第64話 「『様』はやめてくれ。がらじゃない」
倉庫の子供たちから名前を聞いた。
ピヤ、パンヤは女の子の姉妹。
どちらもまだウルウェーテルの「遊び」は受けていないらしく、ほかの二人よりしっかりしていた。
ウヤトラはハマルよりも年上らしい男の子。おそらく最年長だ。それでも十二、三歳くらいだろうが。
一度ウルウェーテルにもてあそばれ、リリャのようにぼんやりしている。
それでも彼女より年上ということもあってか、なんとか自我を保とうとしている雰囲気があった。
そして……悲惨なのがシャマロという女の子だった。
まだ六歳くらいであろう彼女はウルウェーテルのお気に入りだったのか、ピヤの話によると五回も呼び出されていたそうだ。
目に光が宿っておらず、よだれや鼻水が垂れっぱなしになっている。
上手く喋れず、立っていることもままならない。
そんなシャマロを、ハマルをはじめ、ここの子供たちはお世話していたという。
こんな暗く狭い場所に閉じ込められ、いつ自分がシャマロのようになるかも分からない恐怖の中で、それでも他人を気遣うことが出来たのだ。
あるいはそれは、シャマロの面倒を見ることを自分の責任とし、自我を保つために必要なことだったのかもしれない。
「自分のやるべきこと」、「やらなければならないこと」を失った人間は、生きていく意味も失ってしまう。
だから彼らは、本能で他人の面倒を見たのかもしれない。
それでも、なんて尊いことだろうか――。
子供たちの優しさに、懸命さに、胸が締め付けられる思いだった。
俺は靴や服、食糧なんかをあちこちから調達して、ピヤ、パンヤ、ウヤトラの元へ持ってきた。
「ハマルとリリャを連れて来るから、ここを出る準備をしてくれ。そのときシャマロは俺がかつぐ」
彼らはすぐにパンや干し肉に手を伸ばし、よほどお腹が空いていたのか、涙を流しながらガツガツと食べた。
またシャマロには、姉妹の姉であるピヤが食べさせてあげていた。
俺は二階のウルウェーテルの部屋へ引き返す。
その途中で御殿を出るためのルートもざっくり調べた。
なるべく子供たちに死屍累々とした場所を通らせたくはないからな。
どうやら倉庫の横を通って裏口に通じる通路が一番人が転がっていないようだったので、そこを脱出路に決めた。
三、四人転がって呻いていた男たちには毛布を被せた。
彼らの頭に浮かんだランゴは消せないが、こればかりはしょうがない。
透明になった俺が、「シェード・オフ」で透明にした毛布を男たちに被せ、それから毛布だけを「シェード・オン」すれば、彼らとしては急に目の前が真っ暗になったように感じるだろう。
中には払いのけようとしたり、まだ元気にも「なんだチクショウ!」と叫ぶヤツがいたが、そういう連中は毛布で首を絞めてやった。
ある程度まで行くと、酸欠になって気絶するのだ。
もちろん、なるべく殺さないように注意はした。
ハマルたちを二階から一階に連れて来るルートも、正門横の階段ではなく、裏側の細い階段にする。
正門側は富豪たちがヒューヒューと息も絶え絶えにひと塊になっているし、大勢が逃げ出したから結構な血みどろだ。血で足を滑らせる可能性だってある。
ルート上に倒れている男たちは、これも一様に毛布をかけた。
「あ……本当に来てくれた……」
ウルウェーテルの部屋の箪笥を開けると、一瞬顔を強張らせたハマルが、すぐに月の仮面を認め、ほっとしたように息を漏らした。
彼の腕の中ではぼんやりとした顔のリリャが、ゆっくりと俺の方を向く。
「ごめんな。怖かっただろう」
まずそんなふうに穏やかに話しかける。
「ここの連中を片付けたから、ピヤ、パンヤ、ウヤトラ、シャマロと一緒に出よう」
と、四人の名前を出したのも、もちろん信用してもらうためだ。
