第96話 「友人と語らうなら月明かりの下で」
すっかり「ツキト団」の団長という立場が板についてしまった俺は、ジャルバダール城の潜入捜査のあと、久しぶりにアジトへ戻ってからずっとバタバタしていた。
シューシュカやレモネット、ブラーと情報を共有したり、ゾゾルやラインデッド、レフティ、イシカン、キヌエドらと会議をしたり、あるいはナヨカトル、ハルゲマルタを含む革命軍の幹部全員でいろいろな準備を進めたり。
時間が掛かる割に動きが鈍く感じるのは、組織の人員が増えた弊害だな。
それからニュトやハマルたちと遊んだりもして、その間にも組織「ピケトレヤ」をまとめるロクセンタとロクペルヤの素行調査(という名目のストーカー行為だが……もはや罪悪感も無くなりつつある)をした。
彼ら双子の兄弟が至極真っ当で愚直な軍人であることが分かってから、さあ明日にでも会ってみようかと思った日の夜のこと。
俺は、さるお方から夜のお誘いを頂いた――。
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「やあ、こんばんは。いきなり呼び出してしまってすみません」
「いえ、どうせ暇をしていたので。次期国王からの呼び出しとあれば、馳せ参じないわけにはいきませんからね」
「ふふ。多忙な身なのに、よくそんな冗談が言えるものです」
夜の散歩に誘ってくれたのは、現革命軍の実質的なリーダー、ナヨカトルだった。
今日も相変わらずキラキラのアイドル顔だ。夜風に滑らかな黒髪を遊ばせている。
「護衛役がいないようですが?」
「ツキトさんとお話するだけなのに、護衛はいりませんよ。それに彼女も、いつも僕と一緒じゃあ気の休まるときがありませんからね。最近はシューシュカさんと出かけたり、レモネットさんと特訓するのも楽しんでいるみたいですし」
たしかに、ハルゲマルタ女史は、ツキト団の女性陣と仲が良いみたいだ。ニュトも彼女を気に入っていて、遊んでもらうこともある。
とても寡黙な上、俺はあまり話したことがないため、彼女の趣味嗜好なんかはよく知らないが……とはいえ、行動や性格から、思いやりのある女性だということは伝わるのだ。
もちろん、ジャルバダール革命が成功すれば次期王妃となる可能性もあり、失礼がないよう接することもちゃんと念頭に置かなければならない。
「俺はともかく、スラムを歩くのなら多少の護衛は必要では」
「ではツキトさんに護衛をお願いしましょうか」
そう言って、ナヨカトルは口元に手を当てて、くすっと笑った。
うーん。俺がアイドル好きの女の子だったら一発で推しになる仕草だな。
しかし先日市場で会った、これは本当に女性にしか見えなかったミルキスさん(男性だと言っていたが未だに俺は疑っている)に比べると、ナヨカトルはやはり美少女というよりは美少年という方がしっくりくる。
「では俺が護衛としてナヨカトル様をしっかりお護りします――と、断言できれば良かったのですが、何せこの細腕。転ばぬ先の杖ということで、安全な道を歩くことで護衛の代わりとさせていただきましょうか。ゾゾルの部下が哨戒している小路を歩きましょう。人が少なく、夜空が見える道を案内しますよ。もっとも、ひび割れた空では情緒に欠けるかもしれませんが」
「ええ、ぜひともお願いします」
今夜ナヨカトルと出かけることはブラーに言づけており、ニュトやハマルを始めとする子供たちは、シューシュカとレモネットに託しているから大丈夫だろう。
俺はツキト団がアジトにしている建物の裏から南西に続く狭い道を歩いて行った。
ジャルバダールのスラムは広く、独自の社会が形成されている。スラムの中にも大通りがあれば、商店もあり、小路もある。
その中でも、この道はお気に入りだった。
建物と建物に挟まれた古い道で、細くてうねっている。
けれど人通りが少ないためか決して汚れてはおらず、むしろ建物に取り付けられた古びたランプがほのかに道を照らし、エキゾチックな雰囲気を演出している。
あちこちの家からはジャルバダール特有のアロマが漂い、細長く切り取られた夜空は、曇りでなければ星空が見えるだろう。そこに大きな三日月でも出ていれば完璧だ。
また上からよく見える道でもあり、ゾゾルの部下らが見張っている屋根から、ここで何が起こっているかが見通せる。
それゆえに悪事や密会なども起こらず、ゾゾルの縄張りの中でも安全なスポットになっているのだ。
「……こんな風にスラムのただ中を歩くことが出来るなんて、二年前は思いも寄りませんでした。国は半壊してしまいましたが、悪いことばかりでもありませんね」
