旅の終わり
フェリシティの国境を前にして、レイは宿ではなく、野宿を選んだ。
「風呂好きのお前が、どうした?」
「もうこんな無茶をするのは最後だろう」
消えそうな焚き火を見つめながら、楽しかったとレイが呟く。
「確かに王族がふらりと、護衛と二人きりで旅はしないな」
「ヴィンは護衛じゃない……」
「じゃあ、何だよ」
レイは強い。でも俺は護衛だ。そうでないならここにはいない。
「親友で……僕の家族だ」
レイがヴィンの頬にちゅっとキスする。
「そうだ。もう一カ所寄りたい。バーデッドへ行こう」
「なぜだ? 散々行ってるだろう」
顔を赤らめたヴィンだが、そこはきっちり、ちゅっと返す。
「ヴィオラはまだ行ってないよ」
「行くな。お袋が混乱する」
「お芝居とはいえ式も挙げてるから、きちんと挨拶くらいしないと」
「お前は男だろう。それにお袋にはもうばれてるからな」
「そうなの? 僕、お母上に会うたびに申し訳ないって思ってた」
「お袋は気にしてない。むしろ心の中で土下座してるよ」
実家に帰る度にあの娘はどうしたと聞かれ、つい芝居だったと白状した。
母は残念そうだったが、主君に仕えれば結婚もせずに生涯を通す者も多い。さすが元辺境伯の妻だけあってすぐに理解してくれた。
『でも本当にヴィオラちゃんは可愛かったわね。お嫁に欲しかった』
レイには内緒だが、領主館に飾られた絵と同じ物を、こっそり母に渡した。
「まあ。次に行ったら一度だけドレス姿見せてやってくれ」
「嫌だよ。もう誰にも見せないって決めた」
レイの母グレースも孫たちの衣装作りに忙しいのか、レイに新作を送りつけることはなくなった。
「フーレの家でも着てくれないのか」
「村娘風か……。まあ、たまになら」
簡単に被るだけの楽なワンピースなら、いっそ寝間着にして毎晩着てくれるという。
小さな家に行く楽しみが増えたヴィンの口元が緩む。
「もう寝るよ。明日は我が家だ」
「そうだな。お休み」
火がすっかり消えると、レイは「寒い」とヴィンにすり寄る。
いつものようにヴィンがレイを腕に抱いた、その時だった。
「うっ!」
突然レイが体を丸め、苦しみだした。
「レイ! どうした!」
「スノーが……」
「何があった!」
「早く、フーレに行かないと……」
ふらつく体で這いながら、レイがアリアンを呼ぶ。
「待て。オニキスで行く」
ヴィンはレイを担ぎあげ、オニキスに乗せると、自分も跨がった。
「アリアン、来い!」
ヒヒンといななき、二頭が駆けだした。
丸一日。二頭を乗り換えながらヴィンはフーレ村を目指した。
そして、フーレ村に着いた時、ヴィンは我が目を疑った。
「何があった……」
あの綺麗な村が焼け野原になっていた。
「ヴィン、降ろして……」
ヴィンは震える体をどうにか押さえ、レイを馬から下ろし、立たせた。
「……呼んでいる」
レイが湖に向って走る。
そして湖畔に着くと避難していた村人の中にモリオンを見つけた。
「モリオン、無事だったか。スノーは?」
「ニャー」
煤だらけのモリオンが、草むらに隠していたスノーの元へ案内する。
スノーは全身大やけどを負っていた。
「これを知らせたかったのか」
焦げた毛を払い、レイはスノーを上着に包むと、そのまま湖へ飛び込んだ。
「月光を浴びさせれば……」
月が出るまで。それまでどうかと、レイは祈った。
「レイ、替われ!」
ヴィンも湖へ飛び込み、水をかき分けレイに腕を伸ばす。
「スノーが……僕が……」
レイはスノーを離そうとしない。
「わかった。俺は船を出してくる」
「ニャー!」
「モリオン! 来るな!」
レイがいくら叫んでも、モリオンは岸に戻らない。
「モリオン! 掴まれ!」
レイが腕を伸ばすと、モリオンは必死に前足で水をかく。
「頑張れ!」
何度も溺れそうになりながら、モリオンはレイの元まで泳ぎ切った。
そして、モリオンはスノーを舐め始めた。
「……君なら助けられるの?」
モリオンは耳をぴくりとさせたが、スノーを舐め続けた。
湖岸では村人が心配そうにレイたちを見つめていた。
「あの白猫が知らせてくれなかったら、みんな焼け死んでたわ」
「レイ様の猫だったのね。どうか助かって欲しい」
火元は旅人の焚き火から。よく消さずに立ち去った後、運悪く村中に燃え広がってしまった。
