第94話 「ティワカンヤ・ジャルバダール・後編」
ティワカンヤ王がピケトレヤ将軍の部屋を訪れて日記を読み、その後バルゲアと一瞬の攻防があった後、二人は何事も無かったように途中で別れ、王は自分の居室へ、バルゲアは下階へ向かった。
バルゲアにも興味があったが、当初の予定通り王の後を付いていく。
彼の部屋は五階の北側にあった。
中は、非常に意外なことに、いくつか花が植えてあった。
それどころか花柄のタペストリーや、果ては縫いぐるみのような布製の人形まで置いてある。
どれもきちんと手入れされており、鉢植えは綺麗に花を咲かせ、人形はほつれたところが縫ってあった。
もちろん、それらが王の趣味だとは思わない。
ゾゾルのように可愛いものが好きないかつい男という例もあるが、王はそれらを愛でることなく奥の椅子まで歩き、ただぽつねんと座り込んだからだ。
じっと動かず、本を読むでも、飲み物を飲んだりするでもなく、ただ座っている。
二、三分が経っても、指先はおろか、まぶたさえ動かなかった。
その光景は、あまりにも異常で。
孤独で。
何もかもを諦め、拒絶しているようだった。
彼は生きていない。
ただ心臓が動いているだけの塊だ。
――そう思ってしまうほど、空虚だった。
そしてその姿が、全てを物語っていた。
何も映っていない瞳と、
裏腹に賑やかな部屋の様子。
俺は思い知らされた。
ティワカンヤ王は、今もポポリカ王妃を愛しているのだと。
彼に合わない鉢植えやタペストリー、人形などはポポリカ王妃がティワカンヤ王の部屋に置いたもの、あるいはプレゼントしたものなんだろう。
あるいは王宮の見事な庭園も、元々は王妃が愛したものかもしれない。
だから今も手入れして、綺麗に残しているのだ。
それ以外に、王がこの部屋や庭園を残す理由が無い。
あるかもしれないが、この想像以上に妥当な答えは見つからない。
そしてその瞬間。
――自分でもよく分からない怒りがふつふつと沸き上がってきたのである。
ティワカンヤ王はポポリカ王妃を殺した。
愛する人を、自らの手で。
そのことはナヨカトルが証言しているし、間違いない。
どういう経緯があったのか。
俺がこの国に来てから見聞きした色んなこと、
あるいは王宮に潜入して知ったこと。
それらを組み上げると、こんな過去が出来上がるのかもしれない。
例えば。
ピケトレヤ将軍の日記にあった通り、将軍はポポリカ王妃と密かに会っていた。
機王大戦における将軍の死後、ティワカンヤ王はボド――つまりアレクトロたちと機王を退けた。
しかしその際、アレクトロ同様に「何か」の影響を受け、一部人格に変異が起きたのかもしれない。
そして王は、王妃の手に渡るはずだった日記をどうにかして入手し、妻と弟の逢瀬を知る。
事実を知り、絶望して、怒りのあまりに王妃を殺した。
そして自分のやってしまったことに絶望し、絶望のままに国を変えた――。
――そんなことが、あったのかもしれない。
愛する人に裏切られる悲しみや苦しみは、俺には分からない。
分かるなんて耳あたりの良いことは言えない。
かつての世界に愛する人はいなかったし、こちらの世界に来てからは、幸福なことに裏切られたことは無い。
もしもニュトが俺を裏切ったりしたら(とても考えられないことだが)、きっと絶望するだろう。
深く落ち込み、自分がどうなるか分からなくなるかもしれない。
でも、
そうだとしても。
殺すなよ。
愛した人を、殺すなよ。
殺した上で、女々しく過去に縋るなよ。
自分の国に八つ当たりするなよ。
それならまだ「俺を裏切った女を殺してやったぞ! 国も全部ぶっ壊れろ!」と狂気に突き抜けた方がマシだ。
そんな哀しい顔をして、
大きな体を小さく丸めて、
ぽつんと椅子に座って――
――まるで悪戯を咎められた子供のようにしょぼくれて。
みっともない。
この男が国で一番の強者だって?
俺にはとてもそうは見えないよ。
ティワカンヤ王の深く凪いだ絶望に当てられたのか、俺自身もだんだん嫌な気分になってきたとき。
不意に、変化があった。
光だ。
王の首飾りに付いた玉が――黄色い方の宝玉がにわかに光ったのだ。
それは見る見るうちに細長く伸び、やがて槍のような形になった。
王がその不思議なものを脇に置いたので、俺は傍によってじっと見てみた。
――なんだ、これは。
異様すぎる。
異常すぎる。
とてもこの世界に合致しているとは思えない代物だ。
槍は、よく見ればその表面に小さな“ローマ数字”が敷き詰められ、それが流れるようにゆっくりと動いていた。
いや、むしろその数字の集合のみが槍を形作っていた。
――コンコン。
ノックの音が響いて、ティワカンヤ王が機械的に「入れ」と言うと、頭上に「50」のランゴを浮かべた、どうやら幹部らしい兵士が現れる。
「失礼いたします。陛下、『絶対順位令』違反者の処刑の時間でございます」
(――処刑?)
誰かが絶対順位令に逆らったというのか?