ハマルはこくん、と頷き、そっと箪笥から出てきた。
彼の手を引く。
妹は兄の手をぎゅっと握っている。
俺は裏側の階段を下りていった。
あちこちで上がる呻き声にハマルは怯えているようだったが、それでも彼らに毛布を被せてあったからだろう、その場で吐くといったようなことはなく、しっかりとリリャを連れて俺についてきてくれた。
やがて一階の倉庫に着く。
扉を開けると、食事中のピヤ、パンヤたちがハマルとリリャを出迎えた。
「無事だったんだ……! 良かった」
「大丈夫? 怖くなかった……?」
「うん、リリャも俺も大丈夫だ」
などと言葉を二、三、交わすと、彼らは俺を見上げた。
「よし。それじゃあ全員で脱出するぞ」
そういうと、子供たちは生への希望を目に宿して、コクリと頷いた――。
***
虎の御殿を裏口から抜けると、思った以上に外は静かだった。
あれだけの騒ぎがあって、中からは百人以上のケガだらけの男たちがほうほうの体で悲鳴を上げながら出て行ったというのに、何事かと心配しに来た人や、野次馬なんかも一切いなかった。
おそらく――逃げ出した連中は、例えば「大倉庫」を根城にするクラッチマンや、「鬼の御殿」に居を構えるヴァルゴサに救いを求めに走ったりはしなかったのだろう。
傭兵は現実主義者だ。
金と娯楽に重きを置く。
それがどこかに潜む何者かに襲われ、いつ殺されるかも分からない状況で同士討ちをする――こんな理解不能な状況に叩き落されたら、恐怖に駆られるのも当然なのだろう。
上手いこと集団パニックの状況に仕立てられたのも運が良かった。
また様子を見に来る者がいないのも、ジャルバダールという国の特異性を考えれば当たり前かもしれなかった。
ようするに、無法国家のこの国で厄介ごとが起き、そこへ近づけば巻き込まれるのは必定。
法や国の兵士、警備隊なんかが自分を守ってくれたりはしない。
自分の身は自分で守るしかない。
だから誰もわざわざ物見遊山を楽しもうなんて思わないのだ。
これは俺たちにとって非常にラッキーだった。
人が集まっていたら、こっそり一人ずつ連れ出すなどの方法を取るしかなかったからな。
外が静かなら全員で逃げることが出来る。
そして俺は六人の子供たちと、虎の御殿を抜け出した。
始めは静かに歩いた。家の影から影へと目立たないように。
やがて「ブトランテラ」のテリトリーから遠ざかると、少しずつ速足で、けれど子供たちが疲れない程度のスピードで進んだ。
そしていよいよスラムが――ゾゾルのアジトの一角を間借りする俺たち「ツキト団」の仮宿が見えてくると、周囲にいっそう気を配りながら近づいた。
誰かに尾けられていることは無いだろうが、ウルウェーテルの御殿を夜襲したのがツキト団だと知られれば危険だ。
そうしてやっとアジトに帰ると、俺はほうっと息をついた。
「お帰りなさいませ、ご主人様ー」
手燭を持ちながら、ひそひそ声で俺を迎えてくれたのはシューシュカだった。
「……良かった。無事だったんだな」
壁にもたれるようにして、レモネットも安堵の溜め息と共に俺を出迎えた。
「すまない、二人とも。起きてくれていたのか」
「月が真上に来るまでは起きていようと思いましたのよ」
「予想より早かったから驚いたぞ。その子たちが捕らわれていた子供か?」
「そうだ。見ての通り疲れ切っている。体を拭くものと、寝床を用意してやってくれないか。それと明日起きたら、お腹いっぱいの食べ物を」
俺がそう言って子供たちを中へ入れると、どこか彼らの様子が変わったことに気付く。
シューシュカやレモネット、そして俺の顔を無表情に見て、指先をもじもじさせたりしている。
不意に――ピヤとパンヤの姉妹の目元に涙が膨れ上がった。
「うっ……うぐっ……ふぐ――うええええん」
「うわあああああん」
