第86話 「透明人間と剣(つるぎ)の魔女・後編」
「ば、ばんしょうざんか……?」
「『万象斬下の終刀』、よ。
私も何のことだか分かんないけど、そんな言い伝えがあるの」
なんか急に中二病っぽいワードが出てきたが。
ばんしょうざんか……ついとう?
追悼?
「それってどんな力なの?」
と、訊いて分かるかどうか知らんが。
「なんでも斬っちゃうの」
「なんでも斬っちゃう?」
「そ。ポポリカ様が話してくれたデンセツの中だと、『万象斬下の終刀、星さえも斬る』っていう言葉が出てくるのよ」
いきなり話題が神話クラスまでぶっ飛んだな。
なんでも斬っちゃうってことは、「ばんしょう」は「万象」でいいのか? 「森羅万象」とかの。
「ざんか」は……なんだ? 「斬り下ろす」で「斬下」とか……。
で、ついとう?
「とう」は斬るんだから刀かな……。日本だと剣と刀には明確な違いがあるけど、世界的に見ればレイピアもシタールもバスターソードもひとくくりに剣だし。
「つい」は……対、槌、遂あたりが浮かぶけど、そういえば「終」もついって読むよな。
「万象斬下の終刀」って感じか……?
まあそもそも本来は日本語じゃないんだから、俺が理解しやすいように、勝手に漢字を当てはめればいいだけの話だ。
それにしても、星さえ斬るとは大きく出たもんだ。
それならたしかに「世界を変える力」の広告に偽り無しだろうけど。
果たして魔女の力っていうのは、そんなにとんでもないものなんだろうか。
「大変だったな」
ふと、そんな言葉が出た。
「え?」
「あ、いや……そんなすごい力を持っているって、きっと結構な負担だろうからさ」
リシュデルの常識は、おそらくポポリカ王妃が育んだのだろう。
ヒゼトキヤ王やゼロメタ王妃はリシュデルが幼い時分にはすでに亡くなっているだろうし、ティワカンヤ王とは彼女とあまり喋らなかったようだ。
ごくわずかな人との触れ合いだけで、こんな風にちゃんと育ったのは、リシュデルが生まれながらに持った気質と、ポポリカ王妃の人柄のおかげとしか言いようがない。
ただ、そうだったとしても、やはりリシュデルの境遇が恵まれたものだったとは言えない。
魔女というだけで隔離され、この年までろくな話し相手もおらず、空中庭園と大倉庫だけを行き来する人生……
それも全て、魔女が持つ力のせいなのだ。きっと。
「う……」
と、リシュデルはなんだか震えた声を出した。
ず、と彼女は洟をすすって、
「……うん」
そう小さく言った。
彼女の顔は見えなかったが、軽く触れた体から、かすかな震えが伝わってきた。
リシュデルは、たまにこの大倉庫へ来る。
時には兵士の会話を聞くことも出来たろう。
自分と他人の違いを直に感じてしまい、自分の存在意義を問うたこともあるかもしれない。
本当に――会えて良かった。
何はともあれ、彼女が「剣の魔女」で、だからこそ同じ武器同士である「熱砂の槍」と結びつくのであり、そのため「魔女の制裁」に説得力を増しているということがよく分かった。
そのほかにも魔女を魔女と証明する手段が少なくとも二つあることを知り、また世界を変えると言われる魔女の力の一端を知ることが出来たわけだ。
さてここからは、俺自身の立場をどう振るか決めなくてはならない。
どうやらリシュデルは俺をティワカンヤ王側の人間だと思っているらしく、だからこそ色々と話してくれた。
もちろん俺は彼女の力になるつもりだが、懐柔――というと聞こえが悪いが、ティワカンヤ王側ではないが、怪しい人物でもない、ということをしっかり説明しなければならないだろう。
なんだか騙しているようで悪いが(というか相手の勘違いにつけ込んでいるのだから、完全に騙しているんだが……)、あくまでリシュデルのためだ。
そこがブレない限りは彼女も信用してくれると信じよう。
「リシュデル……君にまだ名前を教えてなかったね。俺はツキトというんだ。よろしく」
「ツキト? ふふ、変わった名前ね。でも嫌いじゃないわ。よろしく」
「まず最初に訊きたいんだが……君は今の境遇に満足しているかい?」
卑怯な訊き方かな、と思った。
さっき彼女は少しだけ泣いたのだ。今の生活で充分なんて思っているわけがない。
ただ、それでも「満足だ」というのなら、今度はここにいるべき理由が訊けるかもしれない。
「不満だ」というのなら話は早い。彼女を助けに来たことを伝えてしまえばいい。
リシュデルは少しだけ考えるように黙り込んで、それからポツリ、と漏らした。
