第77話 「午後十時の来訪者・中編」
シューシュカがお茶を淹れてきてくれた。
カルダモンのようなスパイスのきいた香りの紅茶は、少しだけ疲れが薄れていくようだ。
薄暗い室内にエキゾチックな香りが漂う。
「……つまり、共同戦線を張りたいと?」
一旦止めていた議題を再会する。
「その通りです、ツキトさん。そのために僕はここへ来ました」
ふむ、と顎に手を添える。
ナヨカトルの真意は掴めない。王子が、国のナンバー2が、得体も知れない新進気鋭の組織と協力したいというのか。
「理由をお聞かせください」
「あなたたちが、ブトランテラを倒したからです」
ぎょっとした。
顔に出てしまったかもしれない。
まあ顔は見えてないんだけど。
「ふふ。仮面で隠れていても、今ツキトさんが驚いたのは分かりました。目が良いので」
無邪気ないたずらっ子のようにナヨカトルは微笑む。
「不敵な人物を気取る気はありません。種を明かせば単純なことです。
僕はもともとブトランテラに密偵を忍ばせていました。ヴァルゴサの配下に紛れさせていたので、神火への身売りも知っていました。ブトランテラの半壊はそれ以前に聞き知っていましたから、彼らの壊滅を望む組織がいるとすれば、近いうちにヴァルゴサを追い詰めるだろうと考えていたのです。
で、まさに今日それが行われた」
つまりナヨカトルは、今日俺たちとブトランテラの間であった戦いや、その決着、また俺自身が「ツキト団」の団長として現れたことまで知っているというわけか。
その報告を受けてすぐやってきたということなら、王族らしからぬフットワークの軽さだ。
あどけない仕草や素直な態度に騙されがちだが、この青年、とんでもないバイタリティの持ち主らしい。
「何でもご存知というわけですね」
「いえいえ、僕はあくまで『ツキト団』という新しい組織がブトランテラを壊滅に追いやり、しかもそのトップである方がクラッチマンやウルウェーテルらの実力者、およびその部下たちを一人で討ち倒したという、今日の決戦の場にいた者なら誰もが知り得た情報しか持ち合わせません。
それも部下の報告を通してのことですから、多少の乖離もあるでしょう。それがどうやら僕の気になっていた人物で、現場にいた顔ぶれから見るに、やはりスラムの人々と繋がりがあったという予想を裏付けするものでしかなかった。
つまり――一番肝心な、あなた自身の人となりを知らないのです」
「ならば協定は早計なのでは?」
「むしろそちらは遅かったくらいです。ツキト団とブトランテラの決闘の前に、僕があなたたちと手を組んでおけば、今日の機会に神火まで潰せたかもしれなかった」
涼しい顔でとんでもないことを言う。
「――おそらくツキトさんもご承知のとおり、ここしばらくジャルバダールの戦況は膠着していました。
我々『抵抗軍』、ティワカンヤ兄様率いる『国王軍』、そして『神火』、『ブトランテラ』、『ピケトレヤ』の五大勢力が互いに睨み合い、動いた方が負けという状況に陥っていたのです。
そこにあなた方は風穴を開けた。
そうであれば他の勢力が取る姿勢は二つです。新勢力を潰すか、味方につけるか。
いずれにしろすぐに接触すべきであり、僕は優秀な部下たちと目のおかげで、いの一番にあなたと会うことが出来た。
で、僕は手を組む方を選んだのです。だから協定は前提。その上で、あなたの人となりを知っておきたい」
「我々を潰す道を選ばなかったのは?」
「いくつか理由があります。また三つ挙げましょう。
一つ。僕は自分の直感を信頼しており、スラムの動きを見るに悪い方向へ向かっているようではなかった。僕はゾゾルさんの人となりも好印象で、彼が手を組んだ人なら、賢く強かで、かつ悪人ではない気がしていた。
二つ。あなた方はブトランテラを吸収するのではなく、完全に壊滅させた。ブトランテラの悪行については僕らも頭を悩ませるところでした。本来であれば倒した組織の部下は捕虜として手元に置くものですが、それをしなかったことが印象的だった」
そういえば、とそこでナヨカトルは言葉を切り、俺を試すような目で見た。
「彼らに捕らえられていた奴隷の子供たちも、一様に姿を消したようですが……」
「……きっと安全な場所で過ごしていますよ」
「そう言っていただけると信じていました」
こほん、と彼は咳払いをして話を戻す。
「で、三つ目ですが。まあ、ほとんどこれが理由の全てと言っても過言ではないのですが――」
そのとき。
あくまで冷静だったナヨカトルの両目に、強い意志の光がきらりと宿るのが見えた。