「たしかに、おいそれと入れる場所ではないですね。王族であればなおさら」
「……貧しい民の現状を知られるのは胸が痛くもあり、安心するようでもあります」
「ふむ、安心?」
「ゾゾルが良いからでしょう、貧しいながらも支え合いながら生き、あるいは平民よりもずっと幸せに見えるときがあります。もちろん、貧しいままではいけない。スラムの環境は変えなければなりませんが、人の幸福と貧富の差がそのまま同一であるという考えに固執しないよう自分を諫められます」
たしかに、裕福であれば、それがそのまま幸福ってわけじゃない。
とはいえ裕福であるほど幸福な人が多いのも事実だろう。
ようは思考をパターン化せず、自分の目で見、耳で聞いたものこそを信じるべきっていうことだろうな。
透明人間的には、大いに共感できる話だ。
「……僕はずっと、何も見えていませんでした」
ふと彼の顔を見ると、その綺麗な双眸に月明かりが湛えられていた。
俺は沈黙で先を促す。
「……昔からそうなんです。僕には何も見えていなかった。兄たちのことも、この国のことも、ひょっとすると両親のことさえ、正しい姿が見えてなかったかもしれない。偉大な父王の、兄上たちの背中を見て育ちました。彼らがいればこの国は大丈夫。自分は補佐役として立派に務めよう。――そんなふうに、無責任に、何にも疑うことなく生きてきてしまったんです」
「……」
そんなことはない。
あなたは立派な方だ。
諍いや対立や家族同士の殺し合いに、あなただけが巻き込まれなかった。
愚かなのは兄たちの方で、あなたこそが真剣にこの国だけを思って来たんだ。
――そんな言葉が喉までせり上がったが、結局口にすることはなかった。
彼は別に慰めが欲しいわけじゃないだろう。
「……僕はマハランから『目』を受け継いだ。なのに何も見えていないなんて皮肉ですね」
ナヨカトルは取り繕うように、頬を掻きながら自嘲気味に笑った。
「はは、すみません。愚痴です。……いえ、懺悔かもしれません。ツキトさんは不思議な方だ。つい何でも話してしまう。僕の方がずっと年上なのに」
……そうか。
そうだよな。
王族に生まれ育ち、かつては宰相の立場。今は革命軍のリーダー。両親も早くに亡くしてしまった。
ナヨカトルにはいつだって甘えられる存在がいない。
強いて言うなら、革命軍を二つの同盟軍であると噛み砕いた場合のリーダー同士である俺くらいしか、対等な話が出来る相手がいないんだろう。
ジャルバダール国民じゃなく、ロストグラフの特使という立場なのも良かったのかもしれない。
「……懺悔は神にするものでは?」
「マハランは罪を許すものではありません。国民の親愛なる友人であり、寄り添うものですから。ロストグラフで主流のレスフィリア教では懺悔の儀式もありますね」
レスフィリア教はロストグラフの最大宗派だ。女神レスフィリアを崇拝する一神教で、一番の教えは「貴方を導く」というものだが、その教義の中には「愛」や「慈悲」、「許し」なども含まれる。
余談だが、街中でよく見かけた女神レスフィリアの像は、ちょっとシスティーユ王女に似ている。
「……まあ、俺なんかで良ければいくらでも愚痴ってください。ちょっと前までは友達なんて一人もいなかったので、本音を話してもらえるだけでも嬉しいです」
「えっ……友達がいなかったって……ツキトさんが?」
ナヨカトルはもともとパッチリした目をさらに大きく見開いて驚く。
「はい、まったく。まあ昔いたところは、多数派の枠に入れない少数派は孤立させられやすい環境だったので……両親がいない俺は特につまはじきだったわけですが。それだけでなく、自分自身も根暗で、覇気も無く、無気力な人間だったので。人が寄り付かなかったのも仕方なかったと思います」
「今の姿からは考えられませんが……」
「今は護るものがありますからね」
我ながら昔と今じゃ全然違うと思う。
正直、今の自分なら昔の俺から見ても友達になりたいと思うくらいには、アクティブで活き活きしているだろう。
「でも、それじゃあツキトさんがかつていたところでは、きっと僕もつまはじきですね。父も母も幼いころに亡くしていますし」
「ああ、いえ、たぶんナヨカトル様は大丈夫です。性格も良いし、顔立ちがものすごく整っていらっしゃいますので。イケメンはモテるんです。男からも女からも」
「……いけめん?」
「カッコいいってことですよ」
ナヨカトルは目をしばたく。
「ええ……僕、全然カッコよくないですよ。兄上たちに比べたら、細いし、背も低いし、筋肉もそんなに……」
