第98話 「兄と弟と・後編」
「まあ、お座りください」
今度は俺がロクペルヤとロクセンタに椅子を示すと、彼らは憤りを隠したまま席に着いた。
「人払いをしたほうがいいですか?」
ここからはピケトレヤ将軍の非常にパーソナルな部分に触れる。ロクペルヤたちが望むなら、ブラーたちには席を外させてもいいと思っていた。
俺一人になるが、ロクペルヤたちは逆上したとしてもリンチをするような非道ではない。
案の定、ブラー、ラインデッド、ハルゲマルタ女史の三人は別のテントへと移動させられた。
ただし「ピケトレヤ」側も、部下たちを下げた。つまり俺とロクペルヤ、ロクセンタの三人だけになった。
「まず、勘違いがあるようなので言っておきます。将軍は日記など残していませんよ。何かの間違いでしょう。ツキトさんの沽券に関わると思い、人払いはしましたが」
「まあまあ、今さら白を切っても無駄です。話が進まないので腹芸はやめておきましょう。俺は将軍の日記を読んだ。そして彼が何を思い、どう生きたかを、俺なりに考えました」
「……」
「まだ疑っているのですか? ならば言いましょう、将軍の日記を戦場からジャルバダールへ持ち帰ったのは、あなた方だ。そして誰にも……ティワカンヤ王にも見せることなく、“あのひと”――すなわち『ポポリカ王妃』へ手渡した。そうでしょう?」
「……」
双子はすでに俺の発言を認めており、この沈黙は先を促すものだった。
「そして日記を読んだ結果、結論づけました。ピケトレヤは将軍としては優秀だったが、王となるには、その素質がまだ足りなかった」
――スラリ。
曲刀が首に突きつけられる。
その刀を持つ弟の手を、兄のロクペルヤが制した。
「……なぜ止める、兄上」
「ツキトさんはまだ話の途中だ」
「この人は『ポポリカ王妃以外に見せるな』とピケトレヤ様が仰られた日記を見た。それだけでも痴れ者なのに、その上で将軍に王の素質が無かったと言う。将軍の名を掲げる我らにとって、組織そのものを汚されたと言っても過言ではない」
ロクセンタの怒りはもっともだった。
だが、どうも彼らは思い違いをしている。
いつまでも間違え続けている。
ならば――嫌われ役を買ってでも、正す人が必要だろう。
「あなたがたは聴くべきだ、ロクペルヤさん、そしてロクセンタさん。私の話を。ピケトレヤ将軍の日記の中身を。
というより――なぜ聴かないでいる? なぜ知らないままでいる?」
「……なんだと?」
「先ほどあなた方は仰った。ピケトレヤ将軍のことを、『我ら以上に知る者はない』、と。
なるほど、それはそうなのでしょう。数多の戦場を共に駆け抜け、窮地を切り抜けてきたことも一度や二度では無いはず。そして戦の後には酒を呑み、愛するものや、国の未来を語り合った。その絆は何物にも代えがたく、また他人に口を挟める余地は無い。
知った風な口をききますが……想像はできます」
しかし、それは。
彼らが知るピケトレヤとは――。
「ただしあくまで、“将軍”の――です。
お二人が知るのは、将軍の、あるいは自身の上官としての、ピケトレヤ。
弟であり、兄であり、子であったピケトレヤではない。それもまた事実なのです。
であれば、あなた方は『ピケトレヤ』の一側面だけを見て、彼の名を掲げていることになる。その上で他組織に頑なな態度を取り続ける。これは、はっきり愚かとしか言いようが無い」
再びロクセンタの手に力が込められたのが分かったが、俺は動じない。彼らが揺らいだのもまた、分かったからだ。
「……だから、私的な内容であるはずの日記を読めと? その中身を知れと? 将軍に忠義を誓った我らに、彼を裏切れと言うのか?」
「誰を裏切ると言うのですか?」
「だから、将軍の」
「ピケトレヤ将軍は、いない。
もう、いないんだよ。
──死んだんだ」
時間が止まったような静寂のあと――脱力したように、ロクセンタがぺたん、と椅子に座った。刀を片手に持ったまま。
「あなた方が共に戦い、泣き、笑い合った将軍は、もうこの世にいない。裏切ろうとしても裏切れない。裏切る相手がいないんだから」
「そんな、ことは……――」
「理解していると? 本当に?
