第85話 「透明人間と剣(つるぎ)の魔女・前編」
夢を見た。
恐ろしい夢だ。
悪夢と言ってもいい。
最後に「そいつ」が現れなければ、頭がおかしくなっていたかもしれない。
ジャルバダール王宮の大倉庫の中で眠る俺を、俺自身の視点が遠くから見ていた。
その景色が段々と遠ざかる。
やがて視界がぼけ、あいまいになって――
――気付けば俺は、学校の校舎裏にいた。
思い出そうとしても、うろ覚えになっていたはずの、元の世界。
日本の高校。
その光景は、なぜか夢の中ではくっきりと鮮明で。
俺をフッた先輩の背中が遠くに見えて、俺はすぐに日本に戻ってしまったと悟り、慌ててパボニカ大陸へ戻ろうと、ニュトを探して駆け回る。
しかし走っても走っても、そこにあるのは日本の街並みだけなのだ。
コンクリートの建物。
道路を走る車。
ヒビ割れていない空。
ニュトはいない。
どこにもいない。
バスタークも、ブリガンディも、ファンダリンも、システィーユ姫も、グランデル王も、シューシュカも、レモネットも、ゾゾルも、ブラーも、誰もいない。
いつしか人や車もいなくなって、
俺は誰もいない十字路の真ん中で立ちすくんでいる。
空は哀しいくらいに青く、
ぞっとするほど孤独だった。
誰もいない。
誰もいない。
孤独だ。
――。
……やがて道路の向こうに、ゆらりと人影が浮かんだ。
そいつはどんどん近付いてきて、やがて俺はそれが知り合いだと気付く。
ギラギラと光る金色の髪。
炎を閉じ込めたような赤い目。
「――いつまで寝てんだよ、オーカー」
ジャルバダールのオアシスで会った、あの男。
“ビシス”は、ニヤリと笑いながら、そんな風に俺に呼び掛けた。
「お前が寝てたら、誰がこの世界を救えるっていうんだ?」
世界を……救う?
ビシスは続ける。
「なあ、俺がお前を信じてるんだぜ。
今度こそは変えてやろうじゃねえか」
変える……?
今度こそ?
「さあ、行けよ。オーカー。
お前に助けを求めるヤツらがまだまだいるだろう?
次はリシュデルだな。
彼女を助けてやれ。
お前がピンチのときは――俺がちょっとばかし、力を貸すからよ。
だから。
頼んだぜ、オーカー」
そして俺は――
――目を覚ました。
なぜかビシスの声が、まだ耳元で反響しているようだった。
暗闇の中にあって、あいつのまじないを受けた左手の人差し指だけが熱く感じ、ごそごそと身をよじって爪の先を見る。
ほんのうっすらと、炎の紋様が光っているようだった。
(なんか色々と……)
今もぼんやりした頭で、夢を思い出そうとする。
(……大袈裟なことを言われた気がするな……)
ビシス。
アイツは一体誰なんだろう?
俺は一体、アイツの何なんだろう?
***
それから十数分ほど、ぼーっとしていただろうか。
結局昨日の晩から、一度も誰かが入ってくることはなかった。
庫内は暗いから、松明を持った兵士が入ってくれば音だけでなく光で分かる。
ところが不意に、何かの気配を察したのだ。
左を向いて、
右を向くと。
バチッ、と、目が合った。
(!!)
声は上げなかった。
それより先に相手が喋ったからだ。
「あ、あの……」
紙をすり合わせる程度の小さな声だった。
「……あなた、誰なの?」
****
「ここには誰も入っちゃいけないのよ?」
暗闇の中で、それでもかすかに小さな光を宿した両目が俺に訴えた。
まず思ったことは、
(やっちまった……!)
だった。
(見つかった……どうする? おかしい、倉庫の扉が開く様子もなかったし、庫内を仕切るあのどデカい網がジャラジャラ鳴ったりもしなかったはずだ。
いやそもそもたくさんある木箱のうちのひとつに隠れたのに、どうしてピンポイントで俺を見つけられたんだ?)
相手の両目は、木箱の蓋をちょっとだけ開けた先から覗いている。
色々な思いがぐるぐると脳内をめぐる。
どうする。
殺るか?
だが声からして、相手は少女だぞ。
さすがにそこまで非情にはなれない。
ならば捕らえるか?
出来るのか、俺に?
