第74話 「赤き鉄拳・前編」
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俺に「ブラー」と名付けたのは、孤児院の院長だった。
「ブラー」には「血脈」という意味がある。「身寄りの無いあなたも、等しく血の繋がった家族なんだ」という想いを込めたのだと、物心ついてから院長は教えてくれた。
頑固で人付き合いが下手なところはあったが、それでも俺が人に迷惑は掛けずに成長し、やがて国王軍に入れたのは院長をはじめ、孤児院のみんなのおかげだったと思う。
「マルコ」は、みなしごの少年だった。
俺と同じく孤児院で育ったが、彼のいた孤児院は貧しく、人々も心が荒んでいた。
マルコはロストグラフでは珍しい赤毛で、それが原因でよくいじめられていたらしい。
赤毛というなら六王兵のブリガンディ将軍もそうだが、彼女は「オーガ」という種族であり、人とは違う。
人で赤毛は珍しい。
マルコの両親はすでに他界していたため、彼に味方はいなかった。
だから、だろう。
蛮族との戦争で勝利し、王都へ凱旋したルファード大将軍の行列の中で、同じ赤毛の戦士である俺を、あの子がずっと走って付いて来たのは。
――ぼく、ブラー様みたいに強くなりたい!
――強くなってどうする。
――ぼくをいじめるやつらに仕返しがしたい!
――それなら戦い方を教えてはやれない。俺たち国王軍は護るための力だ。人を攻撃するためじゃない。
――でも、だれもぼくをまもってくれないもん……。
――……だったら、俺が護ってやろう。戦い方も教えてやる。
ただし、お前は“自分の心”を護るんだ。逃げたっていい。いじめに負けず、特訓に負けず、強くなれ。
……赤毛でみなしご。
境遇が似ていたからだろう。俺はちょこちょこと付いてくるその少年を放っておくことが出来ず、隊長に申し出て、彼の特訓に付き合うための時間を作らせてもらった。
「マルコ」と名乗った彼は、本当に可愛い子だった。
俺に子供はいないが、息子がいたらこんな感じだろうかと、温かい気持ちになった。
始めは笑い方もぎこちなかった彼が、やがてよく笑うようになり、俺のために料理を作ってくれるようになり、働いて貯めたお金で贈り物までしてくれた。
マルコに貰ったものは、今も俺の家に大切に置いてある。
彼には戦いのセンスもあった。
小柄なりに素早い身のこなしで、成長が追い付けばもっと強くなると感じた。
多分、彼も俺を父親のように思ってくれていたのだろう。
一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎて、俺がルファード大将軍の下から国王親衛隊へと昇格したころ、マルコはついに国王軍少年兵の入団試験が受けられる年になった。
まだ十二歳だったが、それでも以前に比べて見違えるほど立派になったマルコが、俺があつらえた鎧を着たときは、思わず目頭が熱くなった。
いつか俺が軍を引退したら、代わりにロストグラフを護る兵士になってくれるかもしれない。
そんな淡い夢を抱いた。
――そう。
あの悪党が、その夢を踏み躙るまでは。
ヤツらは「子供釣り」と呼んでいたらしい。
売られている奴隷や家無し子に暴力を振るい、それを止めようとした子供に難癖をつけ、また徹底的に暴力を振るうのだ。
相手が大人であれば手を出さない。
自分よりもはるかに無力な相手を痛めつけることに悦びを得る、実に外道な趣味だった。
マルコは普段、ある商人の奴隷として働いていた。
主人に言いつけられた買い物の帰り道だったらしい。
自分と同じような孤児の子供が他国の傭兵にいじめられているのを見つけたのだ。
彼は全力で傭兵たちを止めた。
「他人を護れるようになれ」と、俺が常日頃から言っていたせいかもしれない。
傭兵たちは上手く釣れたマルコを、その小さな体を、複数人で痛めつけたのだ。
