第66話 「ゴーストリベンジ・中編」
***
「クラッチマンの日記があるかもしれない」と考えたのは、姿を消してあちこちの組織に出入りしたとき、ヤツがジャルバダールの属国である「リャバダール」出身だと知ったからだ。
以前シューシュカから、リャバダールではアンプルシアから輸入した日記の文化がそこそこ流行していると聞いたことがあった。
そこで、朝にヤツが見回りに出るのと入れ替わりに部屋へ忍び込んだところ、運が良いことに日記を見つけたのだ。
そこには胸糞悪くなることも色々と綴られていたが、特に気になったのは文章のあちこちから滲み出る「幽霊」や「見えないもの」への恐怖だった。
例えばこうだ。
「夜にガキで遊ぶのはやめた。壁の陰にまだ誰か隠れてる気がする」
「ちくしょう、目がうずく。俺に恨みを持って死んだやつのせいだ」
「アンディの野郎が俺の左側から声をかけてきやがったから半殺しにした。びびったわけじゃない」
日記というものは――あるいは独り言なんかも同じだが、素直な感情が表れるものだ。
自分しか聞いていないし、見ていないのだから当然である。
外で澄ました顔したヤツが、家に帰れば裸で歌っている。それだって別段珍しいことじゃない。
クラッチマンも、それでも日記の中で自分を保つために威勢を張っているようではあったが、本心は隠しきれていなかった。
そこで俺は一計を案じた。
ウルウェーテルのときのように同士討ちを誘発させて全員をランダムに襲撃してもいいが、この手を一度使っている以上、クラッチマン側は慎重になるだろう。
「これはウルウェーテルたちが襲われたときと同じ状況だ」――そんな風に思われてしまうと、中には冷静になろうとするヤツも出てくるかもしれない。
だから手段を変えることにした。
そのために、まずクラッチマンから――この「大倉庫」のボスから攻めることにしたのだ。
計画は順調で、俺の目の先にはなかなか眠れずにいるクラッチマンが顔を歪めている。
ヤツが戻ってきたとき、枕に赤いペンキを垂らし、その後も追い詰めるようにペンキをぶちまけたりした。幸いジャルバダールでは、市場のあちこちで塗料が売られている。
一応この部屋を「俺の一部だ」と思い込むことでペンキの匂いは消したのだが、よく調べれば血の匂いさえしないことで偽物だとは分かっただろう。
しかし、クラッチマンは近寄ろうともしなかった。
よほどの怖がりらしい。
もっともペンキだと気付かれても、何者の仕業か分からなければ効果が落ちることはないはずだ。
さらに良いタイミングでヤツの部下がウルウェーテル軍全滅の報を入れてくれた。
これで血のイメージがリンクしたクラッチマンは、もう頭のどこかに血の映像がこびりついて離れなくなっただろう。
これから徐々にこの男を追い詰めてやる。
三日三晩かけてな。
***
ミステリー小説を読むと不可解な事件があちこちで起こり、その全容が開かされたとき読者はなるほどと頷く。
しかしその実、犯人がものすごい労力で罠を仕掛けていることを忘れてはならない。
何かを成すには労働の対価が要る。
それを隠そうとするのは、更に大きな労働が必要なのだ。
そんなわけで俺はクラッチマンを追い詰めるのと並行して、子供たちの救出を実行した。
大変だが、やり遂げなければならない。
少しの時間も無駄には出来ない。
クラッチマンが休んでいる間に、ヤツが元いた部屋から拝借してきた地下室の鍵を持って地下へ行く。
案の定、見張りはいない。
地下室に閉じ込められている四人は、みな奴隷として売れなかった子供たちだ。
つまりヤツらにしてみれば、「商品価値が無い」――子たちである。
そもそも子供を商品扱いすることが気に入らないが、ヤツらの尺度で言えばそういうことだ。
四人を閉じ込めたままにしているのは、ただクラッチマンの娯楽のためだけである。
手下どもにとっては無価値だ。
もちろんリーダーのご機嫌取りとして普段は見張りを立てているが、それが直接「ここに大事なものがある」という印象に直結していない。
クラッチマンの命令で、「大倉庫」からは「虎の御殿」への状況捜査で五十人が駆り出された。
そのとき、どんな人員が選出されるだろう。
