旅の雑貨屋
「いいか。お前は二度とはさみを持つな。わかったな」
ヴィンの低い声に、レイは素直にはさみを差し出す。
「なぜ僕は髪を切るだけで、そんな怖い顔されるのかな」
「自分で切るな。理容師を呼んでくる」
「バッサリ切ってもいいなら、呼んでも構わないけど」
「お前には今の長い方が似合っている」
「短くてもドレスは着られる。それでも駄目なの?」
今回は旅行じゃない。長い白銀は目立つ。それに野宿も考えると、髪を切りたかった。
うーんと唸るヴィン。前に短くした時は確かに可愛かったが、もう可愛いは卒業だろう。
「十センチなら切っていい」
「もう仕方ないな。でも切った髪を拾い集めるなよ」
いまだにヴィンが、ノアールで切り落としたレイの髪を大事に持っているのは知っている。
一悶着を終えたレイが執務室へ戻ると、ひと月の間領主代理を頼んでいたエリオットがもう机に向っていた。
「忙しいところごめんね。助かるよ」
「ずいぶんと仕事を片付けたんだな。これならリアンに教える時間が出来そうだ」
リアンには今後、エリオットに変わり、領主館の代理を頼むことにしていた。
リアンはアイリスと婚約した。アイリスは毎朝騎士団に通い、リアンのためだけに極上の茶葉でお茶を淹れ続けた。一缶なくなる頃には、リアンがアイリスのために淹れるようになった。
「二人で領主館を回してくれたら大助かりだからね。ひと月じゃなく、半年は行けそうかな」
騎士団長として長く領を守ってきたリアンへの信頼は厚い。レイも安心して任せられる。
「リアン次第だな」
エリオットはぼやきながら、一年は覚悟を決めた。
そうしてレイは、ヴィンと準備を着々と整えていった。
ある満月の夜、レイはモリオンと湖にいた。
モリオンが十分に月光を浴びると、雲が月を隠すのを待った。
二人の思いが届いたのか、月がすっぽりと隠れ、しばし暗闇が訪れる。
瞬間、モリオンの琥珀の瞳が光った。するとモリオンの影が膨れ上がり、姿を変えた。
レイは影にそっと口づけた。
二人は手を重ね、湖畔を歩く。
「旅は楽しかった?」
「ええ、とっても。猫友達が沢山できたわ」
「僕も行ってくる。本当は君を連れて行きたいけど、あいつが気を遣うから」
「アナと留守番しているわ」
「アナは薄々勘づいているよね」
「ふふ。そうかもね」
時々、小さな声で黒猫をお母様と呼ぶ。
それでもこの世を彷徨う姿は見せられない。
秘密。それが約束だった。
「レイ。どこにいても、いつもあなたを感じていたわ」
「僕もだ。いつも君に話かけていた。君も色々教えてくれたね。ありがとう」
領主の妻として役立てて良かったと微笑む。
「でも、もう虎にむかって行っては駄目よ。あの時は本当に心臓が止まるかと思った」
「よく覚えてないんだけど、僕の大事な奥さんに手を出そうとするからだよ」
雲が流れていく。同時に影が薄れていく。
「またね。オリビア」
「レイ、良い旅を」
◇◇◇
まだ薄暗い中、レイを乗せたアリアンが走り出す。その後ろをオニキスに跨がったヴィンが追う。
目的地はない。気の向くままに進む。
雨が降れば止まり、星降る夜はずっと夜空を見上げる。
そんな旅だった。
そして名も知らない、地図にも載っていないような小さな集落へ辿り着いた。
「ここは何処の国だ?」
「こんな高い山の上じゃ、誰も欲しがらなかったんだろうな」
レイの勘任せに、どこまでも山を登って行ったら、ぽつんぽつんと小屋が建っていた。
「今夜は屋根の下で眠れそうだね」
「お前がにっこり笑うと、誰も警戒しないよな。助かるよ」
「この髪のおかげかな。何処へ行っても拝まれる」
「ほらな。切らなくて良かったろ」
「でも一番はこの鞄だね」
「ああ。今日も旅の雑貨屋開業だな」
行く先々で仕入れては、次の街で売る。薬草は野山で穫れるものだけだが、どこの薬草店でも引き取ってくれた。
「あれは……」
小屋から小さな女の子が飛び出してきた。
言葉は通じないが、何か困っている様子だった。
通じないとわかると、女の子は仕切りに咳をしてみせて、小屋を指さす。
「わかった。少し待って」
レイは髪を結び直し、口に布を当てた。そして井戸で手を洗う。
「ヴィン」
「ああ。薬草ならいつでも出せる」
女の子に手を引かれ、小屋を覗くと、母親がベットに横になっていた。
「辛かったね。今薬を出してあげる」
母親は突然入ってきた見知らぬ男に驚いていたが、鞄から出された薬草を見て、手を合せ始めた。この集落に医者も薬草士もいない。
「熱はないようだね。火を借りるよ」
煎じた薬湯を母親に飲ませると、わずか咳は止まった。
「他の家は大丈夫かな」
女の子は、レイの袖を引っ張る。そうして集落全部を訪ねる事になった。
怪我や腰痛……。どこの家でも薬を欲しがった。ついでに鞄を広げれば、石けんなどが売れていく。
最後に回った家は、集落の長の家。片言だが何とか通じた。
「ありがとう。……」
「えっと。今夜はここに泊まっていいみたい」
「良かった。周辺に野宿出来そうな場所はないし、どうしようかと思っていた」
レイは一晩の宿代として、あるだけの薬草を使い、薬にして渡した。
翌日、女の子に手を振られ、レイたちはまた旅を続けた。
そして半年。
約束どおり、旅の終わりにレイはダレンを訪れた。
「お父様!」
「ルー! 少し見ないうちに大きくなったな」
それに真っ黒に日焼けしていた。
魚釣りが大好きなルーは、勉強の合間に毎日海へ行っていた。ダレンの料理は故郷フェリシティと違い、濃くて最初は口に出来なかったが、ルーのために今ではミアが腕を振るっていた。
「レイ様。美白用に何か処方して」
すっかり日焼けしたミアがレイにすがる。ダレンでは美白なんて誰もしない。
「ルー様までこんがり焼けてしまったのよ」
ミアが日傘を差せば、ルーは恥ずかしいと逃げてしまう。そんな年頃だ。
「わかった。今夜用意しておく。それよりルーはどんな事を学んでいるの? また何か作ったりしてる?」
「お父様、見てよ。僕が作ったボトルシップ!」
「これはすごい!」
レイはもちろん大興奮。自分にも出来ないか目を輝かす。
「……これに半年かけたのか」
たしか造船技術も学ぶ予定だったはずだが……。
でもいい。親子が満足ならヴィンが水を差すことではない。
ダレン滞在は十日にも及んだ。その間、ジョージとルーの案内で造船所も見学。
「ルーカス様、こちらへ。今日はですね……」
真剣に所長の話を聞くルー。所長もルーの疑問やアイデアに耳を傾けていた。
その姿にレイもヴィンも一安心。
「ルー、次はアナとオズを連れてくるよ」
「うん。それまでにお父様のボトルシップも完成させておく」
結局、レイは途中で投げ出してしまった。細かい作業は好きだが、船の模型は手に負えなかったと笑う。
そしてレイは帰路についた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ここでお詫びを。
ep.84 「異国の商人」本文に記載間違えがありました。虎を撃退したのはシルバーではなく、スノーでございます。改稿ずみです。混乱させてしまったでしょうか。何度も読み返して投稿しているはずなのに、本当にすみませんでした。




