第93話 「ティワカンヤ・ジャルバダール・中編」
部屋を出るとき、ティワカンヤ王と一緒に扉を抜けた。
我ながら大胆不敵だとは思ったが、いずれ王とは対峙する必要があるのだし、今更ビビッてもしょうがない。
それに、ピケトレヤ将軍の部屋を出たばかりの王が、どういう行動をするのか興味があった。
人は思い出に生きる動物である。
これはその他の動物との明確な差異だ。
動物は常に今を生きている。
今、食料を得て、今、敵から逃げて、今、安眠を取るにはどうすればいいか。
もちろんそればかりじゃないのも事実だが、人間ほどに過去に思いを馳せたりはしないだろう。
動物の心を読めない以上、憶測でしかないが。
とにかく、人はよく過去を思い返す。
そしてそんなときは、何かしらの行動に出るものだ。
例えば初恋の女性を思い出していたら、懐かしくなって昔の写真を見返すだとか。
あるいは卒業を迎えた生徒が久々に入学したての一年生の教室を覗いてみるとか。
そういう、思い出に基づく行動を、人間はとる。
人間観察が得意な俺の持論である。
ティワカンヤ王もしょっちゅうピケトレヤ将軍の部屋に来るわけじゃないだろう。
そうでなければ、この宮殿を散策している最中に、どこかで彼の姿を見たはずである。
何を思ってか久々に実弟の部屋を訪れた王が、これからどうするのか。
あるいは誰かに何か話すのか。
話さないのか。
そうした一切合切に興味があった。
王は部屋を出たあと、鍵を閉め、バリケードを戻し、廊下の角に立つ人物に声を掛けた。
その人物は、赤い髪を逆立てた、なかなか甘いマスクの青年だった。
大柄ではないが背は高く、マッチョではないが引き締まった良い筋肉をしている。
バスタークよりはふた回り小さく、ブリガンディよりはひと回り大きいくらいだろうか。
服装は、おそらく鎖帷子を着込んだ上に、厚手の布を羽織ったジャルバダール特有の戦士姿。
ターバンは巻いていなかったが、ティワカンヤ王よりもさらに多くの装飾品をジャラジャラと付けており、両腕には赤いタトゥーなんかも入っていて、ひとことで言ってチャラかった。
興味深いのは、口紅をしている点だ。
と言っても、女性がするように全体を塗るのではなく、唇の中央に点を置くように、真っ赤な色をひとつだけ。
どちらかというと民族的な風習のように感じた。
それがどこか男として色っぽい。
この国で他にあんな口紅をしている人物はいない。
つまり他国から来たということだ。
そして何より、彼の頭上には――
「お疲れさんです、王様。けっこう長いこと篭もってましたね。俺ぁもう、暇で暇でしょうがなかったですよ」
「……。誰も来なかったか、バルゲア」
――「3」の数字。
この国で三番目に強い者を指す証明。
あれが国王軍のナンバー2、「絶炎のバルゲア」か。
パッと見では、ブラーやラインデッドはおろか、イシカンたちよりもずっと普通の、おしゃれな兄ちゃんにしか見えないが。
「そりゃあね。この階にゃ誰も来るなって言ってあるんだから来ないでしょ。命令に反して来たヤツは、見せしめで俺が炭にしちまってるし。意味のない殺戮は、俺ぁ嫌いなんですけどねぇ」
「……」
「ま、甘い汁吸えるんで頑張りますよ。俺の国じゃあ育ちが何より大事で、いくら腕っ節が強くても貴族の言うことにゃ頭を下げなきゃならんかったもんですから」
「……知ってるさ」
「王様が侵略して属国にしたんですもんね」
「……お前が俺の寝首を掻こうとしていることも知っている」
「もちろん国の恨みなんかじゃないですよ。俺、節操とか無いんで。ユキセツみたいな戦闘狂とも違うなぁ。戦いそのものが好きなわけじゃあないし。
――単に好奇心ですかね。俺、王様に負けてるけど、たぶん底力は上ですし。上があるかどうかを知りたいんですよ。イルシークも強かったけど、もう勝っちまったしなぁ。
ナヨカトルさんみたいに、組織に守られて順位を死守してるクチはハナから興味無いですしね」
「……」
「単純な力っていうんですか、純粋な、ものすごい力ってもんが、俺以上のものがあるのかなって。あるとしたらどんなもんか知りたいんですよ。これって“雄”の本能でしょ?
