第65話 「ゴーストリベンジ・前編」
「ブトランテラ」のナンバー2であるクラッチマンは、ジャルバダールの属国である「リャバダール」という小国の出身である。
そこの貴族として育った彼は、生まれながらの巨体と戦闘センスで国一番の戦士となった。
しかし働き次第では国の英雄にもなれる彼が道を踏み外した問題は、横暴かつ陰惨な性格であったことだ。
クラッチマンはすでに伴侶を持つ何人もの平民の女性に暴行を働いたことで国を追放された。その女性たちには、自分のことを忘れないよう体に名前を刻ませたという。
国を追われてからは傭兵となって過ごしていたが、彼にとってはむしろ気楽な生活だった。
貴族の立場や国の法律など煩わしいものに縛られず、自由に生きられるからだ。
だが野放図なクラッチマンにも苦手なことがあった。
訓練中の事故で片目を失った彼は、常に「死角」に苛まれた。
それゆえに、いつしか「見えないこと」が恐怖を伴うようになったのだ。
自分が身勝手に生きてきたことは分かっている。
それを悪いと思ったこともない。
だが恨みを買っていないわけが無いことくらいは、彼も承知していた。
つまりは、自分が傷つけてきた人たちがいつ復讐をしに来るかと恐れるようになっていたのだ。
あるいは、その恨みを持ったまま死んだ死者の魂が。
暴行を働いた女たち。
その夫や子供たち。
こびへつらわせてきた部下たち。
国や法律という後ろ盾が無くなったことはクラッチマンに自由を与えたが、裏を返せばそれは、追放者をどのように扱っても構わないという免罪符でもあった。
だから「見えないこと」への恐怖は、彼が自由を得たと思っている傭兵の立場になってからこそ、むしろ膨らむようになった。
クラッチマンは日記をつけている。
それは自分の人生が変わる契機になったときだけメモをつけるというような簡単なものだったが、広大な砂漠を旅する必要があるジャルバダールにおいては、いつ遭難してしまうかもしれない自身の記録をつけるのは有意義なことだった。
ジャルバダールには日記の文化が浸透していない。
魔法国家アンプルシアで女性を中心に根付いた文化だが、しかしリャバダールでは早くからその文化が取り入れられていた。
それを彼が読み返すことはほとんど無いが、一年と半年前、現在の「ブトランテラ」を組織しようとした貴族たちから声を掛けられたときには、大きく安心したという思いが綴られていた。
クラッチマンにとって好都合な住処。
いつ仲間がいなくなるともしれない傭兵稼業では得られない、組織という安全な傘。
それでいて自分の力と欲の限りを尽くせる場所。
女を襲うのも面白いが、無抵抗な子供はもっと面白いことにも気付いた。
彼はある種のナルシストであり、自分の存在をひけらかし、力を誇示するのが好きであった。
だからこそ相手は、より無力な者が良かったのだ。
すでに彼が根城とする「大倉庫」には、クラッチマンの名を刻まれた子供が四人もいる。
全て人身売買組織には売れなかった子供たちだ。
それは傷をつけられる前から、顔が醜かったり、手足のどこかに欠損があったりと、奴隷としても売れないような子たちであった。
そういう子供を選んだのだ。
まるで自分の所有物であるかのように思えるその子らの名を、クラッチマンは日記につけていた。
彼らが今も小さな部屋に押し込められて、自分への憎悪を膨らませている。けれどとても抵抗することなど出来ない――そのことを考えると、クラッチマンはまるで性交する前のように気持ちが昂るのだった。
彼は気付いていなかった。
その日記がしまわれた引き出しが、ある朝ほんの少しだけ開いていたことに――。
***
おかしい。
クラッチマンが気付いたのは、まだ昼間のことだった。
何かおかしなことが起きている。
自分の部屋を見渡してそう思った。
朝に「大倉庫」を出て、ブトランテラのテリトリーを見回りに行った。
そのときは、自分の部屋に別段異常は無かった。
太陽が高く昇り、暑さに参ったクラッチマンは、その後の見回りを部下たちに任せて自室へ戻ってきた。
マハランの尾羽を刻んで作られた枕は高級品で、彼のお気に入りだった。
その白い枕に、赤い点がついているのだ。
薄ら寒い思いがして用を足しに出る。
そして部屋に戻ると、赤い点が増えている。
(オイ、気のせいだよな……?)
そう自分に言い聞かせたが、「見えないこと」や「死者の魂」を潜在的に恐れる彼は、不気味に思って別の部屋で過ごすことにした。
ブトランテラの拠点の一つである「大倉庫」はクラッチマンの根城だ。どの部屋をどのように使おうと、思いのままだった。
幸いまだ明るい。
彼はその怪力でベッドを持ち上げ、一つ下の階へ運び込んだ。
それから枕と毛布を取りに上階へ戻る。と――
「ひっ……!」
思わず彼は大柄な体躯に見合わず、乙女のような声を上げた。
さっきまでベッドが置いてあったその場所に、ぶちまけたように血が広がっていたのだ。
クラッチマンは慌てて部屋を飛び出す。
「だ、誰かっ! 誰かいるかぁオイ!」
彼の声に答えて、一階から手下が十人ばかり顔を覗かせた。
「どうかしやしたか、クラッチマンさん」
「敵襲で?」
「いや、ちが――」
そこまで言って、口をつぐんだ。
彼は自分が幽霊などを怖いと思っていることを、誰にも知らせていなかったのだ。
実際のところ部下の何人かはすでに気付いているのだが、当の本人は隠し通せていると思っていた。
どう説明すればいい?