「この世界では……――」じゃなくて、「……パボニカ大陸ではたくましさがカッコよさの基準かもしれませんが、俺のいた国では、女性的な顔立ちの男性もカッコいいって言われるんですよ」
「変わっていますね……」
変わっているかもしれない。というか平和を享受する日本では、強さ、武骨さよりも、いかに空気が読めるか、共感を得られるかが魅力に繋がっているのだろう。
パボニカ大陸は平和じゃない。
だからこそ、俺にとっては生き甲斐がある。
ナヨカトルはそこで、意味深な笑みを浮かべた。
「……それなら、ツキトさんの素顔も気になりますね」
「んん?」
「いえ、あまり触れない方がいいのかなと思いつつ、やはりどうしても気になってしまうので、思い切って訊いてみようかと。すでに色んな噂が立っているのは知っていますか? 大きな傷や火傷を隠しているとか、実は大犯罪者であるとか、とてつもなく美しい顔で目立ってしまうからとか、はたまた素顔を謎にすることで神秘性を持たせているとか……。
でも、僕にはどれも違う気がするんです。ツキトさんは僕をカッコいい顔立ちだと言ってくれましたが、仮面の下には、一体どんな素顔が隠れているんでしょうね」
おそらく期待しているような大それたものは無いんだが……。
というか、無いんだが。
「……近いうちに、お見せ出来たらと思います」
本音だった。
ティワカンヤ王とやり合うとき、どうやっても俺が透明人間であることを明かさなければならないときは来るだろう。
「本当ですか? ツキトさんの一番の秘密を教えてくれるんですね! ふふ、秘密の共有って、なんだか嬉しいですね。あ、それこそ、『友達』っぽい感じがしませんか?」
「ああ、たしかにそうですね」
「そうだ。じゃあツキトさん。……いや、ツキト。良かったら僕と友達になってくれないかな? 気を遣った言葉遣いも無しで。僕はずっとそういうのに憧れていたんだよ」
そんな風に言いながら、まっすぐに手を差し出してくる。
頭の片隅で、やっぱり日本でもナヨカトルは相当モテるだろうなと思った。男にも女にも。
イケメンで優しいからってだけじゃない。
彼が元から持つ、強くて眩しい「陽」のオーラが人を惹きつけるだろう。
別に俺は自分自身が「陰」の者だと思ってはいないが、透明であることをいいことにコソコソ暗躍したり、人の裏側を探ったりするわけだから……まあ「陰」には近いのかもな。
思えば俺も、こちらの世界に来てからもいわゆるスタンダードな「友人」というのは少なかった気がする。
バスタークは「舎弟」って感じだし、ブリガンディは「姉ちゃん」って感じだし、ファンダリンは、俺は友人だと思っているが向こうは「被検体」とでも思っている可能性も無くはない。
シューシュカやレモネット、ブラー辺りも友人というより「仲間」に近い気がする。ゾゾルは友達だが、どちらかと言うと「悪友」って感じだな。
ミステリー小説なんかだったら、実は裏で糸を引く黒幕だというどんでん返しがあってもおかしくないほど、率直でまっすぐなナヨカトルは、けれど俺の素行調査で偽りがないことを知っている。
頼もしい友人だ。
「嬉しいです、ナヨカトル様――ナヨカトル。こちらこそ、どうぞよろしく」
彼の手を握り返す。
優男な外見に似合わず、がっしりとした力を感じた。
ロストグラフの使者である俺、ジャルバダールの元宰相である彼。
新進気鋭のツキト団をまとめる俺と、抵抗軍を率いる彼。
同じ場所にいないからこそ、隣に立つ相手と肩を並べられる。
駆け引きとか、元王子へのコネとかは関係なく――友達が出来たことに、思わず頬が持ち上がりそうだったのをこらえる俺だった。
「友達になろうよ」「いいよ」
そんな、普通の人なら小学校あたりでとっくに済ませたであろう青春の儀式を、俺は異世界で叶えることが出来たのだった。
「……――ところで、本題は?」
友達になり、その後も互いの国の文化や機王大戦の考察について話し合ったあと、俺はタイミングを見てそう訪ねた。
いろいろ雑談をしているうちにだいぶ時間が過ぎてしまったが、そもそも彼は用があって俺を呼び出したのだ。
「ああ、ごめん。話すのが楽しくて、つい時間を忘れて喋ってしまったよ。そうだよね、僕が君を呼び出した理由を話さなければ」
そしてナヨカトルが放った言葉は、大いに俺を驚愕させた。
「実は――ユキセツを篭絡した」
「……え?」
ナヨカトルはニヤリと笑った。
「……ど、どうやって?」