「ねえ、ひょっとしてティワカンヤ様がお許しになった方なの? そういうこと?」
ところがあたふたする俺と裏腹に、相手が勝手に勘違いしてくれたようだ。
「ねえ、あなたってばちっとも喋ってくれないのね。私の秘密の寝床にこっそり入っておいて、ずるいわ。私、人と話すの、すごーく久し振りなの。いっぱい喋りましょうよ」
どういうワケか……どう考えても怪しい侵入者に対し、敵対心を抱いていないらしい。
なぜだ?
この少女は一体どういう立場なんだ?
とりあえず警戒していないのを利用し、俺は彼女を安心させる方向へ舵を切った。
「……え、えっと……。うん。いろいろ話そう」
努めて穏やかな声を出す。
「なにか話したいことはある? 君の好きな話でいいよ」
「待って、ここじゃ誰かに聞かれちゃうわ」
少女は妙にウキウキとした声で囁く。
「入るわね」
入る?
と――少女は木箱の蓋をさらに開け、ゴソゴソと滑り込むように箱の中へ入ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って、さすがにせま――」
言う前に彼女はずるりと落ちて、ちょうど俺の膝と膝の間にすっぽり入るように収まった。
「うっ……」
一応鎖帷子は着込んでいる。
硬くて痛かったんじゃなかろうかと声が出るも、少女は相変わらずウキウキとした調子で続けた。
「なによ、あなたってば小柄なのね。兵士じゃないの?」
声はアゴのすぐ下から聞こえた。
木箱の蓋が閉じられたことで真っ暗闇になり、目の光さえ見えない。
が、彼女は気にする様子もない。
「俺は……兵士じゃないよ。ただの人さ」
「タダノヒト? ふうん。でもティワカンヤ様がお許しになったんでしょ? でなきゃここに入っていいはずないもん。それはフツウじゃなくて、トクベツなことでしょ?」
どうも要領を得ない。
とにかく彼女のことを詳しく訊いた方が良さそうだ。
「君は……君は何ていう名前なのかな?」
すると少女はごく小さく、けれど朗らかな声で告げた。
「私? 私はリシュデルよ」
――。
「り、リシュデル……?」
「そう。魔女なの」
****
「……リシュデル? 君が?」
「そうよ。アレ? 知っててここに入ったんじゃないの?」
「い、いや……うん。暗くて顔が分からないからね……。しかし、そうか。そうだったのか。良かった……」
急に俺はじわりとまぶたの上から熱いものが込み上げるのを感じた。
「ちゃんとまっとうな感情があるんだな……」
「? どういうこと?」
「ああいや、こっちの話だ……」
十五年ものあいだ生きてきて、同じ場所に閉じ込められ、生涯たった四人としか話したことがない。だから、感情がまともに機能しているのか……ひょっとすると感情が育つことなく、人形のように心が虚ろな少女になっているのでは……と思っていたのだ。
もっとも、常識や理解力が少しばかり欠けていそうだが……。
それにしても、そうか。
リシュデル。この子が……。
まあここじゃ顔も分からないが。
それ以前に、彼女が本当に魔女リシュデルなのかも確認しないといけないけど。
ただ、夜中だろうとハッキリ浮かぶはずのランゴが見えない時点で、リシュデル本人の可能性はかなり高そうだ。
「絶対順位令」の例外が認められるとすれば、それこそ魔女くらいしか考えられないからな。
「ええと、秘密の寝床と言ったね。この木箱のことだよね」
「そうよ。下に布がたくさん敷いてあって、背中が痛くないでしょ。可愛い柄ばかり集めるの、大変だったんだから。夜だと見えないけど」
布をしまってある箱じゃなくて、彼女が寝やすいように敷き詰めたものだったのか。
二メートルもある大きな箱だ。たしかにここは他に比べて埃が積もっていなかったし、寝やすそうだと思って選んだんだが。
ちょっと見立てが甘かったか。
「しょっちゅうここに来ているのかい?」
「ううん。一週間に一度だけ。だってそういう約束でしょ?」
そうなのか。
だったらなんてラッキーなんだ。
「普段は『空中庭園』にいるんだよね」
「それって私のお部屋のことね。そうよ。キレイだけど、ずっとあっちにいるのはつまんないの。だからここにだけ来ることをポポリカ様が許してくれたわ」
ポポリカ様が?
ティワカンヤ王の元王妃の?