――ええ、たしかにあなた方は将軍の死を知っているし、理解している。
けれど、納得していないし、受け止められてもいない。だからいつまで経っても将軍に縋り、ジャルバダールの現実を直視できない。将軍の名という殻に閉じこもり、駄々をこねているだけだ」
歯に衣着せず言ったが、二人は黙り込んだまま聴いていた。
「……とは言え、死してなお上官の命令を遵守するあなたたちの忠誠心に異を唱えるつもりは無い。それは誇るべきものです。
だから、将軍の日記を読めとは言わない。でも、彼の日記を読んだ俺の話を聴いて、新たな一面を知ることも良いのではないですか? 将軍が死に、国が変わり果てた、今この時だからこそ」
俺の言葉に、やっと二人は、ゆっくりと背筋を伸ばし、聞き入れる姿勢に入ったようだった。
俺はできるだけ真摯に彼らと向き合い、ピケトレヤ将軍のことを語った。
日記の内容をつぶさに話すわけじゃない。ポポリカ王妃との密会などは、もちろん伝えない。ただ日記を読んで俺が感じたピケトレヤ将軍の姿を、俺の解釈で知らせた。
実は不器用な男だったこと。
他人の感情を推し量るのが苦手で、自分のことも量りかねていたこと。
それでも、彼なりに自分と人を大事にしようとしていたこと――。
最初は俯きがちだった二人も、やがて顔を上げ、自分たちの思う将軍の人物像について話しだした。
なんのことはない。ロクペルヤたちも、自分が尊敬してきた上官のことを、もっと色んな人と話し合いたかったのだ。
ティワカンヤ王がピケトレヤ将軍の死後に彼の存在をぞんざいに扱わなければ、もっと気安く将軍の話が出来たのだろう。
けれど今のジャルバダールで、それは叶わない。
「……将軍の意外な一面を、知った気がします」
ひと通り話し終えて、ロクセンタがぽつり、とそう言った。
「強く、賢く、部下に慕われ、柔軟な思考の持ち主……そんなピケトレヤ様が、意外な悩みを持っていたとは。……まだ、にわかには信じられません」
「けれどたしかに、ツキトさんの言葉の端々には、我らが知るピケトレヤ様の素顔が見えてきます。
王城に忍び込んだという事実のほうが、むしろ信じがたいのですが、嘘をついているようには思えません」
「ロクセンタさん、ロクペルヤさんに相対してピケトレヤ将軍について語るわけですから、もちろん嘘はついていませんよ。そんなもの簡単にバレるだろうし。
それに日記を通した将軍の変化は、あなた方も多少は気づいていたのでは?」
日記の中に、ロクペルヤが「最近変わられましたね」と、ピケトレヤに話しかける一文があった。
やはり側近、彼らはしっかりと微細な変化を感じ取っていたのだ。
二人はささやかに首肯した。
「俺も、私的な日記からは知られない、将軍の勇壮さや、いかに国に尽くし軍を作り変えたかなど、新しい一面を知ることができました。
さあ――ここで改めて本題に立ち返りましょう。
俺は言いました、将軍には、まだ王の素質が無かったと」
ピリ、と、再び互いの間に緊張が走る。
ただしそれは、会話をする前よりも幾分か柔らかな刺激だった。
「ツキトさんは、王の素質が、どんなものだと思っているのですか?」
「それは、ひとつしか無いでしょう。“国のことを考えられるかどうか”。力があることも、国民に慕われることも大事ですが、最終的にはそこに集約しなければ」
例えば、ロストグラフのグランデル王がそうであるように。
「ピケトレヤ様は、国のことを考える人ではなかったと?」
「そうではありません。事実、ティワカンヤ王に成り代わり、自身が王になれたら、色々なことを改善したいというような望みも見えました。