「私……外に出てみたい」
「……そうか」
その言葉だけで、彼女の痛切な想いはしっかりと伝わった。
「俺なら君を出してあげることが出来るかもしれない」
「ほんと?」
がばっ、と、暗くてみえずともリシュデルが顔を上げたのが分かった。
彼女はポポリカ王妃に恩を感じている。
けれどティワカンヤ王に対しては「人が変わった」と疑問があり、せいぜい「ヒゼトキヤ王よりは嫌いじゃない」という評価だった。それもポポリカ王妃の夫だったからという点を加味してのことかもしれない。
ということは、ポポリカ王妃が亡くなり、二年間ほぼ孤独だったリシュデルにとって、この国は、ティワカンヤ王は――決して恩人ではない。
そもそもがこの国に閉じ込められていたのだから、むしろジャルバダールは彼女を閉じ込める檻でしかないのだ。
人生をもてあそんだ仇敵と表現したって、言い過ぎじゃないだろう。
もっとも、リシュデル自身に「ジャルバダールに貢献し、骨を埋めることこそ魔女の幸福」と教え込まなかったとことは、わずかな良心の呵責と思っていいかもしれないな。
その背景をしっかりと考慮すれば、今すぐにリシュデルを懐柔することも不可能じゃない。
俺は少しだけ言葉を選ぶ。
「ただし、ここを出るということは……ティワカンヤ王の意に背くということになりかねない。……それでも平気かい?」
数秒の沈黙があって、
「……私、ちっちゃいころにお部屋に連れて来られたの。閉じ込めたのはヒゼトキヤ様よ――直接そうと聞いたわけじゃないけど、ポポリカ様のお話を聞いたらなんとなく分かったわ。
私、いつまでここにいればいいんだろうってずっと思ってた。外に出たいってポポリカ様に言ったら、『機王大戦』が無事に終われば、ティワカンヤ様にお願いしてみるって言ってくれたの」
リシュデルの言葉は雨だれのようにぽつぽつと落ち、それが彼女自身の閉ざされた過去を溶かしていくようだった。
「――だけど……ポポリカ様は死んじゃった。
ティワカンヤ様が言ったの。『アイツは死んだ』って。氷のような目をして、ひと言だけ。あのときの目は、怒ったヒゼトキヤ様よりもさらに怖かった……。『私、外に出たいわ』って言ったら『駄目だ』って。それもひと言だけ。
逆らったら殺されるって思った。
誰かの目に似てるって思った。
分かったの。あれはヒゼトキヤ様の目……――そして“ピケトレヤ様”の目だって」
ピケトレヤ様?
ピケトレヤ将軍が――冷たい目?
ここでその名前が出てくるとは……?
それにリシュデルの評は、ヒゼトキヤ王に対しても厳しい。
ティワカンヤ王が冷徹になったのはポポリカが亡くなったせいだと分かる。
いや、違うか。
何かのきっかけで冷徹になり、ポポリカを殺したんだ。
だがヒゼトキヤ王は、野心がある人物とはいえ、愛妻家として知られていたはずだ。そこに冷たく厳しい印象は無い。
ピケトレヤ将軍だって、今も多くの忠臣がいるほど尊敬されている。それは人格者ゆえだと思っていたが。
この、王宮の外から見ていた国民からの評価と、王宮の内部で直接彼らに触れたリシュデルの評価の齟齬は、一体なんなのだろう――。
俺の疑問をよそに、リシュデルは続ける。
「……前にポポリカ様が言ってた。機王大戦が終わって私が外に出られるようになったら迎えに行くわって。それが無理でも誰か部下を送るって。
私の部屋と、この大倉庫のいっかくは、ポポリカ様やティワカンヤ様以外入っちゃいけない場所なのよ。そこにあなたがいた。
だから、私きっと……ポポリカ様が――……でも、違うのね」
少しだけがっかりしたような、諦めたような、そんな声だった。
「ティワカンヤ王の意に背くかもしれない」。
この言葉で、彼女は俺の立場に気付いたのだろう。
その上で、身の上を明かしてくれたのだ。
けれどリシュデルはすぐに声に力を込め、
「……私、いろんなことを知りたいわ。ポポリカ様のこと、ティワカンヤ様のこと。あまり頭は良くないけど……。あなたについていけば、それが分かる?」
俺は頷き、頷いただけじゃ分からないかと「ああ」と返した。
「じゃあ、私を連れて行って。ツキト」
俺はもう一度、密かに、けれど力強く返事をした。
****
さて、奇跡的にリシュデルとの邂逅を果たし、彼女を連れ出す運びになった。
とはいえ、すぐにそれが実行に移せるわけではない。まだこの王宮で調べなければならないことが多くあるのだ。
