第76話 「午後十時の来訪者・前編」
手を伸ばせばジャルバダール王座に手が届こうかという、最強に次ぐ者の数字。
「2」のランゴ。
俺よりも小柄で細身、まるで少女のようにも見える綺麗な顔の青年の頭上に、外見には似つかわしくない恐るべき数字が躍っていて、俺は思わず息を止めた。
「あはは、そんなに身構えないでください。戦いに来たわけじゃありません。その証拠に、僕も彼女も武器を持ってこなかった。部下も連れていません。どうぞ検めてください」
……彼女?
ズイ、と少年の横に並ぶように後ろの影が前に出る。
月の光がその正体を照らし出した。
「初めまして。ナヨカトルの許嫁、ハルゲマルタと申します」
アマゾネス――。
思わずそんな単語が頭に浮かんでしまった。
ナヨカトルの後ろにいた大きな影は、まさかの女性だった。
ゴリラよりゴツいだのとシューシュカが勝手に評していた、ナヨカトルの許嫁か。
ごわごわした黒い髪に浅黒い肌。
筋骨隆々としていて、まるでボディビル選手権の参加者のようだ。
鼻や唇が大きく、目は細くて眼光が鋭い。眉毛が剛毛で、眉間に皺が刻まれている。
さらに顔や体のあちこちには、細かい傷がいくつも作られていた。
ヴァルゴサやクラッチマン顔負けの肉体だ。
だがそれ以上に驚くべきはランゴ。
――「6」。
ここにいる二人は、どちらもヴァルゴサより強いのだ。
「あっ、あっ、ちょっとツキトさん。あんまり僕の恋人をジロジロと見ないでくださいよ~」
そんな風にハルゲマルタ女史を見ていたら、ナヨカトル王子が、ばばば、と両手を振りながら視界を遮った。
妬いているらしい。
細身の彼は、ハルゲマルタ女史のたくましいところに惹かれたのかもしれない。
ただ俺の趣味ではないから安心してほしい。
俺はブリガンディくらいの筋肉質加減が好きなのだ。
しかし、それにしても。
――俺はナヨカトルへ視線を移す。
力が全ての国と化したジャルバダールに、似つかわしくない容姿だ。
サラサラとした絹糸のような黒髪。
浅黒い肌は日に焼けた美少年といった感じ。
睫毛が長く、目がキラキラしていて、手足もスラリと細い。
ターバンのように頭に布を巻いているが、よく見る戦士たちのように武骨ではなく、どこかオシャレな印象である。
ファンダリンのように性別不明というほど中性的ではないが、ちょっとメイクしたら女性アイドルグループにいたっておかしくないような外見だった。
シューシュカはカッコイイと言っていたが、俺から見ると可愛い系だ。
この細腕で、ハルゲマルタ女史やヴァルゴサ、さらには強烈なオーラを纏っていたあのユキセツよりも強いというのだろうか。
だいぶ戦闘能力に対する目も養われてきたが、ナヨカトルの強さは掴めなかった。
「すみません」
ナヨカトルはもう一度頭を下げた。
「突然の来訪で戸惑っていることでしょう。けれど僕はあちこちから監視されている身で、なかなか不自由なのです。色々と根回しをして、やっと今夜だけ抜け出すことが出来たんです。
ツキトさんへの接触は僕の独断によるところが大きいので、組織の幹部たちもおいそれと会談の場を作ってはくれないので」
ふむふむ。
つまり今の状況はナヨカトル王子自らの希望だってことか。
彼の言い分を信じるなら、だが。
「ツキトさん、あなたと話したいことがたくさんあります。ここじゃ物騒です。出来ればアジトの中に入れていただけませんか?」
長い目で信用できるか、については判断しかねるところだ。
彼はレジスタンスであり、国を狂わせたティワカンヤ王の、対抗勢力。「行き過ぎた強要はいけない」という、絶対順位令を緩和させる命令を広く敷いた、民の味方でもある。
だが、別に俺の友人でもないし仲間でもない。
皆が口を揃えて「素晴らしい人だ」と言っても、俺自身の目で確認するまでは評価をそのまま鵜呑みにすることは出来ないのだ。
その用心深さが、この世界では必須なのである。
これはロストグラフで戦った敵が、まさに二面性を持つアレクトロだったことも影響しているだろう。
とはいえ、今この場の彼については信用して良いのではと考えていた。
なぜなら、彼は俺のアジトを知っていた。
それは首根っこを押さえたも同然ということである。
俺を殺そうとか利用しようというだけなら、いくらでも方法はあるはずなんだ。
誰かを人質にしてもいい。
俺を待ち伏せて不意討ちをしてもいい。
それをせず、武器も味方も持たずに待っていた。
これだけで今は信用するに値するはずだ。
アジトに入ってから何かをしでかすくらいなら、この場でやればいいだけなのだから。
ただ、一応カマかけくらいはしておこうか。
「分かりました。ではそちらへ。通りが一本違います。私のアジトはここよりやや北にありますので」
俺はナヨカトルのさらに後方を指さした。
