第75話 「赤き鉄拳・後編」
思わず振り向くと、いつの間にか例の月を模った仮面を着けた――ツキト本人がそこに立っていた。
「ご……ご主人様ぁ!? なんでぇ!?」
俺より先に素っ頓狂な声を上げたのはシューシュカだった。
「ツキト様、どうしてここに」
「いつの間に……!」
ラインデッドやレフティも驚いている。
だがツキトがそこに現れたこと、それ以上に驚愕すべき光景が、そこにはあった。
「つ……ツキト、お前、それ……一体……!」
レモネットが震える声を上げる。
そう。
突然姿を現したツキトの頭上には――
「ばっ……ばば、ばばばばばバカにゃっ……バカにゃあっ……! ――さ、『3』!? 『3』だとぉっ!?」
――ティワカンヤ、ピケトレヤに次ぐ数字……何より、誰もが恐れる戦士『絶炎のバルゲア』を倒したという証明である数字……!
「3」のランゴが、ツキトの頭上には掲げられていたのだ。
「君が彼らのトップかい……」
「……ああ。初めまして、『神火』のユキセツ。俺の名はツキトだ。よろしく。仮面の姿で申し訳ない」
ツキトはずいぶんと仰々しい口調で穏やかに喋る。
「みんな、驚く気持ちは分かるが、俺がバルゲアとどんな戦いを繰り広げたかの話は後にしよう。それよりも今はそこの外道の沙汰だ。
……ユキセツ、あんたに絶対順位令とランゴについて今さら語る必要も無いだろう。
もしもアンタがブラーに命じるなら、俺もまた命じる。
『トドメを刺せ』、とな」
「……なるほど。まさかバルゲアを制したとは恐れ入る。ブトランテラをたった一人で壊滅に追い込んだというのもあながち冗談じゃなさそうだ」
「まあな。だが俺は、これ以上は部下に命じたくはないんだ。ブラーには彼の信条がある。俺の命令で彼が復讐を遂げた、という形にしたくない。
……だから、アンタに命令させてもらおう。
『ユキセツ、ブラーを止めさせるな』」
一瞬、ユキセツの目に逡巡が浮かんだ。
だが、それは本当に一瞬だった。
ランゴは絶対だ。
逆らうことは許されない。
「……仕方あるまい。恨むなよ、ヴァルゴサ君」
「しょしょ、しょんなぁっ、ヒュキセツ様……――いや、ヒュキセツ、話がちがっ――」
「だったら君が立ち向かってくれるのかい? あのバルゲアを倒した男に」
「うっ、ひぐっ……――!」
先ほどまでペラペラと饒舌だったヴァルゴサの喉がキュッと窄まる。
バルゲアに植え付けられたトラウマはよほどのものらしい。
それを倒した男が現れたというのだから、その恐怖は推して知るべしだ。
「――ブラー、先ほどの命令は取りやめだ。君の好きにするがいい」
「ぐぐっ、くしょおっ! くしょがあぁっ! いいかブラー! 俺を殺してみりょ! 絶対に絶対に、地獄まで付きまとって――!」
「――ああ、きっと俺も地獄に堕ちるだろう。そこで何度でもお前と戦ってやる。だから、いい加減――黙れ」
――ズンッ。
「……っひゅっ」
ヤツのどてっ腹に、全体重を乗せた一撃を埋め込んだ。
ヴァルゴサは血を吐き、
白目を剥いて、
――そのまま息絶えた。
「……マルコ……」
なぜか視界がぼけた。
「……護ってやれなくて、すまなかった」
汗ではない雫が頬を伝っていた。
泣くのは、マルコが死んで以来のことだった。
俺はようやく、宿願を果たせたのだ。
***
ブラーが天井を見つめている。
色々と思うこともあるだろう。
彼は遂に復讐を遂げたのだ。
正直、何度冷や汗を掻いたか分からない。
危うい瞬間は何度もあった。
ブラーがヴァルゴサに勝てなかったときは俺が出張ろうとも思っていた。
頭上の「3」は、本来そのための策だった。
いざヴァルゴサと戦うことになったとき、ヤツを尻込みさせるためのトラップ。
もちろん実際に俺が「絶炎のバルゲア」を倒したわけじゃない。
そんなの無理に決まっている。
正攻法じゃなければやりようもあるが、透明人間は準備に時間が掛かる。それだけの猶予は無かった。
いま俺の頭に浮いている本来のランゴは、「936」だ。
ゾゾルの手下に借りた。
そして「9」と「6」の数字だけを消したのだ。
ランゴは服や手に持った道具と同様、俺に付随する一部とみなされることが分かっている。
そうであれば、「シェード・オフ」と「シェード・オン」の使い分けで一部だけ表示させることが可能なのだ。
まあしかし、ブラーの執念の前にはさしものヴァルゴサも勝てなかったらしい。
俺が出る幕は無かったな。
最後の一押しにこのトラップが役立てたのだから、仕込んでおいた甲斐もあるというものだろう。
もっとも、魔女の粛清がどこまで真偽を見透かすかは分からない。
例えばユキセツはブラーに「攻撃を止めろ」と言った。
それに対し、俺はブラーに「続けていい」と言った。
俺のランゴはここにいる連中には「3」に見えているが、実際は「936」だ。
もしも魔女の粛清がそれを見抜いていたなら、実際にはユキセツからブラーへの命令は効力を保ったままだということになる。
つまり、俺の命令はまるで意味を成さないのだ。
だから、あえてユキセツの口からブラーに対し「好きにしろ」と再度命令の上掛けをさせる必要があった。
そうしたひと手間が面倒ではあった。
結果良ければそれで良しということではあるが。
もはや人を殺すのが怖いだの、責任が掛かるだの甘えたことを言っている場合ではないんだ。
この世界に生きる者ならば誰もが持っている生死の覚悟――俺もこの世界で生かしてもらえるなら、覚悟を決めるのがフェアってもんだろう。
さて、これにて「ブトランテラ」との戦いは終結だ。
後はユキセツが幕引きをさせてくれるかどうかだが……――
俺がユキセツの方へ顔を向けると、ヤツは「うーむ」と唸りながらアゴを掻いた。
「……不思議だな。ツキト……とか言ったか。君からはあまり強者の空気を感じない。それなりには戦える気もするが……。こういうのは本能で察知できる性質なんだがね」
ギクリ。
まずいな。
今ここで戦うなんてことになったら、ヤツの言うとおり大したことない俺の実力を披露する羽目になる。
さすがに「3」のランゴを持っていて、かつ得体の知れない相手と戦うなんてありえないだろうと踏んでいたが、予想以上に戦闘狂だったか……?