「――兄様を……ティワカンヤ王を討ち倒すには、手段を選ぶ余裕は無いからです」
俺は無言で頷き、先を促す。
「ティワカンヤ兄様は強い。
配下である『絶炎のバルゲア』、『雹魔のイルシーク』もそれぞれ化け物ですが、おそらく彼ら二人がかりでも兄様を倒すことは出来ないでしょう。
さらに五千人の配下もいます。先ほど五大組織が膠着していると話しましたが、膠着の実情は兄様がほか組織の動向を静観しているからに過ぎません。兄様が動けば、国王軍が本気を出せば現状などすぐに変えられるのです」
「それは私も不思議に思っていました。最も強い者を決めるというシンプルな法が支配したこの国において、なぜ王は自身の力を誇示しないのでしょう」
「……兄様の考えは分かりません。絶対順位令の発布も国の解体もあまりに急なことで、誰も兄様の真意を知らないのです。
契機となった事件を上げるとすれば、直前に『機王』との戦いでピケトレヤ兄様が戦死したことと、ティワカンヤ兄様が自らの手でポポリカ王妃を殺したこと」
そのとき、グッ、と、何か呻くような声が聞こえた。
横目で見ると、ずっと黙っているシューシュカが発したようだった。
だが表情はいつも通り平静で、特に違和感のあるものではなかった。
「――ティワカンヤ兄様の狂気の映し鏡となってしまったジャルバダールを解放するためには、何を置いても兄様を討ち倒さなければならない。それを可能にするのは、組織同士の協力。これしかありません。
兄様は何かを待っているような気がするんです。
おかしくなってしまったこの国の行く先は、ただ一人の強者が頂点に立つしかない。
しかし現状、個人としても、組織としても、ただ一人の強者たる兄様が、静観している。
幾度か『十字架の闘技場』で行われた決闘でも全て兄様が圧勝し、ここ一年は、よほど名が売れているか、大組織のトップでもなければ勝負すら受けないようになってしまった。
それだけ己の強さが証明されても、なお順位令を解かない様子。
なぜ自分が頂点に立ったまま国を統治せず、内戦状態にしているのでしょう。
矛盾の答えを知るためには、ただ兄様の立つ場所へ並ぶこと。個人としても、組織としても――そうして初めて、あの人は対敵してくれる。
兄様もそれを待っているんじゃないかと思うんです」
ジャルバダールで成り上がるためには、何より組織を大きくする必要がある――この国へ来たときに立てた仮説がナヨカトルによって補強されたわけだな。
「小さな組織は、すでに我々の傘下にいくつか。しかしそれはどこも同じ。大事なのは大きな組織同士の連携です。
ブトランテラは論外、神火もかねてより国を狙っていた数人の大臣が黒幕です。いずれは配下に置かねばなりませんが、まだ人数も劣るこちらとでは、向こうも協力する気は無いでしょう。そうなると自然、手を組む相手は限られてきます」
「『ピケトレヤ』は?」
「……とても難しい状況です」
あえて発言をぼかしたな。
ということは、後で論題にするつもりなんだろう。
「なるほど。詳しく教えてくださりありがとうございます。ではこちらの答えですが……」
俺は隣のシューシュカを見、彼女が肯定するように頷いたので、もう一度ナヨカトルの方を見た。
「――ぜひ協力させてほしい。もちろん組織の長とはいえ独断では決められないので、正式な返事は後日ということになりますが」
「本当ですか!? 良かったぁ!」
ナヨカトルは思わず立ち上がり、両手で可愛らしくガッツポーズを取った。それからすぐにハッとして、照れながらもう一度椅子に座る。
「実はナヨカトル様と手を組みたいというのは、私自身の希望でもありました。ブトランテラとの一件にケリがつけば、こちらから出向く予定でした。試すような真似をしてすみません。臆病なので、想定外の事態には必要以上に身構えてしまうのです」
さらに言えば、透明になってナヨカトルの身辺を調査した上で、話を持ち掛けるつもりだったが。
まあそれは後でやろう。ちょっと前後しただけで大きな支障は無い。
プライベートに土足で踏み込ませてもらうが、悪く思わないでくれ、ナヨカトル。
あなたの言葉を借りるなら、この世界で透明人間が戦っていくための処世術なんだ。
「そうでしたか。では両想いということで……おっと、そういう意味ではありませんよ。僕にはすでに愛する恋人がいますのでね」
頬を染めながら、ナヨカトルはしなくてもいい言い訳をした。
なんだこれ。
惚気られてんのか?