「罪人は?」
「『神火』の男です。ユキセツからの命に反駁した咎で、ランゴが明滅を」
絶対順位令に背くと、ランゴが点滅する。
そして戦い以外の方法で反目が続くと、ランゴの色が白から赤に変わり、全身の力が抜けてしまうのだ。
「違反を犯したのは三日前、その日のうちに捕らえ、今はいつも通り処刑場に」
「そやつのランゴは?」
「『163』でございます」
「今もか」
「はい、神火を乗っ取ろうと考えたらしいですが、ユキセツに見破られていたそうで。その後戦うこともなく、ランゴはそのままに。処刑場では誰にも近付けていないため、順位が変わることはないでしょう」
「ふむ。魔女リシュデルよ。『163』――だそうだ」
ティワカンヤは槍を見て、そう呟く。
すると、槍の穂先に、さっきまでは無かった文字列が浮かんでいる。
「クレード・ランドラ」、と読める。
王はポツリ、と言った。
「『クレード・ランドラに、魔女の制裁を』」
瞬間、槍はぐぐっと石突の部分を上げて床と水平になり、ミサイルのように飛んだ――
――かと思うと、バシュッ、とホースから水が噴き出るような音と共に空中で消える。
なんだ?
どうなったんだ?
そして数秒と経たずに、再び先ほどのバシュッ、が聞こえ、槍は何事も無かったようにゆっくりと床の上に現れた。
ガァン、と、
どこかで銅鑼が鳴るような音がした。
兵士が柔らかくお辞儀する。
「執行の合図が成されました。たしかに、罪人は死んだようです」
「下がって良い」
「は。失礼いたします」
部下が部屋から出ると、光の槍は小さな粒になり、そのまま弾けると再びティワカンヤ王の宝玉の中に還って行った。
今の――一瞬で、クレード・ランドラなる人物を殺したのだろうか。
そんなわずかな時間で、ただ一言呟くだけで、殺してしまうのだろうか。
(これが、「魔女の制裁」……)
思ったよりもずっとシンプルで、アッサリしていて、「死」そのものは別の場所で起きているから、実感が無い。
数字で出来た槍。
自動で対象を選別し、追尾するらしい機能。
空中で消え、空中で現れる性質。
まるでワープしたように。
これじゃあ、これじゃあまるで――
――思わず頭を抱える。
この世界は剣と魔法が存在する、現代日本から見れば「ファンタジー」の世界のはずだ。
なのにこれじゃあ、まるでSFの世界じゃないか。
俺が見てきたこの世界の有りようは、一側面でしかなかったというのだろうか。
それとも、あの槍も魔法の一種……?
(いやいや、待て。それなら「万象斬下の終刀」だって、見慣れたあの不吉な空だって、何より俺の体だっておかしいんだ)
たまたま見てくれが現代日本で言うSFのジャンルに似ていただけで、いたずらに謎を散らかす必要は無い。
(こんなものはとりあえず、頭の中の「よく分からんボックス」にしまっておけばいい。それより――)
――具体的に、だ。
おそらくあの槍をかわすのは不可能だろう。
自動追尾する槍。
しかも流動的な姿から物質というよりは、収束した光や熱といった「現象」に近いように見える。
分かりやすく考えるなら、レーザーみたいなもの……だろうか。
剣や盾で防ぐことは難しい気がする。
(つまり、戦って勝つか不意討ちで殺すか。やはり王と事を構えるなら、一戦交えるしか方法は無いようだ)
どうやっても戦うしかない国。
今の処刑のように、上位者が死ねば、下位者のランゴはいっせいに一ずつ上がる。
つまり、国中の人間が誰かがどこかで死んだのを知るわけだ。
実際に俺も、誰かのランゴが変わるのを見たことは何度かある。おそらく俺の頭上の、今は消しているランゴも一つ上がっただろう。
まさに死と隣り合わせの生活だ。
そして、どうやら王は……
(……自分が「最強」であると示すために、絶対順位令を敷いた、という見方が有力かもしれないな)
バルゲアとの戦いで言い放った、「この俺は誰よりも強い」という言葉。
そのくせ言葉に力は無く、強者にありがちな威風堂々とした姿や、大勢に響き渡るような声も持たない。
もちろん、本当に強いのは間違いないのだろうが。
果たして心も強いだろうか。
だから、かもしれない。
だから誰もが目に見える形で――「数字」という分かりやすい記号で、自分を誇大したのかもしれない。
自分の国を巻き込んでまで。
だとすれば。
この男に、王の資格は無い。
兄たちよりも腕っ節が無かろうと、国のためなら怪しいヤツの懐にまで潜り込もうとするナヨカトルの方が、よほど王の器だ。
もちろん全ては未だ推測の域を出ない。
探すべきは「ポポリカ王妃の日記」だろう。
それが見つかりさえすれば、だいぶ真実に近づけるはずだ。
(とはいえ、だいぶ時間を使っちゃったからな……)
ロクペルヤ、ロクセンタ兄弟が率いる組織「ピケトレヤ」の懐柔。
それと引き換えの、ユキセツを攻略すると言ったナヨカトル。
いざ国が動き始めれば、のんびりはしていられない。
せいぜい、この王宮にいられるのも、あと一週間といったところだろうか。
それをポポリカ王妃の日記探しに費やすことを決め、俺はティワカンヤ王の部屋を出た。
王は、最後まで惨めな顔をしていた。