ヤツらにとって計算外だったのは、マルコの抵抗が思った以上に激しかったことだろう。
普段から俺に稽古を付けられていたために、マルコはそこらの子供よりも鍛えられていた。
だから――ヤツらの暴力はいつも以上に苛烈になり、結果、マルコを殺してしまったのだ。
普段であれば、殺すまではいかなかった。
それが、俺がマルコを鍛えてしまっていたせいで、
他人を護る以上に、自分の身を護ることを教えなかったせいで――
――彼は死んでしまった。
その報せを聞いたとき、空が落ちるようだった。
あの子は俺が護ると誓ったのに。
俺は、全力で下手人を捜した。
すぐに何人かは見つかった。
後で部下が言うには、犯人を捕らえたときの俺こそ、ヤツらを殺しかねない勢いだったらしい。
そいつらは俺の手により半身不随となり、何人かは牢屋で息絶え、生き残った者も物乞いとなっている。
だが、捕まえたヤツらが口を揃えて言っていた、マルコを最も痛めつけた男……さらには笑いながらトドメを刺したらしい男……連中のリーダーについては、すでに国外逃亡をされてしまっていたのだ。
ヤツを追いかける道もあった。
しかし、かつての上役であったルファード大将軍に諭された。
「復讐を否定はしない。
だが、国外に逃げられては見つけるのにも時間が掛かる。
それに件の傭兵はそれなりに名が売れている実力者だ。今のお前ではまだ勝てない。
追う側とあってはさらに不利だろう。
今はその怒りを、自らを鍛えることと、ロストグラフに尽くすことへ向けろ。
たしかに強く、冷静で、知識も豊富になったと自負を持ってから――陛下に暇を願い出るのだ」
その後ルファード大将軍は「機王」に殺され、ロストグラフはボドによって支配、鎖国された。
目まぐるしい環境の変化に付いていくのがやっとで、俺は俺なりにこの数年間を足掻いたのだ。
システィーユ王妃によってボドが討ち倒され、国が解放されたとき、まだ俺はルファード大将軍が言うような戦士にはなれていなかっただろう。
だから陛下の勅命でジャルバダールへの使者を任ぜられたときは、ただロストグラフ解放を友好国へと伝令する重責に喜ぶことしか無かった。
まさか。
まさか、それが大事な愛弟子の仇と邂逅することになろうとは。
――一度目は負けた。
頭に血が昇り過ぎていたせいだ。
だが俺はツキトに救われ、変わった。
彼のように、常に冷静に立ち回ることがどれほど大局を動かすかを学んだ。
彼は二度目の機会を俺にくれた。
三度目は無い。
ヴァルゴサ。ここでお前を――殺す。
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時間の流れが遅く感じる。
実際にはほとんど時間が経っていないだろう。
俺とヴァルゴサの集中が研ぎ澄まされ、感覚が鋭敏になり、そのためにゆっくりと感じるのだ。
互いに射程圏内。
それなりに疲労も溜まっている。
先に一撃を決めた方が勝つ。
目の前を砂ぼこりが舞う。
この国は息が吸いづらい。
常に砂が舞っているためだけじゃなく、ヒリヒリとした暑さが喉を焼くのだ。
汗が額を流れ、アゴを伝い、雫になって落ちた。
瞬間――一瞬の風が砂ぼこりの軌道を変えた。
考えるより先に体が動く。
頭を左へ振ると、ヴァルゴサの棍が頬をかすめていった。
よけた。
その直感が動いた後に脳内に閃き、即座に右肘を上げる。
ヤツの棍を弾くのだ。
――ガッ!
「チィッ!」
狙い通りヴァルゴサの棍は大幅に軌道が逸れ、ヤツは悔し気な声を上げながら体勢を崩す。
俺は右肘を上げたために左側へ下がった体をさらに落とし、腰をねじってヤツの腹へと目掛けて左肘での肘鉄を打つ。
だがこれをヴァルゴサは俺と同じ方向へ体をねじることでいなした。
そこまでは読んでいた。
俺はわざと体の右側に大きな隙を作る。
来る――
――カッ!
