大丈夫78話 「午後十時の来訪者・後編」
ナヨカトルの視界から、俺、シューシュカ、そしてハルゲマルタの姿までが消えたはずだ。
いや、それだけじゃない。
テーブルも、椅子も、床もだ。
俺に触れていた全てのものが、消えた。
「ハルゲマルタっ!」
一瞬、ナヨカトルの悲痛な叫び声にハルゲマルタの手が緩むのが分かる。
ナヨカトルの動揺に引っ張られ、彼女も動揺したのだ。
もちろん彼女自身、捕えていたはずの相手が消え、それ以上に自分の手が消えてしまったのだから驚きがあっただろう。
その隙を逃さず、俺はズルッとテーブルの下へ滑り込み、瞬時に壁際まで駆け寄って扉を開けた。もちろん「サウンド・カーム」で物音一つ立てない。
まさに一瞬の出来事。
「い、一体どこに……!?」
「ここだよ」
全てが色を取り戻したとき――俺は扉の横に立っている。
そして開かれた扉の向こうに控えていたレモネットが、ハルゲマルタに狙いを澄ましてナイフを構えていた。
シューシュカはハルゲマルタに捕まれたままだが、ハルゲマルタ自身の意識はすでにこちらへ向いているようだった。
「……言った通り、対等だ。互いに人質が一人ずつ。違うか?」
「……魔法、ですか……? いやしかし、こんな魔法は見たことも聞いたこともない……」
「長所は弱点。さっきの言葉がそのまま使えそうだな。
ナヨカトル、あんたが目が良いのはよく分かった。けれどそれは同時に、視覚に対する比重が大きいってことだ。目の良さを信頼するがゆえに、視覚に頼れないものに対して弱い。
……まあ、賭けではあったが上手く行った」
「まったくとんでもない王子さまもあったもんだぜ」レモネットが殺気を放ちながら睨みつける。「協力を持ち掛ける振りをして、裏じゃあのイカれちまった王様と繋がっていたなんてな……」
「……いつの間に彼女を控えさせていたんです?」
「もちろん、アンタたちをここへ導く間にさ。
俺たちはブトランテラの『鬼の御殿』から帰るときバラバラに別れた――が、レモネットたちは遅れて帰るようになっていた。これは運が悪かった。そうでなければ彼女に直接合図を送れたんだがな。
だから代わりに、レモネットの部屋の扉の下に目印になるカードを滑らせておいた。後で彼女に気付いてもらうためだ。長々と喋ってもらったのは、念のための時間稼ぎでもあったんだよ」
「なるほど……。しかしハルゲマルタの鍛え抜かれた体を、たかだがナイフ一本で傷つけられますか?」
なお優位な姿勢を崩そうとしないナヨカトルに、レモネットは怒りを露わにしながら答える。
「自分の女を人質にされて、攻撃を受ける前提の言い草は酷いんじゃないか?
言っておくがアタシのナイフは迅いよ。シューシュカを掴んでる手を放し、防御に入る直前に、ナイフは彼女を貫く。もっとも、まぶたの筋肉まで鍛え上げられてるってんなら話は別だけどね」
その発言は、明確に「両目を狙う」と言っていた。
俺は、ナヨカトルの顔に初めて青白い色がサッと走るのを見た。
「……なるほど。たしかに対等ですね……」
そして彼は武器をテーブルに置き、両手を上げて深く息を吐いた。
「……降参です。僕らの負けですよ。ツキトさん、敗因はあなたを侮ったことです。ナイフ使いのお嬢様、どうか手を引いてください。僕らも引きます。ハルゲマルタ」
ナヨカトルが名前を呼ぶと、ハルゲマルタはシューシュカから手を放し、従順に彼の横へ戻った。
「ツキト、ヤツはああ言ってるが、どうする」
レモネットはまだナイフの構えを解いていない。俺は溜め息をついて、答えた。
「……もういいよ、レモネット。どうせ茶番だ」
「は?」
俺がナヨカトルの方を見ると、彼は片方の眉を上げ、意味深な笑みを浮かべていた。
「そうでしょう、ナヨカトル王子。……いや、これは俺が気付いていないのも悪かった。ランゴのことをすっかり失念していたからね」
「いいえ、こちらこそ大変に失礼をしました。これから協力をしようという相手に対して非常に無礼な態度だったと思います」