しかしその実際の戦闘力の大したことなさが、良い方向へ働いてくれたようだった。
「――ふむ。いやはや不気味だね。殺気を押し殺しているんだとしたらとんでもない実力者だし、実際に弱いんだとしたら、そのランゴをどうやって手にしたんだという話になる。
それ以前に仮面を被っている以上、俺には本物かどうかも判断できないわけだし……新進気鋭の組織のトップと対面だなんて、一戦交えないのも勿体ないくらいだが、さすがに退いた方が良さそうだね。
それにブラーは満身創痍だろうが、ほかの連中もそれなりに手練れのようだ。後ろに部下も控えちゃいるが、痛手は必至だね」
オーケー、セーフ……!
姿を見せたときから変に仰々しい言動をして正解だったぜ。
訳の分からんやつ、と思ってもらえれば上々だ。
「もちろん、君らが俺たちを退かせてくれるというのなら、だが……」
ええ、ええ、喜んで退いていただきます!
と、心の中では嬉々として叫んだのだが、
「いいだろう。俺たちが今ぶつかってもティワカンヤやナヨカトルが得をするだけだ。双方、機を見ようじゃないか」
などともっともらしい答え方をしておいた。
事実と言えば事実だし。
「ははは、助かったよ。それでは互いにゆっくりと退却するとしよう。一方がすぐに退いては、背中を取られるとも限らないしね」
「俺もそう言おうと思ったところだ」
嘘である。
あぶねー、それは考えに入れてなかった。
すぐさま退散しようとしてたぜ。
「ブラー、こっちへ戻れ」
「ああ」
彼はすでに平静を取り戻しており、のそりと歩いてきた。
「レモネット、ラインデッド、レフティ、退却の殿を頼めるか」
「分かった」
「お任せを!」
「承知」
「シューシュカ、お前は先に行って、退路を準備している仲間たちに撤退の通達を」
「はいはーい」
ユキセツの方を見ると、背後から出てきた何人かの部下にヴァルゴサの死体を運ばせ、ヤツ自身も帰ろうとしているところだった。
舞台の脇でどっかりと椅子に座っていた三人の富豪はユキセツに縋るしかなく、最初の余裕はどこへやら、今はあわあわと情けなく尻を振りながらヤツらの軍勢へ退散している。
一度だけ、ユキセツがこちらを振り向いた。
「ツキト、借りは返すぞ」
「望むところだ」
ヤツはニヤリと笑い、それから鬼の御殿を出て行った。
俺も静かに立ち去る。
ようやく、ジャルバダールの先頭集団の背中が見えてきたな――。
***
撤退した俺たちは、神火の斥候にでも尾けられないよう途中からバラバラになり、俺は最終的にシューシュカと二人、「ツキト児童園」の横に建つ仮住まいへと戻ってきた。
ニュトにはハマルたちと同じ「児童園」で待っているように言ってある。
もう寝ているころだろう。顔を見るのは明日だな。
ブラーは怪我の治療をするためゾゾルお抱えの闇医者のもとへ寄ることになり、レモネットはそれに付き添っている。
ふー……。
ここんとこ戦いばかりで本当に疲れたな。
まあ今日は突っ立っていただけだけど、気疲れはしたし……。
ここ最近は戦っていないときもブトランテラの連中の根回しやヴァルゴサの家探しなんかに奔走していたしな……。
またニュトパワーが尽きかけているかもしれない。
「大丈夫ですかぁ、ご主人様ぁ」
「ああ、なんとかな」
「ちゃんと自分のお部屋で寝られますの?」
「それくらい平気だよ」
「なんならシューシュカちゃんが添い寝してあげますわよ!」
「結構だ」
声がでかい。
「ぶー」
「それじゃあおやすみ」
「ご主人様ぁ」
「なんだよ」
もうへとへとなんだ。
解放してくれ。
そう、思ったところに。
やっと一大勢力との攻勢を終えた俺に、さらなる試練が待っていた。
「アジトの前、誰かいます」
「なに?」
たしかに扉の前に、随分と大きな影がひとつ。
ゾゾルではない。
アイツより大きくはない。
けれどもっと恐ろしいオーラを纏っている。
「……シューシュカ、俺の後ろへ」
「はい」
ぴたりと背中にくっつくシューシュカを伴い、そろそろと歩く。
さらに近付くと、どうやら大きな影の前に小さな影がひとつ重なっているようだった。
……二人組か?
するとどうやら小さな影の方が、声変わりする前の少年のような声で告げた。
「夜分遅くにすみません。あなたがツキトさんですか? 僕は『ナヨカトル』と言います。初めまして」