俺も、『まだ』と言いました。いずれは王の素質が備わっていたかもしれない。けれどピケトレヤ将軍には、亡くなった時点では、それだけの器が備わっていなかったと、俺は思っています。
なぜなら、ピケトレヤはまだ成長段階だったから。自分を知り、他人を知り、これから大きく変わりゆくところだと、俺は感じたからです」
その主張は、二人も聞き入れてくれたようだった。
「だからピケトレヤ将軍には、彼が亡くなったときにはまだ、王の素質は無かったと思います。
それは、彼には国を良くすること以上に、もっと強く願い、出来るだけ早く叶えたい望みがあったから。
だからまず、その身近な目的を果たすまでは、国のことに全力で取り掛かることはできなかった」
「ピケトレヤ様に……王以上の望み?」
「それは一体……?」
俺の話を聞いてもなお、二人はピンと来ていないようだった。
それもまた仕方のないことだろう。
ロクペルヤたちはまだ、ピケトレヤに心酔している。
比べて俺は他国どころか、別世界から来たのだから、客観的に見えるものがある。
俺が感じた、ピケトレヤ将軍の望み。
それは……――
「――“兄弟が仲良くなること”、ですよ」
言うと、彼らはぽかんと口を開けた。
だが、日記を読んだ俺には、どうしてもそう思えたのだ。
仲が悪かった、ピケトレヤ将軍とティワカンヤ王。
国を見る目も違い、部下との付き合い方も違った。
だが、それでもピケトレヤ将軍は、機王大戦の折にティワカンヤ王が駆けつけるという急報を聞いて喜んだのだ。
王に対して不甲斐ないと思う気持ちも、自分が王であればという想像も、兄に対する競争心や、甘えのような思いがあったんじゃないかと俺は思う。
そうでなければ、日記の最後……すなわち自身の人生の最期において、兄弟と過ごした日々を懐かしんだりしないんじゃないだろうか。
ナヨカトルに本を薦めていたというエピソードも、弟を想う、ピケトレヤなりの兄らしさだったのではと思う。
かつては仲が良かったらしい、三兄弟。
兵士に人気があり、国民からも英雄とされるピケトレヤが、あくまでも将軍という役に納まっていた理由。
それは、彼が子供時代に過ごしていた、兄弟同士が仲良く暮らしていた、あの頃のような国作りのためだった――……というのは、いささか牧歌的な考え方に過ぎるだろうか?
そうした考えを、俺は丁寧にロクペルヤたちに話した。
話の終わりがけに、俺は訊いてみた。
「……勇壮で賢明だったピケトレヤ将軍が、その実、自分の本心や兄弟仲に悩む、ただの男という一面もあったという俺の考え――落胆しただろうか?」
すると二人は首を振り、そして穏やかに微笑んだ。
「いいえ、まさか」
「私たちがあの方を尊敬したこと、やはり間違いではなかったと改めて思いました」
「……では……――」
俺は希望を篭めた眼差しで、彼らを見る。
「――……手をお貸ししましょう」
「ただし、ナヨカトル様を王に頂くためではありません。ピケトレヤ様が見たかった国を、取り戻すためです」
「ああ、もちろんそれで構わない」
俺は双子と握手を交わし合った。
それから再びブラーたちを呼び寄せ、ロクセンタたちの部下たちも合わせて、話し合いをした。
とは言え、実のところ彼らにお願いすることは、もうあまり無い。
この国で最大の勢力になる。
そうすれば、ティワカンヤ王が強者と認めて対峙してくれる。
つまり――。
――この国で俺がすべきことは、もうティワカンヤ王とのガチンコ勝負だけなのである。