そのため彼女にはもう少しだけ普段通り過ごすようお願いし、一旦別れることにした。
「今なら兵士がいないわ」
そう言うリシュデルの言葉に従い、二人で木箱から出るとその裏側へ隠れる。
外は外で、未だ夜。真っ暗だった。
「光が無くても道が分かるのかい?」
「印をつけてあるの。慣れれば簡単よ」
彼女はぎゅっと俺の手を掴み、壁を触らせた。
いや壁ではなく、また別の箱の側面だった。
「ちょっとだけふくらんでるの、分かる?」
指先に小さな出っ張りがある。
そこからリシュデルはさらに手を滑らせ、別の出っ張りを触らせる。
同じ調子で次々と出っ張りを辿っていくと、倉庫の端にある隠し扉に着いた。
彼女がそっと扉を開き、中へ誘われると、奥の方に光が見えた。
「曲がり角の先にランプがあるのよ。ね、少しだけ明るいでしょ?」
そう言ってこっちを振り向いた彼女の顔は、思ったよりも幼くて。
けれど綺麗な顔をした、どこか懐かしい印象だった。
「あは、変な仮面ね」
仮面をしていることはすでに言ってあった。誰かに見つかったときのため、ということにしておいた。あながち嘘でもないし。
怖がらないかな、と少し不安だったのだが杞憂だったようだ。
「君の方は……なんだか不思議だな。昔どこかで見たような……もちろんそんなわけはないんだけど」
リシュデルはツリ目でまつ毛が上向きの、気が強そうな顔立ちだった。
鼻筋がスッと通っていて、唇がふっくらしている。眉毛はキリッと細く、顎は尖り気味である。
十五歳だから、俺より二つ下だ。元の世界でいうと中学三年生くらいってことになるな。
ツインテールに縛った髪は、白金色のニュトとはまた違った、まさに黄金色とでもいうべき濃い金色で、それが遠くの蝋燭の灯にかすかに光り、とろりと甘い蜂蜜色のように輝いている。
「秘密の通路が分かったんなら、ここで別れましょ。ねえ、本当に明日の夜、またここで会ってくれるのよね、ツキト?」
「ああ……でもなんで信用してくれるんだ? 見るからに怪しい俺を……」
リシュデルは真面目な顔で、うーんと悩んだ。
「分かんない。直感? やさしい人だと思ったし、木箱に落ちたとき、抱き止めてくれたでしょ?」
「ああ……あれはとっさに」
「なんかね、あなたはダイジョウブって思ったの。こういうの、オンナの直感って言うんだって。ポポリカ様に教わったわ」
なんか違う気もするが……まあいいか。
「それに、ね」
リシュデルはためらいがちに俯く。
「私が魔女って言っても怖がらなかったでしょ。魔女がどう思われてるかくらい、知ってるわ。力のことを話して、無理に連れ去ろうともしなかった。今も私を信じて送りだしてくれるし。うん、結構いろいろあるわね。あなたを信じられる理由」
そうまで言われると、なんだかむず痒くなる。
「一週間に一度の約束を破っちゃうのは大丈夫かい? ティワカンヤ王にバレたら……」
「あの人は、もう私に興味ないだろうから、きっと大丈夫よ」
なるほど。
そういうことらしいので、明日また会う約束をして別れた。
静寂が降りて――
――俺は深く溜め息をついた。
唐突な重要イベント発生に、とても頭がついて行っていなかった。
でも、一番果たしたかった目的を、果たせた。
この偶然には感謝しなければならない。
もっとも、実際に彼女を逃がすとなると、やらなければならないことが多く、まだちょっと準備が必要だろう。
ここは警備が厳しくない。
リシュデルを連れ出すこと自体は難しくないはずだ。
だが魔女は「制裁」の要だ。それが連れ出され、実際には魔女の手によるものでなかったと知られれば、「絶対順位令」の効力は弱まる。
それをティワカンヤ王は許したりしないだろう。
この国にいる限り、王の支配下にある。
ならば王宮の中だろうが外だろうが変わりはない。焦る必要はない。
また、リシュデルはティワカンヤ王に完全に支配されており、俺に話したことも全て演技で、俺が侵入していることを王に密告しに行った――というのも、可能性としては考えられなくもない。
しかし、そうであればあんなに国の内情を明かす必要はないし、そもそもポポリカ様への悲哀が演技だとはとうてい思えない。
明日は王宮の内部をしっかり調査し、夜にリシュデルとまた会う。
当面の予定はそれで間違いないだろう。
とは言え慎重に慎重を期した俺は、今夜の密会がティワカンヤ王にバレたときのため、さっきとは違う木箱の中に身を潜め、眠りについたのだった――。