と、突然光が爆ぜ、刹那の後に鼓膜を揺さぶる音が破裂する。
衝撃は無い――ならば風の揺らぎこそが敵の動きを教えてくれる。
先ほど右頬をかすめた棍が振り下ろされ、そのまま俺の半身を打ち付けようとしなる。
だが、この隙はあえて作ったのだ。
――ドムッ!
肩の辺りを強かに打ち付けられ、鈍い痛みが走る。
しかし筋肉を固めていたため、致命的な損傷ではない。
俺は背を伸ばすと同時にひねった体をさらに回し、ヤツのいる場所を狙って大きく左腕を振り抜いた。
――ぶうん!
――と。
しかし拳は空を切る。
さらに光と音が破裂した。
連続での魔法か――!
どこからともなくヴァルゴサの甲高い笑い声が響いた気がする。
ヤツは先ほど頬をえぐられたときの状況を覚えていて、さらに慎重を期した戦術を取ったのだ。
すなわちヴァルゴサは一発目の魔法を打った瞬間、間合いを大きく取って離れ、魔法を連発した。
魔法の連発は難しいと聞く。やはりヤツの才能は本物だ。
そして完全に俺の感覚を奪ったところで、トドメの一打を放つつもりなのだろう。
棍術で最も注意すべきは「突き」。
それ以外は致命傷には至らない。
突きの恐ろしさは間合いの長さと、打点の狭さだ。
例え腕を交差させようと、その隙間を縫って打ち込んでくる。
だが。
俺は。
身を護ることはしなかった。
ヤツが魔法を連発するであろうこと。
隙を見てトドメの一撃を放つであろうこと。
それらも全て見越していた。
その上で、防御を解いた。
ヴァルゴサ。
まさかお前も想像だにしないだろう。
目も耳も利かない状況で、一切の護りを捨てる相手がいるなど。
右腕をぐっと引く。
(マルコ……)
拳を繰り出す。
(マルコ……!)
――ガツン!
拳に強烈な痛みが走り、直後、復活した視界にヴァルゴサの驚愕する顔が映る。
「なっ……てめぇ、防御を捨てて――! 狂っていやがるっ!」
どうやら不運にも、ヤツの棍先が拳とぶつかったらしい。いくつか骨が折れ、拳が潰れたようだ。
これは贖罪だ。
マルコを護れなかった俺への贖いだ……――!
そのまま潰れた右手で無理やりヴァルゴサの棍を掴み、強く引っ張る。
そしてこちらへ勢いよく引き寄せられたヤツの顔面に向けて――
「やっ、やめろおぉぉ!」
「――死ね」
――グシャ!
左手の一撃を撃ち込んだ。
***
人間の頭は案外頑丈らしい。
ヴァルゴサは床に仰向けになったまま、それでもズリズリと後ずさりした。
片方の目が潰れ、鼻が折れ、歯は半分が無くなっていた。頭が不自然にへこんでおり、放っておいても長生きは出来まい。
だが俺はこれで許す気は無い。
俺も前回は同じように半殺しにされたのだ。
これでやっと同等。
マルコの復讐はもちろん、この外道に苦しめられてきた子供は沢山いる。
生かしておいても良いことはない。
何より俺たちの障害になる可能性がある。
「ほっ……ほひっ、ま、待て……! 待てっ! わ、分かった! あんひゃの勝ちだ、ブラーさん!」
ヴァルゴサは命乞いを始めた。
「ひゅるしてくれ! ひゅるしてくれへっ! こ、この通りだっ……!」
「最初に言ったはずだ。どちらかが死ぬまで、と」
「だ、だけどそんにゃ……! ほっ、ほれがほ前に何をしたってんだ……!」
「そうだったな……ちゃんと自分の罪を知ってから死んだ方が良いか。……お前がロストグラフにいた頃、遊び半分に殺した奴隷の少年を覚えているか? あれは俺の弟子だった」