地下室の見張りなんて、真っ先に選ばれるのではないか――。
俺はガチャリと鍵を開け、そっと地下室の中へ入った。
静かに扉を閉める。
中は薄暗い。
「……だぁれ?」
子供たちの一人が掛けた声に応じ、俺は暗がりからゆっくりと姿を現した。
「今までここに潜んでいました」とでもいうように登場するのは、初めてシスティーユ姫の前に現れたときからの得意技である。
どこもかしこも暗いこの世界だが、奇しくも透明人間にとっては都合が良い。
俺はハマルやピヤたちをなだめたときと同じように優しい声で自己紹介をし、ここから助けることを約束した。
するとこれもハマルたち同様、子供たちは素直に頷いて――おそらく俺を信用したわけでもないだろうに、ただ縋るような思いで――言うことを聞いてくれた。
まず最初に、クラッチマンがここを訪れる頻度を尋ねた。
彼らいわく、訪問はほとんど無いらしい。
ようするにヤツは子供たちを傷つけるだけ傷つけて、あとは放置しておくのが趣味なのだ。
宝物を箱にしまって決して出さないように、ただそれがそこにある、という事実こそが彼を心地良くさせるのだろう。
来るのはせいぜい月に一度程度だそうだが、その一度は三、四日前すでにあった。
だから俺がこの部屋に来たとき、子供たちは「だれ?」と尋ねたのだ。
つまりクラッチマンがここへ直接足を運ぶ可能性はかなり低いということである。ラッキーだ。
あとは誰かが来るとすれば、ニュトのときのような給仕係と、新しく送られてきた子供くらいか。
しかしここでは、扉の脇にある小さな穴から食事が配給される。
また、商品になる子供は地下ではなく、大倉庫の一階にあった広間へ連れて行かれることは調査済みである。
クラッチマンに傷つけられた子供だけが、ここへ閉じ込められるのだ。
そして、ヤツがそのお遊びに興じられるときは、もう来ない。
扉を開けて誰かが来ることはないと結論付けても良さそうだった。
とはいえもちろん注意を怠ることなく、彼らの話をさらに訊く。
子供たち四人は、リリャたちと違い、意識はハッキリとしていた。
けれど片足が無い子が一人、両手が無い子が一人いた。
脱出するのに苦労しそうなのはその二人だろう。
足の無い子はテトレイという女の子だ。四人のリーダー格である。
頭が良くて、ここの状況も分かりやすく説明してくれた。
惨いことに、一本だけの足の太ももに、ミミズ腫れのような跡で「クラッチマン」と彫られている。
手の無い子はイジャヤという男の子で、地方の村から連れて来られたらしい。
彼はおでこにヤツの名前が刻まれている。
自分では触れることも見ることも出来ないのに、確かにそこに傷があるのだ。痛ましい。
あとの二人は姉と弟で、聴くところによるとブトランテラの本部である「鬼の御殿」に集められたとき、見せしめに顔を焼かれたという。
姉の方がルキャ、弟がクムルという名前だった。
どちらも顔の半分に痛ましい火傷の跡があり、手のひらに名を彫られている。
俺は全身から立ち昇りそうな怒気をぐっと堪え、四人に囁く。
「……よし、それじゃあ今夜のうちにこっそりと抜け出そう。ここと正門の鍵は開けておく」
「で、でも……見張りがいるんじゃないですか?」
赤いおさげ髪を揺らし、テトレイが尋ねる。
「大丈夫だよ。そのときには誰もいないルートを確保しておく予定だ。とりあえず君たちは、夜まで何事もなかったかのように振る舞ってほしい」
「分かりました」
素直に頷くテトレイの頭を「いい子だ」と言って撫でると、彼女は泣きだしそうに顔を歪めた。
まずい、ニュトと同じような感覚でやってしまった。
いきなり触れられるのは嫌だったか。
けれどテトレイはそういうわけではなかったようで、ぐす、と洟をすすって、それから少しはにかんだ。
ひょっとすると……人に優しくされたことがあまり無いのかもしれない。
「……じゃあ、みんなここで待っててくれ」
色々な思いを抱え、子供たちを残すと再び階上へ向かう。
クラッチマンが休んでいるうちに次の仕事をしなければ。
あと二時間ほど余裕があると見積もっていいだろうか――。
***
陽が沈み始めて、夕方。
