第83話 「魔法国家アンプルシアの二人の女王」
少女に誘われて行ったのは、大通りの角にあるこぢんまりとした可愛いお店だった。
窓には赤とピンクのタペストリーが飾られて、外から見えないようになっている。
中に入ると、シナモンの良い匂いがした。
「こんな素敵なお店、ジャルバダールに来て初めてだ」
今度ニュトと来よう。
素直に感想を言うと、少女はほっぺに小さくえくぼを浮かべて笑った。
「うふふ、喜んでもらえて嬉しいです。あそこに座りましょう」
店の奥に石造りのテーブルと丸いイスがあり、俺たちはそこに腰かけた。
彼女はお店の主人に「ヒチャ」を二つ注文した。
ヒチャというのはジャルバダールでよく飲まれている飲料で、白湯に各種スパイスを溶かした嗜好品である。健康にも良いらしく、レモネットやシューシュカが好んで飲んでいる。
「先ほどは本当にすみませんでした。あの……結構強くぶつかっちゃいましたよね。私、考え事をしていてつまづいてしまって……」
「気にしなくて大丈夫ですよ。それなりに鍛えてますし」
毎日の筋トレは、潜入捜査中以外は欠かしたことがない。バスタークやブラーみたいなムキムキとまでは行かないが、腹筋も六つに割れてる。
「そうなんですか。素敵ですね」
「おっふ、いやそれほどでも」
両手を重ねて頬に添え、小首を傾げるようにして笑う少女。
最高である。
「まだ名前を言っていませんでしたね。私、ミルキスと言います」
「ああ、僕……いや俺はハギノです」
さすがにツキトと名乗るわけには行かないしな。
それはともかく、ミルキスさんか。
可愛い名前だ。
「あの……触っても?」
「ええ、どうぞ」
……って、ん?
つい簡単に了承しちゃったけど、触るって何に?
と、思考が遅れている間に、ミルキスさんが俺の二の腕をサワサワと撫でていた。
「すごーい! かたぁーい。筋肉があって素敵です」
「は、はは……そうですか?」
いかん、俺よ。
童貞ツキトよ。
落ち着け。
「お腹も触ってみたいです」
「どうぞどうぞ」
あ、コラまた勝手に口が喋って――
「わわ、こっちもかたーい。割れてるんですね。うらやましいなぁ。……あの、脱いで見せてもらってもいいですか」
「どうぞどうぞ――あ、イヤだめです! それはだめなんです!」
脱いだら透明じゃないか!
完全に油断しているぞ俺!
「そ、そうですよね……! ごめんなさい、私、自分が筋肉ついてないことに少し劣等感があって……」
あぶねーあぶねー、セーフ。
筋肉が無いことに劣等感? え、女の子なら柔らかい方がいいじゃないか。
全然コンプレックス抱くようなことじゃないですよ。
「ミルキスさんは可愛らしい見た目なので、体つきも今くらいがちょうどいいんじゃないですか」
思ったままに言うと、彼女はボボッと音が出るように顔を赤くした。
「可愛い……ですか? えへへ……あまり言われたことがないので嬉しいですね」
言われたことがない?
マジか。
ミルキスさんの周りの男は目が節穴だらけなのか。
ロストグラフでのブリガンディの扱いにも同じことを思った気がする。
「ハギノさんこそ、とてもカッコイイと思います。憧れちゃいます」
「俺がですか? こんな妙ちくりんな仮面をつけていますが」
ツキト団にいるときは「月の仮面」を被っている。
今は同一人物だと思われないため、ほとんどのっぺらぼうの鉄仮面を付けている。
一応目と口の部分は切れ込みがあるので、見えるし、物も食べられる。
でもまあまあアヤしい人物だと思うぞ。
「仮面は……その、色んな事情があると思うのでとやかく言うことじゃないですが、私はハギノさんの声が好きですし、優しい方ですし、引き締まった体ですし……。うん、やっぱりカッコイイです」
もうミルキスさんと一緒にジャルバダールに骨を埋めたくなってきたんだが。
あまり褒められ過ぎても喋りにくくなってくるので、今度は俺から色々訊いてみた。
「ええっと……コホン。ミルキスさんはジャルバダールの人ではないようですが、どうしてこの国へ?」
「はい、私はアンプルシアから来ました。ジャルバダールに来たのは、自分の力試しと……あとは自分の国にいづらくなったから、でしょうか」
力試し?
「それって、ジャルバダールが『絶対順位令』を敷いていることを知っていて来たってこと?」
「はい。自分の力で生きていけるか、試そうと思って」
ミルキスさんは小さく両手でガッツポーズを取った。
つまり混乱の最中にあるこの国でも一人でたくましく生きていけるか試しているってことか。
なんてアクティブでポジティブな人なんだ。
家族とかはいないのかな?