王様も強いけど、頑丈さが売りで力はまあまあなんですよね」
「……」
「俺と本気でやってくれないじゃないですか。寝首を掻こうったって、殺すつもりじゃないですよ。怒らせたいんですよ、王様を」
のしのしと歩いていくティワカンヤ王の後ろを、バルゲアはひょいひょいと付いていく。
相手がほとんど無言でもお構いなし。よく喋る男である。
誰が聞いていてもハラハラするようなことを平気で言う。
あの余裕こそがナンバー2たる所以かもしれないが……。
ティワカンヤ王やピケトレヤ将軍、それにユキセツみたいに、強者は寡黙で冷静、みたいなイメージがあるが、バルゲアはまるでその逆だ。
なんなら同じ口調で、女の人をナンパしていたって不思議じゃない。
「……部屋のものが、少し動いていた」
――ぎょっ。
突然ティワカンヤ王は、背筋の凍りつくようなことを言った。
「だから誰かが侵入したかと思ったのだ」
「……へえ?」
嘘だろ。
透明人間として潜入する以上、触れるものは最低限にするし、動かしたものもミリ単位で元に戻すよう気を付けている。
なんでそんな微差が分かったんだ。
瞬間、バルゲアの眼光が獣のように鋭く光る。
そして、彼はサッと周囲を見回した。
まるでサーチライトのように、一瞬であらゆるものを把握しようとする気配の移動。
俺は「サウンド・カーム」を使っているにも関わらず、思わず息を止めた。
「……」
「……」
「……」
全員がじっと黙っている。
やがてバルゲアが口を開いた。
「……なんの気配もありませんね。もうとっくに退散したのか……。ていうか、本当に侵入者なんかいるんですか? ガチガチに封鎖してあるのに? ネズミだって忍び込めませんよ」
「……勘違いかもしれん」
「何が動いてたんですか? 机? 椅子? それとも本とか?」
「……埃や蜘蛛の巣などだ」
ティワカンヤ王がそう言うと、バルゲアは無遠慮にブハーッ、とため息を吐いた。
「そりゃ王様の勘違いです。間違いないです」
「……」
「あー、心配して損した。俺が管理を任されてる以上、もしものことがあったら金が減りますもんね」
「……」
「にしても王様、すでに死んだ男の部屋に、今さら何の用があるんです?」
「……」
「ちょくちょく俺を連れ立ってここに来ますけど、何度来たって同じでは?」
「……」
「分っかんないなぁ、俺には。可愛い弟だったのかもしれませんが、死者は死者でしかないでしょ」
この国に不敬罪があったらすでに三回は首チョンパされてそうな発言をズケズケというバルゲアに対し、王はフン、と鼻を鳴らした。
口元は笑っていなかったが。
「……お前のように分かりやすければ、何度もここへ足を運ばずに済むんだがな」
「はい?」
王はどこか遠くへ視線を投げるように窓の外を見た。
「……俺は未だに分からんのだ。弟のことも。それに……」
「……それに?」
「……」
「ハハ、さてはポポリカさんのことですかい?」
バルゲアがその名を口にした瞬間、
ドッ、
という爆音が廊下の真ん中で爆ぜた。
男の体が吹き飛んで、それが壁に叩きつけられる瞬間、
立て続けにボンッ、と音がして、吹き飛んだ男は壁に叩きつけられることなく床に着地した。
「はははっ、やあっぱり王様を怒らすのは奥さんの名前しかないですねぇ! 逆方向からの爆破で衝撃を相殺させたのに、腹がジンジンと痛いですよ」
ティワカンヤ王が目にも止まらぬスピードでバルゲアをぶん殴ったのだ。
しかしバルゲアはそれを、おそらくは魔法を使って受け身を取り、軽傷で済ませたようだ。
王の一撃もさることながら、バルゲアの戦闘センスも目を見張るものがある。
(ティワカンヤ王のパワーはボドと同等かそれ以上……バルゲアのスピードはアレクトロ並みってところか?)
とりあえず俺にはまったく手が出ないレベルの戦いであることに変わりはない。
「さあさあ王様、二回戦と行きましょうや。ここが狭いなら『十字架闘技場』に場所を変えても……――」
「――殴る気はなかった」
楽しそうに煽るバルゲアに対し、ティワカンヤ王は冷静な顔のまま、スッと拳を下げた。
「反射のようなものだ。お前は抑止力としてよく機能している。俺が壊すつもりはない」
感情の篭もっていない声だった。
「俺がその名に過敏なのはその通りだが、お前の望みに答えてやる気はない。俺に命じたければ今よりも強くなってみろ。弱者の声に耳は貸さない。この俺は――」
そして、初めてほんの少しだけ眉をひそめて、
「――誰よりも強いんだ」