電気が無く、火が明かりの主力であるこの世界では夕方ごろからすでに暗いオレンジ色の闇が漂い始める。
何しろ――と、壁に空いた窓の向こうに見える空を眺めた。
――延々と続く曇り空だ。おかげで砂漠の国でも暑さで死にかけるなんてことはないが、とにかく暗い。
どういう原理か、我が物顔で空に走るヒビも心の中に影を落とす。
たまには曇り空も悪くはないが、やはりスカッと晴れた青空が見たくなる。
さて、俺が色々やっている間に寝付いたらしいクラッチマンも目を覚まし、何やら悪夢を見たようで寝汗をびっしょりかいていた。
ふらふらと起き上がると、喉が渇いたのか水を求めて階下へ降りていった。
俺はヤツの二、三歩後をぴったりとついていく。
――が、そこでヤツも異変に気付いただろう。
この大倉庫にいる手下の数が少ないことに。
クラッチマンはしゃくれたアゴをさらに突き出し、苛立たし気に……というよりは不気味そうに、そばにいた手下に訊ねた。
「……オイ、なんか数が少なくねぇか? 今日はどっかとの戦闘も、村への襲撃も予定に無かったはずだが?」
「はい、その通りですが、五、六人ばかり――ルジンやヌゲレヤの姿も見えねぇんで……。俺たちも連中がサボッてるんじゃねぇかって捜してるんですがね、見当たらないんでさぁ」
「……そうか。まったくしょうがねぇヤツらだ」
クラッチマンは笑い飛ばすように鼻を鳴らしたが、目の奥は笑っていなかった。
明らかな怯えが見て取れた。
ルジン、ヌゲレヤっていうのか。
初めて知った。
もちろん俺がヤツらを片付けたのだ。
不意討ちをすれば簡単なことである。
まずは一人でうろついている不用心なヤツを後ろから殴り、人目が無いことを確認して喉を潰す。
これは声を上げさせないために必要な処置だ。
ここの「大倉庫」はものすごい広さだが、倉庫なだけあって各部屋には様々な物資が置かれている。
人ひとりをゆうに入れられるくらいの木箱や樽、ツボなんかもあるわけだ。
その中に、気絶させたヤツらを手足を縛った上で詰め込む。
ウルウェーテルとの戦いでは、あれだけ派手に大勢が乱闘したのだ。
クラッチマンの拠点で人が減っても、まさか今回は一人ずつ闇討ちされているなどと思わないだろう。
そうであれば、どこへ行ったか捜したとしても、「他人の意志で隠された」という答えには結びつかない。
普段使わない倉庫の箱やツボに押し込められているとは考えないはずだ。
ガタガタと動いて物音を立てようとする奴は、さらに動けないよう痛めつけさせてもらった。
夜になったらまた同じような手で四人ばかり片付ける。
そうなればちょうどテトレイたちが抜け出せるルートが作れる。
もっとも、そんなに長い間見つからないなんてことは無いだろうが、こちらとしてはクラッチマンを倒すまでの三日間だけ隠し通せればいいのだ。
数時間という制約の中じゃ五、六人が限界だったが、例え二、三人だったとしてもクラッチマンを恐れさせればいいのだから結果は上々である。
――案の定、「いきなり人が消えた」というホラー展開に、クラッチマンは「そのうち戻るだろう」などと楽観的な発言をする。
そうあってほしい、という願望が透けて見える。
ヤツは「それより」と話題を変えた。
「……ヴァルゴサと連絡はついたのか。ヤツはどう言っている?」
「へい、とにかく分からねぇことが多過ぎるから、ウルウェーテルや倒れてる連中から話を聞いてからだと……。ただ何者かに狙われてるとすれば、しばらくはこっちから動かずに守りを固めた方がいいだろうって……」
「フン、まあそうだろうなぁオイ……」
クラッチマンはガリガリと頭を掻いた。
「しょうがねぇ。ウルウェーテルを襲った組織が判明するまで、ほかへの襲撃は控える。聞き取りを続けている以外の、外に出てる連中も呼び戻せ。八十人くらいはいただろう」
これ幸いとばかりに身の回りを固める気のようだ。
だが、俺が仕込んだ毒も徐々に回り始めてきたらしい。
クラッチマンはこう口にしたのだ。
「……なぁ、ところでオイ、俺の部屋にイタズラしやがったヤツ……お前じゃねぇよなァ?」
急に思いも寄らない疑いをかけられ、手下は目を白黒させていた。