それにしても、今ちょっと気になったことも言ったな。
「国にいづらくなったというのは……何かわけでもあるんでしょうか」
「ええ。ジャルバダールはこうした国勢上、他国の情報が入りにくくなっていますが、今アンプルシアは大変なんです。正確には、機王大戦以降から」
やはり――機王大戦なのか。
アンプルシアもまた、機王大戦以降に混乱が始まっているというのだろうか。ロストグラフやジャルバダールのように。
こうなると、もう機王そのものよりも、機王大戦という出来事の方が各国に影響を与えてしまった気がするな。
「……ひょっとすると、アンプルシアが派兵した戦士に何かあって、その後機王を倒した『英雄』が国を乗っ取ったとかじゃ……」
しかしそれはアッサリと否定された。
「いいえ。アンプルシアは機王大戦で最も被害が少ない国だったそうです。ジャルバダールのピケトレヤ将軍と違い、上級魔法使いが戦死された、ということもありません。むしろアンプルシアは、機王を倒した英雄を二人も輩出することになったので、以前よりも他国から優遇されているんです」
機王を倒した「英雄」が二人も。
そりゃすごい。
どうも口振りからすると、ロストグラフやジャルバダールみたいに危険な情勢にはなっていないようだが……
国にいづらくなったとは、果たして?
「ただ、その英雄を二人出した、という事実が問題でした。ハギノさんはアンプルシアの頂点に君臨する二人の魔法使いのことをご存知ですか?」
「二人の魔法使い、ですか?」
んー、どうだったかなぁ。
一応ロストグラフを出るときにアンプルシアのこともざっと聞いたけど、ジャルバダールの方がしっかり風土やら文化やらを勉強したし、そっちはジャルバダールを出る前に知っておけばいいかな、なんて考えていたからな。
……いや、でもいたな。
そうだ。アンプルシアの高名な二人の魔法使い。そうだ、そんな話をブリガンディから聴いたぞ。
「……存在は知っていますが、名前は……ど忘れしてしまいました」
素直にそう答える。
なんかややこしい名前だったんだよな。
「ふふ、そうなんですね。ではまずそこからお話しましょうか。
二人の魔法使いの名前は、
『春と遠雷の女帝ケシュラブレ』、
『鉄と誓約の皇妃フランゾエル』。
どちらも数百年を超える長寿の魔法使いですが、若々しくて美しく、知識豊かで優美なアンプルシアが誇る天才なんです」
ふむふむ。そう言えばそんな名前だった気がする。
ずいぶんと大仰な二つ名を持った人たちだ。
「アンプルシアには王がいません。それでありながら他国と渡り合えて来られたのは、彼女たちの力に因るところが大きいんです。
『魔法』という他国には無い力を発展させ、国の繁栄に大きく関わりました。
しかも、二年前の機王大戦ではそのどちらもが『英雄』として成果を上げた。アンプルシアの国民は非常に誇らしい気持ちでした」
それは単純にすごいな。
今の時代の英雄ってだけじゃなく、数百年以上も前から国の中心にあり続け、機王を倒せるほど強く、しかも頭が良くて、綺麗なのか。
それにしても「英雄」が外部の人物っぽく見えたのって結局ボドだけなのか?
いつだったかバスタークは「突然見知らぬ英雄五人が現れ……」なんて解説していたけど、あれはやっぱり他国の状況が分からない中での憶測が含まれていたんだろうな。
「それ、もう国の人から神様扱いされるレベルじゃないですか?」
「れべる? ……はい、ケシュラブレ様やフランゾエル様を神と讃える人たちもいっぱいいますし、私自身も尊敬しています。ただ、二人にはひとつだけ問題があるんです」
「何でしょう。国の更なる繁栄に頭を悩ませているとか」
「いいえ、仲が悪いんです」
……。
仲が悪い?
「それって、気が合わないとか、そういう……」
「徹底的に合いません。好き嫌いや趣味嗜好に至るまで、壊滅的に異なります。そして二人とも恐ろしくプライドが高いんです」
「うわぁ……」
「アンプルシアは国の外と中でハッキリと分かれています。
外縁に暮らす国民はケシュラブレ様に心酔していて、中央に暮らす国民はフランゾエル様に傾倒しているんです。
元々仲が悪かったお二方ですが、機王大戦で同等の成果を上げたことから一層険悪に。
そもそも機王大戦では、ケシュラブレ様が国民の支持を得るために抜け駆けし、後を追ったフランゾエル様はケシュラブレ様の脚を引っ張り、互いに出し抜き合った上で同じ成果だったのです。
ケシュラブレ様はフランゾエル様が邪魔をしなければ自分は一人で機王を倒したと言い張り、フランゾエル様はケシュラブレ様が先走らなければ足並み揃えることが出来たと主張します。
そして今までも国の内外でいざこざが絶えなかったアンプルシアは、とうとう互いに干渉しないという静かな内戦に突入してしまったのです」
まさに一触即発の冷戦ってところか。
「そんなに気が合わないなら、片方が国を出て行けば良い気もしますが……」
「どちらも自分こそがアンプルシアを発展させた自負がありますから、国を出ることは相手から逃げたようで嫌なんでしょうね」
勝手な女王様たちだ。
「なるほど。それでミルキスさんは国を出てきたんですね」
「はい。もっとも、それだけなら国を出ようとまでは思わなかったんですが……」
言いかけたところで、ヒチャが運ばれてきた。
ミルキスさんが注文してくれたので、俺は自分のフレーバーが何かよく分かっていないんだが、薄紫色の華やかな香りが鼻をくすぐった。
喋って喉が疲れたのか、ミルキスさんは「すみません」のポーズを取り、会話を区切ってヒチャを一口飲んだ。
「はぁ……落ち着きます。アンプルシアに比べてジャルバダールは暑いですが、ヒチャだけは温めて飲むのが好きですね」
「俺もそうです。こっちのヒチャも美味しいですよ」
「プルアックシャですね。私もちょっともらっていいですか」
……プルアックシャ?