もっとも、言われた側のハルゲマルタ女史は気にも留めていない様子で聞き流している。
異様な存在感があるのに、非常に寡黙であるためか自己主張が無く、そこにいるのが分かっているのについ意識から遠ざけてしまうような、変わった女性だ。
と、そんなことを考えていたらハルゲマルタがスッと立ち上がった。
トイレかな?
次の瞬間、彼女の姿が視界から消える。
(!?)
「――ご主人様っ!」
ヒタリ。
首筋を柔らかく掴まれている。
ものすごく太くて骨ばった指だ。
まるで綿ぼこりでもつまむようにそっと触れているだけなのが分かる。
ちょっとでも力を込めれば、俺の首は折れるどころかひしゃげてしまうだろう。
「……どういうつもりでしょう?」
ただ、冷静に。
冷静に。
ばっくんばっくん鳴る鼓動の音を消してまで、感情を悟られないように努める。
もっとも、頸動脈の脈動でこちらの緊張などバレバレだろうが。
死。
死は怖くない。
ニュトの傍にいられなくなることが、
みんなを護れないことが、
他の魔女たちに会うこともできないのが――怖い。
「……油断しましたね、ツキトさん。おっと、そちらのお嬢さんも動かないで」
ナヨカトルは不敵な笑みを湛えたまま俺を見据える。
シューシュカの舌打ちが耳に届く。
「端的に言えば――あなたのような異分子は邪魔なんですよ、僕と兄様が支配するこの国において」
「僕と兄様が支配する……だと?」
「その通り。ご存知ですか、ツキトさん。国を支配するのに一番良い方法は、対立する二つの勢力同士が、裏で手を組むことです。これは民意を偏らせずに思い通り操る、単純かつ効果的な手法なんです」
「……」
「膠着状態のままで良かった。皆が国を恐れ、強い者に従わざるを得なかった。僕と兄様は、ただそんな衆愚を手のひらの上で転がしていれば楽しかったんです。
……それなのに、邪魔が入った。あなたです、ツキトさん」
「……」
「なぜブトランテラを倒してしまったんです? 彼らは必要悪だったのに。彼らのような存在があるからこそ、僕は善として羨望を受けられるのに。
これ以上の勝手は目に余る。……ここで死んでいただきましょう」
先ほどまでのあどけなさとは正反対の、鋭く冷ややかな笑みで彼は宣告する。
次の瞬間――
――ガン!
シュピッ!
一瞬の物音が交差して、身を乗り出したシューシュカの手に持つ鞭が断ち切られた。
「言ったでしょう、目が良いと。
お嬢さん、蝋燭の明かりのみでも、あなたの不意討ちは筋肉の微動だけで読み取れる。先ほどまでのお話が全てウソというわけではないんですよ。――ハルゲマルタ」
背後に立つ女戦士の気配が色濃くなる。
どうやら彼女はシューシュカまでも必殺の距離に収めたらしい。
「抵抗は無意味とお考えください。武器を検める機会を与えたのに、僕を信頼してしまったのはあなた方の落ち度だ」
「……なぜさっさと殺さない?」
「要求があるからです。ツキトさん。ブトランテラを潰したときに彼らの資金を回収しましたね? 僕はそれを貰いにきました。
もちろん、それをヴァルゴサの部下たちにバラまいたことは知っています。しかし全部を使ってしまったとは考えにくい。せいぜい半分ほどではないでしょうか」
「……」
「図星ですね。では残る資金の在処を教えていただきましょう。元王族といえ、資金繰りは厳しいのです。……もちろん、タダでとは言いません。教えてもらえたら、苦しませずに殺してあげますよ」
「……」
俺は大きく息を吸い――
――そして吐いた。
「……いや、残念ながら交換条件だな」
「交換条件? そんな条件が提示できる立場だと?」
「ああ。今、俺とあんたは対等だ」
いつしか動悸も治まっている。
片方の眉を上げるナヨカトルに対し、俺は笑って見せた。
「目が良いってのは本当だったな。……じゃあこちらも手の内を見せてやろう」
俺は左足の爪先でシューシュカの脚に触れた。
ナヨカトルが目をしばたかせた後――
――彼の目の前から、全てが消えた。