やがて日は落ち、あたりは暗くなってきた。
「あと少しだ」
レイは凍えそうになりながらもスノーを励まし、モリオンもずっとスノーの体を舐め続けた。
ヴィンはいつでも引き上げられるように、小舟で近くに待機したまま。
誰もがスノーの回復を祈った。
そして月が出る。
下弦の月だった。
しばらくレイは月を見上げていた。
「あの時と同じだ……」
自分を取り戻した夜と同じ月が、湖を照らす。
きっと大丈夫。助かる。
そして、ふと腕の中のスノーが身じろいだのに気づいた。
「モリオン、ありがとう。もう大丈夫だ。君は先に船へ……。モリオン!」
小さな体が、ぷかりと湖面に浮かんだ。
「ヴィン! モリオンを!」
「わかった!」
ヴィンはモリオンを引き上げ、すぐに毛布にくるむ。
そしてスノーを受け取り、レイを引き上げた。
「離宮へ連れて行く」
レイは朦朧とする中、モリオンを抱きしめ続けた。
離宮のレイとオリビアの寝室。レイはヴィンさえも入れなかった。
スノーはレイの治療を受け、小さなベッドで眠っていた。
そしてレイとモリオンは、二人のベッドに横たわり温め合った。
「またしばらくお別れなのかな」
モリオンはレイの腕の中で薄目を開け、笑った。
「待ってて。記念日のお茶を飲もうよ」
レイがパタパタと部屋を出て行く。
……その足音が戻る前に。
モリオンの影は、ほっそりとした女性へと変わる。
「大丈夫よ。私の残りをあげる……」
細い指が、スノーを撫でた。
「誰よりもあなたが大事よ」
そしてレイが戻ると、影は最後の力を振り絞り、モリオンから抜け出した。
「オリビア。おいで」
ゆらゆらと影はレイのすぐ隣に座る。
「どうぞ」
レイが影にお茶を飲ませると、影は色を持った。その目は青紫。
「美味しい。レイ、ありがとう」
「もう行ってしまうの?」
「ルーとアナには、いつかまたふらりと現れるって伝えてちょうだい」
「僕も待っていていいのかな」
「私はいつもあなたの中にいるわ」
影はレイの胸の上に手を置き、また色を失う。
「あと少しだけ……」
「レイ、大好きよ。またね」
影はすーっとモリオンに戻り、気配はなくなった。
「ニャー」
黒猫はひと鳴きすると、ぴょんと窓から飛び降り、その姿はすぐに闇に消えた。
――また会えるよね。
レイはいつまでも月を見上げていた。
◇◇◇
「レイ。スノーが元気になって良かったな」
「うん。ヴィンにも心配かけたね」
レイはフーレの復興のためと言って離宮に残っていたが、どこか元気がなく、あまり外へは出なかった。
(モリオンはもう……)
ヴィンはモリオンが何処へ行ったのかレイに聞くことはしなかった。
「村はどう?」
「ああ。だいぶ片付いて、家も建て始めている」
「そう。みんな働き者だな」
「ニャー」
「スノー。君はじっとしていられないんだね。いいよ。村まで行っておいで」
スノーが駆けて行く。村に行けばみんながスノーに餌を与えるので、最近ちょっと太り気味。
「風呂、用意しておいたぞ。たまにはゆっくり髪洗ってやる」
「本当に君は、僕の髪が好きだよね」
「好きだな」
それの何が悪いかと開き直るヴィン。
静かな浴室。レイは肩までゆっくり浸かった。
「温泉村にも行きたいな」
「おお、いいな。いつでもお伴するぞ」
ヴィンの手がふと止まった。
レイの髪をかき上げると、うなじに小さな赤い痣があった。
(こんなところにあったか?)
よく見ると、それはハート型に見えた。
そういえば、スノーの肩にもこんな模様が……。てっきり火傷の痕かと思っていた。
でもここじゃあ本人は気づかない。秘密にしようとしたが、つい鏡を手に取ってしまった。
「レイ。見ろよ」
「何? あれ?」
ふふふとレイが肩を震わせた。
(ハートひとつで元気にさせるとは、流石オリビア様だな)
ヴィンもつい口元が緩む。
「可愛いね。彼女からの勲章かな」
「笑い事じゃない。口づけの痕に見えるぞ」
ハリーに見つかったら、また騒がれる。
「やっぱり、村娘も辞めにしようかな」
「頼む。それくらいは許して欲しい」
「じゃあ、きちんとお願いしてよ」
「……たまには、俺に可愛い姿を見せてください」
「ふふ。よく出来ました」
そうして二人は、唇を重ねた。