「ポポリカ様はとてもやさしい方だったのよ。ティワカンヤ様と、とても仲が良かったの。きっと、ティワカンヤ様が変わったのも、ほとんど来なくなったのも、ポポリカ様が死んじゃったからなのね……」
不意に声のトーンが一段下がった。
それは、もう何度も悲しんで、やっと事実を受け入れられるようになったような声色だった。
ポポリカ王妃の死は知っている……ティワカンヤ王が話したのか?
だが、ティワカンヤ王自身が殺したということは知らなそうだ。
いや、その前に、
「ティワカンヤ王がほとんど来ない……?」
「昔はね、一週間に一度は来てくれたのよ。無口な人だけど、私は嫌いじゃないわ。ヒゼトキヤ様に比べたら、ずっと優しいし。いつも話してくれたのは、ポポリカ様だったけど」
「君は『魔女の制裁』に関わっていないのか?」
「せーさい? 何それ?」
……ふむ。
ティワカンヤはほとんど彼女に会わない。
けれど制裁は行われる。
やはり「魔女の制裁」は、ジャルバダールでも畏れられている魔女の名を使い、人々を縛り付けていただけなのか。
一度にいろいろな疑問が解かれていって、ちょっと頭がパンクしそうだが……。
まとめると、
リシュデルはヒゼトキヤ王、ゼロメタ王妃、ティワカンヤ王、ポポリカ王妃の四人と会ったことがある。
しかしずっと空中庭園にいて、制裁には関与していない。
で、たまにこの大倉庫にだけ来られるってとこか。
ふーむ。
一旦頭を休めて、
再開する。
「――じゃあもちろん『熱砂の槍』も知らないよね」
「知らなーい。なになに、いいものなの?」
無邪気に訊かれるが、俺は「いや……」と言葉を濁しておいた。
リシュデルが「熱砂の槍」を知らないとなると、それはティワカンヤ王自身の仕業という可能性が非常に高くなる。
自分で自在に制御できるものでなければ、絶対順位令抵抗への抑止力として機能するはずがない。
だが、しかし。
「熱砂の槍」が魔女自身の力であると思わせるためには、リシュデルにも何かしらの関連性があるはずだ。
そうでなければ、槍が魔女の仕業だというのを大勢に認めさせることは出来ないだろう。
以前、ニュトが言っていた。
魔女は七人いて、それぞれに呼び名があるのだと。
例えば、心の魔女や、夢の魔女、というように。
「……君はなぜ魔女と呼ばれているんだい? やっぱり人間とは違うのかな」
ついつい矢継ぎ早に質問を重ねてしまうが、リシュデルは話すことそのものが楽しいようで、ウキウキと答えてくれた。
「そうみたい。私はポポリカ様やティワカンヤ様や、兵士のヒトたちとも変わらないって思ってるんだけど。私を見た人はみーんな、私の名前が頭に浮かぶんだって。それが魔女のショウメイなんだって」
ナヨカトルもそう言っていた。
ちなみに俺はニュトを見たときも、リシュデルを見たときもまったくそんな現象は起こっていない。
「あとね、私には不思議なチカラがあるんだってー」
「不思議な……力? それって魔法とか……」
「たぶん魔法とは違うわよ。ポポリカ様が言ってたの。『魔女は世界を変える力を持ってる。だからジャルバダールが危ないとき、リシュデルが助けてね……』って」
世界を変える力……ジャルバダールの伝承か。
「『こんなこと頼める立場じゃないけれど』なんて言ってもいたけど」
……。
やはりポポリカ王妃は心優しい方だったようだ。
「ねえねえ、ここのとこ、触ってみて」
「え?」
「早く」
リシュデルはもぞもぞと動いて俺の手を見つけると、それを自分の首筋に当てた。
「おっ、おい……」
「ちょこっとだけ、さらっとしてるでしょ?」
俺の声に構わず、彼女は言う。
たしかにほかの肌と比べて、少し滑らかだ。
すべすべしている。
いやほかの部分もすべすべなんだが、なんというか、ここだけつるっとしている。
「ここに紋章があるのよ」
「も……紋章?」
「魔女のショウメイ、そのにー」
そんなのがあるのか。
ニュトにはあっただろうか?
そしてリシュデルは、顔も見えない、表情も読めない暗闇の中でも分かるような、それこそ魔女――人類を超越したような透明な声色で、告げた。
「私はね、剣の魔女。
その力を手にした者は、『万象斬下の終刀』を得る――んだって」