「え? え? どういう意味?」
キョロキョロするレモネットに対し、シューシュカは合点がいった様子で「はぁーっ」と息を吐いた。
「なるほど……つまりご主人様のランゴが『936』だったから、ナヨカトル様は本人かどうか疑ってしまったってことですねぇ」
そう、シューシュカの言うとおり、今の俺のランゴは「936」だ。
だがナヨカトル自身は部下からこう報告を受けたはずである。
ツキト団の団長、ツキトはバルゲアを倒し「3」のランゴを手にしたと。
だが実際に会った俺本人のランゴは違っていた。だから、彼は確かめたのだ。
ナヨカトルの把握する「ツキト」は、ブトランテラを潰し、バルゲアを倒すほどの実力者だ。
そうであれば、今のナヨカトルの不意討ちにも対応できるはずだと――。
しかしナヨカトルは、シューシュカの発言に肯定も否定もしなかった。
「それもありますが、単純に実力を測りたかったのです。
ツキトさん、あなたがバルゲアを倒していないことは分かっています。僕の情報網は、特にバルゲアとイルシークに人数を割いていますから。
だとすれば、暗示か催眠術を使って大勢に幻覚を見せたか……僕は部下の報告から、そのように憶測しました。
いずれにしても、今日の決闘でユキセツを退けたのは事実。
今この国は弱肉強食。頭が回ろうと、人徳があろうと、絶対的な力の前では無意味です。いざという時、あなたがどこまで立ち回れるか……それを見ておきたかった」
「こちらに落ち度はあるし、理解は出来ますが、それにしても悪趣味でしたね」
思わず皮肉を言うと、ナヨカトルは殊勝な顔で頭を下げた。
「この無礼は何かの形できっとお返しします。ツキトさんの目に僕がどう映っているか分かりませんが、僕も必死なのです。弱い人、性根が悪い人を味方にしたくはない。これは感情的な理由ではありません」
まあ一大組織のトップに借りが一つ出来たと思えば、それでいいか。
「でもでもぉ、それってナヨカトル様の都合でしかありませんわよねぇ」
シューシュカが横槍を入れた。
独特の口調を、いつも以上にくどく。
「こちらが小さい組織だから舐められてるのかもしれませんけどぉ、こんな風に上から目線で試されるのって今後の信頼関係に関わりませんこと?」
「それにツキトを弱いヤツ、悪いヤツって疑って掛かられるのも良い気はしないね」
レモネットも追い打ちをかけるように言い放つ。
まだ怒っているらしい。
「いや、これは本当に申し訳ありませんでした。昔から暗殺などに恐れながら生きてきたから用心深いのは王族の性分で……どうか許してください」
ナヨカトルがさらに深く頭を下げるので、俺はもういいよと言いたくなったが、さり気なくシューシュカが目配せしてくるので仕方なく黙っておいた。
「国政に口出しは出来ますかぁ?」
シューシュカが突飛な発言をする。
「おい、シューシュカ。いきなりお前……」
「いえいえ、ご主人様。利回りは大事な話ですよぉ。協定を結ぶ大事な会合において、力試しの真似事なんて無礼千万ですわ。いくら互いに相手のことを知らないとはいえ、強硬策すぎます。もしも我々の連合軍がジャルバダールを手にした暁には、それなりの計らいをしてもらわないと!」
声がでかいんだよ。
そういやコイツの大目標は「成り上がる」ことなんだっけか。
ここぞとばかりにねじ込んできたなー。
ところで「利回り」って投資用語じゃなかった?
未だにこの世界の言葉がどういう理屈で日本語変換されるのか分かんねぇな……。
「シューシュカ様……とか言いましたか」
ズ、と静かにハルゲマルタ女史が立ち上がる。
なんだなんだ、なんか怖いぞ。
「たしかに……無礼をしたのはこちらです。しかしそれも、他の組織からツキト様方に何かしらの工作が起こされる前に協定を結ぶため、手っ取り早くあなた方の実力を知るがためのもの。
つまりは、そちらを思ってのことでもあるのです。
例えばツキト様はたいそう女性にモテるようですが、女の密偵に誘惑されて打ち勝つことが出来ますか?」
は?