ヴァルゴサはゆっくりと目を剥いた。
どうやらすぐには思い出せなかったらしい。
自分が殺した人間のことさえすっかり忘れていたのだ、この男は。
「ほっ……思い出した! 思い出しやした! しかしありゃあ、ガキの方があんまり抵抗するんで仕方なく……あ、いや、その。悪かった……謝りひゃす! 謝りひゃすからどうか罪を償う機会を、どうか……!」
「そうやって命乞いした子供を何人殺した?」
「うぐっ……!」
言い放つと、ヴァルゴサは俺への説得を諦めたのだろう、大声で叫んだ。
「ひゅっ、ヒュキセツ様ぁっ!」
「……」
見ると、ヴァルゴサの上役になったユキセツは黙したままこちらをじっと見ていた。
「ヒュキセツ様っ、ど、どうかお助けを! いいんですかい、傘下に入れた組織の幹部をみしゅみしゅ殺したとあっちゃあ、アンタの株も下がるんじゃありやせんかい!?」
今度は脅すようにユキセツに説得を試みた。
「神火」のトップはボリボリとアゴを掻いたあと深く溜め息をつく。
「……フー……。なんとも無様だねぇ。しかも傭兵になる前は子供を遊びで殺していたとは。この国で無理やり奴隷にした子供を金持ちに売りつける……という商売については調べがついていたが、まさかそこまでの下種だとは。これは己の目が曇っていたことを恥じないとね」
「ひゅ、ヒュキセツ様ぁ……」
「……だがまあ、ヴァルゴサの言うことももっともだ。ここで見殺しにしたとあっちゃあ俺自身の沽券に関わる。戦士ブラー、勝負はついた。それ以上は手を出さないでくれないかい」
ユキセツが俺を見た。
その両眼に、揺らめく炎のような光が宿っている。
間違いない。
この男には、一生かけても勝てないだろう。
だが、譲るわけにはいかなかった。
「それは出来ん。この男は何人もの無辜の子供を手にかけてきた。その命で償う以外の道は無い」
「そうか……じゃあお願いはやめにしよう。このランゴにおいて命ずる。それ以上ヴァルゴサを攻撃するのはやめろ」
ぐっ……――と、体を止めざるを得ない。
ランゴ。
この国における絶対の掟。
もしも破れば、魔女の粛清が待っている。
命が惜しくはない。
だが、ツキトへ恩を返すには生き延びなければ……。
「くっ……くひゃ、くひーっひっひっひっひ……。見たか、ブラー。結局生き延びるのは俺みたいに賢いヤツなのよ!」
先ほどと打って変わって、ヴァルゴサは潰れた顔を大きく歪めて笑った。
「腐っても一度契約を交わした組織同士だ……今は隠れちゃいるが、部屋の外にはビュトランテラにょ手下も百人ちかくいりゅ……。その前で手下を手にかけたとあっちゃぁ、ヒュキセツ様の名折れってもんよ」
ヤツは床に肘をついたままこちらを睨みつける。
「……いいか、ブラー……てめぇはもうひゅるさねぇ。この後どうせ俺は組織を解雇させられりゅだろうが、徹底的にお前をつけて絶望に落としてやりゅぜ……。
てめぇに妻や子がいるなら殺してやりゅ。いねぇんなら関係の無いガキどもでも構わねぇ。『お前が何でこんな目に遭うと思う? ブラーってやつのせいさ!』って言いながら殺してやりゅんだ! ぐは、ぐはは、ぐはーっはっはっははは!」
――ギリ、と拳を固めた。
コイツは魂の芯までクズだ。
生かしておけばまた子供が犠牲になる。
例え魔女の粛清が待っていようともコイツをここで生かしておくべきでは……――
――そのとき。
背後から、ツキトの声が聞こえた。
「いいぞ、やれ、ブラー」