「ははは。なるほど、一度は疑ってかかるべきですね」
無邪気にそう笑ったあと、しかし彼は非常に怜悧な眼差しで俺を見つめた。
「残念ですが、うちの密偵は優秀です」
やはり通じないらしい。
あまり疑り過ぎても、これからの関係に良くないだろう。
俺はわざとらしく「あっ」と思い出したような顔をして、
「そうでしたそうでした。いや、この辺りどこも似たような景色ですから分かりづらいですね。たしかにここが私の住居です。では、どうぞ。王子に対し、大したもてなしも出来ないですが」
「ありがとうございます。今は一般市民ですので、どうぞお気遣いなく」
俺が中へ案内すると、ナヨカトルは柔和な笑顔で、ハルゲマルタと共に中へ入った。
そのとき、俺はこっそりと一枚のカードを、ある扉の下へ滑らせておいた。
***
アジトの中の打ち合わせ室。
打ち合わせ室と言っても、大きなテーブルがひとつと、椅子が六脚ばかりあるだけの小さな部屋だ。
日干しレンガの壁に囲まれており、窓は無い。蝋燭が十か所ほどに立てられていて、部屋の中は薄暗い。
もちろん、タペストリーなんてシャレたものも無い。
言わずもがな隣の建物の奥の奥には「ツキト児童園」があり、そこだけは何としても守らなければならない。
なので、特に隣からは離れた部屋を選んだのだ。
疲れでイマイチ頭が働かないが、シューシュカも同席してもらったので、いざという時はフォローしてくれるだろう。
なにせ、ツキト団の副団長なんだからな。
「さて、本題に入る前にひとつお聞かせください」
まずは俺から口を開いた。
「ナヨカトル様は、どうやってこの場所を突き止めたのでしょう?」
ずばり訊いてみた。
アジトを出るときは「シェード・オフ」していたし、出入りする面々にも十分注意を払うよう言いつけてあったはずだ。
すると彼は事もなげに言った。
「僕は目がいいんですよ」
それだけでは分からなかった。
彼はさらに続ける。
「僕たち抵抗軍は――『反乱軍』と兄様たちは呼んでいるようですが――国王軍や他の勢力よりも、さらに国中に散らばっています。百近い支部があります。その分、一つの支部に駐在する団員は少ないですが。
だから戦うには不向きですが、国中の勢力図を随時把握するのはどこよりも得意です。で、最近スラムの各勢力がまとまりつつあるのが分かりました」
ナヨカトルは依然、理知的な表情で話す。
ちらちらと揺れる蝋燭の火が、彼の綺麗な顔の輪郭をなぞっている。
「他の組織はスラムに注目していません。ジャルバダールを手にするという愚かな競争において、金も地位も持たない彼らが出張ってくるとは誰も思わないからです。
実際に僕はスラムの顔役であるゾゾルさんに会ったこともありますが、彼はただスラムがそれなりに平穏であれば良いようでした。肝の据わった、本心が見えづらい人物ではありましたが、国を掌握したいという野望は無いでしょう」
王族がゾゾルという大犯罪者に接触しているのは良いのか。
まあでも、日本でも警察のお偉いさんとヤクザの組長が顔見知りだったりするしな。
蛇の道は蛇ということかもしれない。
「――ならばなぜスラムの人々が、今まで以上に結託したり、お金を持ち始めたり、他の組織との折衝をしたりしているのか。それらの動きは、決して現状維持を望むものではありません。今以上を目指し、多少の危険や努力と引き換えに見返りを求める姿勢です」
ナヨカトルは指を三本立てる。
「考えられる理由は三つありました。
一つ、ゾゾルさんにはやはり野心があった、もしくはゾゾルさんが野心を持ち始めた。
二つ、誰かがゾゾルさんをそそのかした。……まあそそのかしたというと聞こえが悪いですが、ゾゾルさんが誰かのために動こうとした。
三つ、単に気のせい。
僕は僕の直感を信じ、最近ゾゾルさんに接触した人物がいる、と判断しました」
表情には出さなかったが、俺は思わず舌を巻いていた。
当事者である俺は事情を知っていて当たり前だが、ほぼ部外者だと言っていい人物がここまで内情を順序だてて推理しているとは。
やはり王の血族。
人を率いるには力だけでなく、頭脳も必要なのだろう。
「調べていくうちに、ゾゾルさんが風変りな催し物を開いたことが分かりました。色んな服装で着飾るという珍しいもので、ここジャルバダールでは一般的ではありません。
すなわち、誰かがよそから持ち込んだものです。
主催者を調査すると、それが『ツキト』と名乗る人物であると判明したのです」
ファッションショーから足が付いたか。
まあいつかはそうなると踏んでいたことだ。
本当はブトランテラを壊滅したころに「ツキト団」の名を売り、俺も表に出ようと思っていたが。
「ツキト……珍しい名前ですね。ジャルバダールやロストグラフ、アンプルシアでも聞かない。強いて言えばユキセツの故郷である『ラゴウ』にありそうな響きではありますが」