まさか「血が怖いから拭いてくれ」とでも頼めばいいのか。
そんな情けないことを頼めるものか。
いや、むしろ今この部屋に来られたら、「血を恐れてベッドを移した」のが誰の目にも明らかではないか。
ならばむしろ、このことは隠すべきだろう――。
「そ、その――今からちぃっとばかし休むから誰も部屋には来るな。三階の俺の部屋と、二階の端の部屋、どっちを使うかまだ決めてねぇから、どっちも入るな。いいか、オイ?」
手下たちは「へい」とめいめい返事をし、ぞろぞろと戻っていった。
「……くそったれ。誰の悪戯だぁオイ。犯人を見つけたらぶっ殺してやる」
そう呻いたが、自分の恐ろしさをよく知る手下の中に、こんなことをしでかす度胸のある奴がいるとは思えなかった。
そもそも自分が階下にベッドを運んでいる間、誰の姿も見ていないのだ。
だとすれば、誰が――
深く考えようとして、ぶるぶると頭を振る。
(何をびびってやがる……血だまりのひとつやふたつ、散々戦場で目にして来たじゃねぇか。なんなら俺が作ったものだっていっぱいあった)
しかしすでに扉を閉めた三階の自分の部屋に入る気にはなれず、クラッチマンはそろそろと階下の二階へ戻っていった。
二階の部屋の扉を閉めたのは失敗だったと、思わず舌打ちをした。
中が見えないと怖いのだ。
また何かが起きているんじゃないか……そう思っておそるおそる扉を開ける。
彼はほっと息をついた。
部屋はベッドを置きに来たさっきと、何も変わりないようだった。
安寧を得たクラッチマンは、ゆったりとベッドに横たわった。
「く、クラッチマン様ぁ! クラッチマン様ぁー!」
――ドンドンドン!
「うおおオイっ!?」
夢うつつをさまよっているとき、急にドアが激しく叩かれて彼は飛び起きた。
「ななっ、なんだ、くそっ! 騒々しいなぁオイ!」
「すみません、お休みと聞いて――大変なことが起きたんです!」
「さっさと入れ!」
クラッチマンはドキドキする心臓を押さえ、唾を飛ばして怒鳴りつけた。
ドアが開くと、三人ばかりの兵士が部屋になだれ込んでくる。
「クラッチマン様、う、う、ウルウェーテル様が――」
「ウルウェーテル? ヤツがどうした」
手下は息を喘がせるのももどかしい様子で、舌をもつれさせながら報告する。
「ウルウェーテル様が――やられました! 手や足をハンマーか何かで潰されて……なっ、仲間もみんな……百人くらい床に倒れてて……血まみれで……!」
「なにィっ!?」
ウルウェーテルがやられた――その衝撃はクラッチマンの目を大いに覚ました。
あの男は決して弱くない。
いや、むしろ倒すとなれば自分でも苦労するだろう。
ヤツの強さは奇怪な「魔法」だけではない。
常に自分が優位に立とうとする用心深さと残忍さにあるのだ。――そう、クラッチマンは分析していた。
「ヤツの部下は百人ばかりじゃないだろう。他の連中はどうした?」
「それが分からねぇんで……俺たちも見回りに行ったときに見ただけなんす。ただ、おびただしい数の血の跡が点々と王都の正門の方へ続いてたんで……」
もしかすると彼らを襲った敵に恐れをなして逃げ出したのかもしれない――その言葉を部下は呑み込んだ。
だがクラッチマンは、部下たちが知らない奇妙な符号にごくりと喉を鳴らした。
(血……血だと!?)