「あはは。ツキト、最初に会ったときの不意打ち以外で、君が動揺するのを始めて見た気がするよ。顔が見えなくても仕草で分かる。ごめんね――僕は意外と悪戯好きなんだ。いや、まだ完全に味方に引き入れたわけじゃない。でも取引をした」
いつの間に。
どうやって。
俺はさっき友達になったばかりの美しい横顔に、急に得体の知れない空恐ろしさを感じる。
「そんなに身を固くすることはないじゃないか、友達だろう」彼は俺の警戒を解こうと苦笑しながら頬を掻いた。「僕はユキセツと話し合っただけだよ。そして、彼が真に欲するものを知った」
「真に欲するもの……?」
「それが何であるかを説明するのは難しいんだ。彼の生来の気質、生まれ育った環境、家族への敬慕と自身の違和感……。
ユキセツはとても頭の良い人だが、瞬発力を求められる武術を軸に生きてきたからか、長期的な視野を蔑ろにしがちなところがあると知った。今『神火』にいても彼の違和感に答えは出ない――ならば僕と一緒に探そうじゃないかと話題を振ったんだ。少なくとも国を売った神火の貴族たちより、僕は俗物的じゃないよと自分を宣伝してね」
「なるほど……つまりユキセツの求めるものは精神的なものだったと」
パボニカ大陸の文明は日本よりもかなり遅れている。地球の文明は物欲、信仰心、化学、情報の順に発展してきたが、情報文明に因るところが大きい精神論を今のパボニカで論じられるのは、それだけでナヨカトルが優れた人物かが伺い知られる。
「ちなみに、取引の内容は?」
「最後の大勢力である『ピケトレヤ』を、僕ら革命軍が仲間に引き入れることが出来たら、傘下に下ってほしい、と」
……ぬ?
「え、でもピケトレヤを任されているのは俺だよね?」
「そうだよ?」
「……それって、ユキセツの去就も、俺の手に掛かっているってことにならない?」
「ふふ、なるね」
おい、ちょっと待て。
「いくら友人とはいえ、さすがに他人任せが過ぎるんじゃないかな……俺がピケトレヤを説得できなかったら、ユキセツも革命軍に引き込めないってことになるじゃないか」
「そこはほら、どっちにしてもピケトレヤと協力できなければ、国王軍は僕らを対等とは認めず、決闘にも応じないわけだから。もちろん神火からユキセツを奪えなくても同じだし、どっちが先でも変わらないよ」
うーん、そうなのか?
後か先かの問題なのか?
上手く言いくるめられている気がしてならないんだが。
「それに口約束ではあったけど、ツキトの約束は『ピケトレヤの協力を得ること』、僕の約束は『ユキセツを何とかすること』だったよね。あの場に何人もいたから皆覚えているはずだよ。で、僕はユキセツを何とかした。ピケトレヤと手を組めば神火から革命軍に鞍替えしても良いと言わせた。ね、間違ってないでしょ?」
「うおお……きたねえ。さすが王族。やり口がきたねえぜ」
「あはは。だてに権謀術数の中で育ってきたわけじゃないよ」
無邪気に笑ってくれるね。
もっとも、これくらいしたたかな性格なほうが味方としては頼もしいが。
それにナヨカトルの言うとおり、どちらにしろピケトレヤの協力は必須事項だ。説得できなかったら、という選択肢は無い。
なら、まあいいか。
少なくとも俺じゃ、ナヨカトルほど上手にユキセツと話し合うことは出来なかっただろうし。一歩前進したのは間違いない。
「……いやはやまったく、頼もしいよ」
「ふふ、期待しているよ、ツキト。あの頭の固いロクセンタ、ロクペルヤ兄弟も、君の柔軟な発想ならきっと説得できるって」
そして彼は少しだけ目を細めて、
「……ちなみに勝算は?」
と、訊いた。
試されているのは俺のほうかもしれない。
俺はやんわりと言った。
「さっきの言葉は取り消すよ」
「ん? どれのこと?」
「ナヨカトルなら俺が元いた場所でも、たくさん友達が出来るってやつ。やっぱりそうでもないかもな。お前、思ったより性格悪いし」
あえて「お前」と言ってやった。
最大限の親しみを込めて。
するとナヨカトルは、それはもう嬉しそうに笑って、
「それは最初にツキトを試したときから分かってたろ?」
と言った。
「たしかに」
と返すしかない。
やっぱりナヨカトルもゾゾルと同じ、「悪友」カテゴリに入れてやろうかな。
そして俺は俺で言い返す。
「勝算ね。そりゃもちろんあるよ。勝つよ」
路地裏から見上げた空には、分厚い雲の向こうにぼんやり光る月明かりが見える。
「――この世界に来てからの戦績は、全勝だからな」
本当だと信じたのか、冗談だと受け取ったのか――ナヨカトルは声を出して笑った。
俺もつられて笑った。
月の輪郭は見えないが、良い月夜だ。
こんな夜も悪くない。




