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第90話 「かなしきひとよ」


****




 某月某日


 あの人に羊皮紙の束をもらった。


 これに日ごとの記録を付けろと言う。


 日記というらしい。


 去年からあの人はアンプルシアの文化に傾倒している。


 そのアンプルシアで流行り出したもので、あの人もやっているそうだ。


 気は乗らないが、始めてみる。


 自分のことが分かるかもしれない。


 月に一度くらいなら支障も無いだろう。




 某月某日


 今月の終わり、蛮族の集落をひとつ占領した。


 集落にいた男の半数は戦争で死んだ。


 つまり、我々が殺した。


 自然、女が余る。


 なのでジャルバダールの独身者や貴族の奴隷、地位の高い者は妾として受け入れた。


 合理的な処遇だった。


 けれどあの人は泣いていた。


 戦のあとはいつも泣いている。


 そのことは私しか知らない。


 泣いている理由は誰も知らない。




 某月某日


 今月の中ごろ、市場で奴隷に食べ物を分け与えているあの人を見つけた。


 奴隷は、先日我々が占領した蛮族の女だった。


 女はあの人に唾を吐いた。


 だから私は女を斬り捨てた。


 あの人は私の頬を叩いた。


 そして泣いた。


 私はあの人の名誉を護ったつもりだった。


 叩かれた頬は今も痛い。


 半月も経ったというのに。




 某月某日


 あの人が兄と話している。


 あの人が笑う理由を、兄は知っているのだろうか。


 あの人が泣くことを、兄は知っているのだろうか。


 知らないのなら、兄は愚かだ。


 知られたくないのなら、あの人は愚かだ。


 実のところ


 私もまた愚かなのかもしれない。




 某月某日


 今月の初め、弟が部屋を訪ねてきた。


 弟は利発だが、将となるには情が深すぎる。


 本をいくつか紹介した。


 情を抑える方法は、知識しかない。


 情は本能であり、知識は理性だ。


 本能に従うものは獣。


 理性に従うものが人間である。


 正直なところ、国がずっと崇めるマハランさえ、私にとってはただの獣でしかない。


 広大な砂漠をゆく「足」でしかない。


 弟には理性を持ってほしい。


 ただ、実際に本がその一助となるかは分からない。


 本能を持たない私には分からないのだ。




 某月某日


 ここのところ兄の様子が変わった。


 以前にも増して口数が減った。


 以前にも増して目つきが鋭くなった。


 士気に関わるから気を付けろと私が注意すると、兄はへこへこと謝った。


 へりくだるように、私に謝った。


 鋭い目つきのまま。


 私の言葉をまるで理解していないらしい。


 兄の口数が減るごと、


 目つきが変わるごと、


 あの人は優しくなった。


 口数が増え、目つきは穏やかになった。



 なぜかと聞いたら、


 「そういうものよ」と返された。


 分からない。




 某月某日


 国全体が暗い。


 機王との戦いが近付いているのだ。


 兵を強くしなければ。


 兵をひとつにしなければ。


 私が王なら、そうするのに。




 某月某日


 何度もこの記録を読み返している。


 大したことなど書いていないのに、不思議だ。




 某月某日


 機王との戦でしばらく間が空いてしまった。


 改めて自分の記録を読み返すと、あまりにも淡々としていて、自分で嗤(わら)ってしまった。


 やはり意味が無かったとあの人へ伝えると、読ませてほしいと言われた。


 私は「嫌だ」と断った。


 あの人は目を細めて、「ほら」と笑った。


 「意味はあったでしょ」と言って、笑った。


 もう少し、続けてみる。




 某月某日


 国が疲れている。


 今月の終わりに、兵たちを労うための食事会を開いた。


 たいそうな盛り上がりだった。


 私がいつものように酒を呑み、笑っていると、部下(ロクセンタという忠臣の一人だ)に、「少し変わられましたね」と言われた。


 私が「何も変わっていない」と言うと、彼は残念そうに「そうでしたか」と頭を下げた。


 だが、以前の私なら「変わっていない」と断言しただろうか。


 彼に合わせて「変わったかもな」とほほ笑んだのでは?


 この記録を付けるまで、私は私自身と対話したことがなかった。


 私は過去の私と向き合っているのだ。


 私は変わったのだろうか。


 私は何者なのだろうか。


 何を望んでいるのだろうか。


 なぜ理想の将軍であろうとしてきたのか。


 やはり私の生まれの――*ここから数行、文字が消されている*――



 ――*兄の登場により、食事会はいっせいに冷え込んだ。


 戦争の最中に酒盛りとは何事だと檄を飛ばされた。


 私の指示だと兄の前に出ると、兵士たちが我も我もと追従し、頭を下げた。


 兄は怒りに赤らんだ顔を一気に青ざめさせ、砂嵐が去るように姿を消した。


 私は知っている。


 その後、兄があの人を大声でなじったことを。


 行き場のない憤りをぶつけたことを。


 愚かな。


 哀れな。




 追記


 パボニカ五大国が派兵する機王への討伐隊に、ジャルバダール代表として私が選ばれた。


 私がこの国の最高位の将軍であること以外の理由を想像するのは難くない。


 どうやら私は理想の将軍などではなかったらしい。


 私は理性だけで生きてきたのではないらしい。


 誰かに憎まれる生き方を、ちゃんと選んでいた。


 私には、怒りも、妬みも、名誉欲もあったらしい。


 愉快だ。


 私は今、とても愉快だ。




 某月某日


 遠征にこの記録を持ってきた。


 私が戦死したときは、この記録を国へ届けるようロクセンタとロクペルヤ(ロクセンタの弟だ)に言ってある。


 決して中を見ないようにと。


 そしてあの人に渡すようにと。


 あの人だけが、中を読むようにと。




 某月某日


 機王は強い。


 我々は負けるかもしれない。


 死ぬのが恐ろしい。


 恐ろしいと考える自分が嬉しい。


 私は生きている。


 ジャルバダールに生まれ、無為に育ち、無為に悩み、自分を知らないまま将軍となり、国を護る立場についた。


 私は今、国のために戦っている。


 私の生は、無為ではなかった。


 私は、私だ。



 私は、“偉大なるマハラン”が護る国に生まれた、誇り高きピケトレヤ・ジャルバダール将軍だ。





 某月某日


 おそらくこれが最後の記録になるだろう。


 機王は強い。


 勝てないかもしれない。


 兄が国を出て、援軍に向かっていると報告があった。


 弟を死地へ送り込んだ本人が、死地へ飛び込むとは。


 ふと、幼いころ兄弟で遊んだ日々を思い出した。


 兄と、弟と。


 今はどこか眩しく感じる。









 某月某日


 どうやらもう一度だけ記録を残せそうだ。


 これが本当に最後の記録。


 私の生きた証だ。


 書くことはひとつだけ。



 愛(いと)しき人よ。



 愛(かな)しき人よ。



 これを読んだなら、忘れないでほしい。


 あなたは一人じゃない。


 私はいつまでもあなたを想っている。


 兄と、


 あなたの大切な妹と――*ここから数行、文字が消されている*――



 ――*どうか、どうか幸せに。

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― 新着の感想 ―
妹。 ふむ。 ホントに少しずついろんなことが明らかになってくるこの感じ、ゾクゾクしますね!!
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