「クラッチマンさん、どうしやしょう?」
尋ねる部下に、彼はゆっくりと息を整えて返す。
「そ……そうだな。どの組織がやったかは分からんのか? ヤツを倒せるとなれば『20』以上のランゴを持つはずだ。その上三百人もの敵を相手に勝てるとすれば、それと同等の人数を動かせ、ひとケタ台の上位者が所属する軍勢しかありえないだろうが、オイ」
そう言いながら、そんな合戦があったなら今朝にでも自分の元に報が届いてなければおかしい、とクラッチマンは考える。
「ブトランテラの一角を倒した」。どの組織であれ、その事実を宣伝しないメリットは無いだろう。
自分たちがいかに強く巨大であるかを誇示するため、倒したそのときには国中に勝鬨を響かせるはずだ。
「それが、よく分からねぇんで……。合戦があったとなりゃあ双方の死体が転がってるはずでさぁ。ところが倒れてるのは全部ブトランテラの仲間と来てる」
「……まさか仲間割れかぁ?」
「狭い場所で襲われたから互いの武器が絡み合ったみたいですが……一応意識のあるヤツに聞いたところ、少なくとも誰それがいがみ合うとか、そういうこともなかったそうで……」
クラッチマンは首をひねった。
相手の死体が無いということは、敵に被害が出ていないということだ。
数百人の傭兵をウルウェーテルが従え、地の利がある自分たちの拠点で迎え撃つ。
そんな相手をそれより少ない数で倒し、かつ被害も出さない――自分にはとても不可能だ。
いやブトランテラ最強のヴァルゴサだって、まず無理だろう。
そうすると、
ランゴ「6」……「反乱軍」の「ハルゲマルタ」……
ランゴ「5」……「神火」のユキセツ……
そして国王の側近、「絶炎のバルゲア」と「雹魔のイルシーク」……辺りだろうか。
その上はもはやナヨカトルと――ティワカンヤ王しかいない。
だが、とクラッチマンは頭を振る。
その誰でもありえるはずがない。
ヤツらは組織の象徴であり、力を誇示するための存在だ。
姿を隠して戦うことに利益が無い。
「あれが噂のバルゲアか……なんて強いんだ……!」――そう思わせて、抵抗意欲を削る。
それこそが巨大組織の象徴の役割なのだ。
そうだとすれば一体誰が……
そもそも何百人を相手取り、被害を出さないなんて芸当が、果たしてあのティワカンヤ王でさえ出来るのだろうか。
思考が堂々巡りし、クラッチマンは頭を抱えた。
彼は頭が回る方ではあったが、あまりにも不可解な状況に「疑問」よりも「恐怖」が勝り始めた。
「……オイ、敵からの要望などは無いか? 宣戦布告の手紙が来てないか? このことはヴァルゴサに伝えたのか? 富豪どもはどうなった」
立て続けに尋ねるクラッチマンに手下は、ヴァルゴサには連絡を飛ばし、富豪は他の連中と一緒に伸びていたが、あとは一切分からないという旨を告げた。
「……分からないことばかりというわけか。しょうがねぇ。まずは手掛かりをつかむところから始めるしか無ぇ。オイお前ら、まずは生き残りの連中から昨晩の状況を明確に聞き取りしてこい。人数が多いだろうから、ここからも百人くらい連れていって――」
――いや、そうすると自らのアジトである大倉庫に残る人員が減ってしまう。
ウルウェーテルと同じ「何者か」に急襲される危険より、何かが潜んでいるかもしれない現状で味方が少なくなることの方が怖かった。
「――いや、五十人で充分か。それで話を繋ぎ合わせて、何が起こったか明確にする。分かったなぁオイ?」
「し、しかしクラッチマンさん……意識があって動ける連中は、実は俺たちが引き止めるのも振り切って、さっさと逃げちまったんで……」
「……なんだとぉ?」
これも怒りというより、そこまで思わせた「何か」に対する恐れから出た言葉だった。
「くそっ……それなら気絶してるヤツらが起きてからでいい。そいつらだけ介抱してやれ。あと金ヅルの豚どももな。今後のことはヴァルゴサと話してから決める。いいな」
「わ、分かりやした。では早速何人か掻き集めて……クラッチマンさんも直接見に行きますかい?」
本来ならば、もちろん彼自身も行くべきだろう。
そして敵対組織に繋がる証拠や証言があるなら、自分の目と耳で確かめるべきだ。
だが、クラッチマンは弱々しい声で吐き出した。
「俺ぁ疲れてんだ……今日は休む。明日だ、明日」
そそくさと出て行く手下を見送り、再び横になって目をつむる。
自分の名を直接体に刻んだ、今も地下室に閉じ込めている子供たちのことを考えてみる。
だがどうも、いつものように心が高揚することはなかった。
それどころか、頭の片隅でこんな風に考える。
(……誰かも分からねぇ……誰にも知られねぇ……そんな敵が本当に……。くそっ、なんで俺がこんな思いをしなくちゃならねぇんだ……)
そのときふと頭に浮かんだ言葉に、クラッチマンは背筋を凍らせた。
(まさか……俺を追い詰めるため、ヤツらが来たっていうのか……? ウルウェーテルらが襲われたのも、さっきからの変な血の跡も、俺を恐怖させるためで……)
ごくり。
暑いはずなのに、一人になった部屋はどこか寒かった。
(死者の魂が……幽霊が……――俺に復讐しにきやがったんだ)
大きな体をガクガクと震わせ、クラッチマンはぎゅっと目をつむる。
それはただの妄想に過ぎなかった。
だが、彼がこれまでに行って来た非道が巡り巡って今の状況を作っているという意味では、彼の考えも間違いではなかった。
クラッチマンに見えるはずもない。
ガタガタと震える彼を、すぐそばで月の仮面の男が見下ろしていることなど――。