いや、全然余裕ですけど?
と、言ってやるつもりだったのに言葉が喉に引っかかって出なかった。
正直者はこれだから困る。
というかモテてたのか俺。
やったぜ。
「どうなんだ、ツキト?」
「ご主人様?」
あ、なんか二人がジトッとした目で見てる。
なんだよ、この浮気現場みたいな空気。
俺は何も悪いことしてないぞ。
「女性の誘惑は常套手段です。その他にも拷問や買収、人質を取った脅迫などいくらでも工作の手段はあります」
ハルゲマルタが話を進めてくれた。
見かけによらず……と言ったら失礼だが、やはり王族の許嫁、頭も回るし迫力もある。
あと声が深くて綺麗だな。
話していることは物騒なんだけど。
「とにかくナヨカトル様が取ったのは我々全体を思っての行動。多少の非難は甘んじて受け入れても、それを逆手に強請られる覚えはありません」
「まあまあ、ハルゲマルタ。シューシュカさんの言うことは、もっともです」
ナヨカトルは恋人を諫めると、ゆっくりと顔を上げ、困った顔で微笑んだ。
「すみません、皆さん。ハルゲマルタはあくまで僕を庇っているだけで、もちろん互いの利益はこれからしっかり話し合うつもりです。
もしも、本当にこの国を兄様の手から奪うことが出来たら、それは新生国家の誕生と言っていいでしょう。政府や軍が大きく変わるのは間違いありません。
確約をするには時期尚早ですが、もちろん連合軍の幹部は国政を担う立場になると思います。
まあそれ以前に、誰が国王になるのか、という点についても僕は議論する余地があると思っていますから」
「ナヨカトル様、それは――」
「いいんだ、ハルゲマルタ。僕は国王という柄じゃない。
いずれにしても僕のせいで場を混乱させてしまったね。利回りや誰が何の役を得て、どういう活動をしていくか……話し合いの仕切り直しといきませんか」
たしかにその方が良さそうだ。
シューシュカは先手を打ったつもりだろうが、いくらなんでも勇み足が過ぎるぞ。
「今度は本当に話し合いなんだろうね?」
レモネットはなおナヨカトルを睨んでいた。
彼女はブラーよりも冷静という印象だったけど、案外執念深いのかもしれない。
「大丈夫だよ、レモネット」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「そもそもさっき俺たちを襲ったときも、言っている内容にいくつか矛盾があった。
一番おかしいのは、俺たちを殺そうというのに、わざわざこっちの懐へ飛び込んできたことだ。油断させて襲うだけなら、長々と身の上話をする必要も無かったしな。今思えば、だけど」
「あはは……実は悪役を演じるのは苦手なんです」
ナヨカトルは苦笑しながら頬を掻いた。
「ただし――」
俺は声色を変えた。
「――例え演技だろうと、シューシュカに手を出しかけたのは許せない。これだけは言っておきます。俺の仲間に危害を加えたら、王族だろうと容赦はしない」
ナヨカトルはピリッと電流が走ったように顔を固まらせ、真剣そのものの表情で頷いた。
「しかと、胸に置いておきます。……ツキトさんのお仲間は幸せ者ですね」
「ツキトってば……いやご主人様ってば、たまにイイ男を見せてくるんですのよね……」
「さあ、それじゃあ――もう一度話し合いからだ。ただ、この先はゾゾルの同席も必要だろう。レモネット、すまないが呼んできてくれるか。抵抗軍のお二人にはもう少しお待ち願いたい」
ゾゾルのアジトはそんなに近くはないが、ヤツはああ見えて意外に俊敏なので、せいぜい四十分程度もあれば到着するだろう。
ナヨカトルも了承してくれた。
今夜は長い夜になりそうだ。
この話し合いが、今後の俺たちに非常に重要な意味を持って来る。
そんな気がしていた――。




