦線を潰し続ける ―最強のクラッシャー、内定を取りまくって社会に出る―  作者: らび


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

機転で逃げ切る

 ホテルの部屋は、無駄に広かった。


 男は後ろ手にドアの鍵をかけた。かちゃり、という音。逃げ道を断つ音だ。俺をソファに座らせると、冷蔵庫から酒を出して、また注ごうとする。


 「まあ、もう一杯。緊張してるだろ。ほら」


 「……いえ、もうけっこうです」


 「遠慮するなって」


 男の距離が詰まる。ソファの隣に腰を下ろし、肩に腕を回してくる。酒臭い息。粘つく指が俺の髪に、頬に触れる。俺は酔ったふりの笑みを崩さないまま、頭の隅で秒を数えていた。もう少し。こいつが決定的な一線を踏み越える瞬間まで。


 そして男は踏み越えた。


 肩に回した腕に力がこもったと思うと、俺の体はぐいと引き倒された。ぼす、と背中がベッドの上に沈む。すかさず男がのしかかってくる。両の手首をまとめて押さえられ、上から脂ぎった顔が覗き込んでくる。にたにたと笑って。


 「大丈夫、大丈夫。優しくするから。……ね?」


 逃げ場はなかった。この女の体では、腕力で跳ね返すのは難しい。心臓が嫌な速さで鳴った。恐怖ではない。この絵に描いたような下衆に組み敷かれている、という屈辱と怒りで、頭の芯が白く灼けた。


 だが俺は暴れなかった。叫びもしなかった。


 中身は営業二十四年だ。一番追い詰められた瞬間ほど、頭は冷える。


 「……なあ、あんた」


 しらふの低い声。酔いも媚びも抜けた、地のおっさんの声。男の動きが、ぴたりと止まった。


 「一つ教えてやる。あんた、店を選ぶところからしくじってる。あの個室も、この部屋も、俺があんたより先に押さえて、下見を済ませてた。……俺の胸ポケットのスマホ。さっきからずっと、録画も録音も垂れ流しだ。しかも生配信でな」


 男の顔が、ぎょっと強張った。


 「配信先は、俺の知り合いの弁護士と――あんたに同じ手口で食われた就活生が二人。今この瞬間の映像を、リアルタイムで見てる。俺の心拍が乱れるか、配信が切れたら、その瞬間に警察に通報する手はずだ」


 嘘八百だった。生配信の仕掛けなんぞない。だが営業二十四年、はったりの効かせ方だけは年季が入っている。相手が一番恐れているものを、正確に突く。


 男の腕から、すうっと力が抜けた。


 「う……嘘、だ」


 「試すか? 今、大声を出して確かめてみるか? ……あんたの会社のコンプラ窓口の番号、そらで言えるぜ」


 男は弾かれたように俺から飛び退いた。ベッドの上で腰を抜かして震えている。俺はゆっくりと起き上がり、乱れた襟を正した。


 「な……なんで、こんな手の込んだことを」


 「あんたが初めてじゃないからだ」


 俺は冷たく言い放った。


 「調べさせてもらった。あんた、同じ手口で過去に何人も就活生を食ってる。泣き寝入りさせて。……その被害者の連絡先も、もう二人掴んでる。今夜のは、あんたを法のテーブルに引きずり出すための、最後の駄目押しだ」


  *


 俺はスマホをひらひらと振って見せた。実際に録れていたのは、店での二時間ぶんの口説き文句と、たった今のこの部屋での一部始終だ。生配信は嘘でも、記録は本物だった。


 「頼む……それだけは……! 妻も子供もいるんだ……!」


 「妻子持ちで、この所業か。……余計にたちが悪いな」


 俺は心底軽蔑した。だがここで殴っても蹴っても意味はない。それは俺の気が晴れるだけで、こいつはまた次の獲物を探す。


 俺のやり方は違う。


 「今すぐ突き出すつもりはない。だがこの証拠は預からせてもらう。あんたが二度と就活生に手を出さないか、俺が見張る。妙な動きをした瞬間、全部明るいところに出す。……それが、あんたと俺の契約だ」


 俺は踵を返した。震えて動けない男を残して、部屋を出た。


 エレベーターの中で、俺は一つ長い息を吐いた。背中にまだ、あのベッドの感触が残っている。危ないところだった。一線を踏み越えさせて証拠を確定させる。頭では冷静にそう組み立てていたが、実際に組み敷かれたあの数秒は――正直、二度と御免だ。


 だが、これで終わりにする気はなかった。あの男の余罪。同じように泣かされた他の就活生たち。俺はこの一件を、自分の意趣返しだけで終わらせない。あの男をいずれ、まっとうな裁きのテーブルに引きずり出す。


 そのための駒は揃いつつある。――だが、その前に。俺の就活はもう一つ、とびきり間抜けで、とびきり際どい罠に突っ込むことになる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。