「ラゴウ」はジャルバダールとアンプルシアの中間辺りから北東へ外れた方にある小国だ。
俺も最近この辺りの地理を勉強して知ったばかりで、文化とかは詳しくないが。
ユキセツの持っていた刀を見るに、なんとなく昔の日本に似た国なのだろうか。
「しかもヴァルゴサやユキセツたちと違い、勢力の広げ方が力推し一辺倒じゃない。ゾゾルたちの動きを見ると、ツキトという人物は部下の使い方も、手下というより仲間のようです。僕は、次第にその人物に興味が湧いてきました」
ニヤリ、というよりはニコリとナヨカトルは笑った。
「――さて、最初に僕は目がいいと言いましたね。これは例えではありません。ティワカンヤ兄様やピケトレヤ兄様に比べれば非力な僕ですが、生まれ持ったこの両目のおかげで彼らをなんとか支えられていました。
ただ遠くのものが見えるというだけではありません。素早い動きを捉えることができ、また夜目も利きます。
ジャルバダールはマハランと共に歴史を歩んでおり、亡き母によると、王族は彼らの影響を受けるそうです。マハランは頑丈で、足が速く、目がいい。ティワカンヤ兄様は頑丈で、ピケトレヤ兄様は足が速かった。なので僕の目はマハランの恵みだろう、ということです」
「そんなことを喋ってしまっていいんですか? 長所は、裏を返せば弱点でしょう」
「構いません。それなりに周知されていることですし、あなたが知らない僕の情報を提供することは信頼を得る上で重要ですから」
俺が以前ブリガンディの信頼を得るために、透明人間であることを明かしたのと同じ方法だ。
「抵抗軍が持つ建造物の中に、ジャルバダールで随一の高さを誇る尖塔があります。
自国で造られたものではありません。ロストグラフとの終戦後に友好の証として贈られたものです。
この国は隣国から一つずつ大きな建造物をもらっており、もう一つの『十字架の闘技場』はアンプルシアからの贈り物で、こちらは国王軍の所有物です。
――で、僕はその尖塔を主な住処としていて、よくこの目で市中を見ているのです」
自分のアジトをすんなり明かすのも、フェアプレイの精神だろうか。
というか、ティワカンヤ王が決闘の舞台にしているらしい『十字闘技場』が、アンプルシアからの贈り物だったことも初耳だ。
「一つひとつの細かな動きを見ていては気付けません。ですが大局的な視野を持てば、国中の動向がそれとなく分かります。
ゾゾルさん自らが出向くことは無かったし、活動は主に夜行われていたようですが、スラムの皆さんが資材を運び込んだり、逐一出入りをする場所が見つかりました。
高所からは死角になっていたので、密偵を使い、さらに仔細を調査しました。どうやらゾゾルさんの新しいアジトではない。その割には仕事が実に丁寧で、配慮が行き届いています。
どうやらただの一般人のために工事されているものではない。ならば――僕の中でその場所とツキトなる人物が結びつくのは自然なことでした」
ナヨカトルはそこまで話すと、真剣な表情からパッと子供じみた可愛い笑顔を見せ、両手を広げた。
「で、ツキトさんのアジトを突き止めたんです」
「なるほど」
それなりに気を遣っていたつもりだが、望遠鏡みたいな目と人材、頭脳を駆使して、たかだか一介の庶民を調べ上げられたんじゃお手上げだったな。
特にナヨカトルの「目」は盲点だった。
目だけに。
やかましいわ。
鬼人が怪力かつ長寿であるように、狼人が俊足であるように、王族の血によって常人離れした人間がいる。
この世界に元いた世界の常識が通用しないことを、もっと念頭に置くべきだったな。
「……先ほどナヨカトル様は監視されている、と仰られていたが、監視するのもお上手だったというわけですね」
「あはは、皮肉は甘んじて受け入れましょう。
ですが僕への他組織からの監視と、僕からツキトさんへの監視では決定的な違いがありますよ。
好意か悪意かという点です。
人を使って調査していたのは謝りますが、それは今のジャルバダールで生き抜くための処世術だとお許しください」
まあ、たしかに先手を取られたとは言え、彼のこちらに対する姿勢はいたって真摯なものだし、敵意が無いことを証明するための理論に破綻も無い。
アジトを突き止められたことの理由と経緯については、この辺りで取り下げてもいいだろう。
「……よく分かりました。細かく教えてくださり、ありがとうございます」
「いえいえお互い様です」
ん?
「お互い様とは?」
こちらからはまだ何も情報を与えていないが。
するとナヨカトルは美少年の笑みを湛えたまま、真の目的を口にした。
「これからツキトさんのことも、もっと知ることが出来ればと思うからです。――手を組みませんか、僕と、あなたとで」