聞き覚えのある名前に、ふと首をひねる。
ああ、そうだそうだ。
ジャルバダールに来る途中、「草原街道」で採集した花だ。ひと嗅ぎするだけでものすごいくしゃみが出るんだよな。
へえ、加工するとこんな良い香りになるのか。
椅子から立ち上がり、ミルキスさんにヒチャを渡す。
「どうぞ――」
「あ、ありがとうございま――」
うわっと。
同時に立ち上がり、身を乗り出してしまったせいで、テーブルの向こうのミルキスさんの顔とかなり接近してしまった。
「ふわあああっ!?」
ミルキスさんは素っ頓狂な声を上げてのけぞる。
「あ、すみませんすみません。俺まで立っちゃって」
「は、いえこちらこそ……ごめんなさい」
顔が赤い。
めちゃくちゃ赤い。
しかもなんか目が潤んでいる気がする。
ミルキスさんは右の耳をきゅっと押さえていた。
「す……すみません。私、耳弱くて……。はわわ……ハギノさんの『どうぞ』、間近で聴いてしまいましたぁ……」
ぱたぱたと開いてる方の手で顔を扇いでいる。
たしかに耳のそばで囁くような形になっちゃったからな。
ていうかこっちが気恥ずかしいんだが。
「そ、それで何でしたっけ。ほら、アンプルシアを出てきた一番の理由は」
慌てて話題を変える。
ミルキスさんも「そうでしたそうでした」と首を縦に振りながら、会話を戻した。
「えっと……ケシュラブレ様とフランゾエル様ですね。お二人は同じ国の中で完全に決裂し、今は不干渉になっています。
ですが互いに、相手がボロを出した瞬間に攻め立てて国から追放しようと目論んでいます。そうした緊張感のある国になってしまったんですが、実は二人には一つだけ気が合うところがあるんです」
「というと?」
「どちらも男性を低く見ているということ。二人は素晴らしい美貌の持ち主ですので、散々男性に言い寄られてきたのでしょう。それゆえに、男とは操りやすく愚かな、自分たちの道具でしかないと見ている節があります。
もちろん、優秀な魔法使いであれば男性であっても認めるようですが。
そしてその傾向は、二人の完全な決裂以降、いっそう強まりました。女性の魔法使いへの明らかな贔屓。男性への辛辣な態度。非常に男の人が生きにくい国になってしまったのです。
ですから私も、国から脱出を」
「なるほど。二人で競い合う内にどんどん性格が苛烈になり、元からあった気質が過剰になっちゃったってわけか」
例えば別々の球団のファン同士が口論しているうち、普段怒りっぽい人はより怒って、普段卑屈な人はより卑屈に互いを罵るようになる、みたいな。
まあまあよくある話ではあるが、それを一国の指導者同士でやらないでくれって話だよな。
……。
…………。
…………うん?
あれ、何かもっと引っ掛かることがあったような。
「ええと……ん? それで国外脱出を?」
繰り返すように尋ねる。
「はい。男性には居づらい国ですので」
「男性には、でしょ?」
「はい」
「ミルキスさんは女性だから関係ないよね」
すると彼女は可愛いえくぼを浮かべ、くすくすと愛らしく笑った。
「ふふ、何言ってるんですか、ハギノさん。私なんてどこからどう見ても男性じゃないですか」
……――え?
「いやいやいやいや、こんな可愛い男の人なんて今まで見たことないですよ! ていうか女の人より可愛いじゃないですか!?」
「うっ……。そ、そうですか? 私……可愛いかなぁ。女の人よりって……そんなこと言われたの、初めてかも……」
目をとろんとさせ、困ったように微笑み、唇に指先を添える。
肌は白く、頬はピンクで、髪はサラサラの青色だ。
指は細く、体も柔らかそうで、唇は濡れている。
こんな可愛い子が、男の子のはずがないじゃないか。
「……あっ、しまった。結構遅くなっちゃった」
ミルキスさんは慌てて立ち上がり、テーブルの上にお金を置いた。
「すみません、この後は用事があるんでした。私の勝手で付き合ってもらっちゃってすみません。あの、また会ってくれますか?」
「あ、は……はい」
「やった。ありがとうハギノさん、楽しかったです」
そうして嵐のように去ってしまった。
……。
…………。
本当に男なの?
あれか?
いわゆる男の娘ってやつなのか?
アンプルシアの話などすっかり吹き飛び、俺は正気に戻るのにしばらく時間が掛かるのであった――。