それをきっかけにハマルも泣き出す。
リリャとウヤトラも、泣かないまでも唇をわななかせている。
なんだなんだ――と思わず困り顔になると、真っ先にハマルが抱きついてきた。
「ほんとに……ほんとに助けてくれたんだ……うっ、うわああああん」
「ありがとう……ありがとう、ツキトさまぁあああ」
「ツキトさまぁあああ」
姉妹も俺の体にしがみつき、おいおいと泣く。
そうか――彼らは心配だったのだ。
助けにきてくれた男についてきたものの、支配者が替わるだけではないか……この男も自分たちを弄ぼうとしているのではないか……そんな不安に駆られながら、ここまでの道のりを歩いてきたのだろう。
それがシューシュカやレモネットの優しげな表情に迎えられ、本当に自分たちを助けてくれると確信できたから、ずっと我慢してきた心のタガが外れたのだ。
彼らの心がとりあえず救われたことが嬉しいような、これほどまでに追い込んだ国の現状が憎いような、複雑な思いで――みんなの頭をぽんぽんと叩いた。
「『様』はやめてくれ。がらじゃない」
***
ハマルたち六人がニュトと同じ部屋で寝付いたころ、のっそりとブラーが姿を見せた。
「子供たちが怖がるといけないから」という理由で奥に引っ込んでいたらしい。
たしかにあちこち手当のあとがあり、大柄で強面の彼は初見じゃ怖いかもしれない。
優しい男だ。
「それで――首尾はどうだった。……いや、訊くまでもないか。まさか本当にウルウェーテルを倒すとは驚いた」
ブラーは俺の頭上に浮かぶ「21」のランゴを見て、心底感心したように唸った。
「上から布で隠してるみたいですけど、結構返り血を浴びてますわね。死闘だったのでしょう」
シューシュカに指摘され、そういえば血の臭いを「アロマ・スナッフ」で消したままだったことに気付く。
彼女たちはまだ俺の「世界に線引きする力」を知らない。
これだけ血を浴びて臭いがしないのは怪しいだろう。
ちょっと着替えてくると立ち上がり、俺は部屋で服を替えると、改めて大部屋に戻った。
シューシュカ、レモネット、ブラーの三人が丸い机を囲んで座っている。
「まさか本当にやるとはな……ゾゾルの側近たち……なんつったか、ラインデッドとレフティか――腰を抜かすだろうな」
くくく、とレモネットは小気味よさそうに笑った。
「まったくお前はアタシを驚かせてくれるよ、ツキト」
俺は笑い返しながらも、頬を引き締めて言葉を継ぐ。
「――だが、まだクラッチマンが残っている。二人を俺一人で倒すと約束したからな。そのために、今はお前たちにもゾゾルの手伝いをしてもらって、俺に協力していないことを証明させているんだ」
「クラッチマンだけじゃない」ブラーがさらに継ぐ。「ウルウェーテルの部下たちもいるだろう。リーダーを失って暴徒と化すかもしれん。あるいはクラッチマンの軍勢と合流したら面倒だ」
「いや、それは大丈夫だ。全員倒してきた」
そう言うと三人は不思議そうな顔で俺を見た。
「再起不能な者も多いだろうし、軽傷の連中もジャルバダールを恐れて出て行ったはずだ。戻ってくるのも数人くらいはいるかもしれないが、脅威じゃない。もちろん正体もバレていない」
ブラーたちは互いに顔を見合わせる。
「ちょ……ちょっと待てツキト。全員って……ウルウェーテルの部下を全員か?」
「ああ、三百人くらいだったか? 全員って言っても、半分くらいは同士討ちだと思うが。あとはまあ、適当に斬ったり殴ったり」
「いやいや、そんなの無理だろ、どう考えたって! た……たった一人でウルウェーテルを倒し、三百人の部下を倒し、子供たち助けてきた……? そ、そんなことが……」
レモネットは目を白黒させる。
状況が整えば、透明人間ならさして難しいことじゃないのだが、それを知らなければ驚くのも当然だろう。
例えばブリガンディ辺りが透明人間だったら、俺よりよっぽど恐ろしい。
「ゾゾルたちへの手土産さ。クラッチマンとウルウェーテルの二人だけを条件にしたのは、あえてハードルを下げた結果だ。その上でそれ以上の働きを見せる。ラインデッドたちもツキト団を認めざるを得ないだろう?」
ブラーもレモネットもぽかんとしていたが、何よりシューシュカが目を見開いていたのが面白かった。
いつも訳知り顔のコイツが驚くことなんてそうそう無いからな。ちょっと気分がいい。
「あ……アタシ、なんだかお前が怖くなってきたんだけど」
レモネットが冗談めかしてじりじりと椅子ごと後退するので、「勘弁してくれ」と溜め息をついた。
「とにかく――」
俺は続ける。
「――この騒動はすぐにクラッチマンとヴァルゴサに伝わるだろう。ヤツらはブトランテラの力が削がれたのを知り、焦るに違いない。つまり付け入る隙が出来る。俺はあと三日のうちにもクラッチマンを倒してくるつもりだ」
「み、三日? そんな急な、どうやっても無理……――」
そこまで行ってレモネットは口をつぐむ。
「……いや、なんかもうお前なら出来るような気がしてきたぜ」
どこか諦めたような口調に思えるのは気のせいか。
「それまでお前たちには頼みがある。
まずはハマルたちの面倒を見てほしい。家族がいるようなら後で返そうと思うが、ブトランテラが機能しているうちは王都の外に出すのも危険だ。
特にシャマロって子は介護が必要だ。
それからゾゾルのところへ今日の成果を簡単に伝えてくれ。『ウルウェーテルを倒した』、『子供を助けた』くらいでいい。どうせ騒動はすぐアイツの耳にも届くだろう。
ただ現状を共有することで、行き違いが出るのを避けたい」
例えばブトランテラの非人道的な行いにキレていたラインデッドが、単身突入はしないまでも裏から何らかの根回しをして無駄足を踏む可能性もある。
そうした無駄を避けるための連絡だ。
「最後に、俺たちが見事ブトランテラを倒してきたら一気にジャルバダール中に噂が広まるよう、あらかじめ準備をしておいてほしい。
ツキト団の名前は出さずに『新進の兵団がメキメキ力をつけているらしい』ってあちこちに風評をばらまくとか、『そろそろ勢力図が変わるかも』なんて流布するくらいでいい。
これには二つの利点がある。ひとつは、『そんなすごい集団があるのか』と思わせられるほど、現状たった五人のツキト団が目をつけられる可能性が減るということだ。
もうひとつは、いざ俺たちが成果を上げたときに『噂の兵団は彼らだったのか』と実力以上の戦力を想像させられること。一気に名を上げるのに最適な方法だと思う。噂に真実味を持たせるのが面倒ではあるが、大事な仕事だ」
「――あっ、それじゃあ私は責任を持ってハマルくんたちの面倒を見ますわね!」
はいはい、とシューシュカが元気に手を挙げる。
「ははは、何を言ってるんだ」
俺はそれを無情にも取り下げる。
「当然お前が最後の仕事をやるに決まっているだろう。口八丁はお前の最大と言っていいほどの得意技じゃないか。期待しているよ、シューシュカ」
「ふええ、なんとなくそんな気はしてましたけどやっぱりそうなんですか! メンドくさ~!」
「ハマルたちの世話はレモネット、ゾゾルへの報告と今後の話し合いについてはブラーに任せたい。ただしもちろん、三人がカッチリばらばらの仕事をやるんじゃない。臨機応変に互いの仕事を助け合ってくれ。
ハマルたちの世話はニュトにも手伝わせてほしい。彼女は優しい子だし自分がずっと辛い思いをしてきたから、傷ついた子供たちの心に寄り添えるだろう」
三人はこくん、と頷いた。
「よし、それじゃあ俺は少し休むよ。明日はいよいよ――クラッチマンだ」




